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インディカーレースに出場していた有力チームがつくった団体。1978年末に、それまでインディカーを統括していたUSACの保守的な運営方法に対して、不満を爆発させ、分裂した。79年からシリーズ戦を独自に開催。有力ドライバーを多数抱えるCARTシリーズは圧倒的な人気を得て、80年からはCARTシリーズがインディカーシリーズとして統一され、USACはインディ500のみを主催というかたちになった。出場チームと運営団体を兼ねるCARTは、その後、国際的に拡大路線をとっていってF1人気を脅かすほどの勢いを誇ったが、96年にUSACを後ろ楯に、インディアナポリスのオーナーが新たなシリーズ、IRLを設立して再び分裂。シリーズ中で飛び抜けた人気をもつインディ500が抜けたCARTシリーズは、設立メンバーの離脱やエンジン規定をめぐる混乱により、先行きの不安を抱えている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/20 13:20 UTC 版)
キメラ抗原受容体(キメラこうげんじゅようたい、英: Chimeric antigen receptor; 略称: CAR、キメラ免疫受容体、キメラT細胞受容体、人工的T細胞受容体)は、遺伝子編集(ゲノム編集)を行うことで工学的につくられた人工の受容体である[1]。
抗体の一部とT細胞受容体を含む最初のキメラ受容体は、1987年に藤田医科大学と協和発酵の桑名良寿らによって報告された[2]。1989年にはワイツマン科学研究所のジーリグ・エシュハーらによって、T細胞の可変領域を抗体に置き換えたキメラ抗原受容体T細胞(CAR-T細胞)が開発され、当初は"T-body"と命名された。
キメラ抗原受容体T細胞(CAR-T細胞)は、キメラ抗原受容体を生産するように遺伝子操作されたT細胞である。任意の抗原に特異的なキメラ抗原受容体遺伝子が、リンパ球免疫のエフェクター細胞(T細胞)に導入される。 通常、これらの受容体は、モノクローナル抗体の特異性を持ち、T細胞へはレトロウイルス・ベクターなどより遺伝子が導入される。この受容体は異なる起源からなるいくつかの遺伝子から構成されているため「キメラ」と呼ばれる。
ペンシルベニア大学のカール・ジューンらによって開発されたCAR-T療法はCAR-T細胞をがん治療に用いる。CAR-T療法はアメリカ食品医薬品局 (FDA) により急性リンパ性白血病に対して承認された[3]。T細胞は患者から取り出され、遺伝子改変され、患者の特定のがんに対して特異的な受容体を過剰発現するようになる。このT細胞は癌を認識し、癌細胞を殺せるようになり、患者の体内に戻される[4](養子細胞移植[5])。ドナー以外の患者への投与については研究段階にある。
FDAは、2017年8月にチサゲンレクロイセル(製品名キムリア、ノバルティス製造販売)を急性リンパ芽球性白血病の治療に承認した。日本の第一三共も「びまん性大細胞性B細胞性リンパ腫 (DLBCL)」に対して開発を行っている[6]。
最も一般的なCARは、モノクローナル抗体由来の単鎖可変領域フラグメント (scFv)と CD3-ζ膜貫通部ドメインおよび細胞内ドメインを融合させたものである。 たとえば、14g2a-ζは、ハイブリドーマ14g2a(これはジシアロガングリオシドGD2を認識する)から由来したscFvとの融合タンパク質である。
免疫グロブリンの変異部は重鎖および軽鎖からなり、2つの抗原認識部位を持つ。キメラ抗原受容体では、柔軟なリンカーにより重鎖可変領域VHと軽鎖可変領域VLを結合し単鎖可変領域フラグメント(scFv)を形成する。柔軟なスペーサーは、scFvに異なる方向での抗原結合を許容する。 膜貫通ドメインは、典型的な疎水性のαヘリックスタンパク質であり、本来の分子が細胞内ドメインに送るものと同様の信号を送る。
I型タンパク質は、二つのタンパク質ドメインが膜貫通αヘリックスタンパクによりつながれている。 細胞膜の脂質二重層を膜貫通ドメインが貫通し、細胞膜が細胞内と細胞外を分けている。 細胞外ドメインにあるタンパク質が結合し、細胞内ドメインが変化することは、この受容体が抗原を認識し、細胞内へ信号を送ることとなる。
