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マインスイーパをやると変になってうれしいはなし

 マインスイーパにそれなりに上達してきたときに体験するあれこれの話をちょっとしたいきぶん。


 ある程度なれてくると、頭で考えてやる部分がほとんどなくなるので、ほかのことを考えながらや、歌を歌いながら、あるいは電話しながらでもやれてしまう。このまえ電話口の相手から「さっきからカチカチいってるの何?」ていわれてはずかしかった。
 国連には編み物をしながら同時通訳をこなすおばあさんがいるとかいないとかいうエピソードがあるけど、たぶんああいう感じ。


 あと、なれると脳内でもできるようになる。頭のなかでマスを開いていくんだけど、全体を見てるわけじゃなくて開いているその周辺しか見ていないのに、必要があってまた前に開けたところに戻る(視野をそっちに移動させる)と、ちゃんとさっき開いた形で出てくる。別にとりたてて記憶しようとがんばらなくても、単に視線を移動させるという感じで残ってるのね。
 そろばんの暗算って頭の中にそろばんの玉を思い浮かべててそれを動かしてるっていうけど、たぶん似たようなものだと思う。特に玉の配置を記憶しようという意識が本人になくても、見返せばちゃんとある、という。


 それからひどいときは、自分でもいつ始めたのかよくわからないうちにやってるときがある。
 あとね、やってる中で、こことここに地雷があるって見えてて、手もすでに動いてて、実際に正解なんだけど、その時点ではまだ理論的にどうしてそこが地雷なのかはピンとこなくて不思議に思いながら進めてるときがある。あとから(っていってもまだやってる最中なんだけど)確かめてみると、たしかに少し離れたところから辿っていくとそこが地雷だと確定できるようになっていることが分かるという。


 国連の編み物ばばあや暗算なんかも、昔はどうなってんだろ不思議だなと思っているばかりだったけど、自分自身が似たような体験をしてみると実に感覚的によくわかる、という気分になる。
 それからさらにもう少し一般的に、ちょっと信じられない(感覚的にわからない)感覚について他人が語ったときに、そんなに疑わずにすんなり受け入れられるようになった。
 谷亮子が以前テレビで、柔道の試合中にきわめて集中しているときは、上空や斜め後ろにも計四人ほどの自分がいて自分を見ている、みたいな話をしていた。昔はその話について、ただただ不思議と思うばかりだったけど、今は、まあそんなこともあるだろうねと妙に腑に落ちているところがある。その感覚自体を私は体験したことがないのは昔も今も変わりないままに、もっと素直に納得できるようになったの。少なくとも「何事かをある程度習得すると、日常的に(誰もがほぼ共通に)体得できるものの延長上にはない感覚を得られる場合がある」ということについては体験しているから、信じられるという。


 そんなわけで、なにかしらひとつ、「知り合い100人中で並ぶものはない」くらいの目安まで習得してみると、それにともなって素直に信じられることが増える=世界が拡大するって感じしておすすめだけど、その「なにかしらひとつ」にマインスイーパはおすすめしない。
 あれ、時間を浪費してるって感じがして罪悪感がひどいの。ぼくはいつも、自己嫌悪にまみれながらマインスイーパをしてるからね。またつまらぬマスを開けてしまった……って後悔がすごい。
 だからもっと、囲碁将棋とかスポーツとかした方がいいと思う。




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