| 基盤岩類が地表に露出し、安定した平たんで広大な面積を持つ地域。カナダたて状地、ブラジルたて状地、バルトたて状地などがあり、実例の多くは先カンブリア時代の岩石類からなる。 |
| アルファ線: | 紙、ビニール |
| ベータ線(β線): | アルミニウムなど薄い金属、または厚めのプラスチック等 |
| ガンマ線(γ線): | 鉄、鉛、コンクリート(放射線エネルギーによって厚さが異なる) |
| 中性子: | 水やパラフィン(ろう)など水素、酸素などの元素を多く含むもの |
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/09 03:37 UTC 版)
| S.H.I.E.L.D. | |
|---|---|
| 出版情報 | |
| 出版社 | マーベル・コミック |
| 初登場 | 『ストレンジ・テイルズ』#135(1965年8月) |
| 製作者 | スタン・リー ジャック・カービー |
| 物語内 | |
| 組織の種類 | 情報機関 執行機関 |
| 本拠地 | ヘリキャリア トリスケリオン |
S.H.I.E.L.D.とは、マーベル・コミックに登場する架空の組織[1]。時代や登場作品によって差異はあるが、スーパーヒーローを管理する国家組織として描かれている。『ストレンジ・テイルズ』第135号(1965年8月)でスタン・リーとジャック・カービーにより創造された。
組織名の「S.H.I.E.L.D.」は、初登場時には「Supreme Headquarters, International Espionage, Law-Enforcement Division(最高司令部及び国際情報局法執行部)」のアクロニムであるとされていたが[2]、1991年に「Strategic Hazard Intervention Espionage Logistics Directorate(戦略危機介入諜報配備司令部)」に変更された。
マーベル・シネマティック・ユニバースや、複数のアニメや実写のテレビシリーズでは、「Strategic Homeland Intervention, Enforcement and Logistics Division(戦略国土調停補強配備局)」の略であるとされている[2]。
S.H.I.E.L.D.はニコラス・ジョセフ・フューリーによって第二次世界大戦後に創設されたが、フューリーはアイデアを捨て、合衆国政府はこんな機関の成立を推進しないだろうと感じて隔離された機関に草案を残したままにした。しかしこの頃の不特定の時点で国際連合をベースにした国際グループがフューリーの与り知らぬ所でアイデアを掘り起こした。彼は事務局長(機関のNo.2)に起用されるまでS.H.I.E.L.D.の存在を知らなかった。
通常はニック・フューリー事務局長によって(ただし彼は彼も正体を知らない12名からなる評議会に指示を仰いでいる。)率いられているこの団体はしばしば外見上軍事的な組織として運営され、当初はアメリカ合衆国の傘下の団体として描かれていた。その後、S.H.I.E.L.D.は国連の管理下にあるという描写がなされ、国連総会の決議によって巨大な技術的リソースを自由に使え、加盟国に任務遂行のために入国する法律制定が存在することになった[3][4]。しかし、S.H.I.E.L.D.は国連ではなくアメリカ合衆国の管理下にあるというおそらく組織の架空の歴史を把握していない筆者による食い違った描写もある。例えば、アストニッシング・X-メン3号ではニック・フューリーはS.H.I.E.L.D.が虐殺事件に対して活動しないことについてアメリカ合衆国の国土で発生した事件ではないからと説明している[5]。
ゴジラがアメリカ合衆国をぶらつき大西洋に消えるまで、S.H.I.E.L.D.は下位組織としてゴジラを捕獲するためのゴジラスカッドを結成した。このユニットはダムダム・デュガンによって率いられ、レッドローニンと呼ばれる巨大ロボやベヒーモスとして知られているヘリキャリアの小型版を使用した。
