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業務効率化の苦しみでもとの濁りの田沼恋しき的な気持ち

 自分たちを楽にするために業務効率化を推し進めているわけだけど、結果的にはどんどん苦しくなっていくみたいな機序あるあるの話。
 ネットで「タイミーやってるとあんまり洗練されてない職場の方がやりやすい」って話を見かけて、ちょうど職場で実感していたのとぴったりだなあと思って。


 大手メーカーに勤めていて、以前は製品検査の部門にいたのが、1年半ほど前に生産管理の部門へ異動になった。異動してびっくりしたのが、かなりの業務をアウトソースしてるんだなってことだった。
 定型的で、人の判断をあまり伴わない業務のほとんどがグループ会社に委託されていた。調達先からの物品を受け取って運んだり、受付処理をしたり、納期回答を定型文で依頼したり、一部製品を個装したり、そういった作業は全部委託されていた。
 外から生産管理の部署を見てた時は、なんかいつも忙しそうで何なんだろうと思っていたので、中に入ってみたら委託できる業務はほぼ全部委託した上で、それでもなお忙しい。


 検査部門にいた時は「頭は動かさないけど手を動かす作業」がそれなりに発生していて、それも人手が必要な時はみんなで作業していて、雑談なんかもして楽しかった。
 それが生産管理の部門だと、そういう作業もなく、物理的なもの(製品など)を触る機会もほぼなく、基本は数字(日付や数量や金額)を見るのと、会議やメール対応ばかり。雑談の時間もあまりない。
 その昔、業務を外部委託する前は、みんなで手を動かす時間にお喋りしたりなかなか楽しかったらしいと聞いた。


 特に自分が係長クラスのポジションにいるせいもあるけれど、30分~1時間の会議がひっきりなしに毎日6~8時間入って、メールが120通くらいきて、ひたすらさばきながら過ごしていると、頭が変になる。
 一旦頭に詰め込んで整理して理解して判断して人に渡したら忘れて、また別の話を頭に詰め込んで……をやるにも一日あたりの総量をもっと減らしたい。脳に悪いんじゃないかという気がする。へとへとになる。
(これは業務効率化や外部委託というより管掌範囲が広すぎて業務量が過多なだけという話かも)


 PCもなかった時代は、郵便物のやり取りや、電話の折返し、物理的な移動で「間」があったんだろうなと思うと羨ましくなる。
「じゃあのんびりする時間を強制的に設置すればいいじゃん」という話にもなりそうだけど、なかなか上手くいかないと思う。「15分の強制コーヒーブレイクを設置します」をやっても、みんな早く帰りたいのだから、その時間に仕事を片付けたいとなってしまう。というかそれをしないと回らない。だいたい現状でも休憩時間に仕事してるし……
 そうじゃなくて「仕事をしている中で(頭が)のんびりする時間」が発生しないといけない。間違いなくその人がやらないといけない仕事になっている、負荷の軽い単純作業、みたいになっていないと、その隙間が埋められてしまう。
 しかしそういう作業は、「我々のコア業務ではないのでアウトソースします」となってしまう。(なお検査部門も、先述の検査業務がだんだん調達先側に移管されて社内からはなくなっていく方向にある。サンクチュアリはないのだわ。)


 業務を改善しよう、効率化・標準化しよう、というのはみんな必要だと考える。そうした改善をすると、「自分たちはより良い未来に行っている」と感じられて労働者側の精神衛生にもいい。自分たちの業務がより楽になっていく、トラブルに忙殺される時間も減っていく。
 そう単純にはいかなくて、楽になった分は人が減らされたり、今まで手が回らなかったところに手を付けたりして、楽にはならない。
 よりぎゅんぎゅんに詰まった仕事をして、人間に耐えがたい処理速度が要求されてくる。しんどい。
 人間の生物としての限度のところでいつか均衡するのかなとも思っていたけど、AIなどもどんどん出てきてそこを超えちゃうんだろうなという気もする。


 この「より良くしているのに、より苦しくなってくる」機序は、基本的に産業資本主義の特徴なのだろうと思っている。時間軸上の価値体系の差異から価値を取り出す行為を回し続けないといけなくて、効率化して生産性を上げたなら、さらに上げ続けないと価値を取り出せなくなってしまう。
 疫病が大流行しても信じがたい速度でワクチンが開発、普及して生き延びられたのも、この機序(での技術革新などの積み重ね)の恩恵かと思うと簡単に否定もできないけれど、実際苦しい。
 こんなにITも発達して、21世紀も4半世紀が過ぎようっていうのに、働き詰めでないと暮らせないのはおかしな話だよ。どんどん労働者に求められるスキルも高まって教育コスト(お金だけじゃなくて時間や手間や能力)も上がって、追従できない人は苦しい生活を強いられる。


 教育コストが上がる話とも関連するけど、作業的な仕事がどんどん減るというのは、新人や、力量がちょっとなという人にやってもらう仕事がどんどん少なくなってくることにも繋がる。スピードや判断が求められる仕事ばかりになってくる。
 どうしたって職場の中で力量や優秀さにはバラつきがあるけれど、それを吸収する余地がなくなってくる。みんなが(本人も)「この人はあまり優秀ではないな」と思っていても、面倒だけどやんなきゃいけない作業をその人が引き受けてくれていれば、「だけどあの人がこれをやってくれてるから助かってる」と周りは感謝して、本人も「自分はこの職場で価値がある」と感じられる。
 バラつきを吸収する業務がなくなると、力量的に難しい仕事でも振らざるを得なくなって、周りがサポートに回ったり、上司が粒度を分解する作業負荷が高まったりして大変。その人にダイレクトにヘイトが向きがちになって職場もギスギスする。


 上下左右を見てみると、贅沢な悩みじゃないかという気もしてくる。自分より課長の方がずっと大変だなとか、そうは言っても世間全体から見たらいい給料貰ってるのにとか、もっと薄給で肉体的・精神的にもつらく拘束時間の長い働き方をしてる人もたくさんいるのにとか、労働時間の長さランキングで日本は31位で実はそこまで働いてもいないのかもとか、紛争地域ならそもそも人生設計もままならないよなとか、つい考えてしまう。
 でもそれはそれ。相対的に比較してどうという話もあるけれど、そうは言っても週4日、1日6時間勤務くらいにしてくれ。それでみんな後は好きなことしたりだらだらしたりして生きていきたい。その方がいいじゃん、という気持ち。


 仕事にも「自己実現のための目的」と「生活のための手段」の両側面がある。二分されるわけではなく、一人の人の中でも、その時々によって割合が違ってくる。両者が同時に満たされていれば最高だ。
 自己実現の目的の割合が極めて高い人にとっては、昼夜を問わず自分の仕事を真剣に考え続けて没頭したいだろうし、別にそれを取り上げようという話じゃない。そうしたい人はその分の報酬を受けられるといいよね。
 そうじゃなく生活の手段の割合が高い人も、ほどほどにお金が貰えて、労働時間を抑えられれば嬉しい。


 嬉しい、が、そういう仕組みにはどうもなっていない。
 効率化に抗って、非効率で生産性は低いがやる必要のある仕事(作業)を人為的にほどほどに残置させておくのは難しい。
 そんなことを思いながら、効率化、標準化、改善に勤しんでいる今日この頃ですわ。



 以下は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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