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キングギドラ「公開処刑」とは何だったのか

さんざん擦られたキングギドラ「公開処刑」の話題ですが、リアルタイムで騒動をみていたKjと同年代の者として、自分が感じたようなことがいわれているのを意外とみかけない気がするので、ここに書いておきます。

結論からいうと、あれは「KjがZEEBRAを真似するのをやめないからZEEBRAが鉄槌を下した」というよりは、KjがZEEBRAに寄せていた瞬間は確かにあったもののそこから脱却して独自の道をいっていたところ、くすぶり続けていたコアなヒップホップファンたちのDragon Ash(ドラゴンアッシュ)嫌悪感情を利用して、ZEEBRAがキングギドラの再開をよりセンセーショナルにするための話題づくりとして突如ネタに使った、という見方です。私にはこうみえていた、という話でこれが真理だといいたいわけではありません。ただの思い出語りですが、事後的にあの騒動を知った方にはみえにくい視点かもしれません。

それでは、何が起きていたのかをDragon Ashを中心に時系列に思い出していきます。

1998年; Dragon Ashブレイク前夜

私がDragon AshとKjを知ったのは、「陽はまたのぼりくりかえす」、「Under Age's Song」が一部の音楽ファンの間で発見された頃でした。インターネットは既にあったものの今ほど情報豊かではなく、洋邦とわずMVを流しまくっている横浜ローカルTV局のTVKが貴重な情報源でした。私もカッコいい音楽を求めてまだブラウン管だったテレビでTVKをみまくって、後に伝説となる番組Saku Sakuなどを、初代MCのPUFFYの頃に毎朝ベッドの中から目覚まし代わりにみるともなくみていたりする学生でした。最初にDragon Ashを知ったのがいつだったかは忘れましたが、ミュージックトマトジャパンとかなんかそういう感じのTVKの音楽番組にまだ少年らしさのあるKjが出ていて、狭いスタジオで司会の人と話をしてUnder Age's SongのMVを流しているのはみました。Kjは当時はアフロヘアで、日本人離れしたオシャレな雰囲気と抜群の音楽センスが只者ではない感がすごかったです。私はすっかりファンになったのでした。

これらの楽曲が入ったアルバム「Buzz Songs」が9月に発売され、当時流行っていたMDプレーヤーで聴きまくりました。


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1999年; ブレイク

時は世紀末。前作までサポートだったDJのBOTSがDragon Ashに正式加入し、「Let yourself go, Let myself go」がリリースされました。いやあかっこよかったなあ。「ブレイク直前」感すごかった。ZeebraのリミックスアルバムにKjが「真っ昼間」で参加したのもこの頃。これも良かったですよねえ。後にプロデュースの方でよく出すような、メロディアスなリフを洒落たトラックにまとめてくるKj独特のこの曲の感じは、まだ粗さはあるもののほぼ仕上がっているようにきこえます。


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そしてついに出た!!「Grateful Days」。 ZEEBRAとACOをフィーチャーし、大ヒットして時代をつくった曲。これが売れたのは良かったのですが、同時にリリースされた「I LOVE HIP HOP」もまた売れまくったことで、当時「ハーコー」とかヘッズとか呼ばれていたコアなヒップホップファンの反感を買います。ストレートすぎるタイトルとふざけたMVがなんだか茶化しているようにも感じられ、外野からいきなりきた若造が場を荒らすんじゃねえ、というわけです。ちなみにこれは古典的なロックの名曲「I Love Rock'n Roll」のパロディで、I LOVE HIP HOPといいながら軸足をロックにおいているのですが、そういうのはあまり伝わっていなかったように思います。

Dragon Ashの新アルバム「Viva La Revolution」は大ヒットし、KjとDragon Ashは時代のアイコンとしてアイドル的な人気を獲得していきます。私にとっても間違いなく1999年に一番きいたアルバムだったでしょう。


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Kjは活動の場を広げ、Sugar Soulをフィーチャーした「Garden」、wyolicaの「風をあつめて」など、聴いてすぐに彼の作品だとわかるオシャレな音が広く支持され、音楽家としての実力を確立していきます。


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2000年; 展開

この頃からKjは他のアーティストたちと積極的に絡むようになり、それらの仲間とともに「TMC」と呼ばれる音楽イベントを主催します。ラッパ我リヤをフィーチャーした「Deep Impact」がヒットしたのもこの頃。


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これ以前はテレビに出るような日本のヒップホップといえばスチャダラパーかDA.YO.NE.のようなお笑い色のあるものだったところ、Kjはそれらとは違う路線のカッコいいヒップホップをお茶の間に持ち込みました。が、それ故に、Dragon Ashがヒップホップの中心を担っているような印象を与えてコアなヒップホップファンは反感を強めます。ヒップホップ畑からTMCに参加していたラッパ我リヤやRIP SLYMEも、売れるために媚びを売るセルアウト野郎だと罵られました。