S.H.I.E.L.D.独自の技術革新の一つ、LMD(Life Model Decoy)は、差し迫った殺害の危機において人々の代替となる極めて生物に近いアンドロイドであり、二つの大きな激変の発端となっている。一つ目はスーパーヴィラン・スコーピオが技術を盗み、ゾディアックと呼ばれるヴィランのチームの二代目を作り出したことである。もう一つはデルタイツといういくつかのLMDが知性を獲得し、主要メンバー達に成り代わって潜入し、フューリーが対峙するはめになったことである。この事件により、オリジナルの組織は解散に追い込まれ、同じ略称の別のタスクフォースに置き換えられた。
ミニシリーズ・シークレットウォーでのラトベリアでの悲惨な非公認の任務によって、フューリーは事実上長官の座を退き、彼の逮捕に国際的な懸賞金がかけられることになった。彼の最初の後継者は彼の親しい仲間からではなく、S.H.I.E.L.D.のヒエラルキーにとって正体不明の新参者マリア・ヒルだった。ヒルと合衆国大統領の間の会話を筆記したもの[6]によると彼女が長官の座についたのはフューリーに忠実な者たちを職から遠ざけ、スーパーヒーローコミュニティへの関わりを最小限にしようとする国連のコンセンサスがあったためである。大統領は合衆国民であるヒルにS.H.I.E.L.D.は国連に公認された組織だが、まずアメリカ合衆国に忠実であることを求めた。
合衆国超人登録法可決とそれに伴うスーパーヒーロー達のシビル・ウォーでは、S.H.I.E.L.D.が諜報員として施行を請負い、登録したスーパーヒーローの味方をした為にS.H.I.E.L.D.とスーパーヒーローコミュニティの間にさらなる政治的・倫理的軋轢を生み出た[7]。
紛争の終結に向け、ヒルは自分が失敗するような意図を伴って長官にさせられていたと結論し、自分は長官代理となりトニー・スタークに後任を頼んだ。スタークは任命を受け入れ、超人シビル・ウォーの締めくくりとして長官となり、イニシアチヴのシリーズを引き受け、アイアンマンアーマーのデザインをモチーフにした金と赤のヘリキャリアの建造や被雇用者の投書箱の構築などに取り組んだ。S.H.I.E.L.D.をスタークインダストリーの子会社として扱うことに関して非難されながらも、組織の合理化とモラルの向上に成功した[8]。S.H.I.E.L.D.は国際的な超人テロの波と戦い、2つの国際的な事件によってスターク長官はもう少しで逮捕される所だったが、その影にマンダリンがいることが明らかにし、病原体エクストリミスを使った大量殺戮を止めた。
自在に姿を変える宇宙民族スクラル人シークレットインベージョンが始まったとき、スクラルのウイルスによりヘリキャリアは無力化され、バミューダトライアングルに取り残された[9]。この時点でスクラルは既にかなり多くのS.H.I.E.L.D.のエージェントと入れ替わっており、高い地位にいたダムダムデュガンも例外ではなかった[10]。侵略が撃退されるとブッシュ大統領はS.H.I.E.L.D.の解体を決定し[11]、50州のイニシアチブとアベンジャーズをノーマン・オズボーンの管理下におかれたサンダーボルツイニシアチブに置き換えた[12]。
オズボーンはS.H.I.E.L.D.をかつてのS.H.I.E.L.D.やHYDRAと同じくサンダーボルツの忠実な構成員で構成されたH.A.M.M.E.R.と呼ばれる新たな組織に改編する機会を得た[13]。サンダーボルツはその過程で公式に解散された。彼はサンダーボルツを自分だけのための闇の軍事作戦部隊に改編した。その一方、H.A.M.M.E.R.は最新にして唯一政府がスポンサーになったアヴェンジャーズ『ダークアヴェンジャーズ』を運営している[14]。
侵略の後、ニック・フューリーはS.H.I.E.L.D.自体が表面上は最初期からテロリスト集団HYDRAのコントロール下にあること突き止めた[11]。
本項は、“アース616”(正史の宇宙)におけるS.H.I.E.L.D.を主軸として表記する。
第二次世界大戦で秘密結社“ヒドラ”を壊滅させた“戦略科学予備軍SSR”を発展させる形で創設された国際平和維持組織。“S.H.I.E.L.D.”とは、Strategic.Homeland.Intervention.Enforcement.and Logistics.Division.(戦略国土調停補強配備局)の略称である[注釈 1]。組織のロゴは、猛禽類のシルエットが内側に施された輪で、2種類存在する[注釈 2][注釈 3]。世界各地に支部や関連施設を構え、最新鋭装備と情報網を有し[25]、それらを駆使して人類に危険を及ぼしうる地球上の物体・物質・超常現象、そして超人的な能力を持った人物についての捜査・研究と、それらの強大な力を得た者への対処を主任務とする。
