出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/17 22:44 UTC 版)
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2015年7月)
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| SUPERCAR | |
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| 出身地 | |
| ジャンル | |
| 活動期間 |
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| レーベル |
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| 公式サイト | スーパーカー - SonyMusic |
| 旧メンバー | |
| SUPERCAR | |
|---|---|
| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2022年9月9日- |
| ジャンル | 音楽 |
| 登録者数 | 1.43万人 |
| 総再生回数 | 722,797回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2023年2月28日時点。 |
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SUPERCAR(スーパーカー)は、日本のロックバンド。活動期間は1995年 - 2005年。
ギター、作詞担当。青森県十和田市出身。愛称は「ジュンジ」。初期は本名の石渡淳治名義で活動していた(作詞時も同名義を使用していた)。
解散後は音楽プロデューサー、作詞家として活動しており、チャットモンチーや9mm Parabellum Bulletのサウンドプロデューサー、NONA REEVESやSUEMITSU & THE SUEMITHなどの作詞提供、『ROCKIN'ON JAPAN』(ロッキング・オン)での連載などを手掛けている。
ドラムス担当。青森県十和田市出身。愛称は「コウダイ」。解散後はaM™[aem]として活動し、他アーティストのプログラミング、プロデュース、グランツーリスモ5、グランツーリスモ6への楽曲提供等も行っていた。音楽活動を継続しつつ、2014年より青森県十和田市で一般職に就いている。
1995年、当時八戸市で寮生活を送っていた石渡が同市内の「楽器の文明堂」(既に閉店)に貼られていたバンドメンバー募集の張り紙に興味を持ち、そのバンドに連絡を取る。しかし一向に動きがみられなかったため、石渡が小学校時代からの幼馴染の中村と中学時代に野球部でバッテリーを組んでいた田沢を誘い、そこに張り紙を貼ったバンドのメンバーだった古川を逆に招く形で結成。バンド名は石渡が命名した[1]。
同年の夏に初めて曲を作り、地元の「ビートルズマニアのおじさん」の家で5曲ほど録音したデモテープを秋にソニー・ミュージックのオーディションに応募したところすぐに返事が来る[2]。しかしデビュー契約ではなくスタジオ代を応援する旨の契約だった(いわゆる育成期間)。確実にプロになれる保証もなかったためメンバーは進路についてかなり悩んだが、ほとんどが進学や仕事を辞め音楽に専念する道を選ぶ。石渡は高専に通っていたため、彼のみ学校に通いながらバンド活動をしていた[1]。石渡がなぜ自分たちを通してくれたのかソニーの新人開発担当に聞いたところ、「字がきれいだったから」と言われたという。
1年間の育成期間を経て1997年4月にレコーディングを始め、同年9月21日にエピックレコードジャパン内のレーベル兼事務所「dohb discs」(ドーブ・ディスクス)からシングル「cream soda」でデビュー。デビューするまでライブ経験は無かった。同時期に登場したナンバーガール、中村一義、くるりらとともに「'97の世代」と呼ばれ、新世代のオルタナティヴ・ロックバンドとして注目される。翌1998年3月に石渡が高専を卒業し、4月1日に初のアルバム『スリーアウトチェンジ』をリリース。初動の売り上げは10万枚程度だったものの、長期に渡って売り上げを伸ばし実売は20万枚弱になる。この頃には当時勢いのあったバンド、TRICERATOPSなどと一緒に「スニーカー系」と呼ばれた。
デビュー当初はディレクターとメンバー4人でチームを作ってバンドの運営を行っており、ミュージックビデオ制作もそのチームで行っていた。またいわゆる「地元在住ミュージシャン」のはしりでもあり、レコーディングやプロモーションの際に上京するというスタイルで活動していた。東京ではホテル生活だったが、滞在期間を短くするために過密なスケジュールを組んでいたため、長い時には40連泊したこともあったという[1]。1999年の正月に上京。