そしてリリースされた問題作の「Summer Tribe」。この曲でのKjの歌い方やMVでの振る舞いがZEEBRAの物真似だと大炎上。数々のヒップホップアーティスト、ラッパーたちが名指しこそしないものの、明らかにKjをディスるものだとわかる曲を出しまくります。ちなみに、この旬な頃に楽曲で名指しでKjをディスったのは、横浜の風林火山だけだと思います。かっこよかったなあ、風林火山。


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KjとDragon Ashは当時のネットで大炎上してディスられまくります。当時はまだいわゆるWeb 2.0の到来前でツイッターなどのソーシャルメディアはありませんでしたが、にちゃんねるにはディス板が立ちまくり、また当時「ZEEBRAの掲示板」という匿名掲示板があって、ZEEBRA個人の枠を超えた「ヒップホップとはなんぞや」論議が盛り上がっていました。私は当時大学生で、たぶんここに集まっていたメインはそのくらいの年齢層だったと思いますが、中学生か高校生かくらいの真摯なヒップホップ好きの少年が書き込んだ、「Dragon Ashの「ゲットーをゆるがす」というリリックが許せない。日本でぬくぬく育って、ゲットーというものがどういうものかわかっているのか。そんなこといっていいのか。」という訴えがすごく共感を呼んでいたのを覚えています。また、やたらと「シーンへのリスペクト」を強調するZEEBRAに対し、「シーンなんてものは存在しない」という議論が異彩を放っていたりもしました。

この掲示板にはZEEBRA本人も書き込みをすることがあって、ラジオで本人が言及することもありました。ちなみにこれはただの自慢なんですけど、私はこの頃、ZEEBRAのラジオ「BEATS TO THE RHYME」にFAXを送って読まれたことがあります。

この頃はZEEBRA本人もまだKjに好意的で、「男というのは本気になるとああいうガナリ声になるものなんだ」と擁護する発言をしていたと記憶しています。そしてこの頃、「ZEEBRAだってDMXのパクリじゃないか」などどいう声も出始めます。


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この頃はネットを開けばKjの悪口が書いてある、みたいな状況で、今の日本のインターネッツでもよくある、叩いて良いと一度認定されたものは執拗に叩き続ける空気が醸成されていました。この炎上しまくった「Summer Tribe」の次にDragon Ashが出した「Amproud」と「静かな日々の階段を」の2曲は、わざとらしいほど「Summer Tribe」から逆に振ったバンドサウンド、アコースティックサウンドでした。これが「Summer Tribe」への反省と言い訳のように聞こえたのは私だけではないはずです。


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2001年; 自重の1年

しかしDragon Ashへのディスの火は消せず、皮肉にもDragon Ashが引き金となった世間でのヒップホップ人口の増加がアンチDragon Ash人口も増大させます。Dragon Ashは新アルバム「LILY OF DA VALLEY」をリリースしますが、1997年のデビューから矢継ぎ早に曲を出しまくってきたDragon Ashはこの一年、一曲もシングルを発表していません。それはまるで、「Summer Tribe」への贖罪のようにもみえました。

一方で、Kjはこの年、 TMC や プロデュースユニットSteady&Co.の活動は精力的に続けます。クリスマスの名曲として今でも根強いファンのいるOnly Holy Storyなどもこの年に作られました。


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2002年; 「公開処刑」

そして自粛明けの2002年に発表された久々のDragon Ash名義のシングル「Life goes on」。これもまたギターのアルペジオから始まる、私はもうすっかりヒップホップから遠いところにいますよと強調するような曲でした。次の「FANTASISTA」もヒップホップから離れたパンク・ミクスチャーのバンドサウンドです。Kjの音を追ってきた人たちは、ああ、Grateful DaysやGardenのようなあの頃のあの感じの名曲はもう生まれないんだな、ということを受け入れざるを得ませんでした。


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それでもまだ、ヒップホップ好きの間でのDragon Ash叩きは鳴りやみません。

キックザカンクルーやリップスライムなどのキャッチーなヒップホップがすっかりヒットチャートの常連になり、Dragon Ashはヒップホップを広めた功労者ではなく、軟弱でチャラいものと誤解させた戦犯として叩かれ続けます。こうして日本のヒップホップ・マーケットも拡大してきたところで、喧嘩別れしたはずの伝説のキングギドラが復活するという噂が流れます。あの日本のヒップホップ・クラシックであり耳に痛い問題作である「空からの力」のキングギドラが、今度はどんなことを言い出すのかと、ビクビクしながらワクワクしたものです。