ScFv/CD3-ζハイブリッドは、scFvが抗原を認識し、ζ信号を伝達する。 T細胞がこの分子を発現させたとき(一般的に癌レトロウイルスベクターによる形質導入)、形質導入T細胞は標的細胞の発現するGD2(例: 神経芽腫細胞)を認識し殺傷する。 悪性B細胞を対象として、B細胞の表面マーカーであるCD19特異的なキメラ抗原受容体が研究されている。
細胞外ドメインは、膜タンパク質のうち細胞の外にある部分を指す。細胞質の外であり、細胞外空間に曝露されている。細胞表面の受容体 やタンパク質は、細胞外空間から信号を受け取るため、細胞外空間に細胞外ドメインを曝さなくてはならない。
信号ペプチド は粗面小胞体が作る新生タンパク質である。受容体はグリコシル化され、細胞膜に定着するかどうかが重要である。 真核生物の信号ペプチドは種を超えて作用する。 一般的に、信号ペプチドはアミノ末端(N末端)側の部分に結合する。例えば、scFvでの軽鎖-リンカー-重鎖であれば、軽鎖の信号が用いられる。
抗原認識 領域は一般的にscFvが用いられるが、多くの派生種がある。 抗原認識ドメインは、 T細胞受容体 (TCR) のαとβシングルチェーンから得られる。単純な細胞外ドメインにとして(例: CD4の細胞外ドメインはHIVに感染した細胞を認識する)や、サイトカイン 認識部分(サイトカイン受容体から得られる)などがある。 高い親和性を持つものが、抗原認識部位として用いられる。
スペーサー領域は、抗原結合ドメインと膜貫通ドメインを繋いでいる。 十分に柔軟であるため、抗原結合ドメインが抗原認識するため、さまざまな方向に向くことができる。 最も単純な形態は、IgG1から得られたヒンジ領域である。 代わりに免疫グロブリンのCH2CH3領域とCD3の一部を含むものもある。 ほとんどがscFv構造を用いるが、IgG1のヒンジでも十分である。 しかし、最良のスペーサーは多くの場合経験的に決定される。
膜貫通ドメインは疎水性のαヘリックスからなる。 一般的には、膜貫通ドメインには、細胞内ドメインの細胞膜に最も近い部分を用いる。 興味深いことに、人工TCRは本来のTCRに比べ、CD3-ζ膜貫通ドメインがアスパラギン酸残基での荷電に依存する。 異なる膜貫通ドメインは、異なる受容体安定性を持つ。 CD28膜貫通ドメインは明瞭に発現し、安定した受容体である。
この受容体の最終的な機能部分である。 抗原認識した後、受容体は集合し、信号は細胞内へ伝達される。 最も一般的に使用される細胞内ドメインはCD3-ζであり、3つのITAMを持つ。 T細胞が抗原に結合した後に、活性化信号は伝達される。 CD3-ζが提供養を活性化信号との共刺激シグナル伝達が必要です。 例えば、キメラ抗CD28とOX40で使用できCD3-ζを送信する増殖/生存の信号を採用しているため、新しい種類のを使用することができます。
第一世代のCARでは、細胞内ドメインにはT細胞受容体の細胞内シグナルを伝達するCD3ζ-チェーンから得たものを用いていた。 第二世代CARでは、種々の共刺激タンパク質受容体から得た細胞内信号ドメインが細胞内の部位に追加されている(例: CD28、41BB、ICOS)。前臨床研究では、第二世代のCARは、T細胞の抗腫瘍活性を改善させた。 第三代のCARではさらに効果を増すため、複数の信号伝達ドメインを繋いでいる(CD3ζ-CD28-41BBやCD3ζ-CD28-OX40など)。
CAR治療の進化は、基礎研究から臨床応用への良い例である。 PI3K結合部位はCD28の共受容体であると同定された。ITAMモチーフは、CD4-lckまたは D8-p56lck複合体の対象であることが同定された。
Strep-tag II配列(Trp-Ser-His-Pro-Gln-Phe-Glu-Lysというポリペプチド配列。これは ストレプトアビジンに親和性がある)を合成したCARの特定の部位に挿入し、これを持つT細胞だけを取り出す。スペーサー長を最適にし、抗体でコーティングされ、マイクロビーズで集められ、大規模に必要なCAR-T細胞だけを集めることができる。 Strepタグを用いて、人工細胞を刺激し、急速に増殖させることができる。 Strepタグに結合する抗体を用いることで、人工細胞を200倍まで増やすことができる。既存の方法とは異なり、この技術によりがん特異的T細胞のみを増やすことができる。