2000年に発表された3作目のアルバム『Futurama』からはエレクトロニカを取り入れるようになる。これについて中村は具体的にROVOやコーネリアスからの影響を挙げている。シングル「YUMEGIWA LAST BOY」には、エレクトロニカ、エレクトロサウンドを得意とするプロデューサー、砂原良徳を起用。その次のシングル「AOHARU YOUTH」、アルバム『HIGHVISION』『ANSWER』には益子樹(ROVO、DUB SQUAD、ASLNなど)をプロデューサーに起用している。サウンドとリンクするように彼らは映像面でも田名綱敬一、宇川直宏などといった映像作家とのコラボレーションも行った。
2005年2月26日にSTUDIO COASTにて行われたラストライブをもって解散。解散理由は公表されていないが、後日雑誌インタビューで石渡は、活動後半からエレクトロサウンドに特化され始め詞より曲派の中村・古川と、詞を大切にしたい石渡とで方向性にズレが生じ始めたと語っている。
2011年、中村の監修による過去の音源の再構築アルバム『RE:SUPERCAR -redesigned by nakamura koji-』、後に『RE:SUPERCAR 2-redesigned by nakamura koji-』をリリース。
2017年9月21日のデビュー20周年を記念し、オリジナルアルバム5作がアナログ化され順次リリースされた。さらに2018年4月には初のオールタイム・ベストアルバム『PERMAFROST』がリリースされた。
2022年、公式YouTubeチャンネルが開設され、これまでのMVを順次公開している。
| タイトル | 発売日 | 規格品番 | ||
|---|---|---|---|---|
| 1st | cream soda | 1997年9月21日 | ESCB-3220 | |
| 2nd | Lucky | 1997年12月12日 | ESCB-3222 | |
| 3rd | PLANET | 1998年3月1日 | ESCB-3225 | |
| 4th | DRIVE | 1998年5月21日 | ESCB-3227 | |
| 5th | Sunday People | 1998年9月30日 | ESCB-3229 | |
| 6th | My Girl | 1999年2月3日 | ESCB-3236 | |
| 7th | Love Forever | 1999年5月12日 | ESCB-3238 | |
| 8th | FAIRWAY | 2000年2月2日 | ESCB-3246 | |
| 9th | WHITE SURF style 5. | 2000年10月12日 | KSC2-350 | |
| 10th | Strobolights | 2001年5月23日 | KSC2-383 | |
| 11th | YUMEGIWA LAST BOY | 2001年11月21日 | KSCL-419 | |
| 12th | AOHARU YOUTH | 2002年2月6日 | KSCL-435 | |
| 13th | RECREATION | 2003年2月14日 | KSCL-496 | |
| 14th | BGM | 2003年11月19日 | KSCL-630:CCCD KSCL-962:CD |
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| 15th | LAST SCENE | 2004年1月28日 | KSCL-640:CCCD KSCL-965:CD |
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| 16th | WONDER WORD ep | 2004年4月28日 | KSCL-684:CCCD | |
| リミックスシングル | ||||
| 1st | RECREATION REMIX | 2003年5月2日 | KSCL-544 KSCL-956 |
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| 12inchシングル | ||||
| 1st | YUMEGIWA LAST BOY/AOHARU YOUTH | 2002年2月22日 | SYUM-218 | <収録曲> <SIDE A> 01. YUMEGIWA LAST BOY 02. Strobolights Remix (Remixed by Y. Sunahara) <SIDE B> 01. AOHARU YOUTH 02. Strobolights Remix (Remixed by DUB SQUAD) |
| タイトル | 発売日 | 規格品番 | |
|---|---|---|---|
