犯罪者を支援することになるから。絶対に加担したくない。
スポーツは犯罪者を礼賛する土壌である
スポーツ自体に罪はない。ただ、スポーツに関わる人々が様々な罪を犯すのである。スポーツを政治利用したり汚職や犯罪をしても裁かれなかったりする土壌がスポーツ業界だ。それは日々のニュースによって明らかだし、そうしたイメージが定着している。よって私はスポーツが嫌いである。(政治・芸能も同様)
特にスポーツ観戦は、スポーツ業界にいる犯罪者たちを支援することになる。
たとえば暴力事件を起こしたのに法で裁かれない。
たとえば違法賭博をしたのに起訴すらされない。
たとえば薬物乱用したのに英雄扱い。
どれも社会通念上ありえないことばかりだ。
彼らのような人間をヒーロー扱いすれば増長するのは当然だし、社会の治安も悪くなる。もしスポーツ選手が子どもたちに夢を見せるものだというならば、子どもたちは彼らのような権力をもった、法を犯しても逮捕できない犯罪者になることを夢見る、ということになる。おぞましい話だ。(今時はスポーツ選手が憧れの職業なのかは知らないが)
彼らのような犯罪者を特別扱いすることで人々の遵法精神が欠け、治安悪化に一役買う。そうまでしてスポーツ業界を応援しようとするのは、もはや反社会活動と言わざるを得ない。
よって私はメディアがスポーツ推しをする現状に、心から憂慮し嫌悪し軽蔑する。スポーツ観戦でカネを落として犯罪者を支援する全ての人々を、反社支援者として嫌煙する。
スポーツに関わる人々が嫌い
碌な人が居ないイメージ。
観戦者のクズっぷり
私がいた会社で昔、スポーツに関する賭け事をもちかけてくる人がいた。皆でお金を出し合ってサッカーの結果を予想する賭博TOTOを購入しよう、というのだ。
私は断った。そもそもスポーツに興味ないし、賭け事も嫌いだし、仕事の話と関係ないことを話すなよクソ上司が、などと思っていた。流石に口に出して言いはしなかったが。
だが私が断ると彼は「男なら賭け事しろよ(それをしないお前は男じゃない)」的なことまで言ってきたのだ。
まったくもって理解できない価値観である。人の意志を捻じ曲げようとする所や、カネを取ろうとする汚い心、上司という立場で圧をかける姿勢、謎の価値観でマウンティングし人を見下す言動。どれを取ってもクズとしか言いようがない。なぜ社会に出てきているのか理解不能であり、消えてくれたほうが住み良い社会になるとすら思った。
結局は断り切ってやったが。
私は昔から「皆で一緒に〜」とかいう同調圧系が大嫌いだ。だいたい体育会系は同調圧をかけてくるカスが多い印象なので、この世から消えてほしいとさえ願っている。あれは人の自由意志を暴力や権力で踏みにじるクズだ。そして彼らは言うのだ。「お前のために〜」と。消えてくれ。私のために消えてくれ。
スポーツが好きなのは構わないが、強要するのは辞めてほしい。圧をかけるのも辞めてほしい。カネを絡ませるのも辞めてほしい。なんというか、コミュニケーション方法がゴリラすぎて関わりたくない。いちいちマウンティングしてくる所とかも何とかできないの? 好きな奴らだけで勝手にやってろ、私を巻き込むな、と思う。
思えばスポーツ観戦する人間はフーリガンのような異常者が話題になることが多い。暴力とか破壊とかパワーとか、そういうのが好きなんだろう。暴力的で危ない輩というイメージしかない。
テレビでもドームや大型ビジョンを前に騒ぎ散らす輩どもの様子が映像として流れたりする。
ああいうのを見る度に、こいつらとは絶対に関わりたくない、と強く思う。(多分相手も同じ)
結局の所、スポーツ観戦を言い訳にして騒ぎ散らしたいだけなのだろう。
ストレス発散するのは結構。生きる上で必要だ。
でも公共の場で騒ぐのは迷惑だから辞めてほしい。それを公共の電波で放送するのも辞めてほしい。それに参加しない奴を仲間はずれにする陰湿なイジメなども辞めてほしい。スポーツや観戦者の有様はそれ自体が暴力的な状況や映像であり、見ていて心が荒れる。人が嫌いになる。
