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情報を選ぶ決定権は私

      

 

こんにちは、晏藤滉子です。

本日で連続投稿2202回目のブログとなりました

 

ここ10年くらいでしょうか・・・

無闇にテレビを観なくなりました。

 

観たい番組はネット配信もあるし、

朝は時計代わりに「ながら視聴」するくらいです

 

深い意味はないけれど、

「情報のシャワーはもういらない。うるさいだけ」

これが一番の理由かも。

 

要は、「自分の身体に入る情報は選びたい」ということ。

ネットもその傾向はあるけれど、テレビは特に不要な情報を押し付けられているような感じが強いのです。私は自分の波動に合ったものを選びたい・・・これは食べ物や着るものを選ぶ感覚と似ているかもしれません。

 

その基準は人それぞれだけれど

動物や子供の虐待

暴力や性的な事件

恐怖を煽る情報やCM

情報管理を感じさせるもの・

騒がしいだけのもの・・・正直息苦しくなってしまう。

 

そうは言っても、

起こった出来事を受け止めるべきだという考え方もあるでしょうね。

 

現実を見ろ! と。

 

でも、テレビを付けた瞬間苦手な情報も、得たい情報も

一緒くたに流入してきては到底受け止めきれない。

 

苦手な情報を昇華させる余裕などなく

鬱々とした感覚だけ澱のように心の奥底に沈んでしまう。

 

そのまま、自然と熟成してしまうモノなら

情報ドントコイだけれど・・・

私自身そういう能力は持ち合わせていないようだ。

 

だから、私は自分の触れる情報は選択していこうと思う。

 

それでは偏った情報のみ受け取る事になるのではと言われそうだが、今のところ不具合は感じられない。それどころか「無闇にテレビを観ない生活」は何気に心地よいと感じています。

 

自分のペースで情報の取捨選択できることは

「決定権は自分」ということ。

 

全ての人にとって当てはまらなくてもOKだし、サクッと割り切って(^^♪

押し付けるつもりもないし、これが正しい方法と言うつもりもありません。

 

ただ、そんな「自己中心生活」は私の性に合っているとつくづく思うのです。

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。それではまた(^^)/

 

 

 

 









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