2023/1/--
駅まで歩いていたら長蛇の列が見え、イヤホンを外す。行列は、ひと月前に閉店したはずのちいさな肉屋から伸びていた。え、なに、なんでいま、とスピードをやや落として通り過ぎようとすると、高齢の店主がのれんの向こうから出てきて、列に並ぶ客ひとりひとりの顔を覗き込むようにしてなにか話しかけている。「ごめんなさいね、きょうはもうなくなっちゃって。あしたまたやりますから」と聞こえた。
すこし前にひとから聞いた話では、閉店の知らせを聞きつけてしんみりと店を訪れたところなんだかふつうに営業している、というシーンに2、3回居合わせ、無粋を承知で店主に事情を聞いたところ、「もうすこしやることに……」と申し訳なさげに言われたらしい。
歩きながらGoogle Mapをひらくと、マップ上にはすでに閉店のピンが立っていた。行列に並ぶひとたちをじっと見ていた店主の顔を思い出し、あれは閉店詐欺とかそういうんじゃないだろうなと思う。10年くらい前、バナナマンの設楽さんが、どれだけお腹いっぱいでこれ以上なにも入んねえわ、ってときでも干しぶどうひと粒なら食べられるでしょ、ということは干しぶどうひと粒ずつなら永遠に食べつづけることができてしまうんだね我々は、とラジオで言っていたことがあって、それ以来、干しぶどう的な時間というか、締めの甘い蛇口からぽつぽつと垂れる水みたいにつづくものを見てしまうと、そういう予感がすると、ちょっと不安になる。けれど気持ちとしてはすごくわかる気もする。あしたもあけなきゃって思っちゃったらしょうがないよな。
2023/1/--
整体にいく。駅前のロータリーを空気のよどんでいる側に曲がり、さらにいくつか暗~い通りを抜けた先の雑居ビルにある。さいしょに口コミを調べたとき、立地や雰囲気に関する悪い感想が延々とつづいた先に「しかし腕はグッド」と書いてあるのを見てああもうぜったいに行きたいと思ってしまい、それから10回は通った。エレベーターのドアがあくと目の前に電源コードの巻きついた古いガールズバーの看板があり、それをちょっと押しのけて降りないといけない。居抜きだとしてもだよ、と毎度思う。
首から肩、顔をほぐしてくれるコースみたいなものを選ぶ。担当してくれるひとによってやることのバリエーションがどうやらかなり違うというのにさいきん気づいた。思い出せる限りで、
- 激しい蒸気の出る美顔器のようなものを鎖骨~顔に向けてあてる
- 鎖骨と脇を含む揉みほぐし
- 二の腕を含む揉みほぐし
- 小顔ローラー
- にんじんの香りのクレンジングバーム
- 頭をほぐす際に髪をひっぱる
- 激しい力でおこなわれる頬~顎のマッサージ
- 冷たい輪切り状のなにかを目の上にのせる
- 高温のホットタオル
- 保湿後のティッシュオフ
というのが体験したことのあるオプション的な施術の種類なのだけれど、2は担当のひとによってはかなりくすぐったく、6はただ怖く、7はすごく気持ちいいこともあれば、顔の上をプラレールの車両が走り抜けていくみたいな痛さのときもあってギャンブル性がある。ぎゅっと目をつむっているので8の正体はいまだにわからない(おそらくきゅうり)が、マッサージベッドに横になってウリ科めいた匂いを感じているとき、こういうのでおもしろくなっちゃうから私はだめなんだよなとけっこうまじめに落ち込む。きょうは1/4/7/9/10の日、わりとスタンダードでほっとしたけれど、ティッシュオフははじめてだったのでおどろき、「ティッシュオフ!」とかるく叫びそうになった。
2023/2/--
そこそこ久しぶりに行った店のマスターが、顔を見るなりまだまだ寒いですねえ、そういえばことしはちゃんと厄除けに行きましたよ、と、さっきの話のつづきですけど、みたいな感じで接してくれる。カウンターのうしろに並ぶボトルにいくつか知らないのが増えている、知らないブランデーと知らないブランデーのあいだでラフロイグ何種かがぎゅうぎゅう詰めになっており、どういう理論かわからないがまとめてうれしい。
音楽をかけない店で、ほかに客がいないとその無音が際立つ。私には店内BGM過激派という側面があり、あきらかに店主が好きで流している音楽であればなんであれ歓迎するのだが、ジブリのボサノヴァバージョンとかがぞんざいに流れているのが好きになれないから、無音はありがたい。しかもその店、均一にうす暗く、携帯の電波も入らない。やりますねえ! と思う。
どんな話がきっかけだったのか、はじめてバーでカクテルを飲んだときのこと覚えてますか、とややはずかしいことを聞くと、マスターがそれはもううれしそうに顔を明るくして、ええ覚えてますよ、と言った。いまはなくなってしまった赤羽の店だったというので驚く。初バーが赤羽! オーセンティックな店ではないけれどカジュアルすぎもしない絶妙な店だったという。
当時まだハタチか21そこらで、バーってものに一気にはまっちゃって、おんなじカクテルを頼んでたらマスターに顔を覚えてもらえるんじゃないかなんて思って、ゴッドファーザーばっかり飲んでたんです、とマスターがいう。店主は引き際がうつくしい人でした、ある日いつもみたいに店の前まで歩いていったら、看板ごとなくなってたんです。だれにも言わないで閉めちゃったみたいです、もう、あのときは愕然として──というところまで聞いて、思い出したようにマスターが表の看板をしまいにいく。戻ってきてこうつづく。
自分がカウンターに立つようになってときどきゴッドファーザーをお出しすることがあると、アマレットのボトルをあけたときに漂ってくるあの香りでもう、そこの店のことを思い出すんですね。香りって記憶の引き金になるってよく言いますよね。いや、いい店だった。そこのゴッドファーザーはいっとう美味しかったですね。
そんな話を聞かされて飲みたくならない酒飲みがいたら教えてほしいのだけれど、ごめんなさいつい、と伝えてゴッドファーザーを頼む。その店は決まってティーチャーズだったんですが代わりにバランタインで、といいながらグラスにスコッチをそそぐマスターの顔の半分は暗さで見えず、知らない店に転生したみたいだった。差し出されたゴッドファーザーの佇まいの完璧さにちょっとひるみながら口をつけ、そうだ、甘いカクテルだったと思い出す。私にもこれをはじめて飲んだ店があったはずで、けれどきょうからはアマレットの香りを嗅ぐたびにこの味が蘇ってしまうと予言のように思う。それからもうなくなってしまったいくつかのバーの話をし、むかしの恋人の悪口を言うみたいに赤羽のだめなところを言い合い、2杯飲んで帰った。