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ジェリー・ウェクスラーを「ソウルのゴッドファーザー」とは言い過ぎだが、名プロデューサーに違いない

この書名はいくらなんでも大げさすぎる。原題の直訳は「リズム&ブルース:アメリカ音楽の人生」だぞ。

しかし、彼のような裏方の伝記を売るには、これくらいぶちあげなければならないのだろうな。

実際、非常に貴重な本である。ジェリー・ウェクスラーとは何者なのか? 以下、ピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ』から長めに引用させてもらう。

 ウェクスラーはユダヤ人で、もともと『ビルボード』誌の編集者でした。一九四九年に、「レイス・チャート」と呼ばれていた黒人向けポップ・レコードのヒット・チャートを「リズム&ブルース・チャート」と改めたのはウェクスラーです。
 一九五三年にアトランティック・レコードに引き抜かれたウェクスラーは、創設者のアーメット・アーティガンと並ぶR&Bの名プロデューサーとなったのです。プロデューサーとはいっても、楽器は演奏できないし、エンジニアリングもできません。ではどんなプロデューサーだったかというと、ウェクスラーは上手に雰囲気を作る人であり、ビジネスマンであり、フィクサーでもありました。すさまじいエネルギーをかけて黒人音楽を心底愛した彼がいなければ、ソウル・ミュージックはまったく違ったものになっていたかもしれません。ウェクスラーは、そうまで言えてしまえるほど、ソウル・シーンの中心的存在だったのです。

こうしてみると、「リズム&ブルースを作った」というのもまったく嘘というわけではない。

彼はどういうプロデューサーだったのか。ウィルソン・ピケットの名曲 "In the Midnight Hour" の制作過程を例にしてみる。

この曲は、アトランティックの色々な歌手が参加していたライブ盤でピケットが最後に即興で歌っていた「……ミッドナイト・アワー」という一節が印象に残っていたスティーヴ・クロッパーが、それをもとに作ったリフをピケットと二人で曲の形にしたものですが、どうもノリがいまひとつでした。そんなところへ突然ウェクスラーがスタジオの中にやってきて、「今ニュー・ヨークの若者たちがこんなリズムの踊りをしている」と言って、みんなの前で踊ったそうです。あのおじさんが、と想像すると滑稽だったと思いますが、その踊りがヒントとなりリズムのアクセントがちょっと変わったことによって、あの名曲ができあがったのです。まさにウェクスラーのプロデューサーとしての影響力を教えてくれるエピソードのひとつです。

ワタシ自身はピケットのオリジナルよりも、ブライアン・フェリーのカバーバージョンを先に聴いた世代だけどね。

ただ、ピーター・バラカンは、結局スタックスともマッスル・ショールズともトラブルになったことを指して、ジェリー・ウェクスラーの功罪の罪の部分についても書いている。

ジェリー・ウェクスラーは間違いなく六〇年代のソウル・シーンの中心人物ではありますが、ソウルを成功させた男であると同時に駄目にした男でもあるかもしれません。




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