50代に突入して、気づけばもう2年が過ぎました。
20代の頃はほとんど運動をせず、体のあちこちに不調を抱えていましたが、30代で今の夫と出会い、マラソンを始めたことで、それらの悩みはいつの間にか消えていきました。
ところが40代に入ってから、婦人科系の病気で通院するようになり、そこから約10年。毎月の体調不良と向き合う日々が続きました。
そして48歳のとき、子宮全摘手術を受けました。
それを境に、嘘のように体が軽くなり、毎月の不調から解放されました。
運動も温泉も、体調を気にせず楽しめるようになり、「ようやく自由になれた」と感じたのです。
子どもたちも大きくなり、責任や縛りからも少しずつ解放され、やっと自分の人生を生きられる——そんな感覚でした。
……それなのに。
マラソンを、ほとんどやらなくなりました。
正確に言えば、「走る練習」をしなくなりました。
以前は、大会があるからと、暑くても寒くても、早朝でも夜でも、クマが出るかもしれない道でも、夫に「走るぞ」と言われれば、嫌々でも走らないという選択肢はありませんでした。
インターバル走、ピッチ走。
速く走らなければならない練習ばかりで、常に追い込まれている感覚。
そのたびに、心のどこかで思っていました。
「なぜ、そこまでしなきゃいけないの?」
「こんな走り方じゃなきゃ、走っちゃいけないの?」
「楽しくなければ、もうそれはスパルタじゃない?」
「義務で走るなんて、1ミリも楽しくないんだけど。」
走ることが嫌いになったわけじゃない。
ただ、“頑張らされる走り”に、心がついていかなくなっただけだったのだと思います。
実はこの数年、走ることはほとんどしていないのに、
なぜか毎日スクワットだけは続けていました。
理由は特に立派なものではなく、
「なんとなく調子がいいから」。
気づけばそれが、もう3年近く。
そして今年、6か月間走っていなかったある日、ふと走ってみたら——
あれ? 走れる。
しかも、前より楽。
頑張って走っていた頃より、
頑張っていなかった今のほうが、なぜか走れている。
たぶんこれが、今の私に合った「運動」なのだと思います。
追い込まなくても、
気合を入れなくても、
ちゃんと体は応えてくれる。
大切なのは、
無理をしないことでも、サボることでもなく、
“自分の声を聞き続けること”。
そう思えたとき、
運動はまた、味方になってくれました。
今は、「やらなくていい自分」を初めて生きている気がします。
そして今は、週に一回、10キロほど走るくらい。
一番の楽しみは、景色を見ながら走ること、走った後に愛犬とお散歩すること、温泉に入ることです←何個あんねん(笑)
それなのに不思議なことに、以前よりもずっとラクで、タイムも悪くない。
何より、「走るのが楽しい」と思えている自分がいます。
がむしゃらに追い込んでいた頃より、
ちゃんと息ができて、景色も見えて、
体が「ちょうどいい」と言ってくれている感じ。
これがいつまで続くかは、正直わかりません。
でも、8歳年上の旦那さんが隣で走ってくれる限りは、
たぶん、もう少し続けるんだと思います。
もっとも、彼が先に「今日は休むわ」と言い出したら、
私は迷いなくネットフリックスを観ますけどね(笑)
走ることも、休むことも、笑うことも、
今の自分にちょうどいいペースで。
そんなふうに年を重ねられたら、
それで十分、幸せなのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(__)m