KYEF祭 3部
4/29(火・祝)
ベイサイドライブホール 19:00
結社ともキタキュウマンプロジェクトとも縁の深い中村裕さんが始めたサカナマンと、KYEの共演。
記号的に「裕様」と書くけど、裕様を知っているぶん、なんとなく裕様を「滝夕輝」みたいな立ち位置の人かと思ってしまいがちなのだけど、違うんだよな。私は行けなかったのだけど、ダンゴさんの◯と談合でチームNat代表中村裕さんとサカナマンがゲストだった。あくまで裕様は代表で、アクターで、声を出している人で、変身者とか装着者ではない。そもそもサカナマンが変身するタイプのヒーローではなさそう。
もう一ついうと、サカナマンの運営はチームNatの中の「サカナマンプロジェクト」なので、チームNatとサカナマン運営はイコールではないみたいだ。
昔滝さんが結社にいたP-typeさんと話していたとき、おたくの社員はみんな名前が3つくらいあってややこしいと言っていたのだけど(あなたもでしょ)、みんな器がいくつかある。シャベさんで脚本家で取締役社長の笹井さんを考える時は「レイヤー」がわかりやすいが、屋号を持って活動している人たちは「器」の方がしっくりくる気がする。
今回の台本を読むと、ヤバちゃんは結構セリフを変えていた。天の声の後、台本には「中村裕」と書いてあるのだけど、言っていなかった気が……する……多分……。ヤバちゃんはショー中「裕」って言ってないような。
(なんで今回配信ないんだ。答え合わせをしたかった。いやそもそも配信なんてない方が当たり前、お前は録画の概念のない時代にラジカセをテレビにくっつけて録音してた世代の生き残りだろ、ミズホアンテナでアナログのラジオ電波捕まえてた執念を思い出せ、よし、頑張れ)
台本では「今日が楽しみだったんだ」となっているところは、「今日のショー楽しみにしてたんだぜ」と言っていた。多分。ただ会うことではなくて、ショーという本職でやりあえることを楽しみにしていたと、ひとつ意味が乗っていた。

バトルがサカナマンvsヤバイ仮面&ネクタリスとわかったときの客席の沸きようも楽しかったな。ふわっと会場が明るくなったような感覚があった。顔合わせで意味を持たせるの、こういう公演だと特に効果的だなぁ。一瞬サカナマン&ネクタリスvsヤバイ仮面になったりして。


キャスで笹井さんが、社長は爆散していないと言っていた。次があるということなのだろう。ドゲンジャーズは爆散しても復活するけど。
最後のやられるときのセリフ、台本上は「裕をよろしくな」だけど、実際は「あいつをよろしくな」と言っていた。これは確か。「立派に」も「しっかり」だった。