所属するエージェントや職員たちは、調査をはじめとする各専門分野で優れた技能を発揮することに加え、調査現場での仮設研究所の設営や大災害が発生した都市の中心部の事後処理などの大規模作業を1日足らずで成し遂げるくらいに、一般の公共機関を大きく上回るほどの組織力まで有している。その一方で彼らは、ミッション内容や現場指揮官の裁量次第で民間人の意に反する行動も躊躇無くとり、有用と認められた人物なら犯罪者でも組織の一員として招き入れてしまうことまであるなど、倫理観を疑う場面も稀に見せる。
創設以降、長年に渡って活動し、現代では長官のニック・フューリーによって、超人的な能力を持った人物たちをリクルート・団結させ、“アベンジャーズ”を結成させることにも成功したが、20世紀の頃から組織の水面下でヒドラが着々と再興をはじめており、同勢力の構成員が職員やエージェントとして多数潜伏。組織は影でヒドラに掌握されてしまっていた。
そして2014年に、世界各地で一斉蜂起したヒドラの攻撃により当組織は事実上壊滅。この際の一件により世間から「S.H.I.E.L.D.はテロ勢力」とレッテルを貼られてしまう。
マーベル・テレビジョン製作のテレビドラマ『エージェント・オブ・シールド』でも、当組織の壊滅が描写されたが、フューリーが片腕であるエージェントのフィル・コールソンに長官職と組織の再編を託したことで、以前より小規模ながらも組織はコールソンを中心に再起動し、人知れず世界各地で平和維持のために戦い続ける様子が描かれる。しかし、同作のシーズン4以降は再び世間に認知されていたり、長官が公の場に出るシーンも描写されている。一方で、同時期以降に製作された映画作品では引き続き壊滅状態のままであり、MCU内での組織の扱いは不明瞭となっている。
現在のところ、“アース82111”・“アース51825”・“アース72124”にS.H.I.E.L.D.の存在が描写され、正史の当組織と同様に平和維持に務めるが、ヒドラのような悪の勢力の潜伏は確認されていない。また、各宇宙ごとに所属するメンバーが稀に正史の当組織と異なっている場合もある。
『インクレディブル・ハルク』には、この組織に所属するエージェントは未登場だが、オープニング・クレジットではブルース・バナー/ハルクに関するS.H.I.E.L.D.の公文書が一瞬登場しており、フューリーの名も記載されていた。また、ロスがブルース捜索のためにS.H.I.E.L.D.のデータベースとメール検閲を使い、彼がサミュエル・スターンズの職場である“グレイバーン大学”へ向かっていることを突き止める。
当シリーズでは、コールソンが結成した精鋭チームによる超常現象の調査と戦闘を軸に物語が展開する。
(shield から転送)
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盾(たて、楯、英: shield)は、刃物による斬撃や刺突、鈍器による打撃、および弓矢・投石・銃器の射撃などから身を守るための防具。かつての日本では、片手で携帯する盾を持盾、地面に設置する大型の盾を置盾と称した[1]。
表彰の際に贈られる記念品については、後述の記念・賞としての楯を参照。
ルネサンス後期には鉄製が現れたが、ほとんどは木製で、革製のものもよく使用された。古い時代には青銅製もあり、重量が大きかった。通常は縁を補強するが、バイキングはこれをせず材質も柔らかい木材を使った。相手の剣を盾で受け、刃が食い込んで動きがとれなくなった一瞬を狙う目的があった。現在は、ジュラルミンやポリカーボネート製の盾がある。
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2017年7月)
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古代ギリシアや、それを源流とするヘレニズム文化圏では、ホプロンと呼ばれる丸盾と貫徹槍を装備した重装歩兵の密集陣形が活躍した。盾と槍の隙間無い陣形は、並大抵のことでは突破できず、ペルシア帝国との戦いでは、圧倒的な数の不利を逆転したという。
