「関心領域」観てきました。
最初に感想を書きたいところですが、あえて後回しにします。
あらすじ。
かのアウシュビッツ収容所の隣(ホントに壁を挟んで隣接)に住む一家を描く作品。
彼らは壁の向こうに何があるのかを知っていて、ごく普通の生活を過ごしている。
仕事に行き、食事の準備をし、庭の手入れをし、子供たちはいたずらをしたり親のいう事を聞かなかったり。
この日々に観客は何を思うのか…。
観る予定がある方は以下を読まない事をお勧めします。
ネタバレではないんですけどもね。
観終わった私は、「……え? …終わり??」って思いました。
そして即座に「……あ」と気づく。
パンフレットや他考察等を読む前にこの記事を書いているのですが。
何もないんですよ。盛り上がりも葛藤も。知らず、期待している「壁の向こうで起きている行為」に対する報いのような事、そんなものは何も。
考えてみれば当たり前の話。
非人道的な行為が日常となり、しかもそれが生業となっているのであれば、それが否定される事はありえないのです。
今、この現代となっているからこそ「壁の向こう」に眉を顰めもするけれど、その当時、あの国ではわざわざ目を向ける事、耳を傾ける事でもない。
遠く木霊する破裂音、長く響く助けを乞う声、怒声、日々立ち上る黒煙。
例え、それらが聞こえて、見えたとしても、日常のノイズでしかない…。
私はあらすじを読んでいるので、それが何かを知っています。
この映画、日常を描くというていで撮影されているため(?)、環境音がかなり聞こえてきます。
靴音、食器がぶつかる音、ドアの開閉音、鳥の囀り。そして、常に聞こえてくる「私の生活では聞こえてこない音」。
あぁ、登場人物たちにはこれらがホントに気にならないんだな、虫の声と同じようなものなんだな…と思いながら、同時に「これが気になるのは自分だけなのか?」と隣の席の人をうかがってしまったりもします。
しかし、中盤、同居することになった祖母が何も告げずに家を去ったのは「気になってしまったから」ではないでしょうか(明確に示される事はありませんが)。
であれば、やはりヘス家の人達にとってのみ「どうでも良い」事なのです。
これがまさに「関心を持つか持たないか」という事だと思うのですが。
壁で隔てられた「向こうの生活」と「こちらの生活」。どちらに関心があるかと言われれば、それは当然「こちらの生活」にならざるを得ません。領域が違うのです。
さりとて、私も事前情報を知らずにこの作品を観ていたら、それらを気にしていたかどうか。「悲鳴が聞こえ、人が焼かれています」という気づきを示されていなかったなら。
あまりに自然に暮らし、過ぎていく日常を見ていると、違和感を覚えなくなります。最悪、ただの観客として「録音と編集がなってないな」と思っていたかもしれないわけで。
だから劇中のヘス家の人々を非難する事は、私にはできません。
少なくとも、私は「ヘス家に何も起きないな」と思ってしまったので。
壁の向こう側の人々に思いを寄せることなく(収容所内の人の描写があるにも関わらず)。
結局、私も興味のあるもの、「関心」を持てるものだけを見てしまっているんだな、と思った次第です。
劇中、不快感を掻き立てる音、画像、演出が差し込まれているにも関わらず。