以下の内容はhttps://ydayo.hatenablog.com/entry/2026/01/09/114225より取得しました。


ボーイズラブと私

下書きをメモ帳代わりに使うことがあり、ときどき読み返している。

 

それらを読んでいたら出てきた。

 

以前にも一度公開していたような気がする。

 

再度公開する。

 

———

 

 

 

私はボーイズラブが好きだ。

 

ボーイズラブといっても、私の場合は商業作品はあまり読まない。もっぱら二次創作作品を読むほうの人間である。

 

 

 

自分のセクシュアリティはAROACEである。恋愛もセックスもしないのにボーイズラブが好きってなんなんだ!という声がどこかから聞こえてきそうだが、私の場合は自分でそれらをしないだけであって、物語上の出来事としてそれらを楽しむのはけっこう好きだ。(当たり前のことだが、AROにもACEにも色々な人がいるので、私個人の感覚を一般的なものとして捉えないようにしてほしい。一切の恋愛、性愛描写が苦手という人もいる。「そういう人もいる」と理解してほしい。)

 

そしてボーイズラブを好む人の中にも色々な人間がいる。また、私のように二次創作を中心とする人間もいれば、二次創作は一切しない、オリジナル作品もしくは商業作品しか読まない、という人もいる。

 

 

 

私が二次創作を中心とするのは、単純にいわゆる「行間読み」が好きだということもあるが、商業作品を読んできた上での引っかかりがどうしてもあるからでもある。

 

 

 

商業作品を多く読んでいた当時、ボーイズラブには「ライトなレイプ描写」がたくさん含まれていた。「恋人同士だからいいだろう」「嫌だと言いつつ受けも気持ちよくなってる」「レイプから始まった関係が両思いに」そういった展開の"セックス"がたくさん描かれていた。当時の私はこれらを描写を友人と共有しあって「エッチじゃん!」とはしゃぎつつも、一方で「なんでこれで結末がハッピーエンド!?」とも思っていた。

 

ワガママな人が好きだとか、性欲の強いパートナーに振り回されたいだとか、人間同士のコミュニケーションにおいて、そういった関係性はあり得る。その場合はもちろんハッピーエンドになる。それはおかしいことではない。それは理解できる。

 

引っかかるのは「その描写がボーイズラブに溢れていて、当たり前に受け止められていること」だった。「攻めはいつでもセックスをしたいと思っていて」、「受けはそれを嫌だと言いつつも気持ちよくなる」。この攻めと受けの関係性が、どうしても私には不思議で仕方なかったのだ。「嫌だ」と言っているのに腕力の差に任せて受けをひん剥いていく攻めを見て、「受けは攻めのことを殴ってもいいんじゃないか?」「私が受けの友人なら絶対別れたほうがいいよ!ってアドバイスする」と思っていた。

 

 

 

それに加えて、当時のボーイズラブは、攻めと受けの体格が違う……具体的には、攻めは長身でたくましく、それに比べて受けは華奢でかわいらしいという特徴もあった。

 

私はこれもよく理解できなかった。

 

男女の恋愛物語でそういった組み合わせを見るのは、男性は女性よりも身長が高い場合が多いため、そういった表現が多くなるのも理解できることだった。しかし、ボーイズラブは男性同士の恋愛物語ジャンルである。なぜ受けの見た目がかわいらしくある必要があるのかが全く理解できなかった。それは男女の恋愛物語でもうたくさんというくらい、十分に見てきたものだからだ。

 

「攻めはよりマスキュリンに、受けはより中性的に」という傾向に対し、私はどうしても男女の恋愛物語を連想してしまう。もちろん、現実の話として華奢でかわいい男性が性行為の場面で受動的な場合もあるだろう。それはそれ。BLは人間が意図を持って描くものである。

 

私が理解できないのは、やはりボーイズラブという大きなジャンルの中で、カッコイイ攻めとカワイイ受けの組み合わせが一般的なものとして市場を占めていることだ。攻め/受けという言葉のなかに、振る舞いや外見に対する条件付けが含まれている気がして、違和感を感じてしまう。

 

私にとってそれらは、まるで現実世界での「女性は性に疎いものだ」「男性は女性をリードしてあげるものだ」「女性は力が弱い」「強くない男性は恥ずかしい」といった男女に対する偏見と重なって見えてしまうのだった。

 

 

 