Prime CAR-T細胞では、IL-7と呼ばれるサイトカインとCCL19と呼ばれるケモカインの両方を同時に産生する[7][8]。この結果、固形癌に対しても宿主の免疫応答を活性化することで、従来のCAR-T療法よりも強力な治療が可能になると期待されている。
SMDCs(small molecule drug conjugates; 小分子の薬物結合体)プラットフォームは腫瘍免疫領域では新しくまた実験的なアプローチを可能にする、この技術はFITCなどの小分子に対する親和性を極端に高くすることができる。 これらの細胞が様々な種類のがんに用いられ、二重特異性SMDCアダプター分子と同時に作用する。 これらの二重特異性アダプターを構築しFITC分子腫瘍ホーミング分子を精密に橋のユニバーサル車T細胞のがん細胞の原因となる局所のT細胞活性化します。 抗腫瘍活性をマウスで誘導しながら、限られた時間での準備のユニバーサル車T細胞の正しい抗原特異的アダプター分子が存在します。 抗腫瘍活性や毒性を制御できる調整により投与しアダプター分子を注入します。 処理のantigenicallyの不均質性腫瘍に達成できる投与による混合物、希望する抗原特異的アダプタです。 以下のような課題がCAR-T細胞療法には残されている:
これらは新しい技術でいずれ解決される可能性がある。
CARの臨床応用としては、T細胞抗原受容体をベクター (例えばウイルス)を用いて悪性腫瘍に特異的なものに変えることがある。 前臨床および 臨床試験に て構造と信号伝達を最適なものとすることが焦点となっている。
CAR-T細胞治療は、独特な有望ながん治療であるが、重大な安全上の懸念が残されている。 臨床試験では、CARによる潜在的な毒性が明らかになった。健康な組織で腫瘍細胞と同じ抗原を持っているものは攻撃対象となり、移植片対宿主病 (GVHD)と同様な結果を生む。 この問題は、自殺遺伝子 をCAR-T細胞に導入することで解決する可能性がある。 プロドラッグ投与により自殺遺伝子が活動するよう設計し、GVHDを起こすと、CAR-T細胞がアポトーシスにより死滅するようにできる。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 04:39 UTC 版)
チャンプカー・ワールド・シリーズ(英: Champ Car World Series)はかつて存在した、アメリカ合衆国を中心として開催されるフォーミュラカー(オープンホイール)の自動車レース選手権である。カテゴリとしても、また選手権の略称としてチャンプカー(英: Champ Car)と呼ばれることもあった。
運営団体のOWRS(英: Open Wheel Racing Series)は、2003年に経営破綻したCART(カート、英: Championship Auto Racing Teams)からCART ワールド・シリーズを引き継ぐ形で2004年に始まったが、2008年の第1戦ロングビーチGPの開催をもって第2戦以降は全戦キャンセルとなり、シリーズを終了した。
レースによっては1イベントで20万人もの観客を集めることもあり人気が高かった。日本でも1992年から2002年まではNHK-BSで、2003年までG+ SPORTS & NEWS(現・日テレG+)で放送されていた。その後は日本でのTV放送はされていないが、公式サイトで年間契約の課金登録をする事により、英語放送のストリーミング中継や、2001年シーズン以降のアーカイブ映像を視聴する事が可能だった。
本項では前身となったインディカー・ワールド・シリーズ(1979年-1996年)及びCART ワールド・シリーズ(1997年-2003年)についても記載する。
1979年より、スポーツカークラブ・オブ・アメリカ(SCCA)に認可された統括組織CART (Championship Auto Racing Teams) が、「インディカー・ワールド・シリーズ」と呼ばれるフォーミュラカー・レース選手権を運営していた[注 1]。1990年代前半には世界的にも一時期F1と肩を並べる勢いをもった。その中でF1からインディ、インディからF1へとドライバーの移籍交流があった。
