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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/29 04:26 UTC 版)
| 建築士 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 名称 | 建築士 |
| 職種 | 専門職 |
| 職域 | 建築、建設、デベロッパー、都市計画、インテリアデザイン、土木工学 |
| 詳細情報 | |
| 必要技能 | 技術的な知識、建築物のデザイン、プランニングと管理の能力 |
| 必須試験 | 建築士試験 |
| 就業分野 | 建築設計事務所、官公署、指定確認検査機関、ゼネコン、ハウスメーカー、工務店、リフォーム会社、不動産会社 |
| 関連職業 | 建築コンサルタント、インテリアデザイナー、家具デザイナー、エクステリアデザイナー、建築主事 |
| 平均年収 | 600万円 |
建築士(けんちくし、英語: architecture license)は、建築物の設計および工事監理を行う職業の免許、あるいはその免許を受けた者である。
各国でいくつか相違があるが、それぞれの言語でアーキテクト(建築士)を意味する名称(中国語 建筑师、畫則師、スペイン語 Arquitecto、英語 Architect、ドイツ語Architekt等)に法的使用制限がある場合、免許を受けた有資格者のみがその名称の使用を許可されている。日本でも資格取得者のみが建築士の名称を使用することができる。また建築物の設計及び工事監理は公共の安全に重大な影響をもたらすので、一定の教育と経験がなければ建築士免許試験を受験することはできない。
日本の中で建築士が生まれた起源は、官製の職業免許である意味合いが強い。かつて日本では建築物の設計および工事監理は、大工などの職人がその役割を担っていた。このため従来から日本の建築業については設計施工一貫方式が社会的には行われており、社会的慣習として設計者の地位は確立していなかった。よって建築士を建築基準法の施行に合わせて、法的な資格として定めた経緯がある。
日本では建築士という資格名称で、建築物の質の向上に寄与するため、建築士法(昭和25年5月24日法律第202号)に拠って国家資格として定められた。建築士は「一級建築士、二級建築士及び木造建築士をいう」と定義されており、それぞれの建築士は「建築士の名称を用いて、建築物に関し、設計、工事監理その他の業務を行う者をいう」と定義されている。
施主である建築主は、工事を請け負わせる建築業者に間取りや意匠へ注文をするが、企業である建築業者は建築主の注文と工事費や工期ばかりを重視する余り、安全性への配慮を怠る危険性がある。したがって建築主の意識が及ばない技術領域での安全性を確保し、国民の財産と生命と健康を守るために建築基準法が制定された。そして建築基準法の目的を実現する手段として建築士制度が設けられた。
建築士の職務は大きく3つに分けられる。
一般には基本設計、実施設計の2段階で行われ、それぞれについて意匠設計、構造設計、設備設計が含まれる。
建築主や現場管理者(施工者の置く現場監督)とは違う第三者の立場で、工事が設計図書のとおりに実施されているかを確認し、建築主への報告と施工者等への必要な指示を行う。
設計前における調査、企画等の業務や、建築工事契約に関する事務、建築工事の指導監督、既存建築物に関する調査、鑑定業務、開発許可、農地転用許可等の手続き業務、各種コンサルティング業務等、建築士の職務は多岐に渡り、それらの一部を専門に行う建築士もいる。
建築士の英訳として使われる「Architect」(アーキテクト)の語源はギリシャ語のArkhitektonであり、Arkhiは英語でChief(主任)、Tektonは英語でBuilder(建築者)の意であることから、「主任建築者」というのが本来の意味である[1]。
日本では1914年(大正3年)に全国建築士会が設立され、「建築士」という言葉をArchitectの訳語として使用するようになった。その後1915年(大正4年)に改称して日本建築士会となり、同会の情報誌「日本建築士」1929年(昭和4年)11月号には、イギリスやアメリカにおけるアーキテクトに相当する職業に従事する者のみを「建築士」と呼んでいた。
その後、1950年(昭和25年)に建築士法が制定され、資格名称とされた。こうして日本の「建築士」は必ずしも欧米などのアーキテクトないしストラクチャラル・エンジニアの観念とは一致しない。制度上は双方の整合性はなく、海外の建築家資格は直ちには「建築士」として認められない。
法務省作成の日本法令外国語訳データベースシステムでは、一級建築士の英訳として「first class architect」「class-1 architect」の2種が使われている[2]。しかし、二級建築士と木造建築士については英訳されておらず、どの範囲をArchitectとして扱っているかは定かでない。
国土交通省作成の「オーストラリア(豪州)におけるアーキテクトの登録制度の概要」という資料中では、「アーキテクト(一級建築士)登録証」との表現もされていることから、概ね同省ではアーキテクト=一級建築士と扱っている。日本の建築士試験の指定試験機関である公益財団法人建築技術教育普及センターでも、「日本においてアーキテクトに相当する資格は一級建築士です」と表示しているが、ここでも、一級建築士をアーキテクトとする一方、二級建築士と木造建築士についてはアーキテクトと扱うかどうかは明確にされていない。同センターの建築士の英訳としては「Architects and Building Engineers」と表示している[3]。このため、Architect と Building Engineerという諸外国とは異なった職能を兼ねている資格名となっている。
戸谷英世『欧米の建築家、日本の建築士』(井上書院、2018)ではある旧建設省住宅局の元審議官の、日本の建築士および建築士法を紹介することになった際、日米両国の建築技術者を比較したところ、日本の建築士の実体に該当する英語が見つからず、日本の建築教育を吟味、検討した結果、アメリカの建築家に求められている知識、能力、経験および業務が、日本の建築士に義務づけている知識、 経験および業務に存在しないことを発見したとし、アメリカ社会で建築家(アーキテクト-Architect)と呼ばれている職能と、日本の建築士とは、能力、その資格要件とその業務の実体がまったく異質な職業としか考えられなかったため、建築士の英語訳に建築家の呼称(アーキテクト)を使うと、建築士の実態を英米語圏の人たちに伝えられないと判断せざるを得ないと考え、「建槃士」と「建築士法」の英文表記を、ローマ字で「KENCHIKUSHI」と「KENCHIKUSHIHOU」で記述せざるを得なかった経験談が記載されている。
国土交通省ウェブサイトにおいて、APECアーキテクト・プロジェクトについて「APEC域内における建築職能サービスの提供に関し、2000年5月のAPEC人材養成作業部会において、建築家の移動を促進する仕組みを構築することを目的としてオーストラリアがAPECアーキテクト・プロジェクトを提案し、プロジェクト開始が決定された」旨を記載しており、同省では、日本ではAPECアーキテクト登録のアーキテクトに一級建築士であることを要件とした。
欧州の産業革命により発展した工業技術は明治維新の日本に持ち込まれ、それまで木造が主流であった日本に組石造や鉄筋コンクリート造の建築物が建てられるようになった。
従来の日本では大工の棟梁が設計と施工を統括していたが、欧州では設計と施工の職域が独立していた。
明治維新の先進的な建築では技術の見識を持つ建築家が設計を担当し施工者を指導して目的の性能を持つ建築物を完成させる分業が始まった。
その後は鉄骨造や膜構造など建築の構法が多様化し職域の専門化と分業化が進んでいる。
近年では意匠と構造と設備に独立した統括者を置くなど設計監理業務が組織化し企業化する傾向にある。
建築物の製造者責任と完成後の維持保全についても社会的関心が高まり、資格者である1人の建築士が全ての責任を負うべきか議論が必要になっている。
日本の建築士制度(1950)の特徴は建築設計者の資格と技術者資格が一体になっていることで, このため建築士の登録者数が多いとされる。日本の建築士の数と欧米諸国の建築家の数を比較すると, イギリス約3万人,アメリカ約8万人に対して、日本の1級建築士の数は32万6000人(2007)を超えており, 日本の建築士の数は圧倒的に多い[注 1]。これは建築士制度に更新制がない生涯資格であること、建築設計者だけでなく、建築関係の技術者を含んでいることなどのためであるとされている[注 2]。MABコンサルティング代表の中小企業診断士で(社)中小企業診断協会東京支部建設業経営研究会幹事、NPO消費者住宅フォーラム理事の阿部守[4]や樋口忠彦新潟大学名誉教授など、土木技術者・土木工学者で取得しているものや坂井信行や司波寛など土木出身で都市計画業に従事しているもの、塩田敏志や佐々木葉二など、ランドスケープアーキテクトで取得しているもの[注 3]、構造エンジニア[注 4]や建築設備技術者、建築施工技術者などまで日本の一級建築士の中には責任ある立場で建築設計等の業務を行っていない者が含まれており、諸外国のアーキテクトとは性質が違うことが指摘されている。この問題について、現に一級建築士事務所の開設者かつ管理建築士である者をもってアーキテクトとするのが妥当であるとの立場では、日本におけるアーキテクトは人口1万人あたり5人程度となり、諸外国のアーキテクト人口比率と同程度の数値となるが、構造設計事務所や建築設備設計事務所の開設者の建築士事務所も、一級建築士の所属する職場、例えば官公庁や自治体建築部局、建設会社設計部所や一級建築士事務所登録をする住宅メーカーや不動産会社なども管理建築士を有する一級建築士事務所である。
| 建築士 | |
|---|---|
| 英名 | Architect |
| 実施国 | |
| 資格種類 | 国家資格 |
| 分野 | 不動産・建築 |
| 試験形式 | 学科、設計製図 |
| 認定団体 | 国土交通省 |
| 等級・称号 | 一級建築士、二級建築士、木造建築士 |
| 根拠法令 | 建築士法 |
| 公式サイト | https://www.mlit.go.jp/ |
年1回行われる建築士試験に合格し、管轄行政庁(国土交通大臣または都道府県知事)から免許を受け、設計・工事監理などを行う。建築士資格の種類により、設計・工事監理できる建築物の規模等に違いがある。近年では建築構造と建築設備の各分野においてそれぞれ構造一級建築士、設備一級建築士の制度を発足させている。2020年4月1日時点での累計登録者数は、一級建築士は371,184人(最高齢は140歳以上となるが実際には半数以上が死亡している。また、法定講習受講者数から現役一級建築士は14万人程度であることがわかる。一級建築士事務所は74,732社)、二級建築士は775,032人(同じく半数以上が死亡しており、現役二級建築士は20万人程度。二級建築士事務所は25,095社)、木造建築士は18,364人(制度が新しいため多くは存命であるが、現役木造建築士は1万人程度。木造建築士事務所は215社)となっている。
ごく小規模なものを除き、建築物の設計又は工事監理を行うには建築士の免許が必要である。他の多くの資格と違い、この制限は報酬を得なくとも、業としてでなくとも適用され[注 5]、たとえ本人の住む家であっても例外ではない。これは建築物が多くの人の生活に密接に関わり、場合によっては命を奪う凶器にもなりかねないことからなされている制限である。医療行為ですら業としてでなければ医師以外の者が行うことを禁止していないことから、建築士の行う設計又は工事監理は大変重い社会的責任の元にあり、公共的性格の強いものであると言える。
1951年から1967年までは5科目(建築計画・建築法規・建築構造・建築施工・建築設計製図)で試験を実施、1968年からは学科試験(建築計画・建築法規・建築構造・建築施工)を合格した者が、設計製図試験を受験できる2段階方式に移行した。2005年の耐震強度偽装事件の結果、2006年に建築士法が改正(2008年施行)され、定期講習の義務化、受験資格要件の見直しなどが実施された。これにより、従来の学科認定が指定科目制(4年ごとに再確認)となった。実務経験要件も設計・工事監理等に資するものに限定された。また、構造設計一級建築士、設備設計一級建築士が設けられ、建築確認審査が厳格化された。
建築士には、一級建築士、二級建築士、木造建築士の3種類があり、その資格により設計・工事監理できる建築物に違いがある。また、いずれかの建築士免許を前提とした資格として管理建築士の免許があり、一級建築士免許を前提とした資格として構造設計一級建築士と設備設計一級建築士の免許がある。
一級建築士は、国土交通大臣の免許を受け、一級建築士の名称を用いて、設計・工事監理等の業務を行うものである(建築士法第二条第2項)。
各号に掲げる建築物を新築する場合においては、一級建築士 でなければ、その設計又は工事監理をしてはならない。 (建築士法第3条)。
一定規模以上の建築物(木造で高さ13 m超又は軒高9 m超、鉄骨造で軒高9m超、RC造又はSRC造で高さ20 m超、その他政令で定める建築物)の構造設計については、構造設計一級建築士が自ら設計を行うか、構造設計一級建築士に構造関係規定への適合性の確認を受ける必要がある。構造設計一級建築士は、構造設計事務所に所属又は主宰する例が多くみられる。構造設計一級建築士は、一級建築士として5年以上の構造設計に関わる業務経験を持ち、構造設計一級建築士講習を受講した後、修了考査の合格後に 構造設計一級建築士証の交付を受けたものを言う。
一定規模以上の建築物(階数3以上かつ5000 m2超の建築物)の設備設計については、設備設計一級建築士が自ら設計を行うか、設備設計一級建築士に設備関係規定への適合性の確認を受ける必要がある。設備設計一級建築士は、設備設計事務所に所属又は主宰する例が多くみられる。設備設計一級建築士は、一級建築士として5年以上の設備設計に関わる業務経験を持ち、設備設計一級建築士講習を受講した後、修了考査の合格後に設備設計一級建築士証の交付を受けたものを言う。尚、一級建築士に加え建築設備士の資格を有する者は、4年以上の設備設計に関わる業務経験が受講資格となる。
上記の二つの建築士は英語圏ではそれぞれStructural Engineer、Equipment Plannerと呼ばれ、アーキテクトに含まれない職種として区別することがある。
二級建築士は、都道府県知事の免許を受けて、二級建築士の名称を用いて、設計・工事監理等の業務を行うものである(建築士法第二条第3項)。
各号に掲げるものを新築する場合においては、一級建築士又は二級建築士でなければ、その設計又は工事監理を してはならない(建築士法第三条の二)。
1984年から制定された資格。木造建築士は、都道府県知事の免許を受け、木造建築士の名称を用いて、木造の建築物に関し、設計、工事監理等の業務を行う者である。
木造の建築物で、延べ面積が100 m2を超えるものを新築する場合においては、一級建築士、二級建築士又は木造建築士でなければ、その設計又は工事監理をしてはならない。 つまり、木造建築士は、木造建築物で延べ面積が300 m2以内、かつ2階以下のものを設計・工事監理ができる。
建築士事務所の開設者は、その事務所を管理する専任の一級建築士、二級建築士又は木造建築士を置かなければならない(建築士法第24条第1項)。これを管理建築士という(建築士法第24条第2項)。
2008年11月28日以降、建築士として3年以上の設計その他の国土交通省令で定める業務に従事した後、国土交通大臣の登録を受けた登録講習機関が行う管理建築士講習の課程を修了することが要件となっている(建築士法第24条第2項)。
2010年11月28日に施行された建築士法の第22条、第22条の2には、建築士事務所に所属している建築士は3年以上5年以内において国土交通省令で定める期間ごとに、一度、定期講習を受ける義務があると定められている。なお、建築士法施行規則において、この期間は、3年以内と定められている[5]。
一級建築士、二級建築士、木造建築士が設計するもの以外の小規模な建物は建築士の免許がない者でも設計できるが、建築確認申請は必要であり、添付する設計図書等の作成を代理できるのは建築士と行政書士に限られる。
なお、防火地域及び準防火地域外における10 m2以内の増築については、建築確認申請も不要となるが、建築基準関係規定への適合は必要であり、違反建築物には取り壊し命令が出される場合もある。
建築士は一定規模以上の「設計」及び「工事監理」ができるとともに、建築士法第21条によって「建築に関する法令若しくは条例の規定に基づく手続の代理その他の業務」が定められており、建築士は「建築に関する」ものである限り広範な業務を行うことができる。主な行政先例は下記の通り。
設計・工事監理としての色が強い建築士だが、他の法律で定める技術者等として従事することもできる。
試験は年1回行われ、「学科の試験」と「設計製図の試験」に分かれている。「設計製図の試験」は「学科の試験」に合格しなければ受験することができず、前年度に「学科の試験」に合格した者は当該年度の「学科の試験」が免除される。
一級建築士試験では、複雑高度な技術を要する建築物の設計及び工事監理や、二級建築士、木造建築士の指導に携わるのに必要な知識、技術、職業倫理が問われる。
二級建築士試験、木造建築士試験では、個人住宅など日常生活に必要な建築物の設計及び工事監理に必要な知識、技術、職業倫理が問われる。
出題される問題は、建築技術教育普及センターから委任を受けた大学教授らの有識者グループが作成する。作成者には資格の有無は問われない[6]。
建築士受験に際しての資格取得予備校なども存在する。
2008年11月28日改正の建築士法以前は、所定の学校や職業訓練施設の課程を修めて卒業後、所定の実務経験を積むことで建築士試験の受験資格が得られる方式であった。
2008年度(平成20年度)以前の入学者に適用される(旧)学歴要件について、一級建築士の場合、条件区分と建築に関する最終卒業学校の学科・課程と学歴資格、建築実務の経験年数は、(一)に大学(旧制大学含む)の場合、建築または土木系学科卒業後建築実務の経験年数2年以上 、(二)に3年制短期大学(夜間部を除く)の場合、建築または土木系学科卒業後建築実務の経験年数3年以上 、(三)に2年制短期大学の場合、建築または土木系学科卒業後建築実務の経験年数4年以上で 、高等専門学校(旧制専門学校を含む)の場合、建築または土木系学科建築実務の経験年数卒業後4年以上 、(四)に二級建築士の場合、二級建築士として建築実務の経験年数4年以上 である。