嫌がる私に強要するのも辞めてほしい。なぜ彼らはああもゴリラなのか。理解不能な野蛮人が多数派であるかのような報道には辟易とする。もしそれが真実ならば、私は人間に絶望せざるを得ない。
スポーツに関わる人々に、碌な奴は居ない。私としてはこの感想に行き着く。
スポーツ当事者のクズっぷり
スポーツ当事者には碌な話を聞かない。プロだろうがアマだろうが学生だろうが同じだ。
選手だろうが教育者だろうが碌な話を聞かない。
特にイジメ、パワハラ、性、カネ、薬、暴力にまるわる話が酷い。学校ですら授業で障害を負わせたのに無罪という話もあったり。これがプロになると違法賭博やイジメという名の殺人にまで発展する。恐ろしいのは法律でさえ裁かれないまま野放しにされることだ。
私は小学生の頃、体育の教師に、やりたくないことを恫喝され強要された。私は泣きながらやらされたのだが、その様子をみて両腕を組んでニッコリ満面の笑みでこちらを見て頷いていたのだ。あの顔が忘れられない。気持ち悪すぎる。怖すぎる。ヤバすぎる。いい年こいた大人が子供相手にやることじゃない。私は今でも奴に対して殺意をもっている。私のスポーツ嫌いの一因かもしれない。
チームメイトに暴行を加えたのに移籍するだけで終わったプロ野球選手がいた。かわいがりと称して練習中に仲間を殺害する国技選手がいた。なぜ彼らは法律で裁かれないのか。法のもとに平等という日本国憲法はどこへいったのか。完全に異世界の異能バトルだ。一般社会ではありえない。このような犯罪者が脱法できてしまう特権をもつことで、社会の治安が悪化する。悪い見本になってしまう。悪い影響を受けてしまう。著名人なら尚更だ。
社会にとって害悪だ。いくら優れた能力があっても、社会の治安を悪化させてでも優遇するほどの価値があるとは思えない。しょせんは玉転がしなわけだし。私にはそこまでして彼らを優遇する価値観がまったく理解できない。
選手を教育するコーチのパワハラやセクハラなども枚挙に暇がない。立場を利用して私欲を満たすクズである。
スポーツは犯罪を帳消しにするのだ。彼らは名のある選手という事情で、犯罪を犯しても平等に裁かれないのである。
そんな様子をみてどう思う?
私は、スポーツに関わりたくない、と思う。彼らに影響を受けて、自分が被害者や加害者になってしまう恐れがある。彼らはスポーツという大義名分を利用して、私欲を満たそうとするクズどもだ。誰かを傷つけても許される犯罪者として君臨している。スポーツが犯罪の免罪符となっている。優秀な成績を納めれば犯罪をもみ消せる立場になれるらしい。これでどうしてスポーツに好感が持てるというのか。否、持てるはずがない。
さすがに全員がそうとは思いたくないが、ごく一部だとも思えない。業界全体がそうとしか思えないほどニュースが絶えないから。むしろ周辺の人々がフォローして火消ししているイメージだ。監督が選手をかばって、それを美談のように報道しているのも気持ち悪くて仕方ないし軽蔑しかない。つまるところ業界が下火になれば仲間である自分の生活にも悪影響があるから支援するのだろう。彼らは同じ穴の狢であり同罪だ。
少なくとも自分の身を守るには、悪いほうに想定しておいたほうがいい。事実ニュースが絶えないなら、スポーツを嫌悪し避けるのが妥当だ。
私は彼らのようにはなりたくない。スポーツにまつわる話を聞いていると、自然とそう思うのである。もっとも、私には彼らのような優れた能力もなければ努力もしていないので、なりたくても成れないのだが。
ある意味、彼らの特権は、その能力に比例した公平な権利なのかもしれない。もしそうであるなら、私はスポーツに対して、やはり嫌悪感をもつ。スポーツとは、人間が動物としてのおぞましい面を曝け出す悪行に思えてならない。少なくとも好んで見たいとは思えない。できれば見たくない。絶対に関わりたくない。
たとえ負け犬の遠吠えと揶揄され見下されても、そう非難する人々の仲間になろうとは尚更思えなくなるだけだ。根本的な思想や価値観が違うのだと思う。
国やオリンピックのクズっぷり
国やIOCは民から税金を奪い取る口実として、オリンピックをはじめとしたスポーツ興行をしている。
