以下の内容はhttps://www.zero-position.com/entry/2025/01/27/152441より取得しました。


【弥生 三島の国】溝咋玉櫛姫と事代主の婚姻と媛蹈鞴五十鈴媛【神話と史実の間】

紀元前の弥生時代に繁栄した #三島のクニ(大阪府茨木市~高槻市)について2024年8月に何回か紹介しましたが、1本のyotube動画にまとめました。 よかったらご覧ください。今回はAI音声を挿入しております👍

目次

本文

玉櫛姫と事代主の婚姻(yotube動画)

https://youtu.be/U3rohy7GFko

youtu.be

動画の説明

茨木市文化財資料館は、阪急南茨木駅から東に徒歩5分。 縄文時代から続き、弥生時代に発展した東奈良遺跡の中心にあります。

東奈良遺跡は、複数の環濠と居住域、水田、墓域のほか、銅鐸などの金属精錬(たたら)とガラス製品づくりの工房を持つ、弥生時代の大規模集落でした。

今の茨木市街の様子からは想像することは難しいですが、弥生時代には淀川の活発な土砂堆積で瀬戸内海の沿岸部となり、海上交通の一大拠点と化し、港湾都市三島のクニとして発展しました。

三島溝咋耳(みしまのみぞくいみみ)の時代がクニの最盛期で、娘の玉櫛姫(たまくしひめ)を姫巫女(ひめみこ)に、稲作豊穣とクニの発展を祈る「太陽の祭り」が盛んに行なわれたこん跡が出土品からうかがえます。

活玉依姫(いくたまよりひめ)とも称される玉櫛姫は、出雲の事代主(ことしろぬし)と婚姻し、初代神武天皇の皇后として三輪山祭祀を始めた媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)や、大和葛城の鴨族(賀茂氏)の祖となった天日方奇日方(あまひかたくしひかた)を生みます。

このロイヤルファミリーの血脈は三島溝咋神社 御由緒、日本書紀(神代巻)、そして出雲伝承(斎木雲州氏)においてあらかた一致しています。

これらの話を「神話」ではなく「史実」とするならば、日本の歴史のミッシングリンク、弥生古代史を考えるとき、重要な「カギ」になると考えられます。

参考資料(ブログ過去記事)

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

www.zero-position.com

ブログランキング・にほんブログ村へポチっとお願い




以上の内容はhttps://www.zero-position.com/entry/2025/01/27/152441より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14