この他に、(五)その他国土交通大臣が特に認める者(平成20年国土交通省告知第745号ほか)では 、建築設備士が整備士として建築実務の経験年数4年以上 、そのほかは所定の年数以上 としている。現在の設備一級建築士は建築設備技術者専門の資格として設置されたが、受験資格に、昭和25年の建築士法制定時、建築士の受験資格を電気工学科、機械工学科出身者に与えないこととした経緯が残る。その理由について建築士資格提案者の田中角栄衆議院議員(当時)は「議論の余地があるが、建設工学的な面で、電気、機械、衛生等の学科まで、土木、建築と同日に論ずることに疑問がある」と回答している[7]。
二級建築士の場合、条件区分と建築に関する最終卒業学校の学科・課程と学歴・資格、建築実務の経験年数は 、(一)に大学(旧制大学含む)または高等専門学校(旧制専門学校を含む)卒業者では 、建築系学科卒業後は即受験可能であるが、土木系学科は卒業後の建築実務の経験年数1年以上 、(二)に高等学校(旧制中等学校を含む)建築または土木系学科卒業後の建築実務の経験年数3年以上 である。
2018年12月14日改正・2020年3月1日施行の建築士法により、実務経験は原則建築士免許の登録要件とされ、建築士試験の受験には原則実務経験を要さないこととなった[注 6]。
| 建築に関する学歴等 | 建築実務の経験年数 | |||
|---|---|---|---|---|
| 大学 (旧制大学を含む) |
経営工学(建築専攻)、建築設備工学、構造工学、住居学、環境工学、環境設計学、建設工学等 | 0年 | ||
| 経営工学(土木専攻)、都市工学、衛生工学、交通土木工学、建築基礎工学 農業工学、農林工学、農業土木、農林土木、社会工学等 |
卒業後 1年以上 | |||
| 大学(旧制大学、短期大学を含む) 又は高等専門学校(旧制専門学校を含む) |
建築 | 0年 | ||
| 土木 | 卒業後 1年以上 | |||
| 工芸、家内工芸、木材工芸、工芸図案、工芸デザイン、デザイン、工業デザイン、産業デザイン、 工業経営(建設、機械)、機械、造船、航空、農業工学、農林工学、農業土木、農林土木等 |
卒業後 2年以上 | |||
| 高等学校 (旧制中等学校を含む) |
建築 | 卒業後 3年以上 | ||
| 土木 | 卒業後 3年以上 | |||
| 設備工学 | 卒業後 3年以上 | |||
| 工芸、家内工芸、木材工芸、工芸図案、工芸デザイン、デザイン、工業デザイン、産業デザイン、 工業経営(建設、機械)、機械、造船、航空、農業工学、農林工学、農業土木、農林土木等 |
卒業後 4年以上 | |||
| 職業訓練校 (高卒後) |
建築、建築製図、ブロック建築、プレハブ建築、建設等 | 修業3年 | 修了後 1年以上 | |
| 修業2年 | 修了後 2年以上 | |||
| 修業1年 | 修了後 3年以上 | |||
| 職業訓練校 (中卒後) |
建築、建築製図、ブロック建築、プレハブ建築、建設等 | 修業3年 | 修了後 3年以上 | |
| 修業2年 | 修了後 4年以上 | |||
| 修業1年 | 修了後 5年以上 | |||
| 専修学校 (高卒が入学資格) 又は 各種学校 (高卒が入学資格) |
建築 | 区分I(注) | 修業2年 | 0年 |
| 区分II(注) | 修業2年 | 卒業後 1年以上 | ||
| 修業1年 | 卒業後 2年以上 | |||
| 区分III(注) | 修業2年 | 卒業後 2年以上 | ||
| 修業1年 | 卒業後 3年以上 | |||
| 土木、工芸、家内工芸、木材工芸、工芸図案、工芸デザイン、デザイン、工業デザイン、 産業デザイン、工業経営(建設、機械)、機械、造船、航空、農業工学、農林工学、農業土木、農林土木等 |
修業2年 | 卒業後 2年以上 | ||
| 修業1年 | 卒業後 3年以上 | |||
| 専修学校 (中卒が入学資格) 又は 各種学校 (中卒が入学資格) |
建築 | 修業2年 | 卒業後 4年以上 | |
| 修業1年 | 卒業後 5年以上 | |||
| 土木 | 修業2年 | 卒業後 5年以上 | ||
| 修業1年 | 卒業後 6年以上 | |||
| 職業訓練大学校 建築(長期指導員訓練課程)、職業訓練短期大学校 建築、中央鉄道学園 建築(大学課程)、国立工業教員養成所 建築、官立実業学校教員養成所 建築 | 0年 | |||
| 防衛大学校 土木、国立工業教員養成所 土木、官立実業学校教員養成所 土木 | 卒業後 1年以上 | |||
(注)区分I、II、IIIはそれぞれの課程により、異なる。
この他に 、(三)にその他国土交通大臣が特に認める者(「知事が定める建築士法第15条三号に該当する者の基準」に適合する者は所定の年数以上で学校教育法による学校卒業者ごとに細かく建築実務の必要経験年数の設定がなされている[8]。
建築士法の改正に伴い、2009年度入学の学生からは、同じ学校の同じ学科や職業訓練施設の課程を卒業したとしても、指定科目の履修状況と単位の取得状況によりそれぞれ必要な建築実務の経験年数が異なることとなった。
具体的には、四年制大学、防衛大学校、職業能力開発総合大学校長期課程又は職業能力開発総合大学校東京校応用課程の卒業者、高等専門学校(本科と専攻科)、職業能力開発大学校(応用課程の卒業者)、専修学校(修業年限が4年であるもの)で単位数により卒業後2年以上から4年以上、短期大学(修業年限が3年であるもの)で単位数により卒業後3年以上から4年以上、短期大学、高等専門学校(本科)、職業能力開発総合大学校(専門課程のみの卒業者)、職業能力開発大学校(専門課程のみの卒業者)、職業能力開発短期大学校で卒業後4年以上の実務経験が必要と定められた。
| 分類 | 4年制教育課程 | 3年制教育課程 | 2年制教育課程 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| (1)建築設計製図 | 7単位以上 | 7単位以上 | 7単位以上 | |||
| (2)建築計画 | 7単位以上 | 7単位以上 | 7単位以上 | |||
| (3)建築環境工学 | 2単位以上 | 2単位以上 | 2単位以上 | |||
| (4)建築設備 | 2単位以上 | 2単位以上 | 2単位以上 | |||
| (5)構造力学 | 4単位以上 | 4単位以上 | 4単位以上 | |||
| (6)建築一般構造 | 3単位以上 | 3単位以上 | 3単位以上 | |||
| (7)建築材料 | 2単位以上 | 2単位以上 | 2単位以上 | |||
| (8)建築生産 | 2単位以上 | 2単位以上 | 2単位以上 | |||
| (9)建築法規 | 1単位以上 | 1単位以上 | 1単位以上 | |||
| (1)から(9)の計(a) | 30単位以上 | 30単位以上 | 30単位以上 | |||
| (10)その他(b) | 適宜 | 適宜 | 適宜 | |||
| (a)+(b) | 60単位以上 | 50単位以上 | 40単位以上 | 50単位以上 | 40単位以上 | 40単位以上 |
| 建築実務の経験年数 | 卒業後2年以上 | 卒業後3年以上 | 卒業後4年以上 | 卒業後3年以上 | 卒業後4年以上 | 卒業後4年以上 |
なお、二級建築士及び木造建築士については前述の学校等で指定単位を取得して卒業すればより少ない実務経験年数で免許登録でき、高等学校、中等教育学校で指定単位を取得して卒業することでも必要実務経験年数の短縮が可能である。また、これまでは認定された大学・学科側で建築士法に掲げられた内容の科目を設置して講義を開講し、 都道府県の担当者が受験資格要件を満たす学科であるかどうか審査し認証していたが、今後は、審査については建築技術教育普及センターの建築士試験指定科目確認審査委員会により、科目審査に当たる。これとともに、大学側については、学生の単位取得状況をひとりひとり確認し、建築士試験の指定科目修得単位証明書を発行するというシステムに変更された。
さらに、建築士免許登録における実務経験としてこれまで認められていた大学院課程については、今回の改正によって、在学期間中に一定の実務実習(インターン)を積むことを条件とすることとなった。これを受けて、建築実務の各方面において大学院生に実務実習の機会を与える必要が生じている。建築士法には「建築物の設計又は工事監理に係る実践的な能力を培うこと」を目的として建築士事務所等で行う実務実習を「インターンシップ及び、それに必要となる科目に係る単位」と記載されている。
そして一級建築士免許の登録申請の際に、大学院発行の「大学院における実務経験に係る修得単位証明書」を提出する。実施している大学院等については、「実務経験要件の単位となるインターンシップを実施する大学院」(https://www.kenchikushikai.or.jp/torikumi/internship/daigakuin.html)を参照。取得の単位数を「大学院における実務経験」に該当する年数に換算、30単位以上又は15単位以上修得した場合に2年又は1年の実務経験とみなされることとなる。
職業訓練課程での取得可能の訓練校については、建築関係の認定職業訓練施設一覧を参照。
建築の専門教育を受けていない者の場合、二級建築士又は木造建築士の受験資格を得るには7年以上の実務経験が必要である[注 6]。更に一級建築士として免許登録するには、一級建築士試験に合格[注 7]したうえで、二級建築士になった後4年以上の実務経験[注 8]が必要である。このため、一級建築士として免許登録するには合計11年もの実務経験が必要ということになる。
実際には、二級建築士試験の受験申込から合格し免許が与えられるまでの期間もあるため、二級建築士試験に一度の受験で合格したとしても、最短で12年の期間がなければ実務経験のみで一級建築士免許を取得することはできない。それを避けるため、一級建築士になろうとする者の多くは、大学、専門学校などで専門的な建築学の教育を受け、その程度に応じた実務経験期間の短縮を利用している。しかし最大限に短縮されたとしても、必要な教育及び実務経験の合計が6年を下回ることはない。
実務要件についても、下記の通り定められている。
| 平成20年11月28日以降の実務経験要件 | |
|---|---|
| 「建築実務の経験」として認められるもの | ◎設計・工事監理に必要な知識・能力を得られる実務 (1)建築物の設計(建築士法第21条に規定する設計をいう。)に関する実務 (2)建築物の工事監理に関する実務 (3)建築工事の指導監督に関する実務 (4)次に掲げる工事の施工の技術上の管理に関する実務 イ 建築一式工事(建設業法別表第一に掲げる建築一式工事をいう。) ロ 大工工事(建設業法別表第一に掲げる大工工事をいう。) ハ 建築設備(建築基準法第2条第三号に規定する建築設備をいう。)の設置工事 (5)建築基準法第18条の3第1項に規定する確認審査等に関する実務 (6)消防長又は消防署長が建築基準法第93条第1項の規定によって同意を求められた場合に行う審査に関する実務 (7)建築物の耐震診断(建築物の耐震改修の促進に関する法律第2条第1項に規定する耐震診断をいう。)に関する実務 (8)大学院の課程(建築に関するものに限る。)において、建築物の設計又は工事監理に係る実践的な能力を培うことを目的として建築士事務所等で行う実務実習(インターンシップ)及びインターンシップに関連して必要となる科目の単位を所定の単位数(30単位以上又は15単位以上)修得した場合に実務の経験とみなされる2年又は1年の実務 ※1 建築士等の補助として当該実務に携わるものを含む。 ※2「建築実務の経験」には、単なる写図工若しくは労務者としての経験又は単なる庶務、会計その他これらに類する事務に関する経験は含まない。 |
| 一部が「建築実務の経験」として認められるもの | 一部の期間「建築実務の経験」と認められない業務を含んでいる場合(認められない業務の期間を除いた期間とする。) |
| 「建築実務の経験」として認められないもの | 「建築実務の経験」として認められるもの以外の業務 (1)単なる建築労務者としての実務(土工、設計事務所で写図のみに従事していた場合等) (2)昼間の学校在学期間(中退者の在学期間を含む。) |
このため、新制度から土木工学系の学科では軒並み資格指定をされない学科となったり、埼玉大学のように建築教育担当をおいてカリキュラムを整備したなど、対応はさまざまである。
土木工学課程出身で建築家の例は戦前までの山口半六、阿部美樹志の例や、高校が建築科で大学の専攻が土木の出江寛などや近年でも西村浩、贄田健一[9]、猪狩典子[10]、貴志泰正[11]、伊達宏晶[12]らの例がある。もともと地方では家業が建築関係(工務店)であるが、近傍の大学には建築学科がなく、土木工学科に進学し建築士を目指す者も幾人かいたが[13] 2008年度以降の改正により、各大学で対応が迫られた[14]。
公立大学法人大阪市立大学工学部の都市基盤工学科で土木工学科から改組した2005年から2008年度までに入学した学生が、卒業後の所定の実務経験(2年)だけでは一級建築士の受験資格を取得できない者が出てきていることが判明し、本来得られる1級建築士の受験資格がカリキュラムの不備で申請できないという事態が起こる。当時の履修要覧等において、法改正前の卒業後に所定の実務経験(2年)があれば一級建築士の受験資格が得られる学科、と記載していた。ところが、都市基盤工学科のカリキュラムが「一級建築士の受験資格に係る教育課程認定の運用基準」(2003年(平成15年)4月改訂)の要件である、住宅や建築物等の設計製図に対応していなかった。当該時期の卒業生の1級建築士の受験資格は、前回の士法の規定(一級建築士試験の受験資格)第14条「一級建築士試験は、次の各号のいずれかに該当する者でなければ、これを受けることができない――学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)による大学(短期大学を除く。)又は旧大学令(大正七年勅令第三百八十八号)による大学において、国土交通大臣の指定する建築に関する科目を修めて卒業した者であつて、その卒業後建築に関する実務として国土交通省令で定めるもの(以下「建築実務」という。)の経験を二年以上有する者」が適応の予定であった。現在同学科は都市学科と改名し、同学部の建築学科の指定科目履修で建築学科と同様の実務経験最短年数(一級:2年 二級・木造:0年)で取得が可能である。[4]
2019年現在で土木系学科で所定実務経験を経て建築士受験資格取得できるカリキュラムがある大学・高専は以下の通り。
さらに、令和2年3月1日の建築士法改正により、令和2年度(2020年度)から下記のように変更となる[15][16]。
1については、これまで実務経験は受験資格要件としていたのであるが、免許登録要件とした。つまり、原則として試験合格の前後にかかわらず、免許の登録の際までに実務経験を該当必要年数積めばよいこととなった。
このため建築士の受験資格を定める法14条一号から実務経験にかかる記述と(一級)、法15条一号から実務経験にかかる記述(二級)が削除された。このことから指定学校で指定科目を修めて卒業の場合ならば、建築士を直ちに受験できる。つまり令和2年3月以降に大学を卒業した者は、卒業年の7月に行われる一級建築士試験を受験できるようになり、工業高校等でも指定科目を修めて卒業すれば、直ちに卒業年の二級建築士を受験できるようになった。
そして、受験資格要件が学歴だけでなく、二級建築士や建築設備士など、他の建築関連資格の取得と実務経験という組み合わせも登録要件となった。
また、大学院等の専門課程「インターンシップ及び、それに必要となる科目に係る単位」修得を経ての場合は、試験合格していればすぐに建築士の業に従事が可能となった[17]。
(一級の場合)
| 受験資格要件 | 登録までに必要な実務経験の年数 |
|---|---|
| 大学卒業 | 2年以上 |
| 短期大学(3年)卒業 | 3年以上 |
| 短期大学(2年)卒業または高等専門学校卒業 | 4年以上 |
| 二級建築士 | 二級建築士として4年以上 |
| 国土交通大臣が同等と認める者 | 所定の年数以上 |
| 建築整備士 | 建築整備士として4年以上 |
(二級の場合)
| 受験資格要件 | 登録までに必要な実務経験の年数 |
|---|---|
| 大学・短期大学・高等専門学校卒業 | なし |
| 高等学校、中等教育学校 | 2年以上 |
| 実務経験7年 | 7年以上 |
| 都道府県知事が同等と認める者 | 所定の年数以上 |
2については、従来でも一級建築士の学科試験に合格した者は、その年の設計製図試験のほか、翌年、翌々年についても学科試験が免除され、設計製図試験のみとすることができたが、改正によりさらに設計製図試験の受験タイミングが緩和された。
令和2年からの学科試験に合格した者はその年を含めて、5年以内に実施される設計製図試験のうち、3回を任意に選択して学科免除で受験することが可能となった。
3については、令和2年からの受験者について、実務経験の条件まで見直され、対象実務の範囲が拡大された。
調査や評価、検査なども実務経験として認められるようになり、また土地区画整理事業などの都市計画事業、建築教育や既存建築物の利活用などが追加された。
下記表のうち、太字が追加変更になった項目。
| 実務内容 | 項目 | 例など |
|---|---|---|
| 建築物の設計に関する実務 | 建築物の特定の部分・機能に係る設計 | |
| 基本計画策定に係る業務のうち、建築士事務所で行われる建築物の設計に関する図書の作成に係る業務 | (図書を作成するために必要となる直接的な業務を含む) 例:設計与条件整理、事業計画検討など |
|
| 建築士事務所で行われる標準的な設計を行う業務(単なるトレースである業務は除く) | 例:事務所内部で使用する標準仕様の作成、BIM部吊の作成など | |
| 解体工事に係る設計 | ||
| 建築積算関連業務 | (単なる計算業務を除く) | |
| 建築工事の指導監督に関する実務 | 法令に基づく法人による建築工事の指導監督に関する実務 | 例:住宅瑕疵担保責任保険にかかる検査業務(保険検査)、住宅性能表示制度における性能評価業務(性能評価)、独立行政法人住宅金融支援機構の適合証明業務(適合証明)、建築物エネルギー消費性能適合性判定業務(省エネ適判)など (単なる記録に係るものは除く) |
| 建築物に関する調査又は評価に関する実務 | 建築士事務所で行われる建築物に関する調査又は評価に係る業務 | 例:既存建築物の調査・検査、調査結果を踏まえた劣化状況等の評価、建築基準法第12条第1項に規定する定期調査・報告など |
| 建築工事の施工の技術上の管理に関する実務 | ■以下の業種区分に係る施工の技術上の管理 建築ー式工事、大工工事 以下のいずれも満たす工事
|
例:鉄骨工事、鉄筋工事、解体工事(4号建築物以外のものに限る)など |