国はスポーツを戦争に利用する。オリンピックではまさにそれが行われている。国が権威を示すために、カネを出して審判の判定を買う。人を薬物付けにして結果を出させる。他人に薬物をこっそり飲ませて違反させ蹴落とす。
人々が異なるチームを応援することで分断され、いがみ合い、争い合う。
こんなものを見せられて、何が良いと思えるのか。
それを事業として展開する者たちに嫌悪しかない。
敵対チームよりも、そうした構造を作る元締めこそ、最も憎むべき対象だと思う。
持論
自分がプレイヤーでありたい
スポーツは自分でやってこそだと思う。他人がやっているのを見てイキり散らすとか、騒ぎ散らすとか、あまりもダサい三下ムーブだ。見てられない。不快極まりない。情けない。恥ずかしい。格好悪い。ああはなりたくない。
スポーツ漫画とかのキャラが格好いいのは、自分と闘うからだ。弱い自分自身を、努力で乗り越える所がカッコいいのだ。その苦難の果てに、互いに相手の苦難が想像できるようになり、通じ合えて健闘を称え合えるように人として成長するから感動するのだ。他人に乗っかってイキるのではなく、自分の力で困難に立ち向かい、自身の弱さの乗り越える所がカッコいいのだ。断じて観戦なんかじゃない。自分がプレイヤーな人物こそが格好いいのである。
どんな生き様であっても、自分自身を曝け出して、自分自身で勝負する。だから格好いいのだ。なのに他人のプレイをみて選手に成り切りゴッコしているようでは、ね。
スポーツからいい刺激をもらえるならいいのだが、それよりも悪い刺激や、時間やカネの浪費のほうが遥かに気がかりだ。その分、自分に投資したほうがいいと思ってしまう。私の人生を、彼ら犯罪者のために使いたくないと思ってしまう。
スポーツ観戦する時間があるなら、自分の体を動かしたい。ストレッチなり筋トレなりをする自分でありたい。たとえそれがどれだけショボくても最下位でも、自分自身がプレイヤーでありたい。他人と比べるのではなく、自分自身と比べて自分自身と向き合いたい。
負けたくない
私は競技は嫌いだが、運動は嫌いじゃない。つまり誰かと争ったり蹴落とすことが嫌なのだ。スポーツは競技であり、争いで蹴落とし合いだ。生々しい生存競争を想起させる。私が嫌いな理由の一つだろう。私は自分を高める部分だけに注力したいタチなのだろう。競争が怖い所はダサいし情けないと思うし、競争による成長からも逃げることになるのが惰弱だ。
私は負けたくない。つらい目に合いたくない。せっかく頑張ったのに、競技によって他人と比べたせいで敗北してしまう。今までの苦労がまったくの無駄であるかのように感じて絶望してしまう。
私は心が弱いのだろう。きっと強い人は、より一層頑張るのだろう。けど私は「もういいや」と思ってしまう。
負けたくない。だから最初から戦わない。戦わなければ勝つことも負けることもないのだから。
闘いによって得られる成長? 別に成長なんてしなくていい。成長なんておのずと付いてくる結果の一つにすぎない。大切なのは楽しく生きることだ。それができないなら競技なんてやらなくていい。競争とは成長する手段の一つにすぎない。仮に成長が大切だとしても、競争という手段だけしか選択肢がないわけではない。自分一人で黙々と運動したっていいわけだ。むしろマイペースを保てるからそのほうが好みである。
せめて事実からは逃げない私でありたい。少しでいいから改善できないか意識を持ち続けたい。それくらいの強さは持っていたい。まあ、実際はただのナマケモノだが。
静かに過ごしたい
私は静かに過ごしたい。騒がしいのは生理的に無理だ。スポーツの観戦席なんて絶対に行きたくない。カネを払うと言われても行きたくない。平和に静かに過ごすのが、もっとも贅沢な人生だと思う。そんな私にとってスポーツは根本的に合わないのだろう。
スポーツ観戦はダサい
スポーツは自分でやってこそだと思う。
でも、実際にスポーツをやるためには厳しい訓練が継続的に必要である。それはとてもつらくて苦しい。その上、競技として競争した結果敗北してしまったら? 心が折れる。こんな苦行、とても自分にはできない。だから他人がやっているのを見て、やったつもりになっているわけだ。リスクや負担は避けて、美味しい所だけ頂こうという算段である。