古代ローマの帝国初期の歩兵は、スクトゥムと呼ばれる四角、もしくは楕円形の大型のものを使用した。これを隙間なく並べ、個人の技量よりも集団の動きを重視し様々な陣形を組んだ。城壁に接近する場合は亀甲のように上面に盾を並べ投擲物から身を守った。散開した際も個々に使用し、ホプロンと比べてやや重い分、防御力が高い。また、帝国末期には、盾の裏に数本の投げ矢(槍)を仕込んで装備する事もあった。
馬に乗るノルマン人は涙滴形を使った。これは円盾の下部が伸び、足を守るものである。ヨーロッパ騎士の持つアイロン形はこの上部が水平に切られた物で、ドイツ型はさらに裏から見て右片方(すなわち武器を持った利き腕の側)の上辺が切り欠かれ、視界を良くした。この切り欠き部は騎馬突撃に際して槍の保持にも使う。ポーランドなどのものは逆に左上辺が長く上に伸び、側頭部を守る。
金属で補強された盾は、縁を武器で連打して大きな音を出し、敵兵や馬を威嚇することに使われた。日本の機動隊などポリカーボネート製の盾(ライオットシールド)を装備する現代の暴動鎮圧部隊でも行われる事がある。
前5世紀の遺跡から出土した盾からも、この時点で高度な漆塗り装飾が行なわれていたことがわかる[2]。前4世紀出土のもので、反りがついており、布が貼られたもの(複合素材盾)もある(これらの盾の形状は、複雑かつ分類ができない)。鉄盾に関しては、『韓非子』の記述にある「重盾(じゅうじゅん)」が鉄盾を指すものと考えられており[3]、戦国期には用いられた。
弥生・古代日本と同様、古代中国でも実戦用だけでなく、行事用の盾があり、追儺がそれに当たる。この大陸式の行事用盾の文化は8世紀初め、文武天皇の治世には日本に伝わり(『広辞苑』一部参考)、『公事十二ヶ月絵巻』の絵画中にも、鬼を追う役が右手に五角の持盾、左手に矛を持つ姿が描かれ、祭事としても各地に伝承されている。中国では、こうした呪術的な面での使用は戦国期には見られ、『周礼』に記述される方相氏が、仮面をかぶり、戈と盾をもち、鬼霊を祓う呪術師一族としている。
高句麗安岳3号墳(4世紀後半)の出行図(壁画)には、歩兵は盾を持っているが、重騎兵には盾が描かれていない。時代が下ると、伽耶金海出土の5世紀ごろの騎馬人物形土器に、人馬甲を身にまとった上で盾と槍が表現されており[4]、馬盾がみられる。この馬盾と槍のセットが北方から伝わったのかは不明だが、同時期の日本においては、(記・紀資料や壁画を含め)確認されていない。
日本の盾の初見は「神代紀」の国譲之条の「百八十縫之白盾」である。これは神宝の盾だといわれる[6]。
魏志倭人伝の記述として、倭人が木製楯を用いていたことが記述されている(漢字で楯と表記した場合、木製をさす)。
兵用矛楯 — 『三國志』魏書東夷傳倭人条
奈良県の3世紀から4世紀にかけての遺跡[注釈 2]からは多くの木製盾と木製埴輪(矢傷などがない)が出土している[7]。盾には装飾として、板材に多数穿孔され糸綴じが行われている例があるが、盾に対する糸綴じは強度を高めるためという指摘もある[8]。
5世紀ごろになると、鉄製盾[注釈 3]が登場し、以降、革製、石製盾(実用武具ではなく、石製埴輪であり、福岡県に見られる[注釈 4])なども用いられるようになり、5世紀末から6世紀にかけて、盾持人埴輪が盛んに古墳の周囲に置かれるようになる。古墳を悪霊・邪気の類から守るための呪具として制作されたとみられている。大阪府八尾市美園遺跡の方墳から出土した家形埴輪の2階の壁には盾を表す線刻があり、悪霊の建物への侵入を防ぐ役割を担っていたと解釈されている[9]。建物の四方に盾を立てたと推測されている[注釈 5]。また『日本書紀』の巻二十二において推古天皇11年(603年)の冠位十二階制定前に大楯が作られ、巻第三十において、持統天皇4年(690年)春正月に持統天皇の即位に際して物部麻呂朝臣が大盾を樹てた。『続日本紀』においては文武天皇2年(698年)11月に行われた大嘗に榎井倭麻呂が大盾を立てる儀礼を行い、以降、大嘗に当たり、物部・石上・榎井氏によって、大嘗宮の門に盾を立てることが慣行となったとある。古代日本において盾は実用具以外の面も持ち合わせており、権力者の墓や建物、宮門を悪霊の類から守る信仰は一例とみられる。中には、石室内に盾が描かれている例もある[注釈 6]。権力者の間で仏教が普及すると、こうした盾の信仰も忘れ去られたものとみられる。奈良県四条古墳出土の5世紀の木製盾やそれと形状が類似する盾形埴輪(奈良県から静岡県にかけて見られる上部がY字状でくびれが多い盾)などから5世紀当時の盾の長さは130センチ前後であり、盾持人埴輪の表現にある様に顔は丸出しだったとみられる(四条古墳出土の木製品については、祭祀盾[注釈 7]とする見解が一般的であるが、研究者によっては疑っており、杖とする見解もある。また、5世紀の近畿圏では小型な手持ち盾の例もある)。奈良県の5世紀の遺跡から出土した鉄製盾の長さも130センチ程である。
