自分は日本庭園の鑑賞が今は一番の趣味なので、日本庭園の本だと間違えて買った...わけではない。宇野常寛の書籍では以前「母性のディストピア」を読んでまあまあ面白かったのと、庭そのものの話ではないにしても、庭というキーワードに引かれた。
「正しいコミュニティ」に頼らない
2020年以降のこの手の本はまずポピュリズム批判から入るのが定番なのでそこは目新しい部分はない。目新しい部分としてはそのカウンターとしての定番の「正しいコミュニティ」論を真正面から否定している点だと思う。
そのかわりに注目するのが、人間以外のものと向き合うことと、ものを制作することである。本筋ではないが、動いている庭やらケアの意識高い系の話が出た後に、制作の例がBL二次創作になるのが笑った。
自分はコミュニティというものが非常に苦手だ。仕事や業界だけでなく、趣味についてすら「コミュニティ」になると途端にめんどくさくなってしまう。
業界の勉強会やカンファレンスについても、トピック自体は興味はあるので聞くのは問題ないのだけれど、交流会が苦手すぎて行きたくない。ブースにも近づきたくない。ネットでスライドだけ見れば十分で、動画すら観るのがめんどくさい。
読書会も一時は行っていたが、これもコミュニティ色が強くなると行くのがつらくなった。美術関係のオフ会も30代の頃は行っていたが、これは婚活的な意味合いが強かったので、40代になって婚活をやめたら全く興味がなくなってしまった。
自分自身は人よりも日本庭園のようなものと向き合う方が好きだし、仕事の勉強を兼ねて自分で使うアプリをプライベートで作ったり、イラストを描いたりしている。その点で心情的には同意できる一方で、いくつか気になった部分がある。
他者からの承認を一切求めない制作の困難さ
本作において制作は「他者からの承認を求めること」が目的になってはならない。しかし「他者からの承認を一切求めない制作」を継続するモチベーションを維持するのはかなり大変である。
もちろん「ものをつくる楽しさ」はないわけではないが、多くの人は他者からの承認をモチベーションにしているのではないか。
この「他者からの承認を一切求めない制作」の困難さについては本書でも触れられていた。その結論は簡単に言えば「副業にすればいい」である。それができれば苦労しないわと思う。
本書においては他者から承認をもらうことと、評価により報酬をもらうことは別のこととして扱われる。しかし承認は評価の必要条件だ。
もちろん二次創作のように承認はされても報酬に結びつけるのが困難なものもあるし、Xのいいねの承認を報酬に結びつけるのはかなり大変だ。だから承認 = 評価ではないが、承認もしないものに評価してお金を払おうとは思わない。承認を飛ばして評価を動機とする論理を成立させるのは難しい。
文科系の人はオープンソースに過大な夢を観る傾向があるので辟易する。善意だけをモチベーションとするのは難しく、コミッターが減ってメンテナンスされなくなり、継続不可能になったプロジェクトは吐くほどあることを知るべきだと思う。
目的が「馬鹿に投票させない」になっている
本書のポピュリズムに対する処方箋は、実のところ「馬鹿に投票させない」である。「民主主義を半分あきらめる」と正直に言っているからまだましなほうだ。
Somewhereな人々は経済的な力で世界に対する影響力を行使することができないから投票で行使する。だから制作によって「小さな自立」で経済的に自立させることで世界に対する手触りを獲得させる。これが意味することは結局「Somewhereな人々に政治に関心を持たせないようにする」ということだ。
そうであれば直接的に「制限選挙の復活」を堂々と訴えるべきではないかと思っている。昔のように基準が性別や納税額である必要ない。
例えば選挙権を国家資格にして、政治や経済に対する一定の試験に合格した人にのみ選挙権を与えるようにすべきではないか。もちろん1度取れば終わりではなく、更新時には再度試験を受ける必要がある。それであれば「馬鹿は」投票できなくなる。
その結果にも納得できないなら、守りたいのは自由でも民主主義ではなく、単に自分の思うとおりにならないから文句を言っているだけに過ぎない。
エコーチェンバーは専門性の必要悪である
エコーチェンバーという言葉もポピュリズムと同じくらい自分は嫌いだ。自分自身はコミュニティが嫌いだが、特に専門職として仕事をしていく上では一定付き合いが必要が部分もある。
ITエンジニア業界というのは他の業界と全く違わずドメスティックな村社会だ。流行についていかないといけないし、主流の意見と異なる意見を言えば叩かれる。
コミュニティと言えば聞こえがいいが、要するにコネが重要。意外と若者も飲み会が大好きで、そこで話が決まることも少なくない。大手SIだけでなくベンチャーも全く同じ。特別な業界では全くない。
当然そこの議論はエコーチェンバーだ。しかしながら一定の専門性を確保するためにはそのメンバーは当然限られる。必要なのはエコーチェンバー批判ではなく、一定距離を取ったり、複数のエコーチェンバーでバランスをとることだろう。