こういった話をすると、「ボーイズラブは男女の恋愛ではないので、そもそも受けを女性と重ねて見るのは間違い」という反論が聞こえてきそうだ。(実際にこれまで何度もこの手の反論を受けてきた。)

 

しかし、もうすでにボーイズラブにおける「受け」と「攻め」はもう十分にジェンダー化された存在になってしまっている。

 

そもそも、と言うのであれば、そもそも「ペニスを挿入する性」である「攻め」と「挿入される性」である「受け」という役割分担語が、彼ら二人ないし関係性の中に含まれる複数人をジェンダー化する言葉ではないだろうか。また、「攻めは性行為に能動的」「より中性的な見た目のほうが受け」といったボーイズラブ作品に一般的に見られる描写は、「攻めとはこういうもの」「受けとはこういうもの」とボーイズラブを愛好する人々のコミュニティにおいて広く認識されている。特に詳しく調べなくとも「こういうものだ」となんとなく納得してしまうその感覚が偏見であり、そして「ジェンダー化」なのである。

 

そしてこの攻めと受けのジェンダー化は、前述した通り男女の関係性ととてもよく似ている。ボーイズラブで描かれる攻めや受けの外見や言動が、そのまま男性や女性への偏見と酷似することが「たまたま偶然」と言うのは苦しい言い訳ではないだろうか。

 

 

 

たとえば「ヘタレ攻め」だとか「年下攻め」だとかいう攻め属性を語る言葉もそうだ。攻めは男性らしく、相手をリードし、ふつう同い年か年上であるという前提がなければ作られないワードではないだろうか。「襲い受け」「年上受け」もそうだろう。受けはセックスでは受動的で、ふつう同い年か年下であるという前提がある。

 

これらを男女の世界に置き換えてみれば「姉さん女房」だとか「嫁の尻に敷かれる」といった化石のような言葉で表される状況ではないだろうか。

 

こういった描写がボーイズラブで広く一般化されていることで、私には「セックスでペニスを挿入する側は、セックスでもそれ以外の場面でも相手をリードしなければならない」という現実世界とボーイズラブ世界の両方の規範が見えてしまうのである。

 

過去の私は、商業作品を読むたび「なんでこの攻めはこんなセックスをするんだろう」「二人は本当にこれでいいの?」と感じてしまっていた。それざ私が商業作品から離れがちになってしまった原因である。

 

 

 

それでも地道に口コミを検索して自分でも読みやすい作品にトライしたり、オリジナル作品を描いたり、二次創作をしたりしてボーイズラブ生活を送ってきた。

 

実を言うと2年ほどボーイズラブそのものから離れていたが、とある漫画作品にハマって情熱を注ぐ「推しカプ」が出来た今、改めていろいろな人からいろいろな作品を教えてもらい、再び商業作品を読むようになった。読んでいて気がついたのだが、近年のボーイズラブ作品では、ジェンダー化された「攻め」や「受け」の役割分担が少しずつ変化してきているように感じる。(この点については詳しく書けるほどボーイズラブを読めてはいないので、あくまで体感だが)

 

表紙では誰が攻めで誰が受けかわからなかったり、かわいらしい攻めの作品が増えていたり、リバだったりセックスに重きをおいていなかったり等、私が読んでいた時とは違う状況がある。

 

どうかこのままボーイズラブが多様な男性(とその恋愛)を描く作品ジャンルとして成熟してほしい。

 

 

 

ボーイズラブは、基本的には現実の恋愛を描くものではなく、創作物である。

 

だからといって現実に生きる同性愛者を蔑ろにしていいと言いたいわけではない。ゲイフレンドリーな社会を目指しながらも、現実の「恋愛」の有り様や常識にとらわれず、自由な発想で男性たちの関係性が描かれるボーイズラブが発展するよう、願っている。

 

———

 

これを書いた当時から数年経ったが、やはり「攻めを雄と呼び受けを雌と呼ぶ文化」などの馴染めそうにない文化が一部に存在する。それでも「一部」と呼べるレベルになったのではないかと思う。

 

オメガ・メガエラなど、BLを読んでいて苦手だなぁと思う部分を逆手に取るような作品も世の中に増えている。

 

「マスが存在しなくなった」と言われる昨今、このまま本当にいろいろな作品が増えるといいなと思っている。




以上の内容はhttps://ydayo.hatenablog.com/entry/2026/01/09/114225より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14