| 1st | スリーアウトチェンジ | 1998年4月1日 (CD) 2017年10月25日 (LP) |
ESCB-3226:CD MHJL-23:LP |
| 2nd | JUMP UP | 1999年2月10日 (CD) 2017年12月20日 (LP) |
ESCB-3237:CD MHJL-29:LP |
| 3rd | Futurama | 2000年11月22日 (CD) 2017年12月20日 (LP) |
KSC2-362:CD MHJL-30:LP |
| 4th | HIGHVISION | 2002年4月24日 (CD) 2018年3月28日 (LP) |
KSCL-450:CD MHJL-32:LP |
| 5th | ANSWER | 2004年2月25日 (CCCD) 2004年4月28日 (LP) 2018年3月28日 (再発LP) |
KSCL-648:初回生産限定盤CCCD KSCL-649:通常盤CCCD SYUM-2623:LP MHJL-33:再発LP |
| タイトル | 発売日 | 規格品番 | 収録曲 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| OOKeah!! | 1999年5月15日 (LP) 1999年8月21日 (CD) |
SYUM-0102:LP ESCB-3243:CD |
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| OOYeah!! | 1999年8月21日 (CD) 1999年9月10日 (LP) |
ESCB-3244:CD SYUM-0121:LP |
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| LIFE IN TOKYO DOHB 1997~2000 | 2000年6月28日 | KSJ2-6040 | 完全生産限定盤 8EP+3LP dohb discs時代にリリースした全シングル・オリジナルアルバムをアナログ化したボックス・セット。 |
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| スリーアウトチェンジ 10th Anniversary Edition | 2007年4月4日 | KSCL-1134 | ||
| RE:SUPERCAR 1 -redesigned by nakamura koji- | 2011年4月20日 | KSCL-1755:初回生産限定盤 KSCL-1757:通常盤 |
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iLLのナカコーによる新たなアレンジ構成で作成されたコンセプトアルバム。 |
| RE:SUPERCAR 2 -redesigned by nakamura koji- | 2011年6月15日 | KSCL-1790:初回生産限定盤 KSCL-1792:通常盤 |
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| タイトル | 発売日 | 規格品番 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1st | 16/50 1997〜1999 | 2003年2月14日 | KSCL-508 | ファンの投票によって構成されたベスト盤。 |
| 2nd | A | 2005年3月24日 | KSCL-765 | シングル曲のA面曲を集めたベスト盤。リミックスシングルは未収録。 |
| 3rd | B | 2005年3月24日 | KSCL-766 | シングル曲のB面曲を集めたベスト盤。 |
| 4th | PERMAFROST | 2018年4月25日 | KSCL-30036:初回生産限定盤 KSCL-30038:通常盤 |
デビュー20周年を記念したオールタイム・ベストアルバム。 |
| タイトル | 発売日 | 規格品番 | |
|---|---|---|---|
| 1st | P.V.D | 1999年11月3日 2002年11月20日 |
ESVU-518:VHS KSBL-5744:DVD |
| 2nd | P.V.D2 | 2002年11月20日 | KSVL-5062:VHS KSBL-5742:DVD |
| 3rd | HIGH BOOSTER+U.N VJ Works | 2002年11月19日 | KSBL-5752:DVD |
| 4th | LAST LIVE 完全版 | 2005年6月29日 | KSBL-5810:DVD |
| 5th | P.V.D COMPLETE 10th Anniversary Edition | 2007年4月4日 | KSBL-5844:DVD |
