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【書評】ナボコフ・コレクション全五冊(新潮社)

 「既成概念の枠を広げ新しい読者層を開拓する野心的な試み ナボコフ・コレクション全五冊(新潮社)」『週刊読書人』2017年12月8日。

 

 作家ウラジーミル・ナボコフの没後四十周年を祝うかのように、二〇一七年一〇月、若島正沼野充義監修による「ナボコフ・コレクション」全五巻の刊行を新潮社がスタートさせた。若島訳の『アーダ』も早川書房より今秋出版されたばかりとあって、一躍「新訳ブーム」が訪れたかのようだ。

 

 しかし、このブームは今にはじまったものではない。欧米で大部の伝記が刊行され、ナボコフが正典化される中で、日本でも九十年代の終わりに日本ナボコフ協会が設立され、英露文学者の協同・組織化が行われた。その「ナボコフルネサンス」を、実質的に牽引してきたのが今回のコレクションの監修にあたった二人だった。英文の超精読を通して作品内のしかけを発見していく若島と、ロシア性に軸を置きつつその文学を広く亡命や多言語主義の枠組みでとらえようとする沼野は互いに協調しながらこの二十年間普及に努め、学界を主導してきた。

 

 若島訳『ロリータ』と沼野訳『賜物』を軸に据え、かつ全体にロシア性が強調された今回のコレクションは、その九十年代からはじまるムーヴメントのひとつの到達点だろう。品切れだったものも含めて、多くの作品が清新な訳文で読者の手に入るようになるという点で、本コレクションの意義は強調してもしきれないものであることは間違いない。しかしここでは訳者の一人という立場を離れて、一研究者として傍からラインナップを眺めてみた際の所感を書きとめておく。

 

 今回のコレクションでは、「ロシア語版からの初訳」ということが謳われている。しかし、ナボコフは自分の小説を後に自らの手で英訳し、その際に様々な加筆・削除を行った。その意味では、ロシア語版からの翻訳が日本語読者にとって最善かどうかは必ずしも自明ではない。英語版では刊行当時の事情に疎い外国読者への説明が行われていることを考えれば、話はむしろ逆のこともあるだろう。また『ロリータ』にはナボコフ自身の手によるロシア語版が存在するが、これだけは英語からの訳のままだ。

 

 本来なら翻訳を意義づけるのは批評・研究の役割だ。翻訳と批評とは外国文学受容の両輪だが、日本における受容は五九年の『ロリータ』初訳から常に翻訳が先行してきた。直近十年間、ナボコフについての単著がほぼ書かれていない状況にあることを思えば、今後コレクションを意義づける研究が訳者陣の手によって一般の目に触れる形で公刊されるべきだが、現段階における新訳の意義という観点から見た場合、最注目なのは、若島・沼野とは違う角度である亡命ロシア文化史的な方向から実証的な研究を長年続け、著書『ロシア人たちのベルリン』でそれを披露した諫早勇一による『キング、クイーン、ジャック』訳だろう。

 

 翻訳に対する研究の相対的な遅れという面では、二十一世紀以降、爆発的に増加した欧米の研究のキャッチアップを今後どうするかも気にかかる。欧米の学会で「ナボコフはロシアの作家だ」などと言っても、すでに常識的すぎて誰にも相手にされない。研究の潮流はロシア語作家でもあったことを前提にした上での、新資料も含めた事実の発掘、詩や演劇など小説以外のジャンル、出版文化などのコンテクスト、科学者としてのナボコフに移っている。そういった意味ではむしろ九十年代的なナボコフ観から離れたところ、本邦初訳となる「ワルツの発明」(沼野訳)「事件」(毛利公美訳)といった従来評価の低かった戯曲、『賜物』の付録として執筆されながら生前は公刊されなかった「父の蝶」(小西昌隆訳)といった作品が、新しい方向性として注目される。

 

 英米文学者とロシア文学者の交流を目的として設立されたナボコフ協会とその後の枠組みは、『ロリータ』の英語作家としてしか知られていなかったナボコフを研究する上で、ロシア文学側のプレゼンスを高める上で有効だった。他方それぞれの専門分野への尊重がなされた結果、かえって個々人の活動が窮屈になっている面もあるのではないか。今回のコレクションでも、若島が『賜物』を英語版から翻訳し、沼野が『ロリータ』をロシア語版から翻訳してもよかった。こう書くと、何を愚かなという誹りを受けそうだが、ナボコフがやったことはまさにそうした(むしろ百倍大胆な)ことだったのだ。その九十年代的な分業から外れる越境的な仕事という点では、英語作品『見てごらん道化師を!』の注を担当した若手研究者後藤篤による『魅惑者』のロシア語原典からの訳(この作品に限っては作者の手が入っていない英訳からの重訳しかなかった)は注目だろう。

 

 本コレクションのラインナップを眺めたとき改めて思わされるのは、『ロリータ』という作品の強力さだ。この世界文学史上稀に見る大ヒット商品があるがゆえ、ナボコフは翻訳・再翻訳の機会に恵まれてきた。逆に言えば、他に優れた作品があっても一般へのプロモーション上は「あの『ロリータ』の」という枕詞を外すことはできない。それはナボコフ自身が商業的な成功と引き換えに、自ら引き受けることを選んだ重荷だった。その意味では九十年代はおろか六十年代から状況は変わっていないようにすら思えるが、今回のコレクションも、少しでも既成概念の枠を広げ、新しい読者層を開拓しようという編集側の野心的な試みとして出版文化史の観点からは評価されるだろう。

 

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