ただひたすら楽しく読ませるうちに、読む人を打ちのめす作品を書くのは石田夏穂(いしだ・かほ)だ。『黄金比の縁』(集英社 一五〇〇円+税)は、就職採用試験に臨む人事部の女性の話。

 ㈱Kエンジニアリングで働く小野(おの)は、十年前に不本意な辞令で人事部勤務となり、その復讐のために会社の不利益になる人間の採用を心掛けている。といっても仕事ができなそうな人間ではなく、優秀そうな人間をあえて採用するのだ。そういう人はさっさと転職するからである。さまざまな採用基準を試して彼女がたどり着いたのは、顔の縦と横の黄金比が整っている人を選ぶ、というもの。

 その顚末(てんまつ)も十二分に面白いのだが、とにかく合理的に行動しようとする主人公の、ややひねくれた、細かく、かつ身近で的確な比喩(ひゆ)表現を交えた語りが楽しくてたまらない。会社への復讐のためにせっせと働いているのに、結果的に有能な人事部社員になっている様子も可笑(おか)しい。主人公がボディ・ビル大会出場を目指すデビュー作『我が友、スミス』もそうだったが、本作でも人が人を選ぶことのあやふやさ、理不尽さを突き付けてくる展開で読ませる。文章力、観察眼、社会への違和感の掬(すく)いとり方、すべてが魅力的な作家である。

 今年『植物少女』で三島由紀夫賞を受賞した朝比奈秋(あさひな・あき)の新作『あなたの燃える左手で』(河出書房新社 一六〇〇円+税)は、個人的で特殊な体験が、今世の中で起きていることと壮絶なレベルでシンクロしていく内容だ。


 主人公はハンガリー在住の日本人男性アサトである。左手に違和感を抱いたところ切断が必要と診断されて手術を受けるが、後に誤診だったと判明。ないはずの左手の幻肢痛(げんしつう)に悩まされ、移植手術を薦められて新たに接合されたのは、白人男性の左手だった。

 手を失った時期、移植してからの日々の身体感覚と精神状況が克明に語られていく。著者が医師なだけに、医療現場の細かな描写も非常にリアルに感じられる。これまでの作品同様、人間の心と身体の関係が大きなテーマだといえるが、先述の通り、本作はそれだけではない。

 アサトの妻ハンナはウクライナ出身でロシアのクリミア併合を体験している。物語はロシアによる今回の侵攻の前夜から始まっており、不穏な空気が漂っている。そうした描写のなかで、身体の切断と接合が引き起こす苦痛が、国のそれと恐ろしいほど重なっていく。国境をもたない島国の人間と大陸の人間の感覚の違いや、移植片の量が少ないほど拒絶反応が起こりやすいことを戦争における大国と小国の関係と対比させるなど、怒濤(どとう)の勢いでこの世の中のありようが語られて圧倒する。凄まじい一作だ。

 こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』(小学館 一七〇〇円+税)は、今じわじわと注目を集めている作品である。


 人付き合いが不得意な依子(よりこ)は、中学校の教室に馴染(なじ)めない。親しかったさきちゃんはクラス替えで離れ離れになってから、依子を避けているようだ。そのため依子は日々、ひとりで空想の世界に浸っている。ある時から学校外で同級生の伊藤(いとう)さんと言葉を交わすようになるが、教室での伊藤さんは依子が苦手な女子グループにいるため近づけない。

 実は、さきちゃんも伊藤さんも、友達関係で悩みがないわけではない。そんな少女たちの心情が繊細に綴(つづ)られていく連作集である。

 素晴らしいのは、人と人が親しくなり、距離が縮まることを称賛する話ではない点だ。作中でも言及されるゴルディロックスゾーンとは宇宙関係の分野で使われる用語だそうだ。生命が生存や進化可能な領域のことで、それには他の恒星から遠すぎず、近すぎないことが肝要だ。教室内の人間関係だって、近ければいいというわけではなく、互いにとってちょうどいい距離があるはずだと教えてくれる。真摯に、丁寧(ていねい)に、じっくりと思春期の少女たちと向き合った筆致に、終盤は涙、涙。


■瀧井朝世(たきい・あさよ)
フリーライター。1970年東京都出身。文藝春秋BOOKS「作家の書き出し」、WEB本の雑誌「作家の読書道」ほか、作家インタビューや書評などを担当。著書に『偏愛読書トライアングル』『あの人とあの本の話』『ほんのよもやま話 作家対談集』、編纂書に『運命の恋 恋愛小説傑作アンソロジー』がある。

紙魚の手帖Vol.12
ほか
東京創元社
2023-08-12



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