この他、「隼人の盾」があり、朝廷が隼人を制圧した後、内国に移配した結果、平城宮跡からも出土している。この隼人盾の長さは150センチである。これは、『延喜式』の「長さ五尺、広さ一尺八寸、厚さ一寸、頭には馬髪を編みつけ、赤白の土墨でもって鈎(こう)形を画く[注釈 8]」とある記述と合致し、外国からの客を迎える際の規定であった。6世紀の東国の盾持人埴輪を見る限り、西国よりシンプルなデザインとなっている。
西国・東国・隼人の武人に共通して多く見られる盾の模様は、三角形を単位紋とする鋸歯(きょし)紋、いわゆるギザギザ模様である。一説には悪霊に対する威嚇という呪術的な意味合いのものとされる。古墳時代の盾には漆を塗っている例もある。
『万葉集』の一巻と二十巻に盾に関する歌がある。一巻に記された歌は、弓を射る音が鳴ると、武官は楯を立てるという内容で、音に敏感に反応する武人の様子が描かれている。
8世紀の段階では、歩兵は長柄の矛を両手で使用するようになり、騎兵も史料上から片手で使用・携帯する盾の使用はあまり見られなくなる[10]。
中世ヨーロッパでは騎士道の象徴であり、盾の形状や紋章は厳格に規定・区分され、紋章を見れば騎士の出自を含めて誰かが分かる程だった。この盾の紋章から、西欧の紋章ひいては近現代の世界各国の国旗・国章が発展した。騎士には必ず盾持ちの従者が伴っていた。中世終期には、鎧がチェーンメイルから全身を覆う頑丈なプレートアーマーに移行し、必ずしも全身を遮蔽する必要がなくなったため盾は小さくなった。そのため上記のような儀礼的・象徴的な意味が強まったとはいえ、実戦においても盾の必要性はさほど変わらなかった(鎧はハンマーやメイス等の重い打撃武器には比較的弱い。また攻城戦でよく用いられる投石、汚物、熱した油、火炎放射、弓矢といった飛び道具を防ぎ、近接戦闘でも剣や槍などの攻撃を受け流しつつ反撃するのに盾は有効だった)。
日本では追儺式時の方相氏が盾と矛を持つなどの儀式用以外は平安時代から室町時代初期にかけて置盾を小型にしたような並べた厚板に鍋の取手の様な柄をつけた「持盾」があったが、主要武器の日本刀や薙刀、槍など両手使いに発達すると、鎧が発達し、手にもつタイプの盾(持盾)の使用率が減少した。ただし、完全に廃れたわけではなく、南北朝時代に発生した攻城戦では攻城側が持盾を掲げて城内への突入を試みる例が頻出する[11][注釈 9][注釈 10]。
騎射戦・野戦において、肩部・側面を防護する大袖を腰をひねることで正面に向け、一種の盾として利用する手法がとられていた[12]が、この大袖による防御手段は太刀や薙刀による白兵戦にも使用された。
一方で、地面に固定する型の「置盾」(掻盾、垣盾などといわれる、普通は厚板二枚を縦に並べて接ぎ、表に紋を描き、裏に支柱をつけて地面に立てるようにしてある)が使われた。戦国時代になると矢だけでなく鉄砲の銃弾からの防禦も重視されるようになり、利便性と防禦性の高さから竹束が用いられるようになった。これには大型の物と小型の物が存在し、小型の物は手に持っての銃弾防禦が可能であった。使用の際は弾丸の入射角に対し斜め鋭角に設置する(避弾経始)。また、濡らした厚地の布(場合によっては広げた甲冑など鋼板製のものも共に)を建物の門や戸口などに設置し、カーテンの原理(布地の柔軟性と避弾経始を組み合わせ、飛来物の軌道と威力を逸らす作用)により弾丸を逸らす事実上の置き盾も少数例ながらあった。同様に矢玉避けに背負う母衣も盾と見ることが出来る。また、一部で鉄盾も使われていた[要出典]。また陣を囲むよう多重に巡らし遮蔽させた幔幕も同様の役割を果たした。手盾については後述(東洋の盾→笠)を参照。
