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私の日想観。四天王寺の石鳥居に落ちる秋の夕陽に想うこと。

2025年9月23日は #秋分の日。#秋のお彼岸の中日 になります。#四天王寺 では夕刻から #西門の石鳥居 に落ちる夕陽を遥拝しながら西方極楽浄土を観想する #日想観(じっそうかん)の法要が行われました。#サイノカミ信仰 #神仏習合 #聖徳太子 #推古天皇(豊御食炊屋姫)

目次

本文

秋のお彼岸の中日(秋分の日)

秋のお彼岸の中日は秋分の日。

春のお彼岸の中日(春分の日)と同じく、朝の太陽は真東から昇り、夕の太陽は真西に沈みます。

四天王寺の石鳥居は真西に向けて立てられているので、夕刻、太陽は鳥居の真ん中に落ちてゆきます。

2025年9月22日(秋分の日の前日)。西門の石鳥居から夕焼け

今は都会の建物の中ですが、古代〜中世は難波の海岸線が鳥居の近くまで来ており、

鎌倉期の法然さん(浄土宗)、親鸞さん(浄土真宗)が、鳥居の向こうの海に落ちゆく夕陽を拝み、西方極楽浄土を観想する信仰として世に広めました。

西門(さいもん)と呼ばれる理由

四天王寺の石鳥居が「西門、さいもん」と呼ばれるのが面白いですね。

日本語では西を「さい」とも読みますが*1、これはサイノカミ信仰のこん跡。

サイノカミ信仰は縄文から弥生時代にかけて普及した定住生活の竪穴住居と深い関係があります。

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こちら側(内側)とあちら側(外側)を分ける境界が「サイ」であり、住居では玄関がそれに当たり、その考え方は今も変わっていません。

新年の玄関に門松を立てたり、しめ縄を飾ったりする風習はそのこん跡です。

日本神話に登場する大歳神(おおとしのかみ)は、新年と旧年の境の「歳(さい)=時間」の神格化と考えられます。

多様な神格として浸透したサイノカミは塞の神、歳の神、才ノ神、幸神など実に様々な字が当てられます。

「あちらとこちら」の境界は結界であり、「ここから災(良からぬもの)が侵入してくるのを塞ぎ、幸(良きもの)がやって来るのを歓迎する」という考え方は素朴な古神道そのものです。

神社の鳥居が「サイ」の門であり、四天王寺で「さいもん」と呼ばれるようになったのは偶然ではないでしょう。

神社の鳥居は神域と俗世を分ける物理的境界ですが、四天王寺の鳥居は浄土と現世を分ける心理的境界になったわけです。

創建時(西暦593年、飛鳥時代)の四天王寺は、寺でもあり神社でもあったはずです。

なぜなら、後の神仏習合のはじまり的な思想を提唱したのが聖徳太子でしたから。

和を以て貴しとなす という有名な言葉は、仏教の渡来・流入の社会変動の結果、物部宗家を滅ぼした戦乱(丁未の乱)を越えて、神仏に守られた平和な国家を築こうとする新しい思想を表現したコトバであったと思います。

そしてそれをカタチにしたのが四天王寺。

四天王寺の核心は転法輪石(てんぽうりんせき)

転法輪石を中心に「東西南北」の方位を意識した伽藍は 日出づる処 の国家観を、お釈迦様が説く転法輪と融合させています。

秋分・春分の朝、伽藍中央の転法輪石の真東の方向、つまり四天王寺の金堂と五重塔の中心から、まるで「飛び立つ鳥」のように太陽が昇ります。

金堂と五重塔の伽藍中央の転法輪石(2025年8月盂蘭盆会で撮影)

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この現在の転法輪石の下に、古代太陽祭祀に関連していたと考えられる、四天王寺以前の「イワクラ」が埋まっています。

上面が平らなカタチは、イワクラの中でも神様に捧げる神饌(しんせん)を載せる御饌石(みけいし)と考えられます。

古い転法輪石(側石をとったところ)(大阪市文化財保護委員会1967)

聖徳太子は、

・東西が稲作弥生時代が伝統的に重視してきた太陽の軌道方位、

・これに新しく(大陸国家の概念である)南北の方位を加えて、

あまねく世の中心に転法輪石を置き、四天王寺の核心としたものと考えられます。

七福神の中で、聖徳太子に例えられる毘沙門天(クベーラ、転じて金毘羅)は、北を守護するインド生まれの神様です。

極楽門(西大門)に4つある転法輪(参拝者がくるくる回します)

姫巫女・推古天皇の日祀(ひまつり)

私は四天王寺が創建される前、ここには一体何があったのか、いつも考えています。

敏達天皇(第30代)の皇后、聖徳太子の叔母で、姫巫女(ヒメミコ)でもあった推古天皇(第33代)が主催する 日祀(ひまつり、日奉) の儀式がここで行われていたのではないかと推理しています。

推古という名は後世に付けられた名で、治世の当時は 豊御食炊屋姫(とよみけのかしきやひめ) といわれていました。

「神様(太陽神)に捧げるお米を炊く姫様」と言うほどの意味でしょうか。

太陽信仰と稲作が結びついたお名前で、秋分ころは収穫されたばかりのお米を聖なる水で炊き、秋〜冬に向けて弱まり行く太陽に復活のエールを送る儀式を執り行っていた姿を想像してしまいます。

そんな太陽祭祀(古神道)のこん跡が西門の石鳥居なのではないでしょうか。

石鳥居周辺は、中世(鎌倉期)には、庶民も、熊野詣での皇族貴族も隔てなく、西方極楽浄土を想う場へと変わって行きました。

よく考えてみると、封建的な身分社会の中では奇跡的な話ですね。

石鳥居を舞台にした弱法師(よろぼし)などの純日本仏教的な物語(謡曲)と相まって広く世の中に、そして人の心に深く浸透してゆきました。

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時代時代で信仰は言霊(ことだま)を伴って少しずつ変わって行くものですが、長い歴史の中で小さな変化を繰り返すうちに、本来の意味(古神道)が忘れられてゆくというのは、歴史の中では「あるある」な話です。

しかし埋もれた中から、わずかな記憶のこん跡を見つけ出せるとするならば、それが「さいもん」の「さい」であると考えるのです。

そんなことを考えながら、2025年の秋分の日・秋のお彼岸の中日の「日想観、じっそうかん」の法要に参加させていただきました。

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*1:中国では西をシーと発音します




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