ただ、そのためにインディカー・ワールド・シリーズに参戦するアメリカ人ドライバーの減少と、何よりアメリカンレーシングそのものであるオーバルレースの減少に、世界三大レースのひとつで当時インディカー・ワールド・シリーズの1ラウンドを構成していたインディ500の開催地であるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ (IMS)オーナーのトニー・ジョージ は不満を持ち、1994年にはIMSが1996年よりインディ500の開催権をCARTから剥奪し、新規に選手権とその統括組織を発足させる旨の発表をするに至る。その後1995年までにCARTとIMSとの間で何度か交渉が持たれたが話がまとまらず、1996年から2つの選手権に分裂することになった。
CART側はインディ500をシリーズカレンダーから除き、それまでのレギュレーションのレースを維持する一方で、IMS側は統括組織として新たにインディ・レーシング・リーグ (IRL、現IndyCar) を設立し、インディ500を中心としたオーバルレース専門の選手権インディ・レーシング・リーグを運営開催することになった。
「インディ」はIMSが持つ商標であるため、1997年よりCART側は「インディ」と称することができなくなり、選手権名称は「CART ワールド・シリーズ」に、インディカーとよばれていたマシンはチャンプカー (Champ Car) へと名称が変更された(チャンプカーとは1909年から続いているアメリカ国内チャンピオンシップを走るマシン)。ちなみにインディカーはIRL側のマシンの呼称となった。
IRLは、1996年のインディ500に「25/8ルール」を導入した。これはIRLシリーズに参戦するドライバーに、33台中25台のスタートポジションを保証するというものであった。CARTはこれに猛反発、ミシガン・インターナショナル・スピードウェイにてU.S. 500という大規模オーバルイベントを企画し、27台のエントリーを集めた。1997年以降もCARTはインディ500と競合するスケジュールでレースを開催した。
しかし、分裂後もメーカーの参戦、ドライバーレベルの高さ、レースの面白さもあって2001年まで盛り上がりを見せ、分裂前のブラジル、オーストラリアに加え、日本やヨーロッパにも進出したCARTだったが、2001年のポップオフバルブを巡る「ターボゲート」と呼ばれる一連の騒動や、2002年末のエンジン規定改正を巡るいざこざ[1]でトヨタ、ホンダが撤退、両社は2003年にIRL主催のインディカー・シリーズへ移籍した事でシリーズ自体の存続が危ぶまれるようになった。また名門ペンスキーをはじめ、それまでの参戦チーム、ドライバーも多数がインディカー・シリーズへと移籍、更には2002年末をもってそれまでの冠スポンサーであったフェデックスがスポンサーシップから降りてしまった事が決定打となり、2003年にCARTは破産した。
破産当時、旧CARTの株式評価額は1株当たり25セントまで暴落し、IRLのトニー・ジョージが吸収合併を見込んだ買収に意欲を見せたが、旧CARTの有力チームのオーナーであり、経営陣にも名を連ねていたジェラルド・フォーサイス(フォーサイス・レーシング)、ポール・ジェンティーロジー(ロケットスポーツ・レーシング)、ケビン・カルコーベン(KVレーシング・テクノロジー)およびダン・ペティ(フォーサイス・レーシングの共同オーナー)の4名が連名でOWRS (Open Wheel Racing Series)という新団体を設立、カルコーベンがチェアマンとなる形で旧CARTの存続を目指す事になった。
こうしてCARTは2004年にOWRSに全ての資産を売却し、運営団体、名称としてのCARTは消滅。その後チャンプカー・ワールドシリーズ (CCWS) として再生を図っていたが、2007年のシリーズ開幕を前に、タイトルスポンサーであるフォードが「スポンサーシップが経営目標に合致していない」ことを理由に、同年1月26日にタイトルスポンサー契約の打ち切りを決めた。これらの影響に加え、アメリカ国内でのモータースポーツ人気がNASCARに集中し、観客動員などに低下傾向が見られるようになったため、トニー・ジョージとケビン・カルコーベンの間でシリーズ合併の交渉が行われ、2008年シーズンからIRLとシリーズを統合することが決定(事実上IRLによる吸収合併であった)、プロモーターとの契約の関係で、同年4月20日にロングビーチ市街地コースで行われるレースを最後にシリーズが終了した。