ダサい。あまりにもダサすぎる。
スポーツ観戦している人を見ていると、とても彼らの仲間になりたいとは思えない。
スポーツ観戦していることそれ自体が、自身の惰弱さの証明である。
嫌だ。ああはなりたくない。
私もスポーツなんてできないし、競争も嫌いだが、せめて健康のために運動くらいはしたいと思う。観戦する時間があるなら、それをストレッチなり筋トレなりする時間に当てたい。そんな自分でありたいと思っている。自分の弱さを、観戦によって誤魔化すような自分にはなりたくない。
虎の威を借る弱さ
スポーツ選手は優秀だ。彼らは数多の闘いの中で生き残った、ひと握りの傑物である。人類の中における上澄みであり、運動能力の高い、動物として優れた個体だ。その時代におけるトップスターであり歴史に名を刻むにふさわしい英傑である。
社会的にも成功者だ。プロの選手まで上り詰めたなら、間違いなく成功者だ。たとえその後、うだつがあがらなかったとしても、落ちぶれたとしても。大抵の人間はプロの選手になど一生かかっても一度も成れないのだから。
プロ選手はスゴイのだ。それはいい。それを尊敬するのもいい。ただ、それを見るだけで満足するような自分ではありたくない。
スゴイ彼らを応援することで、自分もスゴイ奴になった気になるとか、俺は彼のマブダチなんだぞ、とか。俺は彼を応援し続けているんだからスゴイ奴の一派なんだぞ、とか。彼らと同じ服装や言動、行動を真似て、さも自分も立派になったように思い込むとか。そういう三下ムーブをかますような人間にはなりたくない。たとえ実際は三下以下のモブであったとしても。
他人の顔や名前を使って、自分に着せて。それで自分が強くなったと思い込むとか。ダサすぎる。
これは芸能人や著名人、ブランド品などの服装や言動を真似てイキり散らす人に対しても思う。
恥ずかしくないのか? その行動は自分の中身が空っぽである証明だ。あまりにも虚しく悲しい。(尤も、流行もファッションセンスもない私のほうがずっとみずぼらしくて恥ずかしい姿だと思うが)
スポーツ観戦? そんなことをする前に、もっとすべきことがあるだろ? 他人に乗っかる人生でいいのか? 自分の人生を自分で充実させるのに時間を使うべきじゃないのか?(尚、私は人様に誇れる立派な人生など送っていない模様)
自分のために時間を使いたい
自分は弱い。彼らに劣る。きちんとそれを認めたい。そして、そんな弱い自分と正面から向き合える自分でありたい。できれば弱さを改善する行動がとれる自分でありたい。自分が求めるものを定め、自分の道を歩める人間でありたい。
スポーツ観戦などの方法で、他人の力でイキり散らすダサい人間にはなりたくない。
こうした小さなプライドが、スポーツ観戦を嫌う理由の一つである。私はこのプライドを一生持ち続けたい。絶対に屈したくない。周りが騒ぐほど、より一層強く、反発心をもつ、生涯反抗期な人間でありたい。ツッパリ続けたい。たとえその道で失われる楽しみがあったとしても、私は私の心のままに生きたいのだ。
私は正しく在りたいからスポーツ観戦を嫌う
一番の理由は、犯罪に加担したくないからだ。スポーツ観戦は彼ら犯罪者を支援することになる。カネを落とすことによって犯罪に加担する、反社会活動になってしまう。私は、人として、社会人として、間違ったものは間違っていると言える自分でありたい。いくら彼らのほうが強く、私のほうが弱くて負けるとしても。彼らのほうが多数派で、私が孤立無援だとしても。自分の弱さを理由に、正しさを曲げることはしたくない。たとえ私自身が、別の間違いを犯しているクズの一人だとしても。
この意地が、スポーツ観戦を嫌う理由だ。
私は正しく在りたいからスポーツ観戦を嫌うのだ。
利益のためなら清濁併せ呑むほうが得である。それは理解できるが、それを犯罪行為にまで適用するものなど私は大嫌いだ。
ダサさで言ったら観戦イキりと大差ないかもしれない。それでも私は私の思うように生きる。スポーツは嫌いだ。スポーツ観戦は大嫌いだ。