9月、クーラーがないと夜も眠れない猛暑がやっと和らいできたかという日の早朝、5年間一緒に住んでいたじいちゃんが死んだという連絡が来た。昨日見た時はあれやこれが食べたいと言っており、買ってきたカットスイカを自分で食べていたから驚いた。最近は2、3週間ごとに会いに行くたびにどんどん痩せて、食事も食べないし尿も出ないと聞いていたのでお迎えが近いだろうなとは思っていたが。
最近のじいちゃんはベッドの上からほとんど動けない状態で、ベッド横のポータブルトイレや尿器を使っていた。医者の勧めで鼻カニューレでの酸素吸入も時々やっていた。あまり食べることもなくなっていたのでもっとやってあげればよかったと思うことはあまりない。1ヶ月前に買ってきた白海老とはまぐりも食べた。だけどなんかショックを受けている。
じいちゃんは昔の人なのにタバコを吸わないし、酒もたまにしか飲まなかった。持病も特にない。だが4年6ヶ月前に朝起きたら息が止まってたことがある。慌てて救急車を呼んで心臓マッサージをした。
その時にもう帰ってこないかもしれないと覚悟した。だけど翌朝病院に行くと起きて看護師としゃべってた。心臓カテーテル手術はしたが奇跡的になんの障害もなく目覚めて、退院後もしばらくは畑で野菜を作ってた。でも畑に行けなくなりトイレに行けなくなりどんどん弱っていくじいちゃんを見ていると、あの時に心臓マッサージをせずに眠るように逝けたほうが幸せだったんじゃないかと思ってしまったり。
じいちゃんの最期は深夜の偶然ばあちゃんと娘が起きている時に背中が痛いと言ってさすってもらっていて、気がついたら息をしてなかったらしい。かかりつけの医師を呼んで心筋梗塞による死亡と診断された。眠っている間ではなかったが、あまり苦しむことなく逝けたようで安心した。
葬式の日にみた死体は硬く冷たくてただの抜け殻だと感じた。じいちゃんはきれい好きで、てっぺんに髪はないけどきれいな丸い形をした頭を触るのが好きだった。頭のテカり具合をみて今日は調子がいいとか言うとフフッと笑ってた。今は触れても温かみがなくなんの反応もない。じいちゃんはもう戻ってくることはないのだと確信した。お前にはやらんと言ってたお気に入りのジャージを着せ、よく被っていた野球帽をかぶせ、たくさんの花と一緒に送り出したので未練はない。
じいちゃんは畑で野菜や果物を作ったり、テニスサークルに行ったりとても活動的だった。畑には毎日のように通って土を耕したり、雑草を抜いたり、消毒をしたり、ネットをかけたり、支えを作ったり。時々手伝いに行ってたが60近く年下の20代の自分よりも長いこと鍬を振っているのはすごいと思った。
毎年夏になるとおいしいスイカや桃をたくさん収穫していた。食べきれないぶんを近所の人や友達に配ってまわったら大好評。スイカは赤い部分のギリギリまで甘い、桃はみずみずしくてとろけるような食感で凍らせても美味しい。それを子どもの頃は夏休みに毎日のように食べていた。
他にもほうれん草にチンゲンサイにブロッコリーにスナップエンドウにアスパラガスにオクラにキャベツに白菜にレタスにきゅうりになすびにじゃがいもに玉ねぎに人参、すももにびわに柿にデコポンに文旦にせとかにシークァーサーなど。自分が味にうるさくなったのはじいちゃんが美味しい野菜や果物をいっぱい食べさせてくれたから。
大学卒業後、正社員になって結婚するまでの5年間をじいちゃんの家で過ごした。精神的に厳しい時期を乗り越え、今の生活を手に入れられたのはじいちゃんとばあちゃんのおかげだと思う。一緒に畑を耕したり、海老とか蟹とか美味しい物を食べたりした。
じいちゃんはほうきとか肥料とかティッシュとかなんでも一度に大量に買ってしまう。他人にいい顔をするために果物を買ってまで何回も差し入れする。一度決めたことをすぐに撤回する。いらない心配をする。ばあちゃんに甘えすぎる。とか困ったところがあった。だけど良いところもいっぱいあった。
就活については看護師になればいいなどの的外れなアドバイスもあったが、ハローワークや職業訓練所に通っていた時も急かされることはなかった。じいちゃんも若い時はいろんな職場を転々として訪問営業とか寮の管理人とか工場で機械の操作とかしてたという話を聞いたことがある。昔は低賃金で雇える中卒が金の卵と呼ばれ、面接で給料のことを聞いたら落とされていたと聞いてびっくりした。
結婚については何も言わなかった。時代もあるが自分の娘には早く結婚するようにお見合い話をいっぱい持ってきてたらしい。だが孫の自分には結婚をすすめることすらなかった。夜の外出は心配して許してくれなかったから、昼に遊びに行ける人と何回か会って結婚した。夜に遊べない不満はちょっとあったが結果的に良い人と結婚できたのでよかったと思う。
自分が社会人1年目の時はまだじいちゃんが車を運転していて、雨の日に職場まで送ってくれたことあった。ばあちゃんと3人で滝も見に行った。でもちょっと運転が危ないと感じるとすぐにじいちゃんは自分から免許返納をした。家族が言ってもなかなか免許返納せず事故をおこしてしまう高齢者もいるのにじいちゃんはすごいと思った。
じいちゃんはよく喋り話し出すとなかなか止まらない人だった。入院中も医師や看護師に話しかけまくっていた。同じような内容を話していることもあるが、よくあんなに話し続けられるものだと感心していた。子どもの頃はかぼちゃしか食べるものがなかったとか海外旅行で首長族を見たとかじいちゃんの話を聞くのは楽しかった。
ばあちゃんとケンカもよくするがすぐに仲直りする。言いたいことを言って怒りを引きずらないのはいいと思った。寝室は別だがばあちゃんばあちゃんとよく話しかけてた。掃除や洗濯は全てばあちゃんがやり、食事も目の前に並べられるまで食べないという甘えっぷりだったが、ばあちゃんのことが本当に好きなんだなというのがわかった。
死ぬ直前はばあちゃんがベッドまで食事を運んで食べさせ、尿器を持ったりお尻を拭いたりトイレの世話もして夜もあまり眠れない状態。じいちゃんは体が思うようにならないからか怒りっぽくなり噛みついたりして限界のため、介護施設を探しているところだった。
絶対に家で死にたいと動こうとしない人もいる中で、じいちゃんは施設に入ると自分から言った。偉そうな態度でばあちゃんに甘えているけれど、迷惑をかけたくないという優しさもあった。昨日はばあちゃんがこれからの生活をどうするか話してたら、もう言うなと怒っていたけど、やっぱり家を出るのが寂しかったのかな。最期は家にいたいと言っていたらしいし。
じいちゃんは88歳で男性の平均寿命よりは長く生きた。施設に入れば放置され一人っきりになる時間が増えるところだった。その前に自宅で娘とばあちゃんに見守られながら逝けたことは幸せだったのかもしれない。