| 建築設備の設置工事に関する施工の技術上の管理の実務 | ||
| 建築・住宅・都市計画行政に関する実務 | 建築行政※ | 例:建築基準法等に係る個々の建築物の審査/検査/指導/解釈/運用等に係る業務、法律に基づき行う認定・審査・判定を行う業務、建築物に係る技術的基準の策定業務など ※従前は、建築確認及び消防長、消防署長が建築基準法第93条第1項の規定によって同意を求められた場合に行う審査に関する実務のみが対象であった。 |
| 住宅行政 | 例:建築物の性能向上等を図る補助金の審査業務、特定空家等の調査など (建築物に直接関係する業務に限る) |
|
| 都市計画行政 | 例:市街地再開発事業、土地区画整理事業など (具体的な建築物の整備等に係る業務に限る) |
|
| 建築教育・研究・開発及びそのほかの業務 | 建築土試験に係る全科目を担当可能※でありかつ設計製図を担当する建築教育の教員の業務 | ※所属長が該当性を証明 |
| 建築物に係る研究 | (ただし査読を経て学会誌に掲載等されるなど、第三者による一定の審査を経て公表等されるものに限る) | |
| 建築士事務所で行われる既存建築物の利活用検討・維持保全計画策定の業務 | (ただし、建築物に直接関係する業務に限る) |
ただし、対象実務は拡大したが、実務経験の証明はより細かくなり、実務経験の申告に必要な第三者の証明となる実務経歴証明書について、建築土事務所での実務の場合では管理建築士又は所属建築士に、それ以外での実務の場合該当法人による証明に限定され、実務経験内容もより詳細な申告を求めるようになっている。そして証明書の末尾には「虚偽の証明をした場合は、処分や告発の対象となり得る」と明記されている。
おおむね一級建築士試験は10%程度、二級建築士試験は20%程度、木造建築士試験は40%程度となっている。なお、受験資格が厳しく設定されているため、単純に合格率から難易度を判断することはできない。例えば一級建築士試験の合格率は二級建築士試験の約半分であるが、単純に約2倍難しいだけかと言えばそうではなく、一級建築士試験の受験者が既に二級建築士試験合格者のレベルにあることを考慮する必要がある。かといって、二級建築士レベルの受験者が約10%しか合格できない試験であれば一級建築士試験のほうが約10倍難しいかと言えばそうとも言い切れず、製図試験が全く異なった内容であることも影響するため、単純な数値としての判断はできない。
| 年度 | 一級建築士 | 二級建築士 | 木造建築士 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 学科 | 製図 | 総合 | 学科 | 製図 | 総合 | 学科 | 製図 | 総合 | |
| 2024年(令和6年) | 23.3% | 26.6% | 8.8% | 39.1% | 47.0% | 21.8% | 57.3% | 70.8% | 39.9% |
| 2023年(令和5年) | 16.2% | 33.2% | 9.9% | 35.0% | 49.9% | 22.3% | 65.2% | 70.4% | 44.5% |
| 2022年(令和4年) | 21.0% | 33.0% | 9.9% | 42.8% | 52.5% | 25.0% | 62.6% | 59.0% | 35.5% |
| 2021年(令和3年) | 15.2% | 35.9% | 9.9% | 41.9% | 48.6% | 23.6% | 49.9% | 67.7% | 33.0% |
| 2020年(令和2年) | 22.8% | 35.2% | 10.6% | 41.4% | 53.1% | 26.4% | 53.0% | 72.1% | 37.8% |
| 2019年(令和元年) | 22.8% | 35.2% | 12.0% | 42.0% | 46.3% | 22.5% | 56.1% | 59.4% | 33.3% |
| 2018年(平成30年) | 18.3% | 41.4% | 12.5% | 37.7% | 54.9% | 25.5% | 57.4% | 64.9% | 35.8% |
| 2017年(平成29年) | 18.4% | 37.7% | 10.8% | 36.6% | 53.2% | 24.3% | 48.1% | 76.0% | 40.1% |
| 2016年(平成28年) | 16.1% | 42.4% | 12.0% | 42.3% | 53.1% | 25.4% | 61.4% | 56.4% | 35.5% |
| 2015年(平成27年) | 18.6% | 40.5% | 12.4% | 30.1% | 54.0% | 21.5% | 54.7% | 50.5% | 27.3% |
| 2014年(平成26年) | 18.3% | 40.4% | 12.6% | 37.9% | 55.3% | 24.3% | 52.6% | 71.9% | 40.0% |
| 2013年(平成25年) | 19.0% | 40.8% | 12.7% | 28.3% | 53.0% | 19.5% | 47.5% | 58.6% | 28.7% |
| 2012年(平成24年) | 18.2% | 41.7% | 12.4% | 33.0% | 52.5% | 23.1% | 47.3% | 68.8% | 33.2% |
| 2011年(平成23年) | 15.7% | 40.7% | 11.7% | 38.2% | 52.6% | 24.8% | 52.7% | 63.8% | 35.1% |
| 2010年(平成22年) | 15.1% | 41.8% | 10.3% | 39.4% | 52.1% | 24.3% | 61.6% | 62.3% | 37.0% |
| 2009年(平成21年) | 19.6% | 41.2% | 11.0% | 32.9% | 53.0% | 22.8% | 55.1% | 62.9% | 33.7% |
| 2008年(平成20年) | 15.1% | 41.7% | 8.1% | 37.5% | 52.0% | 22.4% | 60.9% | 68.1% | 40.3% |
| 2007年(平成19年) | 11.3% | 49.4% | 8.0% | 31.9% | 50.9% | 19.7% | 56.4% | 78.9% | 44.6% |
| 2006年(平成18年) | 10.0% | 31.4% | 7.4% | 37.3% | 55.8% | 25.4% | 75.6% | 49.0% | 32.6% |
| 2005年(平成17年) | 25.0% | 30.3% | 11.1% | 33.2% | 54.5% | 23.3% | 74.5% | 74.4% | 53.6% |
| 2004年(平成16年) | 25.2% | 33.5% | 10.5% | 43.9% | 55.9% | 27.6% | 69.9% | 76.6% | 52.6% |
| 2003年(平成15年) | 14.5% | 40.3% | 8.1% | 42.2% | 55.5% | 26.5% | 71.7% | 66.6% | 46.2% |
| 2002年(平成14年) | 10.6% | 36.6% | 6.4% | 32.0% | 56.1% | 23.2% | 58.1% | 79.3% | 44.4% |
| 2001年(平成13年) | 12.7% | 33.0% | 6.9% | 37.0% | 54.5% | 24.7% | 53.3% | 58.0% | 30.2% |
| 2000年(平成12年) | 18.3% | 44.3% | 11.4% | 36.4% | 55.5% | 24.1% | 55.7% | 68.7% | 38.0% |
| 1999年(平成11年) | 18.1% | 45.6% | 11.7% | 35.1% | 56.6% | 24.3% | 70.3% | 67.9% | 45.3% |
| 1998年(平成10年) | 18.6% | 46.3% | 11.6% | 35.9% | 56.9% | 24.7% | 70.4% | 64.0% | 40.2% |
| 1997年(平成9年) | 18.0% | 47.6% | 11.7% | 35.7% | 57.1% | 24.7% | 70.3% | 71.5% | 48.0% |
| 1996年(平成8年) | 17.8% | 47.0% | 11.9% | 35.8% | 54.8% | 23.7% | 69.9% | 73.3% | 47.2% |
| 1995年(平成7年) | 19.0% | 47.0% | 11.9% | 35.3% | 53.6% | 22.9% | |||
| 1994年(平成6年) | 17.9% | 49.9% | 12.1% | 35.4% | 53.9% | 22.9% | |||
| 1993年(平成5年) | 17.5% | 48.8% | 12.0% | 36.0% | 54.9% | 23.7% | |||
| 1992年(平成4年) | 19.1% | 47.3% | 12.4% | 36.1% | 52.6% | 22.9% | |||
| 1991年(平成3年) | 19.2% | 47.5% | 12.4% | ||||||
| 1990年(平成2年) | 18.6% | 47.7% | 12.2% | ||||||
| 1989年(平成元年) | 18.1% | 48.0% | 11.8% | ||||||
| 1988年(昭和63年) | 18.5% | 48.5% | 12.3% | ||||||
| 1987年(昭和62年) | 18.3% | 49.1% | 12.3% | ||||||
| 1986年(昭和61年) | 17.4% | 49.7% | 12.1% | ||||||
建築士試験の合格者にはA4判の賞状タイプの合格証が発行されていたが、平成20年11月28日の建築士法改正により運転免許証と同サイズの携帯型免許証に移行されることとなった[18]。この時の改正により重要事項説明の際の免許証掲示が義務化されたため、携帯可能なサイズとする必要があった[19]。また、当時紙の合格証を偽造し建築士を騙る事件が起こっていたため、偽造防止のために携帯型免許証には顔写真の掲載とICチップが組み込まれている[20]。ICチップには定期講習受講記録や違反記録が記録されている。
建築士法は1950年(昭和25年)7月より施行されたが、一級建築士及び二級建築士に関する規定の施行は1951年(昭和26年)7月とされた(法附則第1項)。法施行以前から建築士の業務を行っていた者については、一級建築士については建設大臣、二級建築士については都道府県知事により、それまでの学歴及び実務経験による選考が行われ(法附則第2項、第3項)、23,000人の一級建築士と38,000人の二級建築士が合格とされた[21]。
建築士に関する逸話として、しばしば「(一級)建築士第1号は田中角栄(元首相)だ」といわれることがあるが、これは誤りである。田中が、「建築士法を議員立法として引き受け成立させた功で一級建築士資格をもらった」との邪推からくる誤解といっていい。確かに田中は、彼自身最初の議員立法として同法の提案者となり、法制定後、「(自分も)一級建築士にしておいてくれ」と秘書を通じて語ったとされる。しかしながら、田中の実務経験は土木が中心だったため、当時の建設省担当者たちが苦心して建築の経験を拾い上げて資格を授与させた、というのが正しい。それでも、選考の途中では田中を第1号とする方向で進められたこともあったらしいが、最終的には極めて事務的に決められ(当時の選考担当者の証言)、山形県在住者の渋江菊蔵が第1号となった。ただし、同法の成立を実質的に牽引した、時の建設省建築指導課長・内藤亮一すら、のちに「田中角栄が一級建築士第1号」と語っており、そのせいで誤解が定着してしまった可能性がある[21]。なお、田中の実際の番号は第16,989号である[22]。
丹下健三など戦前より活躍した著名な設計者が一級建築士資格を持たなかったといわれることもあるが、これもおおよそ誤りで、丹下らのように法制定時すでに建築に関する実務経験を有していた者たちは、たいてい試験を経ることなく選考によって資格を得ている[23] (丹下の登録番号は15,182)[21]。
「法制定当時は級別でなく単一資格だった」との誤解もあるようだが[誰によって?]、これも誤りで、法の構想当初より、日本の場合には西洋とは異なり一般住宅の設計・工事監理に資格認定された技術者の関与が必要という考えから、何らかの級別の資格とする前提で構想が着手され、法制定時にも一級建築士・二級建築士という名称で定められている[24]。
アメリカ合衆国は連邦共和制の国であり、Architect(建築士)についての法律も各州毎に規定されている。しかし各州で共通する部分も多く、法律上の資格者以外がArchitectを名乗ったり、設計や工事監理等の建築業務を行うことは禁止されている。
法律上の資格者となるには、全米建築士登録委員会協議会(National Council of Architectural Registration Boards、NCARB)の実施する建築士試験に合格し登録を受ける必要があり、受験資格として基本的には専門教育と実務経験の双方とも要求されるが、州によっては専門教育を受けずとも8年間程度の実務経験を積むことによって受験が許可されるようになる場合もある。 建築家の加盟する組織としてアメリカ建築家協会(American Institute of Architects、AIA)があるが、日本の建築士会と同様に加入義務はない。
中国では注冊建築師条例によって定められ、全国注冊建築師管理委員会の行う一級注冊建築師試験に合格することで一級注冊建築師になることができる。1995年に改正された比較的新しい制度となっており、試験は8科目で構成され、4日間かけて行われる。下位資格として二級注冊建築師がある。
台湾では建築師法によって定められ、考選部の実施する建築師高等考試に合格し内政部から免許の交付を受けることで建築師となる。建築師資格取得後、2年以上の実務経験を積み建築師開業証明書を取得することで、開業建築師となることができる。2000年に法改正がされており、最も新しい部類の制度となっている。
韓国の建築士制度は、国土海洋部が主管する「建築士法」に基づいている。過去には一級建築士と二級建築士に分かれていた時代があったが、1977年以降は「建築士」のみとなっている。建築士となるためには建築士資格試験に合格する必要があり、その前提として建築士予備試験に合格する等の方法で建築士補となる必要がある。また、建築士の加盟する組織として建築士法に基づいて大韓建築士会が設立されている。
インドネシアでは、建設サービス法により建築士資格が定められている。Arsitek(建築士)となるには、まず建築分野の学位を取得し最低2年の実務経験及びその他の条件を満たすことで初級建築士の資格を得る。次に、専門性向上のため最低2種のコースを受講するとともに最低5年の実務経験及びその他の条件を満たすことで準建築士の資格を得る。更に、専門性向上のため最低4種のコースを受講するとともに最低12年の実務経験及びその他の条件を満たすことで建築士(Arsitek)の資格を得ることができる。
イギリスでは、1931年に制定され1997年に改正されたen:Architects Act(建築士法)によりen:Architects Registration Board(建築士登録委員会)が定められ、ARBに登録する (en:Registration_of_architects_in_the_United_Kingdom) ことで法律上の資格者となり、「Architect」の名称を使用することができる。しかし業務の独占は定められていないため、Architect以外の者でも設計、工事監理等の業務を行うことができる。
当初の法(Architects_(Registration)_Acts,_1931_to_1938)では登録簿への建築家の名前の入力と登録簿からの名前の削除に関する付随規定が含まれていたが、その後改正。1931年の法律により「the Register of Registered Architects」という名前が付けられましたが、1938年の法律によりその名前は「the Register of Architects」に変更された。登録簿への登録は常に自発的な申請に基づいて行われてきたが、年間登録料の支払いが条件となっており、法律によって常に登録機関に登録簿の最新版を毎年発行することを義務付けられてきた。この登録簿の設立は、1837 年にウィリアム4世による認可によって法人化された英国現役建築家のための専門団体である王立英国建築家協会(Royal Institute of British Architects、RIBA)による長年の交渉の結果である。イギリスではRIBAは建築家の所属する組織としてあるが、日本の建築士会と同様に加入義務はない。
登録簿の維持は、1997年7月から「Architects Registration Board」という法定名称を持つ団体の責務となっている。この機関は英国政府によって省庁に属さない公的機関(Non-departmental_public_body、NDPB)とみなされているが、イギリス高等裁判所の行政裁判所で司法審査(Administrative_Court)を必要とする。
フランスでは、1977年の建築法で名称の独占と業務の独占が定められている。国立建築学校等の学位(fr:Diplôme d'architecte diplômé par le gouvernement)を得ることで、法律上の資格者となりArchitecte(建築士)を名乗ることができるが、175平米を超える建築設計業務を行うためには建築士会の地方評議会に登録する(fr:Habilitation_à_exercer_la_maîtrise_d’œuvre_en_nom_propre, HMONP)必要がある。建築家ジャン・プルーヴェは資格を持たず、そのためか自らをarchitecteではなくconstructeurと呼んでいる。
ドイツでは、連邦法によってではなく各州ごとの建築士法によってArchitekt(建築士)の登録制度を定めているが、全ての州に共通して、法律上の資格者以外がArchitektを名乗ることは禁止されている。各州には建築士法に基づいて建築家会議所(Architektenkammer)が設立され、各州の会議所を統括する組織として連邦建築会議所(Bundesarchitektenkammer、BAK)が設立されている。
