
こんにちは、晏藤滉子です。
本日で連続投稿1325回目のブログとなりました(^^♪
寒い日が続いていますね。
こんな日は手作りとかインスタントに関わらず温かい料理がごちそうです。
さて「母の味」という言葉・・・今でもあるのでしょうか。死語になってませんか?「母の味」と言いながらも、母限定でなく「子供の頃から馴染んでいる料理」のこと。お婆ちゃんが作ってくれたハンバーグかもしれないし、自分で作った袋ラーメンかもしれません。
何となく懐かしい食べ物とは、意識に刷り込まれた食べ物。
ソウルフードといえるでしょう。思い浮かぶ食べ物ってありますか?
私の場合「ジャガイモのフライ」です。
フライドポテトではありません。茹でたジャガイモにパン粉の衣で揚げたもの。母が何気なく作ったのでしょうが、自分的には大ヒット(^^)/ 高校時代のお弁当は毎日ジャガイモのフライでした。そう毎日・・・友達は呆れてました
大人になる頃にはその熱は冷めていったのか、ジャガイモのフライからは遠ざかっていました。外で美味しいもの頂く機会もあるし、正直忘れてしまったのでしょう。
ある時、私自身とても苦しい孤独な時期がありました。
生命力は下降し続け絶望をリアルに感じていた頃
どう生きていたのかあまり覚えていない頃・・・
久しぶりに何か作りたいなとキッチンに立った時、思いついた料理はジャガイモのフライでした。高校生の時は母親が作ってくれたジャガイモのフライ・・・自分で作ったのは初めてかもしれません。手作りできる料理は他にいくらでもあるのに・・・思いついたのはジャガイモのフライだったのです。
決して‟母の味を懐かしむ”という感じではなかった筈。
何故なら当時は母の頃を嫌悪していたから・・・むしろ「この気持ちを忘れちゃいけない」と意識に付箋を貼るような感覚で生きていたから。
出来上がったジャガイモのフライは・・・滅茶苦茶美味しかった。
久しぶりにお腹いっぱい食べて、身体は暑さでほてっている。生命力が甦ってきたような体感でした。
感情と味覚は連動すると思っていました。好意を持つ相手とは何を食べても美味しいし心は満たされるもの、反対にどんなご馳走でも不味く感じてしまう関係性だってあり得ます。
でも当時のジャガイモのフライは美味しかった・・・
これは思考や感情の向こうにある「刷り込まれた味覚」のせいかもしれません。
「刷り込まれた味覚」の美味しさは反射のようなようなもの。
頭で考えた理屈では説明できない類のものかもしれません。
良い記憶ならば
ホッとする、美味しい、身体が喜ぶという反射を植え付けている。
ジャガイモのフライは、私にとって良い記憶のカテゴリーに入っていたのでしょう。少なくともどん底気分だったあの頃の自分を救ってくれたのは確かなこと。
あの時何故ジャガイモのフライを作ったのか・・・未だにその理由はわかりません。
今日も読んで下さってありがとうございます。 それではまた(^^)/