繰り返しになりますが、私の座右の銘は「横車を押さない」(車を横に押して動かそうとするような、理屈に合わないことを無理に押し通そうとしない)です。
縦のものをムリヤリ横に倒したりしたらバランスが崩れてしまうし、四角いものを気まぐれで丸く削ったりするのは徒労というものです。
己の本質とは違うものになろうとすること、これは不幸の始まりです。
今朝、エレメンタリースクール(地元の公立小学校)の卒業を間近に控えた12歳の次女が「今日の体育がバスケで鬱」と呟きました。
女子バスケ部に所属して合同練習やら大会やらで「ボールは友達!」なスポーツ青春グラフィティを体現している中学2年の長女とは対照的に、次女は自他ともに認めるインドア小学生。
「ジャンケン以外の勝負は自ら降りる」をモットーに可能な限り低燃費で生きる彼女にとって、つき指の危険と隣り合わせのバスケットボールなどは狂気の世界です。
しかも体育の授業とはいえスポーツできる系の女子は(無駄に)張り切るそうで、次女がパスを受け取れないと「ちゃんと取って!」と叱責にも似た言葉をあびせられるなど心が削られる場面もある様子。
ああ義務教育の悲哀!
でも、落ち込まないで娘。
母から娘に送る言葉は「苦手は苦手のまま放っておけばオッケー」ということ。
そして球技が苦手なのは、母(私)ゆずりなので許してほしい。
母(私)はドリブルすらもできなかったから、体育の授業では「ボールを持って走ってOK」という専用の特別ルールを設けられてしまいました。その点、次女はドリブルはできるみたいだからまだマシです。人生の早いうちに苦手なことを見極めて諦めて、得意なことに注力する方が個人にとっても社会にとってもメリットが大きいのは自明でしょう▽
本当に辛かったら体育の授業は見学するよろし。
こういう「鳴きたくないなら鳴かなくてもいいよホトトギス」精神を、「努力が不足している」と糾弾するお方もいらっしゃるかもしれません。
努力したい人はすればいいけど、でも努力のベクトルを間違うと心が辛くないですか。
努力のしどころを見極めるってすごく大事なことだと思うんです▽
できないことに拘泥して「マイナス100をマイナス50にする」って辛くないですか。
それよか「プラマイゼロ」の分野に注力して「プラス10」に持っていく方が当人にも社会にもメリットが大きいと思います。努力と運と才能の範囲で、適度に役立つ社会の歯車を目指せばいいじゃない。▽
「苦手の克服」って、いうほどの美談かな?
私は、そうは思いません。
「苦手なことを克服しない」という決意こそ、個人と社会を幸福に導くエコで前向きな善行だと思います。
というわけで、インドアな娘においては苦手なバスケの授業は適当に流して必要以上に「できないこと」で心を痛めないでほしいなと思っている次第。
ドリブルできなくても40歳まで生きてこられた母は、あなたの味方です。