この「あいつ」が聞こえた瞬間にぶわっと涙が出てしまって、その後はずっと泣いていた。
「よろしくな」なんだ。頑張れよとかしっかりやれよとかの、本人へのエールではなく、新たな器に委ねるんだ。そう思ったらもう泣けて泣けて仕方なった。かつてその器だった人の、どこか忸怩たる思いもなかったか。
ストーリーとは関係のないところだと、今回はKYEの3人の生声がよく聞こえた。ヤバちゃんは前からよく雄叫びが聞こえていたけど、今回はエクスくんとキタさんも。エクスくんが吠えてステージに上がってくのかっこよかった。
最近生声と双方向のリアクションについてずっと考えていたので、双方向のやり取りをできる客席との信頼みたいなのができたのかなと思った。
台本の表紙がサカナマンひとりの写真で、これまではフライヤーの画像じゃなかったっけと不思議に思っていたのだけど、終わってから見ると、結社のアクターだった人も、キタキュウマンのアクターだった人も、この一人の中に息づいているということか……とまた涙ぐんでしまった。が、これは深読みのしすぎかもしれない。
最近笹井さんがキャスで切れ切れに話す、人気商売を危ないと思った、とか、人前に立つことを矢面に立つと表現することとかを聞いていて、結社のキャラクターのXアカウントが一斉になくなったこととか、裕様とダンゴさんが辞めたこととかを思い出していた。
でも、見えているものなんて何百万分の一で、そんなごくわずかなものを繋ぎ合わせて、だから今がこうだとかいうつもりはない。私だって会社員だから、会社がやっていることで表に出ることなんて、それこそ氷山の一角だってわかっている。ましてやよその会社のことなんて。
実在する会社を好きになって5年になる。実在する会社が好きってなんだよといまだに思う。
裕様が辞めた時も、ダンゴさんが辞めた時も、悲しかったよ。悲しかったけど、悲しいって言っちゃいけないと思ったから言わなかっただけで、ものすごく悲しかった。しかし転職経験のある我が身に照らした場合、社外の人間から自分が辞めたことに感想述べられるのは気持ち悪いだけだなと思ったから黙っていた。
オタクは結局、永遠を望むのだと思う。そしてこれは私の持論なのだが、一番いい時の永遠ではなく、「自分が好きになった瞬間」が永遠に続くことを望む。オタクは実は変化にものすごく耐性がないと思っている。
なので、私でいうと、笹井さんがいて、JIN先生がいて、P-typeさんがいて、裕様がいて、T高さんがいて、MMAがなかった頃の結社がそうなのだけど、しかしこれも我が身に置き換えて考えた場合、社外の人間から「御社は◯◯さんがいた頃がさぁ……」とか言われようものなら、「うちの社員でもないくせに何言ってんだこいつ頭おかしいんか」と即座に距離をとるくらい気色悪いよなと思うので口には出さない。
アイドルのメンバーチェンジとは訳が違う。だって会社だもの。最近AHKスタジオのくくりで社員の人たちが表に出るようになっているから、この先はまた観客との関係性が変わっていくのだろうと思う。でも変化に弱い私は、社員とタレントをどう区別していいのかわからないうちは、普通の会社員に執着するのはやめとこうと思っている。なんでかというと、ダンゴさんとかメイドさんとかのアカウントが消えた時に、正直、「友人を喪った」くらいのショックを受けたのである。わざとこう書くけど、いい年してたかがキャラクターのSNSアカウント一つにそんなにショックを受ける自分がかなり嫌だった。なので、今もアクターさんたちのアカウントはフォローしていない。
結局のところオタクである前に私も会社員なので、会社なんてのは、その時いる人間でできる仕事をするだけの組織だと、身をもって知っている。
とまぁこんなに予防線を張りまくっていても、結局たった一つのセリフで涙腺が決壊してしまった。見ていただけの過去を肯定されたわけでもなければ、これから先見続けられる未来を保証されたわけでもない。なににあんなに泣いていたのか、理屈なんてわからないのだけど、でも結局「今この姿が見られて嬉しい」でしかないような気がする。
帰りの飛行機で、ずっとホフディランを聞いていた。絶対別れたいユウヒに絶対別れたくないベイビーが追い縋るみたいなアルバム「PSYCO POP KILLER BEE」で活動を休止したホフは、4年後に「僕が悪かった」と謝るユウヒを「僕が運命の人だってわかってくれりゃいいのよ」とニコニコで受け入れるベイビーというアルバム「遠距離恋愛は続いた!」で活動を再開した(個人の感想です)。なので、親子でもきょうだいでも、配偶者でもない、ただ意思だけで一緒にいて仕事をする人のことを考えるとき、ホフをよく聞いている。これまではもっぱら芸人さんだったのだけど。
今 季節が風の流れで変わるとしても
その風さえ明日は遠くの空へと消える
この目に映るのは今の姿だけ
この目に映るのは今あるものだけホフディラン「花」
ここを聴きながら、ステージの光景を思い出してまた泣いていた。この歌で何度も繰り返される「咲いては枯れる」は、耳で聞くと「咲いて別れる」とも聞こえる。
どんな過去の先でも、この先がどんな未来であろうとも、目にすることができるのは「今」しかない。私が見た今の4人の姿は、すごくすごく楽しかった。
それだけでいい。あったかもしれない未来なんてない。

私なんぞの預かり知らないところで、どんどん強くかっこよくなっていく人たちの、本職がその姿を見せてくれることだというのはただひたすらの幸運である。その幸運が、今という形で目の前に現れるのを目撃する。ただそれだけを繰り返したいのだとわかった。永遠があるのならばそれがいい。