グランパが小学校の時のこと。
小学校の校庭は、今も昔も子供たちの格好の遊び場だ。
その日も、悪がき仲間と遊んでいた
そのうち、ある先輩の不興をかった仲間が、追いかけられて突然顔を殴られた。
どういう経過で殴られることになったのかは記憶にない。
覚えているのは、殴られたとき、
パカーンという乾いた音を聞いたことだ。
というのはその当時グランパ人が殴られるのを直接見たことがなかった。
余計珍しいのと何ということをという思いが交錯したことは覚えている。
グランパの父は戦中派であり、戦時の軍隊経験があった。
入隊して新兵に対する理不尽な暴力を目の当たりにみて、つくづく暴力がいやになったという。
戦争はなんとか生きて帰れて故郷に戻ったらしい。
そこで昔は代用教員という制度があり多分人手不足もあり父も採用され一時教壇にたったという。
代用教員時代に多分ルソーの教育観に触れる機会がったのだと思う。
最近グランパが保育士の勉強をする中でルソーのことを知り、
父のグランパに対する自由放任主義的子育てを振り返り思い当たるふしがある。
こうした父自身の体験と理論とで暴力は絶対だめだという考えを強くもつにいたったのだと思う。
父はグランパに対しても母に対しても一度も手を挙げることはなかった。
いまでいう「虐待」とくに「暴力的物理的虐待」は絶対許さない人だった。
今に至るまでこのささやかな事件を覚えているのは、やはり目の前でおきた「暴力行為」に対して、何ら抵抗せず、異を唱えなった自分のふがいなさを感じているからだと思う。

父の教えを受けたものとして、なんという体たらくなことか、勇気のないことか、長い者はまかれろ、という軸のないその後の生き方を決定つけたとさえ思える「事件」であった。という後悔の念が消えないからであろう。
その時、悪がき仲間とともに先輩に立ち向かい、グランパも木っ端みじんにやられていればまた別の人生を歩むことになったかもしれない。
そう思えば重要な「失敗」談の一つになると思う。