イタリアでは、5年間の建築専門教育を修了することで建築学士となることができる。つまりイタリアで建築家という職業に就くには、建築学/建築工学の修士号、クラスLM-4(旧制度クラス4/S)が必要で、イタリアでの大学建築学科は、1999年8月2日付法律第264号により、国が直接一元的に組織する学生数限定の学位コースのひとつであり、イタリアの法律では建築学科を卒業した者は、その時点で土木や建築エンジニアと同等の特権を有する。Architetto(建築士)となって設計等の業務を行うためには、国家試験に合格するとともに[25]、専門家団体である「Architetti, Pianificatori Territoriali, Paesaggisti e Conservatori dei beni architettonici e ambientali」への登録が許可される。実務経験は要求されない。
イタリアでは改革により、都市計画家、造園家/ランドスケープアーキテクト、建築・環境遺産の保存修復家(en:Architect conservators)らが統合された職能団体であるOrdine_degli_Architetti,_Pianificatori,_Paesaggisti_e_Conservatoriが、専門家保護の最高機関であり、建築家の居住地に基づいて州単位で組織され、最近では専門家の居住地を居住地と同一視する欧州基準も導入されている。国家試験に合格した後は、定期的に登録することができるとしているが、イタリアでは歴史的建築物に関する業務もまた、特定の法律に縛られた建築家の独占分野となっており、現在、it:CNAPPC統一登録簿に規定されているように、資格によって異なるクラスとカテゴリーとなっている。
イタリアでは、3年制の土木・環境工学系学位課程もあり、その卒業生(クラスL-17 建築学および建築工学、クラスL-23 建築科学と技術、クラスL-7)には、ジュニア・アーキテクト・プランナー登録簿(it:Albo degli Architetti e Pianificatori iunior)に登録するための資格試験を受ける資格、が与えられる。彼らの肩書きはジュニア・アーキテクト(it:architetto iunior)となり、専門的な領域においてある程度の制限を受けることにはなる。すなわち、上級の建築家やエンジニアの設計活動に協力したり、標準化された方法論を使用して簡単な土木建築に関しての自律的な形で課題を遂行したりすることができるようになるというものである。
建築分野のその他の専門職には、it:dottore agronomo(農業専門士)、it:geometra(測量士)、建築専門のit:perito industriale(建築専門家perito edile)がある。これらの専門職は、建築のほか測量、地形造成および土木建築設計に関して基本的かつ補足的な側面を学ぶことを目的とした、別途の課程(dottore agronomoの場合)またはより短い履修課程(geometraおよびperito edileの場合)を経て従事しているため、建築家やエンジニアに比べて、量的な制約がある。
イタリアには自由建築家協会(Associazione_liberi_architetti、ALA)という、イタリアのフリーランスの建築家、エンジニア、ランドスケープアーキテクト、プランナー、修復家が集まる団体も1999年にローマで設立されており、協会の目的として、イタリアの建築、建築環境、景観の質を促進し、イタリアのデザインスタジオの成長と組織化を支援し、国内および国際的なフィールドで競争する能力を向上させることとしている。その役割を果たすために、ALAはイタリアのフリーランスの専門家が活動する枠組みを改善するための法律案を作成・支援し、メディアへの多数の介入や記事によって専門的な政策方針を表明している。協会はローマに本部を置き、ヴァッレ・ダオスタ州、ピエモンテ州、リグーリア州、ロンバルディア州、ヴェネト州、ボルツァーノ自治州、トレント自治州、フリューリ・ヴェネツィア・ジューリア州、エミリア・ロマーニャ州、マルケ州、トスカーナ州、ウンブリア州、ラツィオ州、アブルッツィ州、モリーゼ州、プーリア州、カンパーニャ州、バジリカータ州とルカニア州、カラブリア州、シチリア州、サルデーニャ州といった、イタリア全土の地域に支部を置いている。そして専門職の社会的代表としての機能を持ち、CGIL、CISL、UILからなる労働組合のカウンターパートと、専門職スタジオの従業員のための全国労働協約や、イタリア自由職業連盟Confprofessioni、およびそれを通じてブリュッセルに本部を置くヨーロッパ自由職業連盟CEPLISに加盟しているほか、2年に1度開催される国際デダロ・ミノッセ賞の創設と協賛、建築家とクライアントのストーリーを伝える一連の映画を上映する隔年イベントデダロ・ミノッセ・シネマの創設とプロモート団体でもある。他国の同様の建築家協会と協力しており、特にアメリカ合衆国建築家連盟AIAを通してアメリカの建築家、さらにバルト諸国の建築家、ロシアの建築家、フィリピンの建築家、ブエノスアイレスの建築家、ASJを通して日本の建築家らと協力協定を結んでいる。
コストコ#東日本大震災に伴う崩落事故、懈怠 (法学)#建築士法等、建築物の設計及び工事監理は公共の安全に重大な影響をもたらすため、建築士の社会的責任は大きい。 日本においては2005年に発覚した建造物の構造計算書を偽造する事件が、建築士の社会的信用を傷つける事件であった。
事件後調査において、他の構造偽装例は僅かであったが、下請設計者において本来一級建築士のみ可能な規模の建築物の構造設計を二級建築士が行っていたり、建築設備の設計を設計資格者ではない建築設備士、技術士等が建築士事務所登録を受けずに下請けとして請負っていた事が判明した。
これら無資格者への設計委託を厳格に禁止する為、「再委託規制」「重要事項説明義務」「構造設計一級建築士」「設備設計一級建築士」が新たに設けられ、不用意な資格者以外への設計業務委託が行われないよう厳しく管理することが建築士に義務付けられた。この問題に関しては、そもそも建築確認検査業務を民間に開放したのが間違いとして、国の責任を問う意見も多かった。
2007年には大手ハウスメーカーが事業主で横浜市西区に建築計画していた9階建マンションの構造計算書が、マンション設計を担当した建築設計事務所から受注した構造設計事務所から下請けとして担当した一級建築士に偽造されていたことが横浜市の調査などで発覚。他の共同住宅や公共建築にも関与していた疑いがもたれた。
2008年にはハウスメーカーに所属していた同社社員が静岡県浜松市内の戸建住宅やアパートなど10棟について市長印付の公文書書類を偽造して確認申請書に添付、このうち3棟については建築確認もなしに着工、このため有印公文書偽造・同行使容疑で逮捕され、国土交通省は2009年4月9日付で同社の管理建築士に建築士としての業務停止と、工事監理者に業務停止3月の懲戒処分を下している。
このように、建築士法第23条の二(登録の申請)において、建築士事務所の登録をする際、開設者と管理建築士を届け出るが、管理建築士・設計者・工事監理者といった建築士資格者が厳格に処罰される一方、建築士事務所の開設者・経営者が無資格者である場合は、実質的な主導者であっても責任が曖昧にされることが多い。
下記の4賞が世界的に最も良く知られている。
日本国内の建築については、日本建築学会から贈られる日本建築学会賞と、吉岡文庫育英会から贈られる吉岡賞が知られている。
(architect から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/19 07:12 UTC 版)
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建築家(けんちくか、英: architect)は、建築の設計や監理、その他関連業務など建築関係のプロフェッショナルサービスを提供する職業、あるいはその専門家[1]。
建築家の仕事は、建築物や建築物を取り巻く敷地内の空間を設計し、人間の占有や使用を主目的としたサービスを提供することを意味する。建築家は建築物のいわば「作者」でもあり、建築物および屋内外の環境(場合によっては都市環境の一部)を計画および設計する専門職である。
なお、建築物のデザインに特化した者も多く存在しており、その者のことを「建築デザイナー」と称する場合もある。
アーキテクト(建築家)の語源は、ラテン語のarchitectusであり、そのラテン語はギリシャ語のアーキテクトーン((arkhi-(長。頭。) + tekton(建てる人))であり、「建築にたずさわる人々の長(頭、リーダー)」といった意味である[2]。→#語源
建築家が決定することは人々の生命や財産に大きな影響を及ぼす重大なものとなるので、ほとんどの国で建築家となるには専門資格(ライセンス)が必要となっている。日本でも建築家の仕事を行うには建築士資格が必要だと法規で定められている。ほとんどの国・地域では、「建築家」[3]および「ランドスケープアーキテクト」という用語の専門的および商業的使用は法的に保護されている。つまりほとんどの国では資格が無いのにみだりに(勝手に)「建築家」と名乗ることは法規で禁じられている。EU諸国では建築の仕事は法的に規制されているものであり、「建築家」という称号と建築専門職として実践する権利の両方が法的に保護されており、建築教育を受け、必要な単位を取得し教育過程を正規に修了した者だけが使える商号となっている。EU諸国の多くでは、何らかの形の登録システムもあり、正規に建築家として登録されていない場合は建築家になることはできない。
詳細を見ると、国や地域によって建築家になるための実践的・技術的・学問的要件は異なる(本記事の後半を参照)。建築家の仕事をするには、実際問題として、「実践的な経験」と「体系的で、高度な知識」の両方が必要なので、実務 (またはインターンシップ)と専門教育の両方が必要と定めている国が多い。建築家の教育については、建築、ランドスケープアーキテクチュア、インテリア建築、または計画のいずれかの学位の取得を定めている国が多いが、必ずしも大学などの高等教育機関の「建築科」などで学ばなくてもル・コルビュジエや安藤忠雄などのように独学で学ぶこともできる。建築家の仕事をするには、建築家を補助する立場で実務経験を一定年数以上積んだことが建築家として登録することの要件になっていたり、補助的立場で一定年数以上の実務経験を積んで筆記試験の受験資格を得た上でその筆記試験にも合格しなければ資格が得られないようになっている国も多い。→#建築家の、職業上の資格要件
なおアーキテクトとアーキテクチャという用語は、造園、造船、情報技術(ネットワークアーキテクトやソフトウェアアーキテクトなど)の分野でも使用されている。
古くから中世の歴史を通して、多くの建築設計と建設は、石造りの石工や大工のような職人によって行われ、マスタービルダーの役割を果たしていた。現代まで、建築家と建築エンジニアの間に明確な区別は無かった。ヨーロッパでは、タイトルの建築家とエンジニアは主に同じ人物を指す地理的なバリエーションであり、しばしば同じ意味で使用されていた[4][5]。古代 ギリシャではこの称号は重要な建物の設計と施工両方に責任を負う人物を指しており、そうした人物は美学と建築の両方に精通しており、建築現場での作業を指示し、建築資材の供給などを手がけていた。そこからデザイン理論が分野に発展し、建築家がますます全体的計画までに取り組んで、多かれ少なかれ現代までに至っている。
技術と数学の様々な開発が、実践的な職人とは別のプロの「紳士」たる建築家の発展を可能にしたことが示唆されている。設計図を紙に書くことは、ヨーロッパでは15世紀までは行われていなかったが、16世紀に入ると徐々に紙が使われるようになった。西暦1600年までには設計図における鉛筆の利用も増えていった。紙と鉛筆が利用可能になったことで、建設前の図面は専門家によって作成されるようになった。同時に、2次元の3次元建物を記述するための異なる投影法の使用や、寸法精度の理解の向上など、線形の視点や技術革新の導入は、建築設計者がアイデアを伝えるのを補助してきた。しかし、開発は徐々に進んでいた。18世紀まで、建築物は高水準のプロジェクトを除いて職人によって設計され、設定され続けた[6]。建築家を旧来の構成のもとに位置付ける向きが確立するのは17世紀頃で、以降建築あるいは芸術のアカデミーを設立してその会員として建築家を推挙する制度ができるが、これが芸術家としての確立である。1671年に創設されたフランス建築アカデミーが最初である[7]。
英語の「architect」の語源はラテン語のarchitectusであるが、さらにそのラテン語の語源はギリシャ語の「ἀρχιτέκτων (architéktōn) アーキテクトーン」である[9]。この「アーキテクトーン」という用語は2つの部分で構成されており、「ἀρχι アーキ」(最初に存在する者。命令する人。〜の長。)+ 「τέκτων テクトーン」(職人、建てる人)という構成になっている。つまりもともとは、建築に関わる職人たちに命令をする立場の人、という意味の表現である。文字通り、建築の仕事をする人々の「頭(かしら)」「長(ちょう)」という意味である。
なお「ἀρχι アーキ」は接頭辞であり、「アーキビショップ ärke + biskop」(大司教つまり司教たちの長(頭))や「ärke + fiende」(敵のボス)という表現でも使われており、 マイスターや親方も指す。「τέκτων テクトーン」のほうは建築に直接関わる現場の人々全般(大工やさまざまな職人など)を意味する。
古代ギリシャ・ローマでは、建築術をはじめ土木技術、造兵技術、機械技術を含んだ「大技術者」、いうなればクラフトマン(工匠)で「大工」という意味であった。中世ヨーロッパに大聖堂を築いた工匠は存在しても、建築技術者は一般に職人と見られていた。
12世紀以前には修道院や教会の建築は、歴史的建築物や測量に造詣のある修道士が行っていたが、建築物の複雑化などから、11世紀半ばには建築主の要望を聞き、測量して図面を引く建築の専門家に委託する例が現れるようになった。優れた建築家は賛美される反面、他の地に同じような建物を建てられることを嫌った建築主に処刑されることもあった。故に初期ゴシック期の建築では、建築家が名声を得ることを建築主、建築家の双方ともに恐れたため、可能な限り名は伏せられた[10]。
アーキテクトの地位が確立したのはルネサンス期以降で、アーキテクトの名前が作品とともに伝えられるようになった。15世紀イタリアのブルネレスキがアーキテクトの始めとされる。当時、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に世界最大のドーム屋根をかけることが課題となっていたが、巨大な足場が必要になるため、建設は非常に困難と見られていた。ブルネレスキはこの課題に合理的な解決をもたらし、足場を築かずにドームを造る方法を提案して、ドームを完成させた。また、万能の天才といわれた人文主義者アルベルティは『建築論』を著し、学問的に建築学を位置づけた。これらの人物の活動によって、次第に職人とは異なり、高い教養と科学的知識を持つアーキテクトの職能が確立していった。イタリアなど南欧諸国においては、ルネサンス期以降、アーキテクトは主に社会的な事業に関わる芸術家として尊敬を集めてきた。こうして、アーキテクトが芸術家的意味を帯びるのは15世紀のイタリア・ルネサンスに始まると同時に建築の形態が学問として科学的に解析検討され、芸術としての本性が追求された。アーキテクトは技術者との職分から、学者であり芸術家・デザイナーとしての側面を持つに至る。
ところが、イタリアに比べ当時は後進国であったイギリスでは、環境芸術家や都市デザイナー、アーキテクト的な側面は、イギリスで中世以来発展してきたサーベイヤー(測量技師、調査師または調査官などと邦訳される)という職能の一部として機能する。そして、このイギリス的特性の中で形成されていくのが、近代的アーキテクト像とされる。イギリス最初期にデザイン系のアーキテクトとなるイニゴー・ジョーンズや後のクリストファー・レンなど、多くの著名なアーキテクトは、当初王室サーベイヤーとして活躍し、のちにアーキテクトへと発展し、建築作品を残していく。たとえば、1666年当時のロンドン大火後の再建計画を国王や市に寄せた幾人か、クリストファー・レンのほか友人のジョン・エブリン、その他ピーター・ミルやリチャード・ニューコート、バレンタイン・ナイトなど、この時点では専門のアーキテクトでも都市計画家でもなく、本職をもちながらサーベイヤーを委嘱されていた人物らである。
この一群の中から、南ヨーロッパ伝統の、芸術家的側面のアーキテクトとは異なる、技術的な側面の強い近代主義のアーキテクトにつながるもう一方の系統が生じ、さらにギルト・職能主義の進展、近代的教育組織や職能団体を結成し、さらに国家試験を課して資格制限を目指す排他性を基調とした動向などに伴い、サーベイヤーからアーキテクトは分離独立していく。1761年には王室建設局が、それまで長らく使用してきたサーベイヤーという職名からアーキテクトという呼称に切り替えていく。こうして発生した英国内のアーキテクトは、根本的には芸術家であるからとの理由で、画家や彫刻家と同列にとどまろうとはせず、すでに多くの機会に彼らは弁護士に伍する専門家として、すなわち意匠設計に携わることだけに劣らず、建設の際施主の経済的また利害の保護に携わる高潔、聡明の士、として活動することになる。
サーベイヤーという器の中で成長してきたイギリスのアーキテクトは、その歴史をみるとおり、芸術家というより、不動産としての建築をつくる立場から、職能的倫理や資格が問われていたのであり、1838年創立の英国建築家協会(後の王立英国建築家協会, RIBA)の憲章に、建築家は本来、施主と施工者との中間者である、と説かれているのは、このような立場からである。近代的アーキテクト像がアーティスト的性格と、サーベイヤー的性格を統合する形で成立していったのには、このような歴史的背景がある。
日本では伝統的に設計と施工を兼ねる大工棟梁がいた。Architect の概念は、明治時代以降に輸入されたもので、まずは明治政府が雇用したお雇い外国人トーマス・ウォートルスやジョサイア・コンドルらが活躍した。次いで旧官立大学を中心に西欧の建築学が導入された。東京駅の設計で知られる辰野金吾は工部大学校(後の東京帝国大学工学部)1期生である。
Architecture は当初「造家」と訳され、1886年に工部大学校卒業生を中心に「造家学会」が設立された。やがて伊東忠太による提案を受け、1897年に建築学会(現・日本建築学会)と改称した。伊東は、「造家」では技術的な要素が強すぎるので、芸術的な要素を強調するため「建築」という名称を主張したものであったが、すでに明治6年に発行された英和辞書でconstructionを「建築術なり」と称していた。
これに対する反発として、大正時代に日本建築士会と関西建築協会(現・日本建築協会)が結成された。日本建築士会は設計と施工の分離を主張し、西欧の Architect に相当する地位を確立すべく、「建築士法」制定運動を起こした。1925年に「建築士法」案が議会に提出されたが、建築界全体の足並みがそろわず、成立を見なかった。
