『河北新報』2018年1月21日号ほか
翻訳こそ世界文学の絆
本回想記の著者は、日本では三島由紀夫の評伝の作者として知られている。六〇年代、ノーベル文学賞の野心を抱いた三島の知遇を得たネイスンは、『午後の曳航』を英訳する。しかし、次に訳したのは大江健三郎の『個人的な体験』だった。
一九六四年の東京オリンピックをひかえた街には活気が満ち、アメリカの出版社も日本の作品を出版しようとしていた。出版社を巻き込んだ翻訳をめぐる駆け引きは手に汗握る読み物だ。
四十年生まれの著者は、海軍で日本語を習得したドナルド・キーンやエドワード・サイデンステッカーとは、世代も気質も異なる。三島の死後書き上げた評伝は高い評価を受け、博士号とプリンストン大教授の地位をもたらすことになった。そのままいけば、キーンやサイデンステッカーの次代を担う文学者になっていたかもしれない。しかしネイスンは七〇年代の終わりに一切を棄て、西海岸に移住し映像制作会社を設立する。
日本でちやほやされても、結局「ガイジン」としての扱いだ。証拠に、三島はネイスンが翻訳を断ると絶好したではないか。ではアメリカ本国ではどうかと言えば、日本研究は所詮「色物」であって、正当な評価を受けない。米国では翻訳者の社会的な地位は低く、報酬も十分ではない。
それでも『個人的な体験』が、大江が九四年にノーベル賞を受賞した際に授賞理由としてあげられたことを思えば、翻訳者こそ、文学の国際的な流通の影の主役だったことははっきりしている。
赤裸々な評伝を描いた筆致で、ネイスンは自分の人生をも仮借なく描写していく。周囲の著名人のゴシップも読み手を楽しませてくれる。
本書のエピローグは日本語版オリジナルの内容になっている。そこで著者は、漱石『明暗』の翻訳を通じて一度は別れたはずの日本と再会を果たすことになる。やはり文学こそが、国を超えて人と人とをつなぐ絆だったのだ。