今週のお題「思い出の先生」
ただ思い出の中にいる先生ってわけではない。
中学卒業◯期生のグループLINEにその先生はいるので、今でも繋がっている、リアルタイムな存在だ。
中学2、3年生の担任で高校受験をみんなとこの先生と共に楽しく乗り切った。
担当教科は私の大嫌いで苦手な『数学』だ。
希望し、合格して三年間通った県立高校は進学校、私の故郷で頭良い子が行く県立J校へ行くほどではない2番手、2群のその高校の受験の時もずっと「お前は数学だけ、数学だけはホントに心配だ」って言われていた。
その学校へ進学する理由も『自転車で通える一番近い普通科の高校』だからであった。
多分、私の学力はその高校に見合ってなかったかと思うので、その担任M先生はヒヤヒヤしていたんだろうな。
なんてったって得意学科は体育と家庭科と英語、普通科受験に必要だった三教科で英語しか合格ラインを上回ってなかったはず。
やめとけよ、って言いたかったと思う、先生は。滑り止めで受けた私立は電車通学になるけど行く覚悟はあるんだよな?って聞かれた気がする。
担任のM先生は、みんなに愛称で呼ばれていた。Mちー先生。
実は、小学校の先生だったが、熱意のかたまりのような先生で、思春期の大事な時期の地元の子供達に関わってみたいと中学の先生に転向して、中学での最初の受け持ち生徒が私達だった。確か先生は26歳だったかと。
黒板に勢いよく大きな字で数字や文字を書いて説明する人だった。身振り手振りも、声も大きかった。
私によく「そんなに数学嫌いか?答えはっきりしてて面白くないか?」と聞いてきて
私「きらーい、面白くない、でも図形は割りと好きかも」
だから図形は割りとできたが、数字が並ぶと脳が拒否反応。
自分の教科を大嫌いだとはっきり言う私でも、しっかりと見てくれていたし、他の教科のことも、部活の成績なんかも誉めてくれていた。
だが、自分はもちろん、他の子にも分け隔てなく、ダメなところはしっかり叱る。
三年生になって、朝よく遅刻するようになった。寝坊して、自転車を爆速でこいでもギリ遅刻した時は、先生が履いているスリッパで頭を叩かれる!
ヘアスタイルを気にするお年頃の女子は、その汚いスリッパで叩かれることを嫌がってキャーキャー言っていたが、私は何とも思ってなかった。それもお見通しだったけど。
今の時代では考えられない体罰か!笑笑
今の時代では考えられない事はいっぱいあった。
休日に、クラスの希望者だけの参加でMちー先生とハイキングに出かけたり。私服で電車に乗ってお弁当持って。
受験生になってから、学校をクラス全員で先生と脱け出して散歩、近くの氏神様へ合格祈願のお参りにも行った。
他のクラスの子達にはかなり羨ましがられていた。
先生の住まい、実家も地元でローカル電車で2、3駅ぐらいだ。
卒業してからも、先生の家で餅つきだの、バーベキューだのとすぐ横が鬼祭と呼ばれている田舎の祭の会場のため、祭見学兼飲み会だので集まっていた。私もまだ地元にいる頃、2回ほどお邪魔したことがあるがまだお子さんがいない頃だったかと思う。
あ、そうだ!私達が卒業してほどなくしてからご結婚され、みんなで式場にお祝いに行ったわ。
それからも、また今でも、地元に残っている子達は事あるごとに先生宅で集まっているようです。
この先生で一番思い出すのは、我が家への家庭訪問の後、先生の車がぬかるみから脱け出せなくなり、母親と私も手伝って車を押したこと、泥だらけになって。
我が家への家庭訪問の後、自分の車で帰って行った先生、ずっとどっかで車をふかしてる音がするなぁーと思っていた。先生が去ってからかなりの時間、30分以上は経っていたかと思う、ふと通り、っといってもド田舎だ、道は舗装されてなく、ちょっと広いあぜ道っといった感じの道の方を大きな吐き出し窓から見ると車がブンブンエンジン音を立てているも進まないで困っている、あーあの車の音だったのか、………あれ?
あの車、先生のじゃない?
母親を呼んで一緒に家を出て車の方へ。
やっぱり先生だった。
言ってくれれば、うちの車でひっぱるなりしたのにと母親が言ったが、先生はかなり恥ずかしかったらしく、何とか気付かれないうちに脱け出したかったらしい。携帯もない時代、どこかで電話を借りたのか、連絡したから父がもうすぐ来るとの事。
先生のお父さんが軽トラに板を積んで助けに来た。
みんなで泥だらけになりながら、はまったタイヤの下に板をかませ、ロープを軽トラと繋いで、先生が運転席、私と母親とで車の後ろを押し、無事脱出。
母親は、こんな周りに家も少ない、道も悪い奥の方にまで来てもらって申し訳なかったと謝っていたが、先生のお父さんが、何でこっちの道通ったんだ、見ればぬかるんでるの分かるだろ、こっちの道行けや、バカだな、お前のそんな車で行けるわけがない、こいつがバカなだけですから、みたいな事を言っていた。先生は次の子の家がこっちの道からで近いから行ったんだよ、みたいな反論をしていたが、私達親子は、先生親子の軽い口論を見てしまった。
私は、先生も『人の子』をしっかり見てしまった。
先生にとってとんだ家庭訪問だったな。
それから数年、先生が我が母校の隣学区の小学校の校長になった時、連絡が来た。
学芸会のお芝居の指導、先生への演出アドバイスなどをしてもらえないだろか、と。
劇団女優時代の話し。
こういうのは、けっこうある話しで、先生達は舞台や芝居の素人、かなり悩んで困ってしまうことが多いんだそうだ。そこで演劇関係者に助けを求めることはよくある。
うまくヒントを与えてあげれたかどうかは不明だったが、かつて剣道の稽古に通っていた隣学区の小学校に行き、懐かしの体育館で小学生達の芝居を観る、指導のための大きな声を出す、剣道のかけ声じゃなくて。
かつては入ったこともなかった職員室や校長室にも入れ、お茶とお茶菓子まで頂いた。
先生のお陰で。
みんな大人になり、悲しいかな早くに病気で亡くなった子もいる。
私はスマホを持ったのが遅く数年前、その時LINEを始めたのでグループLINE参加はかなり遅い方だ。
それ以前にグループLINEはあって、我がC組メンバーとMちー先生だけだったのが、いつの間にかA組、B組の子たちも加わり、クラスLINEではなく、中学◯期生のグループLINEになっていた。
地元には桜の名所があるが、子供達に桜を見せたい今どんな咲き具合か分かる人いますか?
とそこでコメントしたら、数分で、その名所のまだまだ三分咲きぐらいの写真数枚が届いた。仕事のついでに寄って見たらまだまだだったよ、みたいなコメント。
それからは、その子や誰かがその名所や学校の桜開花状況の写真を入れてくれるようになり、市役所につとめている子は、イベント情報やテレビで地元紹介の番組の情報なんかも入れてくれる。
離れて暮らしている私のような者には故郷が身近に感じられ有り難く思っている。
Mちー先生が居たから、ここまで広がりここまで続いた。生徒である私達は今年還暦。ということは先生は?………
いつまでも元気でいてくれたらと願う。
こっちは梅がようやく咲いたところです。先生。

みんなは、孫の世話をしてるお年頃ですが、私はようやく上の子が成人式を迎え、昨日、短大の卒業式。一旦卒業ですが、同じ学校の上のコース、専攻科へ進み、あと二年学業を続けることになりました。
私に似て、和装がとても似合う子です。むっちゃ可愛いくてお上品な袴姿でしたよ。
