グランパの粗雑で出来の悪い前頭葉の記憶を検索してみたが、学生時代の同級生ですぐにはヒットするものがない。同級生とは、普通は、小、中、高、大学という16年を、同じ空間で過ごしたメンバーのことになろう。
小学校は、1950年代から60年代で、山村地域に学校があり、同級生は確か30人以下だった。
それも何故か圧倒的に男性が多く20人以上を占めていた。
遠い昔に廃校になった。
中学校は、二つの小学校から合流し、80人くらいになったように思う。
クラスは二つあった。男女比は覚えていないが極端な差はなかったように思う。
中学校も50年前に統廃合していた。
高校は、バスで40分ほどのところにあった。
近郷の村々から生徒が集まってきていた。
5クラスあったように記憶している。
普通科と農業科など複数の学科を要する学校だった。
しかし、数年前に、普通科などは募集を停止していた。
大学は、地方のいわゆる駅弁大学と言われる文系に進学した。ちょうど大学紛争の盛んな時期だった。グランパの大学は、その中では割とおとなしい方だったと思う。時々「スト」と称して授業を中止することはあったが、たいていは通常の学校生活だったように思う。が、だからと言ってグランパが勉強にいそしんでいたのではない。単位取得認定の甘いことをよいことにあまり勉強した記憶はない。
この学生時代の16年を一緒に過ごした同級生はいない。
それぞれの時代で同級生をテーマに記録に留めておきたいことや懐かしい顔ぶれはあるが、今一つ文字にする意欲が湧いてこない。
何故だろうかと思案してみると思い当たることがある。
一つは、グランパが同級生に不義理をしているということだろう。それぞれの学生時代で、いろいろとお世話になり助けられているにも関わらずグランパの方から何かのお返しをしていることがない。とくに大学時代を除いてはその意識が強いように思う。
例えば同窓会などたまに参加したことはあった。楽しませてもらって有難いという記憶はある。しかし同級生のために幹事などを引き受けてお世話をしたこともない。もっと同級生のために何かをすべきだったという後ろめたさがある。こうした心境が同級生のことを意識的に思いださせなくしているのかもしれない。

大学時代は、同級生と言えば同じゼミ生になろう。ただ、3年4年の2年間であり、週に一回か二回程度のゼミの時間に顔を合わせるくらいの付き合いだからあまり強い記憶はない。ただゼミの先生には親身になって卒業論文を作成する指導をいただいたという感謝の気持ちは忘れることはできない。しかしその後の社会人としての生き方が先生の期待には応えられるようなものではなかったのでやはり後ろめたさのようなものを感じている。
二つ目は、全く自業自得のような話だが、どうもそれぞれの学生時代で、十分、その時代での課題に真正面から取り組んでいなかったからでは無いかということ。もっとわかりやすくいうと勉強しなかったということだ。だから学生時代で生涯を通じた志を同じくする友人などを持てなかったのだろう。同じ目標に向かって切磋琢磨した時間を共有した記憶がほとんどない。
もう一つ思い当たることがある。同級生といえば、どうしても学校がセットになっている。その学校の現在が寂しいことだ。というより母校が実質無くなっていることだ。つまり学校を通じて未来を感じることが少ない。こうした経験を持つのは、ことさらグランパに限るわけではなく 、大勢の日本人と同様だと思う。だとするとこの寂しさは、日本の将来への寂しさかもしれないと何時ものグランパの妄想癖が頭を持ち上げてきた。どんな状況でも同級生に重なる学校という容れものに明るい未来を感じる人も多いとは思うがグランパの心象風景はやはり寂しい。
残り少ない人生で同級生を得ようと思えば、再度、学校に入学するか、地域の市民大学のような講座に参加して同級生を得るか、であろうか。
どちらも同級生を得ることを目的するものではないことにすぐに気がついた。
やはり何かをするために何かの組織に進んで参加して結果として同級生を得るのが正攻法であろう。
さて愚痴はこれくらいにして、今からでも遅くはない。
身を焦がすような恋はできないにしても(笑い)、
人生の終活を共に学び実践する「同級生」に、
未来を感じる交流の場である、
「はてなブログ」で出会いたいし、
すでに出会ってるようにも思う。
今度は不義理をしないようにと思う今日この頃だ。
