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ポストモダンの定義ー社会学者アンソニー・ギデンズの場合:再帰性 

ポストモダ二ティではなくハイモダニティ

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で、人々が言う「ポストモダニティ」というのはモダニティの「変化の兆し」を指しているのであって、モダニティ(近代)と全く違った何かが起こっているわけではないという立場をとっている。つまり、ポストモダンという言葉は自分は使わないが、でも何かしらの「変化」が起こっているということは認めるという立場である。

その変化をギデンズは「近代の徹底化」であり、「再帰性の高まり」がその最大の特徴であるとしている。徹底化であるから、この変化を自分は「ポストモダニティ」ではなく「ハイモダニティ」と呼ぶ、というのがギデンズの議論だ。

・ちなみに、ギデンズは「モダニティ」を「17世紀以降のヨーロッパに出現し、その後ほぼ世界中に影響が及んで行った社会生活や社会組織の様式のこと」と定義(p.13)している。

 

再帰性からなる社会論としては、ギデンズの議論は弱い

高橋コメント:ギデンズの近代論は、「再帰性」に着目している点は良いところだが、「再帰性」を認識論的な知の再帰性の増大という意味でのみ捉えていて(例えば「行為の再帰的モニタリング」(p.53)というように)、再帰性が社会構造を自己組織的にどう作っていくのかというところに踏み込んでいない。ここがギデンズの議論の残念な点。

再帰性の高まりとは、個人の自己に関するメタ意識が増えるとか、自己反省が増えるとか、他者や状況と照らし合わせた自己のモニタリングと行動の調整が増えるとか、そういうことではない。それが「ポストモダン」の特徴だという議論は、議論として弱い。「ポストモダンにおける再帰性の増大」を「個人のメタ意識の高まり」の意味で捉えている限り、社会論にならないし、なったとしても不十分。

・ギデンズは、「再帰的な知の高まり」という議論もしている。これは、社会についての観察といった社会学的な知が、一般の人にもすぐに使われるようになる社会的状況のことである。ギデンズはこれがポストインダストリーに突入した社会の新しい特徴なのでは、という議論をしている。でも、これもポストモダン社会論としては不十分だと思う。社会学者にとっては面白い話かもしれないが、面白がっているのは社会学者だけのような気がしていて、現代社会を分析するのに有効なスタート地点だとはあまり思えない。

→社会が再帰的に自己組織化(自己生成)されていくようになったことを指して再帰性の高まりと呼び、それがポストモダン以降の特徴だとするのがいいのではと、高橋は思います。

・社会が再帰的に自己組織化していくというのは、社会が他のものによって基礎づけられたり、基準や目標が与えられたりするのではなく、自己の作動の内部から自己の基準や目標を措定していくことです。

この社会の再帰性という点では、ハーバマスの方が、ギデンズよりも鋭く良い見立てを持っています。

「近代社会はたえず自分自身を確定する試みが続けられ、その中から、自らの規範や目的を、自分自身のうちから汲み上げる」(『近代の哲学的ディスクルスⅠ』p.11)。

 

ということで、次回はハーバマスのモダン論をまとめます。




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