建築家に対する職業上の資格要件は国によって異なるが、通常は大学の学位または高等教育、インターンシップまたはオフィスでの訓練の期間、および管轄権の登録のための検査という3つの要素から成り立っている。
19世紀後半より前に建設プロジェクトの設計と監督に従事していた専門家は、必ずしも学術的な設定で別の建築プログラムで訓練されたわけではない。代わりに彼らは通常見習いとして何年も奉仕した後にマスタービルダー、またはサーベイヤーの称号を携えた(サー・クリストファー・レンのような)という。 学術機関における建築に関する正確な研究は、職業全体の発展において極めて重要な役割を果たし、建築技術と理論の進歩の焦点となっている。
英語を使用する主要国としてあげられることの多いイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアの4か国を始め、他の英語使用国も含め「Architect」は法定上は登録制でその名称使用が認められているという称号資格名が主となっている[注釈 1]。日本の建築士試験の指定試験機関である公益財団法人建築技術教育普及センターウェブサイトの「ヨーロッパにおける建築教育とアーキテクト制度」[11]にあるとおり、ヨーロッパ諸国においても業務独占と名称独占に関してはさまざまである。
日本の建築士資格制度は、建築士の資格を有する人に対して、名称の独占と建築設計業務の独占を与えている。これと同じ制度を採用しているのはフランスやアメリカなどである。日本の制度は、欧米の制度と比較見劣りのしない制度になっているが、内容的には大きな違いがある。
オーストラリアでは、建築家の称号は、州および準州の建築家登録委員会を通じて登録されたものに合法的に制限されている。これらの委員会は、オーストラリア建築家認定評議会 (AACA)を通じて提携している[12]。AACAはまた、移住やオーストラリアでの建築家としての登録を目的として、海外資格を持つ建築家のための評価も実施する。建築大学大学院はAACAとオーストラリア建築家協会によって共同で合意された手続きに基づいて、州および準州の委員会によって認定されている。登録には認定建築学校からの専門職学位には少なくとも2年間の実務経験とそして建築実習試験の完了という3つの重要な要件がある。建築家はまた職能組織であるオーストラリア建築家協会 (旧ロイヤルオーストラリア建築家協会)のメンバーでもある。メンバーは名義文字RAIAを使用するが、同国ではすべての州および準州には、タイトルアーキテクトの使用を管理し、登録アーキテクト以外の者がタイトルを使用することを違法とする法律がある。ただし正確な要件は異なる可能性があるため、各州の関連法を確認することが不可欠である。
南アフリカでは[13]建築は資格に応じて:(Pr.Arch)プロの建築家、プロシニア建築技術者 (Pr.S.Arch T.)、プロの技術者(Pr.Arch T.)、またはプロのドラフト担当者 (Pr.Arch ドラフト。)という四つのカテゴリーの一つで従事することができる。あるカテゴリーから次のカテゴリーへの転職の可能性は規則で規定されているため、改定検討中である。大学を通して勉強するときプログラムは2つの部に構造化される。ひとつは建築学の学士号またはBSc(建築)に通じる3年のコースである。2つ目は、2年間の追加の大学院課程、専門家学位である。 大学によっては、建築学士号または建築修士号のいずれかになる。学生は最初の学位を取得した後大学を卒業でき、そして上級建築技術者になることができる。工科大学(または総合大学)で学んだ場合、建築学のコースは3年間の国立ディプロマで、さらに1年間の研究の後にはB.Techの学位を取得する必要がある。これらにより、学生はそれぞれ建築技術者または上級技術者になることができる。ドラフト担当者になるには、(2年間の)国家証明書が必要である。卒業後、「候補者」として2年間のインサービストレーニングを受けてから、プロフェッショナルプラクティス試験を受ける。さらに南アフリカの建築専門家協議会にも登録する必要がある。資格のある建築家は、南アフリカ建築家協会のメンバーになることができる。
ヨーロッパ諸国も建築家は称号として、自国の建築家協会会員になった場合のみ授与されるというようなしくみとなっているが、ポルトガルやフランスについては、所定の実務経験をへて、オーストリアは実務経験と試験とで、イタリアは試験を経てと、会員になるのに各国で多少の相違がある。教育機関からの証書が発行されただちに建築設計に従事することができるしくみのスペインやオランダ、ルーマニアのケースなどや、実務経験を経ることによってみなされるベルギー、ギリシャのようにあくまで経験により、他分野からの参入で従事できるケースの場合もある。ベルギーは国内にある国が認める建築学校での5年間の教育を受けるが、学業期間内に法律で定められた試験と研修義務をクリアーする必要があり、また卒業後も国家試験を受けて資格を得るスタイルではなく、国内の建築家協会に登録されている事務所で2年間の研修が義務付けられ、その研修報告と受け入れ事務所の報告書が国に提出されて審査を受け、建築家として認定される。ヨーロッパは基本的に学校を卒業すれば建築家で、ヨーロッパ内でどの国でも通用する。国家によって与えられた証明証書があり、これにより建築家と称する。ヨーロッパでは特にスペインやイタリアなどでは建築家の資格を取るのが非常に難関で相当の年数と教育や研修を受け、学ぶ科目もかなり広範囲である。EU加盟国にある学校で加盟国建築協会に加入しているならば、その加盟校の卒業生は加盟国内で建築家として活動することができることになっている。
フランスではDPLGというフランス政府公認建築家資格があり、公認される6年制学校を最終試験で卒業すると基本的には建築家の資格が授与される。次にフランス政府公認建築家営業権の収得となるが、年によって試験制度は変化し、大学の教育のほかに自分の責任でまとめたプロジェクトのプレゼンテーションなど、建築理論面が重視されうる。同国では175平方メートルを超えるものをすべて資格をもった建築家が設計することになっているが、それ以下のものは資格がなくても設計できるため、一般の住宅会社については資格のある建築家なしで家をたてることができる。
フランスでは、専門的要件としてプロジェクトマネージャ(フランス語でmaîtred'oeuvre)として活動するには、 建築家は建築学の修士号を取得していること、自身の名前でプロジェクト管理のための能力証明書を保持すること、建築家の役職と職業を保護するフランスの機関であるNational Architects Order Boardに登録されていること、職業賠償責任保険に加入している、という要件を満たさなければならない。
フランスでは、職業は1977年の法律[14]によって定義され、規制されている。「建築は文化の表現である。 建築設計、建物の質、周囲の環境への調和のとれた取り込み、自然景観や都市景観の尊重、建築遺産は公共の関心事である。 当局と、アプリケーションの処理中に、この関心の遵守を保証するために細分化する権限から建築許可を発行する責任を負う」 といったこの法文はとりわけ、建築家として実践するための教育上の要件、および建築の専門職を行使するための規則をタイトルIIIおよびIVを設定している。1977年の法律によれば、「建築許可申請の対象となる建設を請け負うことを望む人は誰でも、建築プロジェクトを確立するために建築家に頼らなければならない 」等建築家への必須の頼りを備えられて以降、建築プロジェクト契約面積が170平方メートルを超える場合建築家との契約が必須となる(この値は、農家の建物で800平方メートルまで)[15]。それ故建築の国立学校、そして国立建築家注文委員会もあわせフランスの建築の管轄はフランス政府の文化局に完全に依存されている。教育は公立学校であるフランスの国土全体に広がる20 ENSA(国立建築高等学校)学校の1つによって提供され、授業料は年間約700ユーロ上昇。フランスのEtudes d'Architecture (フランス語)を参照。
フランスでは有資格者で、かつ建築家として登録した人しか設計業務を行うことができないが、有資格者でも職域によっては登録できないことが特徴である。フランスでは建設会社などに所属する建築設計士もおり、これらが第三者性が確保できないという理由からである。
アイルランドの建築の主要機関はアイルランドの王立建築家協会、RIAIである。会員は接尾辞 MRIAIを使用することができ、会社の文房具などにタイトル「Architect」を使用できるように登録されている。なおタイトルは近年制度保障されたばかりである。 アイルランドは法律的に名称独占も業務独占もない国の一つである。しかし、これにかわってアイルランドではRIAIの会員制度が機能している。つまり大学で建築教育を受けた者に入会資格が与えられ、倫理規定が課せられる実質的に、外部にわかる形で、建築家の名称保障がなされている。
登録建築家になるのには認識プロフェッショナル・プラクティス資格の一つであるRIAI[1] に許可を得るために通常の経験承認が2年以上で、続いて建築の認定学校で5年間のフルタイムの研究を行うので、全体として登録を取得するには最低7年かかる。この詳細はRIAIのウェブサイトにあるが、 登録簿への代替ルートとして、ARAE(Architects Register Admission Examination) [2]を利用できる。これは必要な教育および職業資格を持たない人がアイルランドで登録簿に入る機会を提供、この審査は2009年以来成功裏に実施されている。 アイルランドの建築家協会は、2007年建築管理法第3部に対応して設立された老舗の自主建築家のグループである。同法は、アイルランド共和国で「建築家」という用語の使用を統制することを初めて求めている[16]。同グループは、職業における自己訓練建築家の以前の地位を回復するための法律改正のロビー活動もしている。
工学系学部にも建築課程のあるイタリアでは、建築家の名称をシビルエンジニアには与えないが、設計の業務独占は両者に与えるという現実的解決策をとっている。 イタリアで建築の職業に就くためには、個人は最初に建築の学位または建築工学の学位を取得し、次に4つのテスト(3つの筆記と1つの口頭)で州試験に合格することによって得られる専門資格を受ける必要がある。実際には建築家はOrdine degli architetti (建築家の順序)に登録する必要があるが、最近の改革後に計画者、造園家、および保全専門家(建築遺産)も含まれる。要件は州ごとにまとめられており、登録は建築家の居住地に基づいている。オーダー内には特定の資格に応じて現在いくつかのクラスとカテゴリがある。なおイタリアの法律は適切な令で登録された建築技術者に対しても同等の権利を認めている。建設業界での他の専門家は建設に特化したジオメトラ (測量士)とペリト産業 (技術エキスパート)がある。これらの専門家は建築家やエンジニアと比較していくつかの制限があるが、彼らは建築作業の基本的かつ補完的な側面を学ぶことを目的とした異なる短期の学習コースで修了しているからである。
イタリアではL'architetto navale造船アーキテクトは建築の学位を持ち、造船の分野に従事する[17]。すなわち建築が船体形状の設計や静水圧、流体力学、海上維持、操船特性の研究を扱う造船学の一分野である[18]。 この科学分野を建築分野として扱うため、一般の建築家は、造船アーキテクトと区別するために、しばしばarchitetto civile(土木建築家)と呼ばれる(1923年12月31日付R.D.2909号「国家試験に関する処分」に基づくarchitetto civileとして)。そして建築および建設工学出身者は1999/509 の大学制度改革により学位クラスの名前が確立されて以降、工学部のクラス 4/S の卒業生となり、その分野においては同じ法で認可される。この点については、AUIC-ARCH コースと AUIC-ING コースの両方を改革したミラノ工科大学の建築・都市計画・建設工学科(Scuola di Architettura Urbanistica ingegneria delle costruzioni del Politecnico di Milano)の例で説明ができる。エンジニアの育成を目的とし、注目すべきは、旧課程の卒業生も全員、1999/509 以降の新課程の学位を取得していることが明らかなことである。
英国では、「建築家」という名前、スタイル、またはタイトルを掲げての活動は建築家登録委員会に登録されているものに法律で制限されている。登録に必要な資格と経験を取得するには、通常最低7年間かかる。登録を希望する者は最初に認定大学レベルの建築学校で勉強する必要がある。大学によっていくつかのバリエーションがあり、基本原則は建築家として資格を得るための候補者は王立英国建築家協会によって管理されるが、候補者は建築学の学位(通常3年または4年、通常はBA、BSc、またはBArch)を取得修了し、建築家の事務所で仕事の経験を積んでRIBA Part Iから免除を受ける、その後候補者は大学院卒業(Dip Arch)、修士(MArch)、またはB(Arch)のいずれかを取得するために、通常2年間の大学院卒業コースを修了する必要がある、そのコースを完了すると候補者はRIBAプロセスのパートIIから免除を受ける、その後候補者は職業実務管理におけるRIBAパートIII試験の受けるが受験を許可される前に、少なくとも1年以上の経験を積む必要がある、 という3つの段階を通過しなければならないということになっている。
英国は、英国王立建築家協会:(RIBA)とが推奨する中建築家登録委員会(ARB)に一連の検査を通じて題され、学位を取得する方法は7年間続く。学位習得に3年間の - RIBA試験の最初の部分|インターンシップの1年間 - 2年間の集中コース|RIBA試験の第2部 - インターンシップのもう一年|RIBA試験の第3部、という期間を費やす。前述の試験の第1部と第2部は、「追加資料」を含む候補者が作成した「分析的解説」に基づいており、審査官の審査が続く。修習の最後の1年後、RIBA試験の第3部は、以下のガイドライン:実践の背景|アーキテクチャにおける管理|建設管理|実務管理と経営管理、を考慮して候補者を評価する。
Architectのタイトルは英国で法律で保護されている。建築家1997年の法で上記の修練を規制される。建物の行為の伝統的な発展は、クライアントがプロジェクトを実行する建築家を選択し、それはクライアントの代わりに建物の責任者となる(対照的に工業用建物の役割は、エンジニアまたはプロジェクトを担当するエンジニアリング会社に相当)。前述のケースでは、アーキテクトはエンジニアとコストのエキスパート(数量調査士である積算士)の選択についてクライアントにアドバイスする。後者は、材料のコストを見積もり、文書を準備し、建物の許可を得る責任がある。建築家は、しばしばコストエキスパートと共に建設会社を選択、それによって下請けされる会社も決まる。それが示されているように、このモダリティにおける建築家の中心的役割は、他の専門家によって占有されることがある。特に、建築検査員は、保守またはリハビリプロジェクトで通常この機能を実行する。
ただしイギリスは法律的に建築家の名称独占だけで、業務独占のなされておらず、これは意外と思う人がいるかもしれないがサーベイヤーの伝統からか、建築家のみに設計業務の独占権を与えることに強い反対があったためのようである。実態としては建築家の設計責任が大きいため通常の建築については建築家に設計が依頼されている。
北欧と称される5カ国では、アイスランド以外のスウェーデン、ノルウェー、フィンランドの3カ国には、建築家制度のような試験制度はもとより、登録規定制度などもないことが知られている。各国で所管される建築関連法規にも建築家などについての規定はなく、建築家としての業務は法的な保護はなされてはいない。このため建築設計に従事するにあたって免許等は必要なく、適格な判断は地方自治体などに任されている。デンマークで建築家を目指すのであれば、国内に2つある建築学校どちらかを卒業し、その学校の最終学年の試験が年2回行われ、無事にパスをすると協会への入会資格が与えられる。建物のデザインだけを扱うのではなく、家具や照明器具や食器、あらゆるものの「デザイン」をする職能となっている。建築設備や構造などは建築家教育施設とは別のテクニカルスクールでしか学ぶことができない。ノルディックカントリーであると、資格制度がないため、大学の建築学科学士と修士で5年間の教育を受け、肩書き「sivil architekt」が認定される。
これらの国でアーキテクトという名称は、建築に関する学位取得した者を指している。ただし学位授与自体が法的にも保護されており、建築候補者という卒業生称号が国によって証され、一般に学位取得者が建築の実務を行うに当たる資質を有するとみられているのである。さらに取得者は各国で建築家協会が組織されており、この組織への入会条件ともなっている。協会に入会せずとも民間での実務を行うこと自体はできるが、国や自治体等での業務を委託するには経験や専門性の証明要求がなされる。
たとえばスウェーデンは建築家の称号が守られていない数少ないEU諸国のひとつではあるが同国では建築資格を取得し(EU資格指令に適合する)、少なくとも2年間の実務経験を持つ建築家が保護称号建築家SAR / MSAを使用することが一般的である。建築家SAR / MSAの職業上の称号はSveriges Arkitekterによって発行され、その組合員のことである。それは建築家のための品質保証として役立っている。一方かなり小規模な職業団体であるArkitekter In Swedenは、タイトルアーキテクトAISを発行している。また環境デザイナー/ランドスケープアーキテクトにはLAR / MSA、インテリアアーキテクトにはSIR / MSA、プランニングアーキテクトには FPR / MSAを発行している。
建築教育には、建物や建物の環境の計画、設計、管理、更新に関するコースが含まれている。スウェーデンでは、5つの大学の専門課程(チャルマース工科大学、スウェーデン王立工科大学、ルンド大学(旧ルンド工科大学)、ブレーキンゲ工科大学、ウメオ大学)が建築家に就任する権利を有している。同国の建築学位は、学部レベルの学士号および上級レベルの修士号の学位が取得されたときに取得される上級レベルの専門学位である[19]。学士号には180単位、修士号には120単位が必要である。これは5年間のフルタイムの研究に相当している。職業学位と同様に、学部によって学位の専門分野も異なっている。例えば、チャルマース工科大学の建築プログラムでは、理学士号 (Techn、サマルカンドまたは、学士号)や科学修士と選出タイトルの科学(修士)がある。