| タイトル | 発売日 | 規格品番 | 収録曲 |
|---|---|---|---|
| RESPECTABLE ROOSTERS a tribute to the roosters | 1999年4月10日 | COCP-50061 | 9. Case Of Insanity |
| Fine Time A Tribute to NEW WAVE | 2004年2月25日 | KSCL-646 | Disc 2-5. Searching For Mr.Right |
| FILM BEAT #1 | 2004年9月22日 | VICL-61505 | 4.YUMEGIWA LAST BOY |
| Ki/oon Records Overseas Compilation | 2005年4月27日 | KSCL-815 KSCL-817 |
6.Recreation |
| グッド・モーニング | 2008年05月21日 | MHCL-1298 | 11.YUMEGIWA LAST BOY |
| ソラニン songbook | 2010年04月21日 | KSCL-1576 | 7.Lucky |
| SPIRITS 30 ビッグコミックスピリッツ創刊30周年記念 TV & Movie テーマソング集 | 2010年05月26日 | BVCL-97 | DISC2-2.YUMEGIWA LAST BOY |
| 使用年 | 曲名 | タイアップ |
|---|---|---|
| 1997年 | Lucky | NHK-FM『ミュージック・スクエア』1997年12月・1998年1月度オープニングテーマ |
| 1998年 | DRIVE | テレビ朝日系『少年少女B』エンディングテーマ |
| 1999年 | My Girl | NHK-FM『ミュージック・スクエア』1999年2月・3月度オープニングテーマ |
| Flicker | ミノルタ「VECTIS2000」CMソング[注 1] | |
| 2001年 | Strobolights | NEC「VALUESTAR」CMソング |
| YUMEGIWA LAST BOY | テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』2001年12月度エンディングテーマ | |
| 2002年 | AOHARU YOUTH | テレビ東京系『麻布コネクション』2002年2・3月エンディングテーマ |
| テレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』2002年2月オープニングテーマ | ||
| Strobolights | NEC「LaVie C」CMソング | |
| アスミック・エース配給映画『ピンポン』挿入歌 | ||
| YUMEGIWA LAST BOY | アスミック・エース配給映画『ピンポン』主題歌 | |
| Free Your Soul | アスミック・エース配給映画『ピンポン』挿入歌 | |
| Changes | ||
| Baby Once More | ||
| 2003年 | RECREATION REMIX mixed by Satoshi Tomiie | 資生堂「ANESSA」CMソング |
| HIRAMEKI INSPIRATION | トヨタ「ネッツ店」CMソング | |
| 2005年 | STORYWRITER | MBS・TBS系アニメ『交響詩篇エウレカセブン』挿入歌(2005年 - 2006年) |
| 2007年 | Strobolights | キリンMCダノンウォーターズ「ボルヴィック フルーツキス レモン」CMソング |
| STORYWRITER | PlayStation 2用ゲーム「Another Century's Episode 3 THE FINAL」収録曲 | |
| 2008年 | PlayStation 2用ゲーム「スーパーロボット大戦Z」収録曲 | |
| 2010年 | BGM | テレビ東京系 ドラマ24『モテキ』第1話モテ曲 |
| 2011年 | AOHARU YOUTH[注 2] | 「弁護士法人 法律事務所 MIRAIO」CMソング |
| Strobolights | iida「INFOBAR」CMソング | |
| 2019年 | PLANET | バリアフリー・フィルム・パートナーズ配給映画『リスタート:ランウェイ〜エピソード・ゼロ』エンディングテーマ |
| 放送年 | 曲名 | ヘビーローテーション/パワープレイ |
|---|---|---|
| 1998年 | Sunday People | スペースシャワーTV 1998年9月度POWER PUSH! |
(supercar から転送)
