日本のメーカー。戦時中の軍用機メーカーが戦後合体して1952年に誕生。国内のメーカーとしてはいち早くモータースポーツに関心を示し、64年の第2回日本GPではスカイラインGTがポルシェ904と大接戦を繰り広げたことで一躍その名を高めた。65年にはミッドシップを採用したスポーツ・プロトタイプのR380を開発し、10月に谷田部の高速試験場で速度記録を樹立した。また66年5月に開催された第3回日本GPでは、大幅な改良が加えられたR380が優勝を飾ったが、同年8月には日産に吸収合併され、その技術は日産に引き継がれた。
(prince から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 19:48 UTC 版)
これらに倣って、非漢字圏の君主の親族男子を親王と呼ぶことや、プリンス(英:prince)の訳語として用いることもままある。
| 称号:親王 |
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| 敬称 | 殿下 His Imperial Highness the Prince |
「王」は本来は君主を指す語であるが、漢朝以後、王よりも上級の君主号として皇帝号が位置づけられるようになると、「王」の称号は、皇帝の配下のうち特に高位の者に対して用いられ、諸侯の称号として(諸侯王)だけでなく、皇族男子の称号としても用いられるようになった。そして、魏以後、皇族男子としての「王」のうち、特に皇帝と近縁であるなど一定の者に対してはさらに「親王」という位が与えられるようになり、これが後に日本や大韓帝国に波及した。
親王(しんのう、英:Prince)は、皇族の身位または称号の一つ。または、親王の身位を授けられた皇族のこと。敬称は殿下。
現行の皇室典範では、歴代の天皇の直系卑属の男系男子の内、嫡出かつニ親等以内の者に付与される。これに対して同様の女性皇族は、内親王と称する。また、親王の妃を親王妃という。なお、三親等以上離れている場合はそれぞれ王、女王、王妃という。
親王の内、今上天皇の皇男子たる皇嗣(皇位継承順位1位)である者を皇太子といい、皇孫たる皇嗣である者を皇太孫という。また、親王の内、天皇・皇太子の男子には御称号が与えられる。
王は次のいずれかに当てはまる場合、親王に身位が変更される。
| 読み | 生年月日 | 現年齢 | 第126代天皇徳仁から 見た続柄 |
皇位継承 順位 |
摂政就任 順位 |
世数[1] | 御称号 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 秋篠宮文仁親王 | ふみひと | 1965年(昭和40年)11月30日 | 59歳 | 弟 / 明仁第二皇男子 | 第1位 | 第1位 | 一世 | 礼宮(あやのみや) | |
| 悠仁親王 | ひさひと | 2006年(平成18年)9月6日 | 19歳 | 甥 / 秋篠宮文仁親王第一男子 | 第2位 | 第2位 | 二世 | ||
| 常陸宮正仁親王 | まさひと | 1935年(昭和10年)11月28日 | 89歳 | 叔父 / 昭和天皇第二皇男子 | 第3位 | 第3位 | 一世 | 義宮(よしのみや) |
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天皇 |
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天皇 |
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一世親王 |
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一世内親王 |
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嫡流 (正統) |
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二世親王 |
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二世内親王 |
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三世王 |
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三世女王 |
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(永世にわたり王) |
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皇親(天皇の親族の意、皇族とほぼ同義)の身位について、最古の文献資料は古事記(応神天皇以降)で、天皇の男系子孫は、世数、男女を問わず、諱の下に「王」と表記された(よみは「おおきみ」)。やがて、一世子女の場合は「皇子」(「皇女」)と表記されるようになり、二世孫以下の「王」(「女王」)と区別されるようになる[2]。
大宝令・養老令において、皇室に関わる成文法が定められ、称号の整理が行われる。この時、天皇の兄弟と一世子女が親王、二世孫以下は王と定められた(内親王・女王は、女性であることを明示しない場合は、親王・王と称されることもあった)[3]。