そして発表されたのがキングギドラの新アルバム「最終兵器」と、そこに含まれる「公開処刑」です。物々しいトラックにあやしげなBOY-KENのフックが絡むこの曲でZEEBRAは名指しでKjをディスりました。ちなみに2000年前後、BOY-KENは東京のクラブイベントにひっぱりだこで、しょっちゅうみかけました。1998年ごろに私が初めて渋谷あたりのオールナイトのクラブイベントにいったときのステージで、これまた日本人離れした歌と容貌のBOY-KENが会場を盛り上げまくり、「ここが現場だ!メディアではいえないことも俺はここでいってやるぜ、オマ〇コオマ〇コー!!」とやっていて圧倒されました。よくわからないけどすごい熱狂だぜ兄さん。楽しかったなあ。ともあれ、「公開処刑」はついに長年Dragon Ash叩きをしてきた人たちの溜飲を下げ、熱狂的に受け入れられて話題となります。こ、こえー。 さすがキングギドラ。彼らこそリアルでハーコー。 しかし、アンダーグラウンドからオーバーグラウンドにのし上がった日本のヒップホップをリアルタイムで追うとともに、Dragon Ashの動向も追っていた人は、こうも思いました。あの問題作「Summer Tribe」からはもう2年以上経っていて、Dragon Ashとしては違う方向へ舵を切り終えたようにみえた後です。

「なんで、今さら?」


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その後

ビーフとビーフで盛り上がるのもまたヒップホップ、これもそういうプロレスなのでは?ZEEBRAはDragon Ashからの応答を期待しているのでは?と巷では囁かされたりしましたが、そうはならず、Kjはただただ沈黙します。

しばらくして、たしかロッキンオンジャパンだかの音楽雑誌で、Kjがついにあの真相を語るみたいな長文インタビューが掲載されました。Kjは確か、「すごく落ち込んで悩んだ。音楽をやめようとも思ったけど、またやることにした。すごくいかしている女の子がいて、それが先輩の彼女だったとして、じゃあ手を出さないでただみてるだけなのかって、いやいくでしょ、っていう、ヒップホップに手を出したのはそういうことだったと思うことにした」というようなことを語っていました。これはちょっと、まあ、わかるようなわからないようなw

ともあれ、KjとDragon Ashは明らかにヒップホップと距離をとり、ラップを封印してあの頃のあの感じの曲はつくらなくなります。Kjが今でも「俺はバンドマンだから」、「ロックだから」と口癖のようにいうのは、なんだかまだあの頃の痛みから逃れようとしているようにもみえて、複雑な気持ちになります。

ヒップホップ側でも過去のものとしてKjに触れなくなった2010年、そこにあえて触れにいったのがDABO。2000年に横浜ベイホールであったNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのデビューアルバムのリリースパーティで、時間押しまくった挙句に酔っぱらったようなグダグダの深夜のステージの中でDABOとDELIだけキレキレのラップをしていたのに感動して以来、私が日本のヒップホップで一番信頼しているのはDABOなんですが、DABOがKjと曲を作ったときは興奮しましたね。これは俺にしかできない、といっていましたがいろんな意味でまさにそうだと思います。この曲の制作経緯が今でも読めるので是非。

https://ameblo.jp/dabo-blog/entry-10676437214.html


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この頃に発表された、Kj本人は登場しませんが、彼がプロデュースした「あの頃のあの感じ」があるこの曲も良かったです。


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2017年に窪塚洋介こと卍LINEとやったこれも好きです。窪塚洋介も同年代で若いころからみていて、地元も横須賀で親近感があるので、彼らが活躍しているのをみると、勝手に古い友人ががんばっているような気になります。


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ZEEBRAは最近になって当時のことをきかれ、「真似をやめてね、といったらやめてくれたので、それで良かった」みたいなことをいっていますが、本当にそうでしょうか。真似はやめていたものの、当時まだDragon Ashは叩くだけ叩いて良いみたいな空気は続いていたし、ギドラの復活に良い話題になるだろうから、これをネタに使っていっちょ金儲け、だったのでは?

この点、ケーダブの方が交わすのが上手いように思います。ケーダブは、この曲で痛烈にディスりながらも良好な関係を続けていたリップから「なんでディスるんですか!?」ときかれ、「ビジネスだよ」と答えたといいます。また、「あれはタイトルが良くなかった。公開処刑というタイトルが誤解も生んだ。もっとなんか、「弟たちへ」みたいなタイトルにしておけば良かった」みたいに振り返っています。さすがケーダブ。リアル。

Kjは最近になって出したJesse率いるThe Bonezとの合作の中盤で、なんとあの Grateful Daysと同じスマパンのリフで歌っています。これはあの痛みとまた改めて向き合っているということなのでしょうか。


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