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スーパーカー(supercar)とは、自動車のカテゴリのひとつである。主に高性能、高価格で特徴的なデザインのスポーツタイプの自動車に用いられる呼称だが、厳密な定義はない。
スーパーカーに具体的な定義はなく、広辞苑では「高出力・高性能で、特徴的なデザインのスポーツカー」と説明している[1]。大辞泉では「性能・美しさ・装備のよさ、価格などで並の自動車を超えた車。スポーツカーの中でも特に大型、強力で、手作りに近いもの」と説明している[2]。
定義としては最高速度が高いこと、エンジンの搭載位置がミッドシップであること、2シーターであることなどが挙げられる場合があるが、人によりその定義が曖昧であるため、スーパーカーか否かの議論になることがある[3]。
類似する言葉として「スーパースポーツカー[4]」や「ハイパーカー」などの呼称も存在しているが、これもスーパーカー同様、定義は曖昧なものになっている[5]。
スーパーカーという言葉を自動車メーカー自らが使用する場合もあり、フェラーリは通常モデルではなく限定モデル等にスーパーカーという呼称を使用している[6]。ランボルギーニもスーパーカーという呼称を使用しているが[7]、同時に「スーパースポーツ」という呼称も使用している[8]。一方でポルシェやブガッティは主に「スーパースポーツカー」という呼称を使用している[9][10]。
スーパーカーと呼ばれる車種の多くは、エンジンや運動性能を優先した設計、構造になっている。そのため荷物を積むラゲッジスペースなども重量バランスを考慮し、車体の中央近くに配置することもあり、その限られたスペースのため実用性に乏しくなる場合もある[11]。座席数は2つ(2シーター)が多いが、サヴェージ・リヴァーレ・ロードヨットGTSのような4シーターであるがメーカーがスーパーカーを自称する車種も存在する[12]。
量産される一般的なスポーツカーに比べ生産台数は極端に少なく、2桁の台数しか生産されていない車種もある[13]。メーカーがブランドイメージの低下を避けるため、意図的に生産台数を制限している場合もあり、フェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリは「求められる台数より1台少なく作る」と発言したとされ、ロードカーとして販売されたエンツォ・フェラーリは概算の顧客350人に対して349台しか製造されなかった[14]。一方で、大量生産ではコスト的に難しい特別仕様車を設定することが可能なため、パガーニ・アウトモビリのように顧客の要望に合わせたワンオフモデルを受け付けているメーカーもある[15]。限定モデルは特に高額なことから、F40は「走る不動産」とも呼ばれた[16]。限定品であるため希少性が高いことから新車よりも高額で売買されることがあり、資産運用の手段としても用いられるなど、美術品や工芸品のような扱いを受けている[17]。
スーパーカーを生産する自動車メーカーは、生産する車種のすべてをスーパーカーとしている訳ではなく、フェラーリやランボルギーニではスポーツ性能と実用性の両面を重視した4人乗り以上のGTカー[18]やSUVを生産している[19]。
スーパーカーの定義が曖昧であるが故、軽自動車やダンプカーにも誇張表現として「スーパーカー」という単語が使われる場合もある[20][21]。
ここではメーカーにより「スーパーカー」や「スーパースポーツカー」と言及されている車種の一例を示す。
フェラーリは、288GTO、F40、F50、エンツォ・フェラーリ 、 ラ フェラーリなどのスペチアーレ系車種をスーパーカーとしている[22][23]。
ランボルギーニはカウンタック、ディアブロ、ムルシエラゴ、アヴェンタドールなどを「スーパーカー」または「スーパースポーツカー」としている[24][25][26][27]。
ポルシェは 911ターボ、959、911 GT1、カレラGTなどの車種を「スーパースポーツカー」としている[28]。
この他ではケーニグセグ・CCX、パガーニ・ゾンダ、マクラーレン・F1、レクサス・LFA等の車種が、メーカーにより「スーパーカー」と言及されている[29][30][31][32]。
モータースポーツで使用されるレーシングカーもスーパーカーと呼称される場合があり、日本では2014年からグループGT3の車両をメインカテゴリとするスーパーカーレースシリーズが開催されていた[33]。
オーストラリアではスーパーカーズ選手権(旧称「V8スーパーカー」)というツーリングカーレースが存在する[34]。
また、世界ラリークロス選手権ではトップカテゴリー・クラスの車両をスーパーカーと呼称していた[35]。
日本では、1975年1月から週刊少年ジャンプで連載された漫画『サーキットの狼』(作:池沢さとし)などの影響で、当時の子どもたちを中心にスーパーカーの一大流行、いわゆる「スーパーカーブーム」が巻き起こった[36][37]。その中でも代表的な車種として、ランボルギーニ・カウンタック、フェラーリ・512BB、ポルシェ・911ターボ、ロータス・ヨーロッパ、ランチア・ストラトスなどが人気の存在であった[38]。