チャンプカーの吸収合併により、チャンプカー側が開催権を保有していたロングビーチを始めとするロードコースの大イベントの多くや、トップチームのニューマン・ハース・レーシングをはじめ、ロケットスポーツやデイル・コイン・レーシングなどほとんどのチームやドライバーがインディカーへそのまま合流したが、「トニー・ジョージの経営方針への不服従」を直接の理由として、トップチームの一角であったフォーサイス・レーシングがチャンプカーと運命を共にする形でチーム自体を解散、HVMレーシングに「ミナルディ」の名称を貸与していた元F1チームオーナーで名称権保持者のポール・ストッダートも、ジェラルド・フォーサイスと同様の理由でHVMから手を引き、アメリカのレース活動から去っていった。また、エンジンサプライヤーのコスワースとシャシメーカーのパノスも、チャンプカーの消滅と共にそのままアメリカン・オープンホイールから撤退した。
なお、旧チャンプカーの一部関係者が最後まで従属を拒み続けたトニー・ジョージは、インディ500の開催とIRLを運営する傍ら、(両シリーズの最大のライバルである)ストックカーのNASCARにブリックヤード400の開催を承認するなどの行動をとっており、NASCARを通じてCART/チャンプカーのオーバルレースの開催に間接的に影響力を行使できる立場であった。トニー・ジョージはまた、フォーミュラ1やロードレース世界選手権(Moto GP)を、レーストラックを大幅に改修してまでインディアナポリスへ招聘、IRLにおいてはヴィジョン・レーシングを主催し、継子のエド・カーペンターをメインドライバーに起用するという露骨な縁故主義を示した。結果としてIRLは2000年代初頭のCART全盛期には、インディ500を除くほとんどのレースイベントにおいて不入りに喘ぐ状況であった。1996年シーズンの時点でNASCARとCARTの全米視聴率はほぼ拮抗していたが、CARTの弱体化に伴いNASCARは全米最大の人気を持つモータースポーツとなり、シーズン統合後も未だインディ500を含むインディカーの人気はNASCARのそれに及ぶ回復を見せていない。レースジャーナリストのゴードン・カービィはこうした状況を総括して、「覇権のためならば手段を選ばないトニー・ジョージの露骨な経営方針と、CART/チャンプカーのレギュレーションやシーズン運営方針に対する主体性の無さ、その両者が繰り広げた不毛な抗争は、結果として(インディ500を含む)アメリカン・オープンホイールの人気を失墜させる原因となった。」「これらの事例は近代スポーツにおける最も自己破壊的な行為である。」と断じており[2]、ニューヨーク・タイムズは2009年のトニー・ジョージのインディアナポリスCEO辞任に際して、「アメリカン・オープンホイールを愛する純粋な米国人ファンにとっては、彼の辞任は余りにも遅きに失した。」と報じた[3]。
シリーズの特徴としては、常設サーキット(ロード)、公道コース(ストリート)、オーバル(末期は開催せず)の3種類のコースで行われ、満遍なくどのコースでも速さを求められるカテゴリーとなっていた。しかしIRLの台頭や、NASCARを初めとする他カテゴリー統括団体によるオーバルトラック買収の影響により、オーバルレースは減少、のち消滅を余儀なくされ、またロードレースでも独立資本のサーキットが減少している事情などもあり、末期には他団体や特定メーカーの干渉を受けにくいストリートレースが、シリーズの中心を占めるようになっている状況だった。
エンジンは2.65リッターのシングルターボで、燃料としてガソリンではなくメタノールを使用するのが特徴(なおインディカーは2007年よりエタノール燃料に転換している)。また、F1などで禁止されていたウイングカー構造のシャシを使用していた。マシン、エンジン、タイヤに関してはレギュレーション上基本的にはどのメーカーでも参戦できる事になっていたが、2002年の騒動により2003年よりエンジンはフォード(コスワース)、タイヤはブリヂストンの独占供給となっていた。シャシーはマーチやレイナード、ローラ、スウィフトなどが販売・供給しており、独自シャシーを採用するチームはペンスキーやシャパラルなど、ごく一部に限られていた。2002年のレイナード倒産により、一時ローラの独占状態となった。2007年からはパノスが新シャーシを独占供給することが定められ、車幅の切り詰めなど思い切った改正が行われた。