戦国期に多く考案された盾として、「車盾」(下部に車輪を有した攻城用盾)があり、「掻盾牛(かいだてうし)」や「転盾(まくりたて)」、「木慢」[13]、「車竹束」、「車井楼( - せいろう)」(『軍法極秘伝書』内に記載される)などといったものがある。この他、近世の書『海国兵談』には、木慢と外観が似た吊り下げるタイプの盾の「槹木」があるが、これは城壁内に立て、城壁の上から来る投射物を防ぐための城壁を補助する盾で、車盾ではない。
近世江戸期の『和漢三才図会』には、「歩盾(てだて)」として、画と共に記述が見られ、甲冑武者が左手に長方形の盾を持つ姿が描かれている(右には短槍)。画の形式は、掻盾と同じ(この他、様々な盾を記述したものとして、『訓閲集』が見られる)。また、『三才図会』では、盾の説明として、画に車盾が描かれている。歩盾を「てだて」と読むのは、10世紀中ごろの『和名類聚抄』巻十三に見られ、中国の『釋名』を引用した上で、和名を「天太天(てだて)」と記している。
現代においては火器の攻撃力増加により、手盾が正規の戦争で使用されることはほとんど無くなったが、暴動鎮圧用としては世界中の警察や軍隊で装備されている。この種の盾(ライオットシールド)は、本格的な防弾性能はほぼ無いものの、軽量で頑丈なジュラルミン製や透明で視界に優れたポリカーボネート製のものが多く採用されている。また、セラミックや金属などで作られ小銃弾程度なら防御可能な盾や、強靭なケブラー繊維で作られたカーペットのような盾(刃物を振るわれても切れず鈍器も受け流せるが、防弾性能では劣る)も存在しており、警察の銃器対策や軍隊の市街戦などで使用されている。ただし、防御力を重視した盾は重量が大きく扱いづらいという欠点がある。
車両や陣地に備え付けられる銃器には「防盾」と呼ばれる鋼鉄製の盾が付属することがある。地面に置く盾としては、より安価で効果的な土嚢などが使用される。
一方、現代の神社でも「神宝盾」や「儀盾」を用いる事があるが、これは「持盾」と「据盾」の二種である。いずれも木製、黒漆、上部を三山形に切り込み、表面に巴紋または神紋を附けることになっている[14]。
板状方形の木盾にキルティングを施したなめした毛皮で被い長く垂らし、頭部や胸部は木盾で、その布地部分でカーテンの原理で下方から攻める敵刃を逸らして防いだ。マークアウィトルと呼ばれる剣やテポストーピーリーと呼ばれる槍と一対で装備されることが多い。
攻撃を象徴する刀剣に対し、盾は防御の象徴として用いられる。マケドニアに代表されるファランクスは長い槍と盾を重ね合わせて隊列を作る密集部隊であった。兵士は自分だけでなく横に並んだ戦友の右半身を盾で守ることにより、部隊全体として完全に死角をなくす必要があった。したがって個人を守る鎧兜をなくす事より、仲間を守る盾をなくす事の方がはるかに不名誉な事とされた。また、「盾に担がれて凱旋する」は名誉の戦死を遂げた者が盾に乗せられ仲間に担がれたことを意味する。
盾を単体で使う伝統武術は少なく、剣術や甲冑術の技術として伝承されている。
現代では暴動鎮圧に適した技術が警察などで訓練されており、「盾操法」と呼ばれている[17]。
もともとは、ヨーロッパの領主たちが近隣の領主に贈り物として贈与したもの。
友好の証(私がもし攻撃するようなことがあったら、この盾で防いでください)であるとともに、自領の防御力(私の領地は防御がしっかりしているので攻撃しても撃退されますよ)を暗示していた。時代が下るとともに防衛力を示す意味が薄れてゆき、功績や友情を表す記念品としての形状と『楯(盾)』という名称だけが残り、特別な贈答品として世界中に普及した(表彰盾/楯・優勝盾/楯)。優勝旗は持ち回りなので次回本大会の際に返還しなければならないが、優勝楯はチームに贈呈される。
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「グラディウス リバース」の記事における「SHIELD(シールド)」の解説
自機の前方のみ防御可能なシールドユニットを2個設置。防御能力が通常弾16発分と高い。TYPE-A,C,Dで利用可能。
※この「SHIELD(シールド)」の解説は、「グラディウス リバース」の解説の一部です。
「SHIELD(シールド)」を含む「グラディウス リバース」の記事については、「グラディウス リバース」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
| 架空の団体 |
東京特許許可局 廣島連合 S.H.I.E.L.D. 廣島Night''s 地球平和連合TPC |