専門資格の認定に関するEU指令2005/36 / EC(資格指令)は、建築トレーニングおよびその他の資格を他のEU諸国またはEFTA国で認定するための要件を定めている。建築の学位は高等教育条例の付録2に規定されており、上記のEU資格指令の品質要件に準拠している。またより上の建築家の学位もまたヨーロッパ建築指令に準拠しているがこれは、スウェーデンの訓練を受けた建築家が他のESS国でも同じ権限を持つことを意味している。このため同国では新しい建築学位プログラムを2007年7月1日以降に教育を始めた者から改めた。ただし2007年7月1日より前にプログラムを始めた者にはそのために古い建築学位270単位(4.5年間の学習)も含められる。建築プログラムの資格を得るためには基本的な資格に加えて数学C、化学A、物理A(あるいは化学および物理の代わりに自然科学A + B)および社会科学Aのような自然科学研究が必要):BI、BII(高等学校の学年単位)、HP(高等教育単位)、AU(建築試験のポイント)が必要で、競争は高い入学要件と毎年数千人の申請者があり激しい。高等学校の成績と大学のテストからの入学ポイントではそれぞれ約22と1.9ポイントである。入学ポイントは年によってそして学校によって異なるが、一般にこれらのレベルにある。
スウェーデンで最初に認定された女性建築家スネルマン(Brita Snellman)の場合、1920年に工科大学の建築学部に属する余剰学生であった。翌年、法律の女性が正規学生にならなければならないという規定によりヘデモラで1922年に石工としても修業し、1924年に建築を卒業。同年の8月にHjortの建築事務所に雇用された[20]。
スウェーデンでは19世紀以降、「芸術的な」建築家と、その後「要塞技術者」と呼ばれていた建築家を区別することがある。この違いは、ストックホルムには実際には2つの建築学校があるという事実にも見ることができる。
スウェーデン王立工科大学|KTHの建築学部では、修士号プログラムDesign and Constructionが2002年に60ポイントで設立された。プログラムを申請するには建築工学または建築教育から120単位の学士号を取得する必要があった。設計と建設の修士課程は、建築家やエンジニアとして働く機会を持つ180クレジットを含んでいた。ルレオ工科大学では、建築系の工学学位が2005年に設置された。ただし、このトレーニングには少数の建築課程が含まれているのみのため、伝統的な意味での建築家学校とは見なされない。この教育は建築学の学位ではなく別の修士号につながっている。 2006年秋からチャルマースでは建築家としても土木技師としてもダブルディグリーの機会を提供する新しい教育制度がある。このカリキュラムは建築と技術という名称で、300から360クレジットである。
ドイツの場合も、修了証書が国によって保証されており、学位を取得し2年間の実務を経て、建築家会議所アルキテクテンカルマに入会許可を得ることができる。建築家の称号はこの州ごとの建築家会議所(Architektenkammer http://www.architektenkammern.net/ )に登録されているものに法的に制限されている[3]。建築家になるにはドイツの建築家会議所への入会が必要である。会議所はインテリアデザイナー、ランドスケープアーキテクト、そして都市計画従事者も登録している( http://www.architekten-thueringen.de/english/ )。登録には部門ごとに異なるが3つの一般的な要件がある。4年間の建築プログラムの修了、継続的な専門教育、および登録建築家のもとでの数年間の実務経験が必要である。建築家会議への登録は建築家の居住地または職場に基づいている。そしてすべての州建築家会議所は、ベルリンにある連邦建築家会議所(BAK - Bundesarchitektenkammer)のメンバーである。ただし連邦所は職業上の登録提供はしていない。
なお、連邦制を採用しているドイツでは州によって技術者にも建築家と同じ業務独占を与えており、混在した制度となっている。
スペイン(LOEによって設立された)では、プロジェクト起草や建築物の建築管理はその用途にかかわらず、建築家が行うことができる。さらに、特定の用途(住宅、教育、行政、文化、宗教、健康)の建設作業は、建築家によってのみ設計され、示される。 したがって、この資格は、都市の問題だけでなく、建築の分野でも最も幅広い能力を備えている。建築家によって設計された作品の重要な執行の方向性は、建築家と一緒に仕事のプロジェクト管理を行う技術アーキテクトのみ対応。法律が技術アーキテクトに付与する帰属は、数量検査員、技術アーキテクト、建築技術者、および2010年7月8日付最高裁判所の判決の適用から得られたその他の資格によってテクニカルアーキテクトの職業遂行のために実行されている。同国でArchitectの職業は、建築家としての練習を希望する人が公式の建築大学に登録されていることが法的に義務付けられているため、いわゆる強制的なライセンスの一つである。これらの組織が公的ビザを通じて建築家の法的訓練を証明し、法律に基づく能力の範囲内で行使し、職業の組織と利益の保護の手段として機能している。さらに、スペインでは、建築家の学問的トレーニングは都市計画家のものと密接に結びついているため、建築家はその人数などにかかわらずあらゆる市町村のあらゆる規模の計画、基準または都市計画を作成する能力があるとされ、建設セクターの異なる専門家の帰属が混乱することがあって有能な専門家は次のようになる。建築家に対応し橋、ダム、ドック、道路などのプロジェクトを立案課題とする運河や港の土木技師や道路エンジニアなどや、住宅、行政、宗教、健康、教育、文化に関した建物の計画担当する者を建築家、残りの建造物は建築家またはその専門エンジニアなどが、例としてあげられる。
スペインの建築家を希望する個人は、文部科学省の認定を受けた大学から建築学位を取得する必要がある。実践的な経験を認識させるので、これで十分な状況である。世界の他の国々(メキシコなど)と同様に、スペインでは、建築家は建築家自身の専門分野を背景にしているだけでなく、土木工学、構造計算、設備の更新、不動産管理、プロジェクトの実現可能性調査、開発の促進、建物の検査などが含まれる。そのため、建築家の活動は基本プロジェクトだけでなく、実行プロジェクト(他の国のエンジニアも想定している)と作品監督のプロジェクトにも還元される。スペインの建築家の称号はその能力によって、イタリアに存在する建築家建築技術者の称号と同化することができる。このingegneria edile-architetturaその属性は建築家と土木技術者二重に対応している。
スペインでは他の国の建築家も、州協定によって合法的に認められている場合、その職業を実施することができる。ただしスペインの建築家の称号は、スペイン外の外国人の公認時、スペインでの称号は公認は直接的にはなされない。エンジニアリングの能力を持たない建築家の学位で権能を持つと理解するような建築家の称号は、スペインには存在しないと付け加えられる。称号が取得されたら、建築家は自治体の建築家協会に登録することによって認定されなければならない。この査証によってあらゆる専門的活動が建設の計画、設計、方向性の範囲内で行使することができる。免許を持つ建築家は、独立した専門家として、民間の建築会社のメンバーとして、または民間の建設会社のメンバーとして業を実施することができる。行政(中央政府、自治政府または市議会)でも同様である。
アメリカでは、弁護士、建築家、医者などを対象とした職能法人制度があり、建築家を含む専門家の独立性が保たれる制度がある同国では建築家になることを希望する人々はそれぞれの州の要件を満たす必要がある。各州にはその州の免許法を監督するための登録委員会がある。建築登録委員会の全国評議会は 1919年に設立された非営利の専門家協会で、州のしばしば矛盾する規則間の平等を確実にする活動を行っている。50州(および5つの地域)それぞれの登録委員会NCARBがあり、資格のある建築家に国家証明書を発行する。NCARB証明書は、承認または相互主義による免許の付与を目的として、ほとんどのライセンス管轄で認められている。要件は管轄区域によって異なり、登録には3つの一般的な要件、教育、経験および審査がある。米国の約半数はその教育要件を満たすために国立建築認定委員会 (NAAB)によって認定された学校の専門学位を必要としている。これはB.ArchまたはM.Archの学位である。合意された候補者のための経験要件は、典型的には建築経験プログラム(AXP)、アメリカ建築家協会 (AIA)の共同プログラムである。AXPは、インターンアーキテクトの基本スキルとコアコンピタンスを特定するためのフレームワークを作成する。インターンアーキテクトはライセンスアーキテクトのもとで6つの特定部門(業務管理、プロジェクト管理、プログラミングと分析、プロジェクトの計画と設計、プロジェクトの開発と文書化、および建設と評価)にわたって約3年の経験を積む必要がある。学位取得要件を求めない州で受験者が受験資格を得るためには通常、AXPの多様化要件と組み合わせて10年間の全経験を必要とする。カリフォルニア州ではC-IDP(Comprehensive Intern Development Program)が義務付けられている。これは、IDPのシートタイム要件と、発生した学習を文書化する必要性に基づいている。すべての管轄区域で、NCARBが管理する一連の6つ(以前は7つ)のコンピュータ化された試験である建築家登録試験 (ARE)を使用している。NCARBはまた、NCARBのモデル規格を満たす建築家のための認定においてNAABの学位、AXPおよびAREの通過を受けているが建築家が別の管轄で登録を望む場合、この証明書はメンバーボード間の相互関係を容易にしており、それぞれの州によって認可されたすべての建築家は、登録建築家(RA)としての職業上の地位を持っている。ただし州の登録委員会の方針によっては他の方法で建築家としてのライセンスを取得することが可能な場合もある。典型的な免許取得プロセスの長さは、候補者の教育、経験および試験のペースの特定の組み合わせによっても異なるが一般に免許取得プロセス全体が完了するまでに少なくとも7年から11年かかる。5年間の研究(B.Archは5年間、M.Archは3年間、「4プラス2」プログラムは6年間)、3年間以上の経験(各カテゴリーのIDP要件を満たす) 7回のARE 4.0試験の受験と合格までに1年以上かかる。アメリカでこのタイトルを得るには、必要とする建築家の国家登録ボードによって提案された一連のテストをNAAB認定スクールの認定を受けている学位を獲得し、建築家登録試験(ARE)合格、さらに要求を取得する前に建築家の監督の下で実際最小で三年の実務を行うことに留意しなければならない。
AREは州別試験で各州は一連の特定の要件を提示し、各地域に存在する環境の多様性のために独自のライセンスを付与している。他の州ではいくつかの相互協定があり、その間に容易に度合いを移すことができる。高等法(ニューヨークやカリフォルニアなど)のある州では、学の事実は習得の要件ではなく、建築家の認定を受けた10年間の修習で十分としている。しかしほとんどの州では現在学士号が必要とされており、ほぼすべての雇用局側が求めており、それぞれの州で資格を持つすべての建築家は、登録建築家(RA)である。
アメリカ建築家協会(American Institute of Architects、AIA)は、継続的な教育プログラム、標準契約や慣行とのデザイン賞を含め、アメリカの建築家、へのサービスの範囲を提供し、プロの組織である。そのイメージとは対照的に、AIAは建築家のライセンスに直接関与していない。実際、建築家のための「AIAライセンス」または「AIA認証」は存在しない。ただし、AIAのメンバーは、その名前に接尾辞「AIA」を使用することがある。AIAは資格者のみが入会できる団体であり、保証・保険などのサービスとネットワークを提供する職能団体である。身分証明に AIA を付記することは、この会員にのみ許される。とはいえ、AIA メンバーでなければ建築家ではない、というわけではなく、AIA に所属しない建築家も多い。
公益財団法人建築技術教育普及センターウェブサイトの「北米3ヵ国における建築家資格の相互認証とメキシコの建築技術者制度」によると、メキシコ建築家については、法律制定以前は、建築家学会(Sociedad de Arquitectos Mexicanos A.C. 1905年設立)が建築家をまとめる活動を行い、1946年に「労働法・建築家に関する法律」制定後、新たに各州において建築家協会(Colegio de Arquitectos de各都市名A.C.)が設立(1946年)されはじめ、同時に建築家学会と統合し活動を行うかたちとなったとし、1965年には、各州の機関がまとまり、建築家の資質・技術向上のためにメキシコ建築家協会連合(Federacion de Colegios de Arquitectos de Mexico)が設立され、現在に至っているという。建築家の称号(資格)を取得するためには、ASINEAが認定する大学の建築学部を必要条件(社会奉仕、建築実務、学位論文、卒業試験)をみたして卒業後、出身大学がある州で建築家免許を発行され、晴れて建築家として業務に従事することとなっているが、免許も州内のみ有効で、その後メキシコ全土で有効の免許は専門技術総合局(DGP:Direccion General de Professiones en Mexico)に別途申請し免許交付を受ける必要があるとしている。メキシコでは、建築を含むあらゆる職業が公教育事務局によって規制されている。事務局は認められた学部課程が無事達成された後のみプロフェッショナルライセンス(スペイン語cedula pro )を免除する。したがって、建築家が学部の卒業証書と専門の免許を保有していれば法的には十分である。公機関または建築家協会への登録は完全に任意である。それにもかかわらず、他の規範が建築業界を規制している。メキシコでは建築事業が建築家以外の個人によってなされるのが一般的である。これらの規制は建築の専門家とは全く無関係である。大規模建設の場合、専門家が建設担当責任者(スペイン語、Director Responsable de ObraまたはDRO )として行動する必要があるがこの役職には最低2年間の建設の専門的経験と、さらなる評価および/またはトレーニングが必要である。ただし、建築家がこの役割を引き受けることは稀である。これは一般的に土木技師によって好まれ、留保される立場である。
カナダでは建築家として必要とされているライセンスを習得するためにはアーキテクチャでの学を修了した後に到着したいくつかある地方の建築協会ですべて数年間の試用期間を完了し、試験のシリーズを渡し、年会費を支払う。
カナダのロイヤル・アーキテクチュア・インスティテュート(Royal Architectural Institute of Canada)は、「カナダにおける建築とその実践の声」になることを目指している。この組織に属するアーキテクトは、名前の後にRAIC接尾辞を使用する権限を持っている。RAICのすべてのメンバーは建築学の学位を持っているが、カナダの建築家のすべてがRAICのメンバーというわけではない。
カナダでは、建築家は登録のための3つの一般的な要件、すなわち教育、経験、そして審査を満たすことが義務付けられている。教育要件は一般的にM.Archから成り、カナダの建築認証委員会(CACB)によって認定されている。賛成候補者の場合、経験要件は通常インターン・アーキテクトプログラム (IAP)であるがそれぞれの地方建築家法に基づいて付与された権限により各建築家協会がインターンで最低5,600時間の実務経験を積むことを要求する。事前登録/免許取得期間の基本的な目的は、インターンが建築の実践に従事するのに必要とされる実用的なスキルと能力の水準を満たすのに十分な経験を提供されることを確実にすることである。この経験は4つの主要なカテゴリーと16のサブカテゴリーに多様化されており、登録建築家の直接監督の下で修業を修了しなければならない。現在、すべての管轄区域で建築家登録審査 委員会 (NCARB)が管理する一連の7つのコンピュータ化された試験である建築家登録審査 (ARE)を使用している。同様に、すべての管轄区域は、Pan Canadian ExAC委員会が管理する、カナダの建築家試験 (ExAC)を承認している。教育要件、IAP、および試験が完了したら、それぞれの州の建築研究所に登録/ライセンスを申請できる。建築家は年会費を支払う必要があり、継続的な教育要件を満たして実践するためのライセンスを維持する必要がある。 カナダ王立建築協会 (RAIC)は1907年に設立され、3,600人を超える建築家、および建築家認定校の卒業生を代表する自主的な全国協会である[21]。RAICは「建築の声とカナダでの実践」を目指している。メンバーは自分の名前の後に接尾辞MRAICを使用することが許可されている。接尾辞FRAIC(Fellow of the RAIC)は、RAIC College of Fellowsのメンバーによって使用される。RAICのすべてのメンバーが建築の認定を受けている学位を取得しているわけではなく、カナダのすべての建築家がRAICのメンバーであるとは限らない。
ブラジルで建築の仕事をするには、工学農学連邦評議会(CONFEA)から分離した建築都市評議会(CAU)が認定するCREAという資格が用意されている。試験はなく大学建築学部(FAU)卒業で資格として認定される仕組みである。ブラジルでは大学進学率が低いため、建築家の社会的地位はおろか大学出という立場は相当価値が高い。総じて富裕層出身者が多く、所得水準が高水準である。日本のような一級建築士として工学的設計瑕疵が重く問われる国とはかなり異なり、製図はDesenhista製図工が行い、建築の確認申請もProjetistaに任せ、構造や設備などもエンジニアに任せる仕組みであり、計画意匠の統括がブラジルの建築家の役割となっている。
アルゼンチンにおいて建築の実践には、国家教育省の認可を受けた州立または私立大学のカリキュラムの承認を必要とする。機関に応じたプログラムで、5年から6年の間で異なり、最終論文の要件を含む場合と含まない場合がある。そのプロフェッショナルの責任範囲には、通常、都市計画と国土計画も含まれるが、この大学院の専門課程も数多くある。
職業訓練の資格は、それが国家であるか各省であるかにかかわらず、専門家協会によって付与される。ほとんどの地方自治体は各管轄区域内での業を許可するためにこの許可証を必要としている。地方自治体が建築警察の責任で設計を承認し、建築許可を与え、建物建築を可能にするために建築家が実行しなければならない専門的な作業は次のとおり。
