
こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿2414回目のブログとなりました。
幼少期の記憶の中で「忘れられない言葉」を誰もが持っているのではないでしょうか。それは親とか親戚からかけられた何気ない言葉が殆どかもしれません。自分を護ってくれる人の言葉は神の声だから、ダイレクトに心に響くものです。
嬉しくなる言葉、悲しくなる言葉、怖くなる言葉・・・
断片的な記憶であっても幼少期に刷り込まれた言葉は一生通して残るもの。場合によっては「呪い」に近いものかもしれません。友人や恋人に偶然同じ言葉をかけられてフラッシュバックしてしまうこともあり得ます。
ここで大切なのは、他者のフィルターを通した‟レッテル”をセルフイメージに仕立ててしまっていること。他者の評価を自己評価として刷り込んでしまっている事実です。
私って、ノロいから
私って、可愛くないから
私って、気が利かないから・・・
これは言い放った人を悪者にしようとするものではありません。何気なく言ったのかもしれないし、覚えていないことが殆どでしょう。大切なことはその言葉に反応した、私の心の声。忘れられない言葉となるくらい反応したポイントがある筈です。
その言葉に対して、異論、欲求、渇望、諦め、悲哀など・・・感覚として反応する。
一見子供とは不釣り合いな感覚さえも生まれながらに携えているものです。ただ言語化することもなく無意識下に潜んでいるだけのこと。
不本意に貼られたレッテルは、それが続けば剥がせなくなってしまうもの。いつの間にか同化してセルフイメージに固定されてしまうのです。結果として、大人になっても「自分が分からない」という現象が起こってしまう。
何が言いたいのかというと・・・セルフイメージのようなものは曖昧で流動的で不確かなもの。自分自身を怪しい枠に閉じ込める必要はないということです。自分を枠に閉じ込めたなら、他者も閉じ込めたくなってしまう。枠から外れたら自分を責めてしまう。其処から出ようとする気力も何れ萎えてしまうことでしょう。
その枠から外れた時、「コアな自分の姿」が自然な形で浮かび上がってくるものだと思うのです。その為には既定のセルフイメージを手放してしまいましょう。「私ってこんな人」は往々にしてアテにならないものですから。
今日も読んでいただいてありがとうございます。 それではまた(^^)/
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