2005年シーズンからは、レース中合計60秒間だけエンジンパワーを増大させることができる「Push-to-Pass」ボタンや、本気のアタック時に使用するサイドウォール部分が赤く塗られたソフトタイヤ(通称「レッドタイヤ」)などの新機軸が導入された。
ステップアップカテゴリーとして、過去にF3000に近いインディ・ライツ(2008年よりIRL主催の旧インディ・プロ・シリーズがこの名称に改称)、F3に近いフォーミュラ・トヨタ・アトランティックの2カテゴリーによってCARTのフォーミュラピラミッドが形成されていたが、インディ・ライツは2001年をもって廃止され、以後フォーミュラ・アトランティックのみ運営された。なお、フォーミュラ・アトランティックは2006年よりタイヤが横浜ゴム、エンジンがマツダ・コスワースの供給となり、「ヨコハマ・プレゼンツ・チャンプカー・アトランティック・パワード・バイ・マツダ」として再出発が図られている。バッジネームのみという形ではあるが、マツダにとっては久々にレース活動に復帰を果たした事になっていた。
同カテゴリーは、チャンプカーのシリーズ終了後も「アトランティック・チャンピオンシップ」の名称で引き続きOWRSによる運営が行われ、マツダ等のスポンサーも引き続きシリーズ運営に関わっていくことを表明していたが(ただしタイヤ供給はクーパーに交代した)[4]、アメリカ国内の景気低迷の影響から2009年を最後に一時休止状態となった(その後2012年に3シーズンぶりに復活し、2013年は休止されたが2014年からは再び継続的に開催されている)。
2001年にはCARTを舞台としたシルベスター・スタローンの映画「ドリヴン」が制作されたが、本物のCARTドライバーやマシンが多数登場する一方で、ストーリーにおいて実際のCARTでは起こりえない事態が描かれている部分が多い(CARTで使用するメタノール燃料は容易に水で消火・分解が可能なため、映画の後半で起きるような雨の中での燃料漏れによる爆発は考えにくい、雨が降っているのにオーバルコースでレースを行っているなど)。これは、当初「ドリヴン」がF1をテーマとして企画された映画だったため、CARTを舞台とすることに変更された後も当初の脚本の設定が残っていたことが原因ではないかと、一部の関係者[誰によって?]は指摘している。
一時期、日本では2007年以降のレース開催を目指して、北海道小樽市では小樽グランプリ推進協議会というNPO団体が立ち上げられ、市街地コースを利用しての『小樽グランプリ』の誘致活動を行っていた。だが、グランプリ開催を前提とするデモランに使う道路が国交省により許可が降りずデモラン自体も無期限延期となり、さらに誘致を行っていたチャンプカーも消滅。資金が集まらなかったこともありその後小樽グランプリ推進協議会の公式ウェブサイトも消えており、活動は事実上頓挫した。
東南アジア圏では小樽の他に、大韓民国もチャンプカー誘致を企画し、2004年にソウル特別市市街地コース、2005年と2006年に安山市に建設中のアンサンスピードウェイでの開催がイベントスケジュールに企画されたが、韓国側の開催計画の杜撰さからスケジュールが度々延期された果てに、いずれの年も開催中止という形で終わっている。
| 年 | チャンピオン | チーム | シャシー | エンジン |
|---|---|---|---|---|
| 1979年 | ペンスキ―・レーシング | ペンスキー | コスワース-フォード | |
| 1980年 | シャパラル・レーシング | シャパラル | ||
| 1981年 | ペンスキ―・レーシング | ペンスキー | ||
| 1982年 | ||||
| 1983年 | ||||
| 1984年 | ニューマン・ハース・レーシング | ローラ | ||
| 1985年 | ペンスキ―・レーシング | マーチ | ||
| 1986年 | トゥルー・スポーツ | |||
| 1987年 | ローラ | |||
| 1988年 | ペンスキ―・レーシング | ペンスキー | シボレー | |
| 1989年 | パトリック・レーシング | |||