プロジェクト - 建設管理(すなわち、発起人または所有者に代わっての建設事業のコントローラー)|技術的表現(すなわち、建設会社に代わって専門的な技術的責任)- 非常に小規模な作業を除いて、または所有者の管理によって実行される場合を除き、タスク2とタスク3は互換性のない責任であるため、同じ専門家によって実行することはできない。
なお、実用的かつ法的な観点から、土木工事の設計・施工上のincumbenciesアーキテクト、主要な作業専門家の作業が他の職業、特に土木技師、構造においてエンジニア、または同等の者が建物の表装と高さの制限により可能としている。
シンガポールでは大学での勉学が必要である(シンガポール国立大学での5年間のコースまたは承認された特定の外国の大学など)。大学の修了時には、登録建築家の下で最低2年間働くことによる追加訓練の登録が要求される。シンガポールの法律は「建築家」という用語の使用を管理し、建築家登録簿に記載されるべき要件を規定している。シンガポール建築家協会の会員資格は、任意の専門家資格である。
インドで建築家が職業実務を行うためには、1972年建築家法の規定に基づいてインド政府によって構成された建築評議会に登録する必要がある。建築家の職業は1989年の建築家規則(2003年に改正された通り)によって管理されている。COA登録サービスは建築の程度を提供する機関の認定も提供している。これは、16営業週間(1学期)の職業訓練を含む最低5年間の期間である。インドの認定資格をって建築教育を提供する機関は大学の構成大学/学部、みなし大学、附属大学/学校および自律教育機関を含めて約280の機関がある。なおインドの法律は適切な令で登録された土木技師に対しても平等の権利を認めているが、同国の土木工学の大学院の学位プログラムは専門的な実践なしで4年間の期間である。
スリランカでは「建築家」および「公認建築家」という用語は、スリランカの建築家協会法(行為)1976年の1とスリランカ建築家協会(改正)法、1996年の第14noに基づく保護されたタイトルである。スリランカでは、建築家は登録のための3つの一般的な要件を満たすことを要求されており、教育、経験、そして審査と教育は、モラトゥワ大学またはシティスクールオブアーキテクツ(スリランカ建築家協会が所有)またはSLIAが認定する外国の大学が主催する学位コースといった利用可能な2つの機関のうちの1つから行われている。そのうちモラトゥワ大学は、SLIAとRIBA の両方に認められた「3 + 2」プログラムを提供している。3年間の学士号(建造環境)の学位と2年間の修士、M. Sc。(建築)。2年間の適切な実務経験とSLIA Part III試験の無事完了を伴うこれは、憲章と建築登録委員会(ARB)登録につながるが、最近になってモラトゥワ大学は「3 + 2」プログラムを5年連続のB.Archに変更した。このほかにCity School of Architectureは7年間のパートタイムコースを提供し、その間学生はチャータードアーキテクトの監督の下で継続的に働きながら、パートタイムで学校に通っている。このプログラムの最初の4年間の修了はSLIAパートIの資格があり、3年後の残高の修了はSLIAパートIIの資格がある。1年間の適切な実務経験とSLIA Part III試験の無事の完了でこのプログラムを成功裏に完了することは憲章と建築登録委員会(ARB)登録につながるといえる。
北朝鮮では、1953年に設立された平壌建設大学に、建築学部、建築工学部、都市経営学部、建設材料学部など六つの建築関連学部があり、このうち建築学部には建築学科、園林学科、都市計画科の三つの学科がある。定員は併せて450から500人である。建築学科は住宅、公共建築、産業·工場、室内でほかに古建築·建築史、建築理論·美学理論の各講座からなっている。建築工学部には、土木などエンジニア系の学科がある。併せて900人である。他、各地方に建築単科大学があって建築家を養成する。大学は5年制である。優秀な人材は研究院(大学院)に進む。さらに研究院を卒業して、研究士になる道もある。北朝鮮では普通、大学を出ると設計員の資格を受験する。六級から一級まであって、一級上がるのに三年の経験を要するとされる、かなり厳しい条件である。二級以上になると、功勲設計家、さらには最高位である人民設計家となる資格を得られる。
第二次世界大戦後の1950年、建築士法が成立し、国家資格としての「建築士」制度が誕生した日本では「建築士」が法定の資格名となっている[注釈 2]。実務上は、建築設計事務所のなかでも国家資格である「建築士」を擁した登録事務所でなければ、一定規模の建築を設計・監理することはできない。法律上は、極小規模な建物を除き、建築士以外の者が設計や監理を行うことは禁止されている[22]。また、建築士の資格を持たない者が建築士と紛らわしい名称を使用することは禁止されている[23]。戸谷英世『欧米の建築家、日本の建築士』(井上書院、2018)では、日本では住宅建築設計であっても建築士法により建築士以外の者が住宅建築設計及び工事監理業務を行うことを禁止(就業制限業務)しており、資格を得る条件として建築士法では大学及び高等建築機関で建築教育に応じた学歴と建築の設計工事監理の実務経験を受験要件と定めているが、欧米の人文科学としての建築設計教育が行われていない日本で実務経験として設計工事監理のできるところは実際一部の建築士事務所等に限られているとしている。同書によると欧米では建築学は人文科学(ヒューマニティーズ)学部で教育し、卒業生はアーキテクトになるほかにドラフトマンになることもあるがドラフトマンには人文科学の学歴は義務ではなく、材料と工法の専門技術かあればドラフトマンとして生計を立てることができる。またドラフトマンには質格はないが、多くの場合建築家との共同作業を通して実施設計の作成能力が求められる。
この上で、明治期の日本で近代建槃設計として始められた建築教育は、欧米のアーキテクト教育ではなくドラフトマン教育であったとし、日本では人文科学としての近代ルネサンス思想などを学ぶための歴史・文化・生活教育は一切行わず、建築製団技術者が近代建築の工事のために建葉意匠の設計図書を作成することを第一とした教育で、明治時代の工部大学校で行われた近代建築教育では建築機能と性能を満たす一般建築構造(ビルディング・コンストラクション)として建築を設計し、それに近代ルネサンス様式の意匠を施す技術教育を建築学とし、意匠設計教育はドラフトマン教育であり、様式の建築物をつくることを条件(指定された様式)に実施設計図書を作成しなければならなかった日本ではこの結果設計業務委託でも設計入札が一般的に行われ、落札者は施主のもとへ意匠のモデルを拝借にくることが日常的に行われていたとしている。さらに戸谷は、設計図書作成にかかわる欧米の基本設計を行う「アーキテクト(建槃家)」と実施設計を行う「ドラフトマン(建築製図技術者)」の関係では、ドラフトマンには基本設計の作成はできないが、一方、アーキテクトであっても施工の具体的なしかたがわからなければ実施設計をまとめることはできないとするが、基本設計がすでにできている場合には、ドラフトマンは実施設計に取り掛かれる。これは実施には建築設計思想を問題にする必要がないからであって基本設計を前提にした実施設計は、入札によっても実施することが可能であるという。そして明治維新以降、近代建薬の基本設計教育は日本には存在せず、そして正確な様式の精度高さがデザインの優秀さと勘違いし、実施設計の作成(トレース・模写)から始まっていたとしている。しかしながらアーキテクトとドラフトマンとの違いは、基本設計を創作する人文科学的知識、経験を有する建築家か、工事実施に責任がもてる設計図書を作成する建築製図技術者かの違いであり、同じ設計の業務に携わり同じ技術を使うことも多いが、基本的に両者は人文科学か建設工学かという異質の知識、能力を必要とする技術者で、その間には優劣の差はないとしている。
日本語の建築家というのも資格制度上の名称ではなく、建築家とは職業名ということである。自身では有資格がない場合、スタッフに有資格者を置くことで建築士事務所を主宰する。下記のように建築家という名称を使用した建築家の会合民間団体が存在し、たとえば国際建築家連合(UIA)に加盟を目的に設立した建築家協会が現在の日本建築家協会(JIA)に直結、西洋型の正統派建築家集団を設立当時から目指している日本建築家協会では、建築家を職業のひとつとして扱う。建築家職能原則に従って、同協会への入会資格を、専業で建築設計監理業務を行なう者、前記業務を行なう組織の主宰者または協同者、責任ある立場で設計監理業務を行なっている者、前記の立場に相当し公的資格を持つ者(建築士)、などと定めている。建築家の呼称は1890年出版の「東京百事便」の職能分類において官庁・国家機関所属の建築技師の意味で使用されている[24]。
国際的な建築設計競技などでは、国際建築家連合の会員資格を求められるものが多いが、日本ではJIA(日本建築家協会)に所属することでUIA資格保持に準拠するものとしている。
建築家という専門職にとって重要なのは、単に設計の仕事をすることだけではく、その他にも、技術に関する知識、環境に関する知識、設計や建築のマネジメント、さらにビジネスというものを理解することも重要である。建築家が携わる仕事には、フィジビリティ(実現可能性)の調査・報告、建築物の監査、建物群の設計や建物群の間の空間の設計も含まれうる。建築家というのは、クライアント(発注者)が当該建築物に求めている要件は何なのかということを明確化することにも関与する。また建築家はプロジェクト全体を通して設計チームの調整も行う。なお、建築家やクライアントが、建築構造の技術者・機械技術者・電気エンジニアなどといった専門家も雇い彼らと協働することにより、設計はより一層確かなものとなる。
建築家は建物や建物の環境の計画を立てて業を行うが目的は建物をそれが配置されている環境に芸術的にも機能的にも適応させ、屋内で良いフロアプランを作成することであり、これを達成するために建築家は建物の構造やそのサイトとの関係を理解し、人々がどのように建物の環境を利用するか、そしてそれらの間に存在する関係を調べなければならない。
建築家が建物を作成するために使用するツールには、スケッチ、モデル作成、平面図と断面図などのプラン、および2Dと3Dのモデリングが含まれるが、ほとんどの作業は今日コンピュータを介して行われている。
建築家はまた家具デザイン、コミュニティプランニング、都市計画、ランドスケープアーキテクチャー、ランドスケープやプランニング、デザイン、ブランドアーキテクチャー、環境影響評価、都市計画および建築法規とその確認検査などで活躍する管理責任者として従事することが出来る。このように専門化した大きな機会を持つ職業である。
シティアーキテクトは 建築 許可、詳細計画、および概観計画 に関する事項を処理するために自治体または市が採用している管理職建築家。シティアーキテクトは建築の見直しを行い、建築委員会を支援。また、都市の発展とビジョンの仕事に対して全体的な責任を負っている。自治体の職場は通常市役所であり以前はシティアーキテクトとしての仕事に公共の建物を設計する仕事が含まれていた[26]。
スウェーデンでシティアーキテクトは同国の国立百科事典(第12巻(1993)、p.553)によるとStadsarkitekt(昔はstadsbyggmastareと呼ばれていた)と表記し、1661年にストックホルムで最初のシティアーキテクトに任命されたのが長老ニコデモス・テッシンで、彼はシュトラールズントから採用され、ストックホルムは中世の小さな町からヨーロッパの近代的な首都へと変貌を遂げる。ヨーテボリはその最初のシティアーキテクトを1717年に得た。それから1842年までにカールテオドールマルムとノーショーピングはシティアーキテクトを導入してからスウェーデンの3番目の都市になり、エレブルーでは、1854年の火災の後、Fridolf Wijnbladhが任命され、1860年代にはマルメ5番目の都市になる[注釈 3]。1920年代まで、シティアーキテクトの役割と彼らの技能についてはかなり多くの不確実性があり、そして大多数の小さな都市は、これも必要条件ではなかったためシティアーキテクトは全くいなかった。したがって1924年に、スウェーデン建築家協会 (FSS)がヨンショーピング市に設立された。その目的は「シティアーキテクトの利益を守ること」でメンバーシップはすべてのシティアーキテクトまたは他の「シティアーキテクトに匹敵する任務を持つ建築家教育を受けた市職員」に開放されていた。FSSの最初の会長はストックホルム、Sigurd Westholmが就任。国の建築委員会が有能なシティアーキテクトを持つことを余儀なくされるように、法律の変更に取り組むことは当初の主要な仕事で彼の作品は新しい都市計画法と建築法でその要件が導入された1931年に成功を収めた[27]。シティアーキテクトの仕事は、国家融資の技術的な見直し(1940年代に始まった)のような任務によって徐々に増加し100万のプログラムに関連して最高潮に達した。PBLは、1987年に発行されたときの要件建築能力(計画と施工法)は再びFSSの行動によって [27]ビルボードの要件はPBLの歴史に侵食された彼ら側のシティアーキテクトがいる。
スウェーデンはさらにカウンティアーキテクトという郡の管理委員会が雇用する建築家がおり、またプランアーキテクト(Planarkitekt)やプランニング・アーキテクト(Planeringsarkitekt)が存在する。
カウンティアーキテクトは空間計画や天然資源の管理、および住宅供給を担当している。地方自治体と協力し、郡の建築家は郡内の計画および建設法の適用監視をしている。スウェーデンでは、1920年に最初の郡建築家を設置した。県建築事務所を組織し1936年からこの組織が対象とした看板規制を1967年までに完全に軌道に乗せ、郡は建築家を尋ねて州計画従事を誘い1971年に彼らは郡行政へ移った。
フィンランドには、すでに19世紀半ばにカウンティアーキテクト( フィンランド語 : laaninarkkitehti )を設置していた[28]。
スウェーデンでプランアーキテクトとは市営都市建設事務所の職員などで計画・建築法に基づく計画の策定担当者、たとえば詳細な計画および概要計画を担当する。学歴すなわち建築家、造園家およびプランアーキテクトにかかわらず空間計画の知識を有する建築家として保持され得るこのタイトルは、都市計画を中心としたコミュニティ構築に従事する土木技術者やストックホルム大学の社会計画プログラムの修士課程の学生によっても利用される。
また同国でプランニング・アーキテクトは、主にフィジカルプランニングを担当する建築家の称号で、業界と団体のSveriges Arkitekterは、古いタイトルのフィジカルプランナーの代わりにタイトルプランニング アーキテクトを使用することを推奨している。
物的計画は、生態学的、社会的、美的、そして社会経済的見解に基づいて、土地、水、そして造られた環境の利用を扱う多目的な活動であるが2010年以来、これに従事する建築家が大幅に不足している。 彼らは民間部門と公共部門の両方で働き、雇用者は市町村の都市建設事務所、郡の行政委員会の計画部、中央政府機関(例えば、国立住宅管理局と救助庁)、または民間の計画・インフラストラクチャおよび建築の会社である。プランニングアーキテクトにとっての一般的な使命は 詳細計画と概要計画の確立である。プランニングアーキテクトはカールスクルーナにあるBlekinge Institute of Technology (BTH)で訓練を受けている。このプログラムは5年間のプログラムとして設計されており、合計300クレジットが含まれている。技術系学の卒業生への3年間の学士号、180単位の後、2年間の詳細な教育は120単位の技術マスタープログラムに従う。建築家のほか造園家として建築家教育からでも、この職業にも従事することができる[29]。
プランニングアーキテクトは同国の建築家同様保護されたタイトルではないが通常計画アーキテクトMSAと表記され、職業従事の1年後、タイトルはプランニングアーキテクトFPR / MSAに拡張される。MSAとはスウェーデンの建築家の種類のひとつである。
大学で建築学の教育を行ないながら、実際の設計に関わるものをプロフェッサー(教授)アーキテクトという。これは世界各国の建築学校で一般的なスタイルであり、また実務に長けた人物を教授に招聘するのも非常に多く行われている。単なる理論のみでなく実務に関わることは研究上・教育上も必要であり、学生に設計実務を示すことができるなどのメリットがあるとされる。
近代日本では、最初からジョサイア・コンドルなどが教育と実務にあたっており、教え子の辰野金吾が引き継ぐ。東京大学では帝国大学時代から伊東忠太以下、多数存在する。特に東大の内田祥三は営繕課長を兼ねて安田講堂を含むキャンパス計画を作成し、教え子を育てながら大学のグランドデザインを実現させていった。この他佐野利器や岸田日出刀、京都高等工芸学校や京都帝国大学で後身の育成に当たった武田五一、 フランスから帰国後、横浜高専で後身の育成に当たった中村順平 らがいる。
早稲田大学も佐藤功一が発足させて以降、歴代の教授陣は設計実務にも関わりながら、教育と研究に従事している。
第二次世界大戦後も東京大学工学部教授を歴任する丹下健三、芦原義信、槇文彦、安藤忠雄、大野秀敏、藤本壮介、千葉学、東京藝術大学教授を歴任する吉田五十八、天野太郎、六角鬼丈、片山和俊、北川原温、乾久美子、ヨコミゾマコト、吉村順三、武蔵野美術大学教授を歴任する芦原義信、竹山実、明治大学教授を歴任する堀口捨己、阪田誠造、東京工業大学教授を歴任する谷口吉郎、八木幸二、坂本一成、塚本由晴、安田幸一、篠原一男、首都大学東京(東京都立大学)教授を歴任する小林克弘、小泉雅生、横浜国立大学教授を歴任する北山恒、飯田善彦、西沢立衛、京都大学教授を歴任する西山卯三、高松伸、竹山聖、工学院大学教授を歴任する武藤章 (建築家)、望月大介、谷口宗彦、木下庸子、日本大学教授を歴任する吉田鉄郎、神谷宏治、泉幸甫、今村雅樹、横河健、関東学院大学教授を歴任する長谷川逸子、大阪芸術大学教授を歴任する高橋てい一、稲田尚之、宮本佳明、 この他、複数の大学で教授を歴任する 清家清(東京工業大学、東京藝術大学) 妹島和世(慶應義塾大学、多摩美術大学) 岸和郎(京都大学、京都工芸繊維大学) 内田祥哉(東京大学、明治大学、金沢美術工芸大学) 太田實(北海道大学、北海道工業大学) 内井昭蔵(京都大学、滋賀県立大学) 山本理顕(工学院大学、横浜国立大学) 仙田満(琉球大学、名古屋工業大学、日本大学、東京工業大学、放送大学) 小嶋一浩(横浜国立大学、東京理科大学) 木島安史(熊本大学、千葉大学) 東孝光(大阪大学、千葉工業大学) 藤森照信(東京大学、工学院大学) 宮脇檀(法政大学、日本大学) 重村力(神奈川大学、神戸大学、九州大学) 宗本順三(九州芸術工科大学、京都大学) 難波和彦(大阪市立大学、東京大学) 元倉眞琴(東北芸術工科大学、東京芸術大学) など、プロフェッサー・アーキテクトの例は多い。
