人当たりの良さに定評のある私(自己肯定感)ですが、人間だもの。どうしても苦手なタイプがいます。それは他者に対して安易に「かわいそう」と憐憫のお気持ちを表明する人。
たまたま厄介なクレーマーからの電話を取ってしまい電話に張り付き状態になっている同僚を見て
「かわいそう…」
子供のバスケ大会の保護者席で、相手チームの選手の腕が顔にぶつかって泣いている中学生を見て
「かわいそう…」
創業100年超の老舗書店が経営難と後継者不足で閉店しますよというローカルニュースを見て
「かわいそう…」
他者の不幸に胸を痛める心優しい私…ってか。
それは余計なお世話です。
百歩譲って、心の中でつぶやくだけならば許容の範囲です。「心優しい私」に酔うのも大いに結構。私が許せないのは、時たまいらっしゃる「不運の最中にいると認定した人」にわざわざ近づいていって直接「かわいそう…」と声を掛ける方。
「かわいそう」って、他者の自尊心を傷つける可能性を孕む危険な言葉だと思うよ。
他人から「かわいそう」などと声を掛けられて嬉しい人なんて、いるのかな。
私は誰かに「かわいそう」と同情されるのも、ましてや「かわいそう」なんて面と向かって言われるのもお断りです。
ここまで「かわいそう」を嫌う理由は、それが「強者が弱者を下に見て憐んでいる印象」を受けるから。
愛用のベネッセコーポレーション発行「チャレンジ小学国語辞典カラー版第2版」で、「かわいそう」を引いてみましょう。
「形容動詞:あわれで、気の毒に感じられるようす。」とあります。
直後に例文として示されているのは「かわいそうな捨てねこ。」
この例文が、端的に「強者が弱者を憐れむ印象」を表しています。雨に濡れ、寒さに震えながらお腹を空かせてか細く鳴いているネコがいれば、それは確かにかわいそうですよ。だけど通りがかりのおばさんが「かわいそう」などと呟いてみても、あわれな捨てネコの命は救えないのであります。
同情するなら餌をやれ!餌をやるなら飼ってやれ!去勢手術も忘れずに!
かわいそう…と呟きながらあわれなネコの横を通り過ぎ、花柄の傘を差してホテルの苺ビュッフェに向かう、心優しい無責任なおばさんの気楽さよ。ましてや同じ人間に対して安易に「かわいそう…」と呟くことの傲慢さよ。
では憐れなる人々を目にして思わず「あなた、かわいそうね…」と呟きたくなった場合、「かわいそう警察」と化した私に矢を射られないためには、どうしたら良いのでしょうか。
余計な憐憫を表明するくらいなら、「黙っていること」が最適解なのではないでしょうか。
そして相手から求められた場合に、できる範囲で支援をすれば十分ではないでしょうか。
ピーコさんのように「感情の表面張力を崩す言葉」を瞬時に差し出せる人は稀でしょうから…
安易な同情は、相手に対して失礼です。他者を勝手に「不運な人」「不幸な人」と決めつけたら良くないです。
そして「かわいそう」のお気持ちだけでは解決できない社会問題ばかりだよ▽
「クマが可哀想!」などと言って獣害対策に奮闘する自治体に長時間の電話を入れるのは控えるのが良いでしょう。
さらに、自分自身を必要以上に憐れむ被害者意識の強い「自己憐憫タイプ」にも要注意です。
勝手に「不幸でかわいそうな、あなた」と決めつけないこと。それは優しさではなく失礼です。そして勝手に「かわいそうな、あたし」を演じて他者の関心を惹こうとしないこと。あなたの悲劇のヒロイン願望に真っ当な他者は同情しません。
憐れみで世界を満たす「かわいそうおばさん」より、花柄のワンピース着てウサギを撫でてるような「ロマンティックおばさん」が楽しそうで良き。それが言いたかっただけの本日の駄文でした。
明日も愉快な人生を〜