| 1990年 | ガレス=クラコ・レーシング | ローラ | ||
| 1991年 | ニューマン・ハース・レーシング | |||
| 1992年 | レイホール=ホーガン・レーシング | |||
| 1993年 | ニューマン・ハース・レーシング | コスワース-フォード | ||
| 1994年 | ペンスキ―・レーシング | ペンスキー | イルモア | |
| 1995年 | チーム・グリーン・レーシング | レイナード | コスワース-フォード | |
| 1996年 | チップ・ガナッシ・レーシング | ホンダ | ||
| 1997年 | ||||
| 1998年 | ||||
| 1999年 | ||||
| 2000年 | ペンスキ―・レーシング | |||
| 2001年 | ||||
| 2002年 | ニューマン・ハース・レーシング | ローラ | トヨタ | |
| 2003年 | プレイヤーズ・フォーサイス・レーシング | コスワース-フォード | ||
| 2004年 | ニューマン・ハース・レーシング | |||
| 2005年 | ||||
| 2006年 | ||||
| 2007年 | パノス |
※イベント、開催州、決勝日(日付は現地時間)
※イベント、開催州、決勝日(日付は現地時間)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:26 UTC 版)
「アンドレッティ・オートスポーツ」の記事における「CART(前身)」の解説
1993年に、バリー・グリーンとジェラルド・フォーサイスによってフォーサイス・グリーン・レーシングとして設立され、クロード・ブルボネとジャック・ヴィルヌーヴのドライブでフォーミュラ・アトランティックに2台体制で出走した。1994年は CART ワールドシリーズにジャック・ヴィルヌーヴの1台体制で参戦し、インディ500では2位に入賞、第14戦ロード・アメリカで初優勝を達成した。しかしシーズン終了後にフォーサイスが離脱し別チームを立ち上げたため、バリーはチーム名をチーム・グリーンに変更し、彼の兄弟キム・グリーンをチームマネージャーに迎える。翌1995年にはジャック・ヴィルヌーヴによりインディ500とCART ワールドシリーズの両方を制することとなった。 1996年は、ジャック・ヴィルヌーヴがF1のウィリアムズへ移籍したため、ブラーマをスポンサーとしているラウル・ボーセルをドライバーに起用し、ブラーマ・スポーツ・チームとして出走したが、チームは低迷してしまう。 1997年には、ドライバーはパーカー・ジョンストンが加入し、メインスポンサーとしてKOOL、エンジンはホンダを獲得し、チーム名はチーム・クール・グリーンに変更された。ジョンストンはシリーズ16位に終わったが、このシーズン終盤に、新鋭のダリオ・フランキッティを獲得、シーズン終了後にはチームペンスキーを解雇されたポール・トレーシーと契約し翌年の2台体制への移行に備えることとなった。彼らは、翌1998年以降5シーズンの間、チームメイトとしてチームに残留した。 1998年、フランキッティは頭角を現し、第14戦ロード・アメリカでの初優勝を皮切りに第15戦バンクーバー、第17戦ヒューストンと優勝しシリーズ順位は3位となる。対するトレーシーは目立った成績を残せずシリーズ13位に終わった。その後は、2人のコンビで実績を重ねていく。 2001年、マイケル・アンドレッティが、実質同一チームであるチーム・モトローラに加入し、この年は第9戦クリーブランドでフランキッティが、第10戦トロントでマイケルがそれぞれ勝利を挙げた。 2002年、マイケルが第2戦ロングビーチで現役最後の勝利を挙げた。また、開幕戦直後にシャーシを供給していたレイナードが倒産し、第3戦もてぎからチームはシャーシをローラへと変更し、もてぎではマイナートラブルが発生したが、次の第4戦ミルウォーキーではトレーシーが優勝を飾り、第10戦バンクーバー、第13戦モントリオール、第15戦イングランドでフランキッティが優勝している。
※この「CART(前身)」の解説は、「アンドレッティ・オートスポーツ」の解説の一部です。
「CART(前身)」を含む「アンドレッティ・オートスポーツ」の記事については、「アンドレッティ・オートスポーツ」の概要を参照ください。