近鉄上本町駅ビル屋上の #磐船大明神。今は近鉄グループの氏神様として崇敬されています。創建は #弥生時代 出雲の #下照姫 に関連付けられ #生駒の天照山(生駒の大鳥) の真東に位置する重要な社と考えています #2025年秋分の日
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本文
磐船大明神(近鉄上本町駅ビル屋上)

摂津国風土記逸文の「高津、こうづ」に登場する 磐船山 のこん跡が、近鉄上本町駅ビル屋上の磐船大明神。

昭和七年の駅拡張によって、東高津宮(元高津、仁徳天皇社)は、境内の磐船大明神とともに現在地(天王寺区東高津町)に移転したのですが、
おそらく近鉄大阪線の起点近くに磐船大明神の祠が残され、戦後、近鉄百貨店ビルが建築された時に屋上に磐船大明神が残されたものと考えられます。
屋上の一角の小さな祠ですが、当社は今では駅ビルおよび近鉄大阪線、もっというと近鉄グループの氏神様として崇敬されています。

このブログを始める前、十年近く前の話ですが、地元(大阪夕陽丘)の歴史考察を本格的に始めた頃、東高津宮の御由緒を見て、何かこん跡がないかと付近をウロウロしていて何の手掛かりも得られなかったことがあるのですが、まさか、ビルの屋上にあったとは!!当時の自分に教えてやりたい気分です😀

生駒の大鳥(木股)の天照山の東

磐船大明神は私が 生駒の大鳥(木股)と呼ぶ、弥生時代の下照姫が遥拝したであろう天照山のほぼ真東に位置します。
稲作弥生時代は田植えの始まり・春分の日と、収穫の始まり・秋分の日を測り知らせることが王家の重要な役割で、
下照姫はオオクニヌシの娘の姫巫女(ヒメミコ*1)として天照山から昇る朝の太陽を目印に二至(春分・秋分)を測っていたものと考えられます。
その根拠をお見せしましょう。
秋分の日に近い、本日2025年9月21日の日の出の方向(右側ライン)です。
本日から明後日の秋分の日の朝まで、磐船大明神から、ちょうど天照山山頂の方角に、朝の昇る太陽を拝むことができます
(残念ながら商業ビル内のため一般人はその時間帯に磐船大明神に参ることはできませんが)


それにしても近鉄大阪線。ちょっと面白いですね。
この路線は、二上山の麓を通って、桜井の三輪山・長谷寺、最終的には伊勢神宮に通じています。
伊勢の天照大神を筆頭に、この国の原点である太陽信仰に関わる史跡(伊勢街道)を通っていることにあらためて気付かされます。
このあたりはまた別の機会にまとめておきたいと思います。
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緯度的には上本町駅から近い産湯稲荷神社の近くの「磐船山の碑」が、生駒の大鳥(木股)の中央・天照山〜枚岡神社本宮(神津嶽)の真東になりますが、
東西南北の方位が正確に測られるようになったのは江戸期であるため、磐船山の碑は江戸期に置かれたものと考えられます。
摂津國風土記逸文・高津伝承の磐船山と天照山を関連付けた(私と同じような)人物がいて碑を置いたものと推測されます。

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仁徳天皇の難波高津宮の考察シリーズ、次回(最終回)に続きます。
*1:王統の姫は皇女または内親王と呼ばれかつては伊勢斎王として伊勢神宮の天照大神に奉仕しました