お題「ローカルめし」
もう40年近くも前だろうか。
仕事でアメリカのカリフォルニアを訪れた。
1988年頃のロサンゼルスだったと思う。
今考えると珍しくもなんともない光景だが
早朝6時くらいだっただろうか
ホテルの窓から見ると
白い長髪でジーンズのズボンとジャケットを着たシニアの男性がマックからハンバーガーを食べながら出てくるところを見かけた。
それも本当においしそうにバーガーをかぶりついている。
えーアメリカでは朝からシニアがマックのハンバーガーを食べ歩きするのか
とビックリした。

仕事の内容が
アメリカの衣食住とスーパーマーケットの視察だったので
余計に食への関心が高かったのかもしれない。
グランパには、そのシニアの行動が珍しかった。
当時の日本では、マックは若い人の食物、それもやっと全国的に展開されてきたというのがグランパの認識だった。
それがアメリカでは朝食にシニアがマックを歩きながら食べているというチョットしたカルチャーショックを受けた。
自分の感性を信じて何でも「見て聞いて感じよう」という視察目的も影響しており、行きつけぬ海外旅行に気持ちも余計に高ぶっていたのだろう。
その当時のグランパは、マックをアメリカ西海岸の食べ物だと思っていた。
確かにマクドナルドの歴史では、アメリカのカリフォルニアになっている。
COPILOTより
創業の背景
マクドナルドの起源は1940年5月15日、カリフォルニア州サンバーナーディーノでディック・マクドナルドとモーリス・マクドナルド兄弟によって開業された小さなハンバーガー店「マクドナルド・バーガー」です。この店舗は無駄な工程を省いた効率的なスピードサービスを導入し、ファーストフードの原型を示しました。
地域が変われば「ローカルめし」(当時は、その地域の食物という意味で)も変わるものだな、とくにお国が変わればなおさらだなと妙な感心をした記憶がある。
COPILOTより
ローカルめしの定義
「ローカルめし」とは、その土地や地域で古くから親しまれ、地元の食材や調理法を活かして作られる料理や食事を指します。
地域ごとの風土や歴史、文化が色濃く反映されたメニューで、家庭や街の飲食店など「その場所でしか味わえない体験」を提供します。
ところでここまで書いてきて、
ふっと、マックは、1988年当時で「ローカルめし」だろうかという疑問が湧いてきた(笑い)。
マックと言えば、ハンバーガー(ビックマック)が世界共通の物価水準を現わす指標としても使われていると聞いたことがある。
1980年代後半にはすでに指標として使われていたという。
グランパが単に無知だっただけではないか。
COPILOTより
ビッグマック指数とは、マクドナルドの標準的なハンバーガー「ビッグマック」の現地価格を基準にして、各国通貨の購買力平価(PPP: Purchasing Power Parity)を比較する統計指標です。
ビッグマック指数は1986年9月に英国の経済専門誌『エコノミスト』で考案され、その年から毎年同誌の年次報告として掲載されて以来、国際的な購買力平価(PPP)を手軽に比較する指標として使用されています。
マックは、どう考えても「ローカルめし」とは真逆の位置付けになる食べ物だ。
「ローカルめし」が地域限定の「そこでしか食べられないめし」だとすると
マックは世界中「どこでも食べられるめし」だ。
なぜこんな思い違いをしたのか。
もう一つ思い当たるのが当時日本では
「ジャパン アズ ナンバーワン」という本が流行っていた(流行らされていた??)。

この「煽り」に浮かれていると1985年のプラザ合意ですぐ梯子をはずされ、「金融や土地バブル」を経て、日本は不況のどん底にに叩き落され、失われた「30年」が始まった訳だが。

1988年当時は、急激な円高は始まっていたが、むしろアメリカ旅行には円高の恩恵を受けており、グランパは「ジャパン アズ ナンバーワン」という「思い上がり」もあり、浮かれ気分も抜けきらぬボケ状態だった。
さておき、食べ物でも日本食は「ジャパン アズ ナンバーワン」という思い込みがあり、ここからは誤った認識ではあるが、日本食以外の「ローカル食」を日本食には及ばない食べ物のように思っていたふしがある。
それで当時の日本では見慣れぬ光景に遭遇し、日本食から程遠いマックを朝から食べるシニアを日本食に及ばない「ローカルめし」を食べている人と勘違いしたのかもしれない。
もはや「世界の国民食」となったマックだが、グランパの主観としては、未だにマックはアメリカ西海岸の「ローカルめし」というイメージが残っている。
もちろん、マックへの悪いイメージではない。一食でたんぱく質もとれる優れた食べ物として、我がファミリーも、マックは週一度くらい利用する「セミヘビーユーザー?」だ。
COPILOTより
東洋経済オンラインの記事で、高齢者の栄養管理の重要性からマクドナルドのハンバーガーを推奨しているのは、医師の佐々木淳氏です。佐々木氏は「高齢者が健康に長生きするためには日々しっかり食べることが不可欠」であり、そのうえで「マクドナルドのハンバーガーはカロリーとたんぱく質をバランスよく摂取できる理想的な食事例」として紹介しています
グランパのイメージにある「創業時の西海岸のマック」


あの忌まわしいプラザ合意について、COPILOTに聞いてみた。
プラザ合意の概要
1985年9月22日、ニューヨークのプラザホテルで米国、日本、西ドイツ、フランス、英国のG5財務大臣・中央銀行総裁が会合を開き、ドル高是正と米国の貿易赤字縮小を目的とする「プラザ合意」が発表された。メカニズムと為替の動き
- 合意発表直後、為替市場で1ドル=約240円台から235円台へ急激にドル安・円高が進行した。
- その後も市場介入や低金利政策により、1986年には1ドル=200円、1987年末には150円程度へと円高が加速した。
日本経済への直接的影響
- 1989年から1990年にかけて株価・地価バブルが崩壊。過剰融資を抱えた金融機関の不良債権問題が顕在化し、1990年代を通じて長期停滞(「失われた十年」)へ突入した。
- 失われた成長を取り戻すための金融緩和・財政出動は実効性を欠き、経済構造の改革も遅れたため、その後の回復は極めて緩慢なものとなった。
プラザ合意前後の為替と主要イベント
| 年度 | 為替レート(円/ドル) | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1985年9月23日 | 約235円 | プラザ合意発表 |
| 1986年末 | 約200円 | 円高進行、金融機関の低金利融資拡大 |
| 1987–1989年 | 150~160円 | 株価・地価バブルの拡大 |
| 1990年 | 付記:バブル崩壊開始 | 「失われた十年」の始まり |
プラザ合意は米国の貿易赤字解消策としては一定の効果を上げたものの、急激な円高誘導が日本の産業構造を揺るがし、金融資産バブルとその崩壊を通じて長期にわたる低成長を招く契機となった点で、日本経済の「凋落」を象徴する歴史的事件といえるでしょう。
上記の画像作成は、全てcopilotより