義実家への帰省3日目。心優しい料理上手の義母が食事のたびに発する「もっと食べて!」コールに辟易し始める頃がおいとまを申し出るタイミングです。
義実家からの帰途に、私の実家に寄って帰るのが正月の嫁仕事及び娘仕事です。
夫は中学時代の同級生なので、実家同士は車で10分の近距離に位置しています。帰省に便利な立地です▽
私の「片付けたい欲求」の原点になった、モノに溢れた実家の話はたびたび記事にしてきました。そんな両親が暮らす実家は、訪れるたびに新たにモノが増えるので決して私を飽きさせません。
今回の帰省でも、キッチンに新たなる物体が出現していました。
システムキッチンのコンロの手前に腰高サイズの木棚が置かれ、その上にガスコンロが乗っています。「コンロの手前に、別のコンロがある」という謎な状況。システムキッチンに元々付いていたコンロは、木棚で前方を塞がれて使用できなくなっています。
母は手前のコンロで悠々と天ぷらを揚げています。
どういう状況これ?
母に聞くと、「システムキッチンのコンロが壊れて、業者にみてもらったら修理不能とのことだったから、新しいコンロを買って置いた」とのこと。
理屈は分かるけど、それならシステムキッチン自体を交換するのが筋なのではないでしょうか。キッチン台を取り替える費用がないわけではありません。多分、理由は「散らかった台所を片付けて業者を呼びたくない」「壊れているのはコンロだけだから、水回りまで全部取り替えるのは勿体無い」等の理由によるものでしょう。
しかし、これから死ぬまで永遠に、彼らは屋台の即席調理台のようなコンロで料理をして暮らすつもりなのでしょうか。
実家に積もり積もったモノたちは、先代からのこうした行動により増殖していったのでしょう。つまり、「使えなくなったものを処分することをせず、新しいモノを買い足す」という行動です。
こうして私は正月から、また深いため息を吐くことになったのでした。
箸休めとして、モノに溢れた実家に関する過去エントリもよろしければどうぞ▽
そして昨日のエントリでは、桐野夏生さんの小説をフックに、あらゆるコンテンツの根底にあるべき「怒り」について考えていました▽
外部に向けたすべてのコンテンツの根底に「怒り」があるのだとすれば、その末席にいる私のブログの根底にも何がしかの「怒り」があるのでしょう。
それはおそらく「過多であること」に対する怒りです。
「過多(かた)」の意味は「数が量が必要以上に、たくさんありすぎること」。
類義語は「過剰」「オーバー」「やりすぎ」など。
ネガティブな意味を含む言葉です。
「たくさんあること」は、豊かさや富や安定の象徴ともいえます。
ですが、豊かさの延長に「過多」があるのだとすれば、それは均衡を欠いたアンバランスな状態です。
私が「必要以上に多すぎること」を嫌うのは、物質的にも精神的にも、それが醜い状況だと考えるから。
経済の名の下に必要以上の所有欲と消費を強いるマーケティングとか、
淘汰という自然の摂理に抗うように長寿を礼賛する「長生き信仰」とか、
「好きな自分になる」等のスローガンに煽られて肥大した自己愛とか、
情報を摂取しすぎて逆に身動きが取れなくなったり思考停止状態に陥ったり陰謀論に絡め取られたり詐欺被害者予備軍みたいになったりとかもありますね
欲望も情報も自己愛も、あらゆる「過多」は不健康な「肥満」につながります。
「もっと上へ!」という上昇志向が人類の叡智を育んできたことに敬意を払いつつ、私は「足るを知る」の精神で調和とバランスと適度を愛して普通の暮らしを続けていたい。
不要になったモノはちゃんと捨てて、それから必要な新しいモノを買い足して、「過不足がない」という美しい均衡を保っていたい。
「欲しい暮らし」と「現実の暮らし」の間のギャップが不満を生みます。
この不満を埋める作業を、いわゆる「自己実現」と呼ぶのでしょう。
自我が芽生え、自分の置かれた環境を知覚し、広い社会と世界を認知するにつれて、人間はそれぞれ「理想の暮らし」を思い描くようになります。一方で、その理想を手に入れるための知恵も財力も社会的地位も持っていない、という絶望を知覚します。
私の理想は、「捨てたい時に捨てたいモノを捨てる自由を得ること」でした。
そんな低すぎる目標は噴飯物だとおっしゃる方もいるでしょう。
しかし「モノが多すぎる家」に生まれた私が理想としたのはまさに「捨てることができる自由」なのです▽
「多すぎること」の耐えられない醜さと、それから逃れるための手段を持たないという「絶望」の知覚。それが私の人生の起点となっています。
自分らしさとか、ブランド品とか、マネタイズに繋げるためのインフルエンスとか、私は要りません。無駄に広い家も、要りません。

私が欲しいのは「捨てる自由」で、小さくて片付いた家で、それを維持するための経済力を保つ程度にはちゃんと働こうとあらためて心に刻んだ、お正月の帰省でした。