ブーム当時の日本では、車の購買層ではない低年齢層へのプロモーションとして、コカ・コーラの瓶の王冠の裏に車が描かれていたり[39]、プラモデル、下敷き、筆箱、メンコ、写真集、ポスター、カード類、自転車、スーパーカーの排気音や動作音を収録したレコードなど、数多くのスーパーカーに関連付けた商品が発売された[40]。中でも人気を誇ったのがスーパーカー消しゴムと呼ばれるプラスチック製のミニチュアで、消しゴムという商品名ゆえ学校に持ち込んで遊ぶ生徒も多くいた[36][41][3]。
テレビでもブームに便乗した番組が製作され、1977年の夏からは東京12チャンネル(現:テレビ東京)で、スーパーカーに関するクイズ番組『対決!スーパーカークイズ』が放送された。テレビアニメでは1976年の『マシンハヤブサ』を先駆けとして、1977年になると『とびだせ!マシーン飛竜』『超スーパーカー ガッタイガー』『激走!ルーベンカイザー』『アローエンブレム グランプリの鷹』が放映された[42][43][44]。児童向けマンガの世界でもすがやみつるが「『スーパーカーブーム』の柳の下のドジョウを狙った」という『ひみつ指令マシン刑事999』の他、ブームの渦中の1977年にすがやが連載スタートした4作品はいずれも自動車が題材であった[45]。
ブームは過熱の様相を見せ、全国各地においてスーパーカーの展示会が行われた。1977年春に東京・晴海で行われたスーパーカーショー「スーパーカー・世界の名車コレクション77」では、4日間で46万人もの来場者があったといわれ、各メディアによってその人気が報じられた[3]。同年7月には同じく晴海で「ラ・カロッツェリア・イタリアーナ'77」というイベントが開催され、各国のカロッツェリアにより多くのコンセプトカーが展示された[46]。
ブーム当時はスーパーカー見たさに販売店に通ったり、大通りでカメラを持ってスーパーカーを待ち構える子どもたちが多く見られた。シーサイドモーターなどの有名なスーパーカーショップでも、休日になるとカメラを持った子供たちが押し寄せていたという[3]。これを受けて自転車業界はスーパーカーのデザインを取り入れたジュニアスポーツ車(通称スーパーカー自転車)を発売し人気となった。
しかし、1977年後半ごろからスーパーカーショーの入場者は次第に減っていき、子どもたちの興味はブルートレインへと移っていった[37][47]。1979年に『サーキットの狼』が連載を終了し、1980年にはシーサイドモーターが倒産するなど、1970年代の一連のスーパーカーブームは終焉を迎えた[38]。梶原一騎はスーパーカーブームに当て込んで実写映画『マッハ'78』を製作したが、公開はブーム終焉後の1978年2月で、興行成績は今ひとつであったという[48]。
1970年代のスーパーカーブーム終焉から10年ほど経過した1980年代末、日本は空前のバブル景気に突入する。スーパーカーは不動産と同じく投機目的で購入され、プレミア価格で転売される状況となっていた。例として、新車価格が4,500万円のフェラーリ・F40は、一時期2億5,000万円まで価格が高騰した[3]。
この時期におけるブームは「第二次スーパーカーブーム」とも呼ばれ、1970年代のブームが子ども中心であったのに対し、このブームでは商売目的の大人が中心となった[3]。
バブル景気下では日本企業もスーパーカーに興味を持ち、ヤマハはF1用のエンジンを搭載したOX99-11を、ワコールの出資で設立されたジオット・デザインは童夢が開発を担当したジオット・キャスピタを発表するに至った[49][50]。
その後、1990年代のバブル崩壊とともにこのブームは終焉を迎えることになる。スーパーカーを販売する自動車メーカーには注文のキャンセルが相次ぎ、OX99-11とジオット・キャスピタも販売計画が撤回され、市販されることはなかった[49][50]。
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「MotorStorm3 〜モーターストーム3〜」の記事における「Super Car」の解説
スーパーカー。最高速や加速に優れているが、オフロードに弱いうえに曲がるときにスピンしやすい。また、水たまりでは減速してしまう。
※この「Super Car」の解説は、「MotorStorm3 〜モーターストーム3〜」の解説の一部です。
「Super Car」を含む「MotorStorm3 〜モーターストーム3〜」の記事については、「MotorStorm3 〜モーターストーム3〜」の概要を参照ください。
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