お世話になっております。
7月6日(土)18時よりYouTubeチャンネル「春木で呉座います。」にて、
「【ゲスト:前田雅之】中世公家のソフトパワー戦略」を配信いたします。
いつもより配信開始時間が2時間早くなっていますので、ご注意ください。
一般に平安貴族というと、
和歌や蹴鞠などにうつつを抜かし、遊び惚けていたので、
質実剛健な武士に政治の実権を奪われた、
惰弱な存在とイメージされることが多いでしょう。
しかしながら、武士が政権を握るようになってからも、
朝廷・公家はソフトパワー戦略によってしぶとく生き残ります。
公家の必須教養であった古典と和歌は、
武家・寺家などにも共有され、
中世の支配階層が政治的交渉・交流を行う上で不可欠の潤滑油となります。
一般に中世は「武士の時代」と呼ばれますが、
武士たちは和歌を詠み、『源氏物語』を学んだのです。
この一見不可思議な事態はどのようにして生まれたのでしょうか。
良く知られているように、
藤原道長・頼通の摂関政治全盛期の後、
天皇の直系尊属たる治天の君が最高権力者となる院政期が訪れます。
この院政期に勅撰和歌集が政治的な意味を持つようになる一方で、
古典注釈が本格的に始まります。
勅撰和歌集は、院政期の白河院の『後拾遺集』から、
王権を握る者の証しとなりました。
この流れは後白河院の『千載集』で確定し、
以後、将軍足利義教が執奏し後花園天皇が勅撰した『新続古今集』まで
この状況が続きます。
院政期から鎌倉初期にかけて活躍した歌人の藤原俊成は、
「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」と述べ、
和歌を詠む上で参照すべき必須の古典として『源氏物語』を位置づけました。
俊成の子の定家は鎌倉初期歌壇をリードしつつ、
『源氏物語』の本文校訂や注釈を行っていきます。
以後、『源氏物語』の注釈書は江戸末期まで営々と作られ、
パロディー小説や絵画作品を含めて大量の「二次創作」が行われました。
紫式部という一人の女房が書いた物語が、
いかにして仏典や史書を押しのけ、
古典の中の古典という地位を獲得し、
あらゆる創作活動の源泉として崇められるに至ったのか。
その背景にあった朝廷・公家のソフトパワー戦略を踏まえつつ、
中古・中世文学研究者である前田雅之先生に御解説いただきます。
NHK大河ドラマ『光る君』が放送中の今は、
現代人にとっての古典の意味を考える絶好の時期です。
高等教育における古文・漢文教育不要論についても、
視聴者の皆様と大いに議論していきたいと思います。
下記リンクよりぜひ積極的に御参加下さい。