その後、平安時代初期にかけて、子女の多い天皇が続いたことにより、皇親の人数が激増する。身位に基づいた手当てが増大し、また、皇室の品位を損なうものが出てきたことから、世数を機械的に身位に当てはめるのではなく、人為的に皇親に留めるものを選抜する弾力的運用がなされるようになる。まず、親王宣下を積極的に推し進め、一部の親王にもこれが適用される[4]。
また、平安時代中期からは、親王/内親王も、出生時は王/女王であり、天皇の宣旨によって、親王/内親王の称号が授けられるようになった(親王宣下)。これによって、一世の王/女王も登場するようになる[5]。
鎌倉時代以降、皇室の所領である荘園の一部を特定の親王が受け継ぎ、世襲することによって、天皇から経済的に独立した、後の宮家の原型が発生する。世襲されることにより、二世以下の皇親が誕生することになるが、彼らに対しても、親王宣下によって親王の身位が授けられるようになる。特に、伏見宮家が、後花園天皇の勅命により、永世にわたり皇親に留まり、正統(しょうとう。皇統の内、時の皇位を伝える血筋)が途絶えた時には皇位を継ぐことが定められて以降、代々の宮号継承者は時の天皇の猶子となって親王宣下を受けるのが常道となる(世襲親王家)[6]。
明治維新の最中の慶応4年(1868年)閏4月15日、親王、王、皇親に関する法制が、改めて律令時代の規定に戻され、親王は一世のみ、と改めて定められる。親王宣下の制度は当初は維持されたが、明治22年(1889年)1月15日、皇室典範制定によって改めて整理が行われ、身位については四世孫までは親王、五世孫以下は王、との基準が機械的に運用されることとなり、親王宣下は廃止された(既に宣下を受けた者に限り終身有効)。
昭和22年(1947年)5月3日、皇室典範の改正によって、親王の範囲は二世孫までと改められた。
清朝以前の王朝では、皇族の等級としての親王は存在したが、「親王」を直接冠する称号は存在しなかった。(等級としての)親王には一般に王号が与えられ、封地を取って「○○王」と呼んだ。これを歴史用語では諸侯王と呼ぶが、これが日本の(称号としての)「親王」に相当する。王に対応する女性皇族の号は公主である。王の下位の称号として郡王があり、日本の「王」に相当する。郡王に対応する女性皇族の号は郡主である。
また、皇太子や王は相対的な概念であるため、皇太子に立てられた際には王の身分を失った。
清朝における親王は、旗王である清朝皇族愛新覚羅氏爵位の最高位であり、世襲親王と非世襲親王があった。世襲特権が認められている者には、建国時期に活躍した6人の親王と2人の郡王の他に、清朝中期、末期に特別な功績があるとして世襲が許された4人の親王がいた。その他の非世襲親王は1代ごとに爵位が下がり、鎮国公まで下がってからは世襲になった。
なお、モンゴル王侯や、初期には清朝の中国制覇に大功のあった呉三桂(平西王)をはじめとした三藩の漢人将軍にも親王位が授けられており、旗王と同格とされた。
清朝初期の世襲皇族
中期、末期に認められた世襲皇族
李氏朝鮮では、王族の男子には「○○君」といった称号が与えられていた。大韓帝国に国号を改めた際に、皇帝に近い皇族の爵位として王位が定められた。大韓帝国ではしばしば「親王」という呼称も用いられたが、これは王への敬意を込めて呼称する際に用いられたもので、正確な称号は「王」である[7]。
日本においては、条約締結などの席において相手の君主国の君主を一律に皇帝と読み替えていた(皇帝#日本の皇帝も参照)。この流れから、「皇帝」の親族たる「皇族」男子を親王と読み替える慣例が生まれた。
平成時代においても、同じアジアのタイ王室において王族成員を(個人単位で)親王・内親王と読み替える事例が散見されるが、ラーマ9世崩御前後ともなるとマスコミなどでも王子・王女と報道することが殆どである。
親王呼びは主に王子呼びなどにとって代わられたが、これは国王を皇帝と読み替える官報の方針が転換されたことも大きい。また、マスコミなどを通じて世界各国の「王子様、王女様」がゴシップ的に掲載されるようになったことなどで、そうした場で親王と呼ばれることは(日本の皇室成員を紹介する場合を除いて)見られない。
一方で旧オーストリア帝室における男子成員につけられた「オーストリア大公」(Erzherzog、英語ではArchduke)や旧ロシア帝室のロシア大公(Великий князь、英語ではGrand Duke)などにおいても、慣例的に「王子」と呼ぶかあるいは一律に「大公」と呼び、親王と呼ぶことがない。これは英訳からくる「duke」の綴りから大公と訳したことも大きい。しかしながら両称号とも、支配地であるオーストリアやロシアの統治者・主権者としての意味合いを有しており、その点では王(爵)に上回る地位として用意された親王に近い。オーストリアやロシアでは帝政が廃止され、現在の成員が国家的に皇族と認められたわけではないため、この用法に対する公的な意見の場も設けられてはいない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 02:19 UTC 版)
「プリンス」も参照 本来は、君主や諸侯一般を指す語であり、称号として用いられるときには「大公」と訳される場合がある。 フランス語圏・英語圏の prince は、フランス語の duc、英語の duke の上位の爵位として用いられる場合があり、その場合には、「公」とも訳される一方で「大公」とも訳される。たとえばモナコの君主(prince)は「大公」とも訳される。プリンス・オブ・ウェールズも「ウェールズ大公」と訳すことがある。
※この「prince」の解説は、「大公」の解説の一部です。
「prince」を含む「大公」の記事については、「大公」の概要を参照ください。