建築家という空間デザイナーがそのデザイン空間を実現することは、依頼者がいて、依頼者の資金で、依頼者がなんらかで使うための建築空間を構築することであるが、中にはこうしたことを束縛として捉え、束縛から逃れてデザイン空間実現へのこだわりは捨て、ドローイングや思想を発表する建築家が現れている。それらの者はアンビルト・アーキテクトと呼ばれる。磯崎新は著書「UNBUILT 反建築史UNBUILT」(TOTO出版、2001年)、「建築の解体―1968年の建築状況」(再版:鹿島出版会 1997年、ISBN 978-4306093492、美術出版社、1975年)で、「デザイン空間の実現を伴わない建築思想家=アンビルトアーキテクト」として、案件での作品著作や、発表・講演等で生計をたてる道があることを示している。さらに磯崎も前述の著書で1980年代のポストモダニズム建築の到来とその崩壊、非構築系建築の出現を予測している。
世界ではボストン建築家協会が主催するその名も「BSA Unbuilt Architecture Design Awards」といった未完作品・空想建築作を表彰する賞もある。建築中や建築予定の作品は選考対象外、計画が途中で断念されたプロジェクトや仮想のプロジェクトが応募の対象となっている。
歴史的に建築家は、個人差もあるが総じて絵は上手く、いわゆるユートピアや先見の明の建築プロジェクトなどを、ドローイング等といった図面の操作で作品を発表し政治、世界、文化などを語る傾向がある。社会性や政治性は建築家必須のアイテムである。
アンビルトアーキテクトと呼んでいる建築家も、それなりに芸術としての建築を構想する建築家として評価する伝統があり、日本に比べ技士ではなく建築や都市の総合プロデューサーといった側面は諸外国では強く、こうした建築家はアーキテクチュア・ライティングが重要なツールとして発揮、構想しているビジョンも時代に先駆け過ぎ、実物の建築を建設する機会に恵まれないタイプの建築家を評価する慣習がある。都市計画と建築は一体的に語られ、環境問題にも詳しいのが建築家とみられる。その時代を先取りした建築ビジョンなど、本物を建てたことがなくても、世界中の建築家・建築界から評価されているアーキグラムなどはRIBAゴールドメダルを2002年に受賞している。
こうしたアンビルトアーキテクトとみられている建築家は、上記アーキグラムの他、マリオ・ガンデルソナス、ジョン・ヘイダック、スーパースタジオ、フレデリック・キースラー、レベウス・ウッズ、マッシモ・スコラーリ、フランコ・プリーニ、コンスタント・ニーヴェンホイス、エリザベス・ディラー+リカルド・スコフィディオ、ヨナ・フリードマン、らがいる。
ただしかれらにしても、以前に建築の実務にはついていてあるいは自身の建築設計事務所を構えている。実作は少ないながらもといった類である。スケッチやドローイング、模型でしか作品発表していない。それにも関わらず、少ない実作や設計図面よりも、スケッチやドローイングで発表された新規の建築ビジョンが現実の建築に多大な影響を与える力をもちえている。ダニエル・リベスキンド、ザハ・ハディド、ニール・ディナーリ、アシンプトートなど、長らく建築実作に恵まれなかった面々も過去にはアンビルトアーキテクトとみられ、同様の活動を行い、また公開の建築設計競技で発表された案が注目され日の目をみたのもある。
こうした建築家は脱構築主義建築系の建築家という風にみられ、これについては入江徹が「展覧会―ディスコンスタラクティビスト・アーキテクチュアとその背景」(日本建築学会計画系論文集 第551号、p329-334、2002年)という論で「脱構築主義の建築展」などを参考にしてこの背景の考察を行っている。
黒川紀章もデビュー作は新聞で一作も無いが計画案で国際的に有名な建築家と紹介され、依頼が来たものである。
やや逆のケースもあり、フランス革命期のエティエンヌ・ルイ・ブーレーやアル=ケ=スナンの王立製塩所の実作のあるクロード・ニコラ・ルドゥーも革命後実作に恵まれなかったが、その後幻想的な計画案を残し、これらが注目を集めていった。またロンドン動物園スノードン禽舎を設計したセドリック・プライスやレオン・クリエ、ダグマル・リヒター、建築評論で活躍するマイケル・ソーキンなど、実作も少なく、実作よりも案やドローイングその他の方が知られるケースもみられる。
三浦丈典が建築家が構想段階で描くドローイングについて著した「起こらなかった世界についての物語 アンビルト・ドローイング」(彰国社 2010年)で実際には実現していない「unbuilt drawing」をテーマにしている。16世紀から20世紀まで26の建築家のドローイングが取り上げられている。それぞれに著者ならではの興味深い文が添えられており、絵の構想だけで実物がないということが、様々な想像や妄想がしやすいことを指摘している。
種類は建築#建築に関する賞を参照。最も著名な賞は、ハイアット財団(Hyatt Foundation)から贈られるプリツカー賞(正式名称:プリツカー建築賞)である。次いで、王立英国建築家協会から贈られるRIBAゴールドメダル(正式名称:ロイヤルゴールドメダル)、アメリカ建築家協会から贈られるAIAゴールドメダル、国際建築家連合から優れた建築家に対して授与される賞であるUIAゴールドメダル、スターリング賞、アジア建築家評議会アルカシア建築賞、ヨーロッパ主要建築家フォーラム(Leading European Architects Forum、LEAF)のリーフ賞、フランスの銀の定規賞がある。日本においては、社団法人日本建築学会が建築家に与える日本建築学会賞、財団法人吉岡文庫育英会が建築家に与える新建築賞のほか、社団法人日本建築家協会が建築家に与える日本建築大賞等がある。
| 姓名 | 生年 | 没年 | 国 | 代表作 |
|---|---|---|---|---|
| イムホテプ | 紀元前2690年頃 | 紀元前2610年頃 | 古代エジプト | ジェセル王のピラミッド |
| イクティノス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア | パルテノン神殿 |
| カリクラテス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア | パルテノン神殿、アテーナー・ニーケー神殿 |
| ペイディアス | 紀元前490年頃 | 紀元前430年頃 | 古代ギリシア | アテナ・プロマコス、アテナ・レムニア |
| ミレトスのヒッポダモス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア | ミレトスの新都市 |
| プリエネのピュティオス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア | マウソロス霊廟、プリエネのアテナ神殿 |
| クニドスのソストラトス | 紀元前3世紀 | 不詳 | 古代ギリシア | アレクサンドリアの大灯台 |
| ディノクラティス | 不詳 | 紀元前278年頃 | 古代ギリシア | アレクサンドリアの都市計画 |
| ウィトルウィウス | 紀元前80年/70年頃 | 紀元前15年以降 | 共和政ローマ | |
| ダマスカスのアポロドーロス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア | トラヤヌス橋 |
| ミレトスのイシドロス | 不詳 | 不詳 | 東ローマ帝国 | ハギア・ソフィア大聖堂 |
| トラレスのアンテミオス | 474年 | 534年 | 東ローマ帝国 | ハギア・ソフィア大聖堂 |
| アインハルト | 770年頃 | 840年 | フランク王国 | アインハルトのバシリカ聖堂、ミヒェルシュタット市教会(先代) |
| ダイダロス | 不詳 | 不詳 | 古代ギリシア |
初期の建築家
10世紀の建築家
12世紀の建築家
13世紀の建築家
| 姓名 | 生年 | 没年 | 国籍 | 代表作 |
|---|---|---|---|---|
| アルノルフォ・ディ・カンビオ | 1240年/ 1245年 |
1302年/ 1310年 |
フィレンツェ大聖堂(フィレンツェ) | |
| フィリッポ・ブルネレスキ | 1377年 | 1446年 | フィレンツェ大聖堂ドーム、サン・ロレンツォ教会(フィレンツェ) | |
| レオーネ・バッティスタ・アルベルティ | 1404年 | 1472年 | 「建築論」、サンタンドレア教会のファサード(フィレンツェ) | |
| アリストティル・フィオラヴァンティ | 1415年/ 1420年 |
1486年 | モスクワ・クレムリンのウスペスキー聖堂 | |
| ルチアーノ・ラウラーナ | 1420年 | 1479年 | パラッツォ・ドゥカーレ(ウルビーノ) | |
| ドナト・ブラマンテ | 1444年頃 | 1514年 | テンピエット(ローマ) | |
| ミケランジェロ・ブオナローティ | 1475年 | 1564年 | サン・ピエトロ大聖堂、カンピドリオ広場(ローマ) | |
| ヤーコポ・サンソヴィーノ | 1486年 | 1570年 | 国立マルチャーナ図書館(ヴェネツィア) | |
| ミマール・スィナン | 1490年前後 | 1588年 | シェフザーデ・ジャーミイ、スレイマニエ・ジャーミイ、セリミーエ・ジャーミイ | |
| アンドレア・パラーディオ | 1508年 | 1580年 | ヴィッラ・ロトンダ、バシリカ、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂、イル・レデントーレ教会 ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオのヴィッラ |
|
| ジョルジョ・ヴァザーリ | 1511年 | 1574年 | ヴァザーリの回廊(フィレンツェ) | |
| ドメニコ・フォンターナ | 1543年 | 1607年 | バチカン | |
| ヴィンチェンツォ・スカモッツィ | 1548年 | 1616年 | ||
| イニゴー・ジョーンズ | 1573年 | 1652年 | コヴェント・ガーデン市場 | |
| エリアス・ホル | 1573年 | 1646年 | アウクスブルク市庁舎 | |
| サンティーノ・ソラーリ | 1576年 | 1646年 | ヘルブルン宮殿 | |
| ピエトロ・ダ・コルトーナ | 1596年 | 1669年 | サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会(ローマ) | |
| ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ | 1598年 | 1680年 | サン・ピエトロ広場、サンタンドレア・アッレ・クィリナーレ教会(ともにローマ) | |
| フランチェスコ・ボッロミーニ | 1599年 | 1667年 | サン・カルロ教会、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会(ともにローマ) | |
| ルイ・ル・ヴォー | 1612年 | 1670年 | ヴェルサイユ、コレージュ・ド・キャトル・ナシオン | |
| クリストファー・レン | 1632年 | 1723年 | セント・ポール大聖堂(ロンドン) | |
| ジュール・アルドゥアン=マンサール | 1646年 | 1708年 | ヴェルサイユ宮殿、アンヴァリッド(廃兵院) | |
| ドメニコ・トレジーニ | 1670年 | 1734年 | ペトロバーヴロフスク要塞、ピョードル1世夏の宮殿 | |
| バルトロメオ・ラストレッリ | 1700年 | 1771年 | 冬宮殿(サンクトペテルブルク)、エカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー) | |
| イワン・ヒョードリッヒ・ミチューリン | 1700年 | 1763年 | スワンスキー修道院、モスクワ・クレメント教会、セルギー大修道院 | |
| エマニュエル・エーレ | 1705年 | 1763年 | スタニスラス広場 | |
| アントニオ・リナルディ | 1710年 | 1794年 | ヤムブルクの大聖堂(キンギセップ)、大理石宮殿(サンクトペテルブルク) | |
| ドミトリー・ウフトムスキー | 1719年 | 1774年 | トウエルスキエ凱旋門、赤の凱旋門、クスネッキー橋 | |
| アレクサンドル・ココリーノフ | 1726年 | 1772年 | 国立レービン絵画彫刻建築大学・旧芸術アカデミー | |
| カルル・ブランク | 1728年 | 1793年 | モスクワの孤児院、ウクライナ宮殿 | |
| ロバート・アダム | 1728年 | 1792年 | アダムスタイルのカントリー・ハウス | |
| ユーリ・フェリテン | 1730年 | 1801年 | アルメニア教会や大エルミタージュ チェスメンスキー宮殿 | |
| ビクトル・ルイ | 1731年 | 1800年 | ボルドー大劇場、パリ・パレロワイヤルギャルリー | |
| クロード・ニコラ・ルドゥー | 1736年 | 1806年 | パリの旧市門 <磯崎新好みの新古典主義の建築家> | |
| マトヴェイ・カザコフ | 1738年 | 1812年 | モスクワ・クレムリン内の元老院、コリツインスカヤ病院(モスクワ)、貴族会館 | |
| J・F・Th・シャルルグラン | 1739年 | 1811年 | エトワール凱旋門(パリ) | |
| チャールズ・キャメロン | 1743年 | 1812年 | キャメロン・ギャラリー、パーブロスク宮殿 | |
| トーマス・レヴァートン | 1743年 | 1824年 | ベッドフォード広場周辺連続住宅 | |
| ジャコモ・クァレンギ | 1744年 | 1817年 | エルミタージュ劇場、アレクサンドル宮殿 | |
| トマス・ハリソン | 1744年 | 1829年 | グロウヴナー橋 | |
| ヴィンセンツォ・ブレンナ | 1747年 | 1820年 | インジェネールヌィ城塞(旧ミハイロフスキー城) パーヴロフスク宮殿 | |
| ニコライ・リヴォーフ | 1751年 | 1803年 | モスクワ中央郵便局、ネヴァ門、ボリソグレープスキー聖堂トルジョーク | |
| ジョン・ナッシュ | 1752年 | 1835年 | リージェント・ストリート開発 | |
| ジョン・ソーン | 1753年 | 1837年 | イングランド銀行(ロンドン) | |
| アンドレイ・ヴォロニーヒン | 1759年 | 1814年 | カサン聖堂、ベテルフルグ鉱山大学、桃色のバウィリオンバーヴロフスク | |
| ジャン=フランソワ・トマ・デュ・トモン | 1760年 | 1813年 | 商品取引所(現海軍中央博物館)、サンクトペテルブルクのボリショイ劇場(ボリショイ・カーメンヌイ劇場) | |
| アンドレヤン・ザハーロフ | 1761年 | 1811年 | 海軍省庁舎、シベリア幼年学校・現在のフルンゼ総合兵科専門学校 | |
| ピエール・フォンテーヌ | 1762年 | 1853年 | 贖罪聖堂、パレ・ロワイヤル、オルレアン回廊 | |
| ピエール・アレクサンドル・ヴィニョン | 1763年 | 1828年 | マドレーヌ寺院 | |
| フリードリヒ・ヴァインブレンナー | 1766年 | 1826年 | カールスルーエの都市改造 | |
| フリードリッヒ・ジリー | 1772年 | 1800年 | フリードリヒ大王記念碑の設計 | |
| カリオ・ロッシ | 1775年 | 1849年 | 参謀本部、ロシア美術館ミハイロフスキー宮殿、ロッシのパヴィリオン | |
| フランシス・グリーンウェイ | 1777年 | 1837年 | ハイド・パーク・バラックス | |
| カール・ルートヴィヒ・エンゲル | 1778年 | 1840年 | ヘルシンキ大聖堂 | |
| カルル・フリードリッヒ・シンケル | 1781年 | 1841年 | ベルリン王立劇場(Konzerthaus Berlin)、ベルリン旧博物館(Altes Museum) | |
| ミハイル・マラーホフ | 1781年 | 1842年 | ラストルグーエフ=ハリトーノフ邸(ハリトーノフパレス)、アレクサンドルネフスキー大聖堂 | |
| ルイ=イボリット・ルバ | 1782年 | 1867年 | ノートルダウ・ド・ロレット教会、プチロケット監獄 | |
| アファナスィ・グリゴリエフ | 1782年 | 1868年 | ロプヒン邸宅、トルストイ博物館、大昇天教会 | |
| ジュゼッペ・ヤペッリ | 1783年 | 1852年 | ||
| ジョセフ・ボーブ | 1784年 | 1834年 | 旧ボリショイ劇場とマリー劇場 | |
| オーギュスト・モンフェラン | 1786年 | 1858年 | 聖イサク聖堂の再建 ロストーフビル、パリのルイーズ(母)の墓 | |
| オーギュスト・シドポール・モリノ | 1790年 | 1848年 | サント=マリ教会 | |
| ルイ・ヴィスコンティ | 1791年 | 1853年 | カルーゼル広場 | |
| ジャック・イニャス・イトルフ | 1792年 | 1867年 | サン・ヴァンサン・ド・ポール教会 | |
| コンスタンチン・トーン | 1794年 | 1881年 | モスクワ・レニングラード駅, 英国大使館 | |
| フェリックス・デュバン | 1798年 | 1870年 | エコール・デ・ボザール校舎、ルーブル宮改築 | |
| アレクサンドル・ブーロフ | 1798年 | 1877年 | ミハイロフスキー劇場、プルコヴォ天文台、防衛隊本部宮殿広場、中央建築家会館(旧IBAレマン邸) | |
| デシマス・バートン | 1800年 | 1881年 | ハイド・パーク (ロンドン) | |
| アウグスト・フリードリヒ・シュトゥーラー | 1800年 | 1865年 | ベルリン新博物館 | |
| ロオ・ド・フリュリ | 1801年 | 1875年 | 自然誌博物館、エトワール広場整備 | |
| アンリ・ラブルースト | 1801年 | 1875年 | 国立図書館、サント・ジュヌヴィエーヌ図書館 | |
| ルイ・デュク | 1802年 | 1879年 | 最高裁判所 | |
| アンドレイ・シュタケンシュナイダー | 1802年 | 1865年 | マリインスキー宮殿、ベロセーリスキー=ベロジョールスキー宮殿 | |
| レオン・ヴォードワイエ | 1803年 | 1872年 | ラ・マジョール大聖堂 | |
| ゴットフリート・ゼンパー | 1803年 | 1879年 | ドレスデン歌劇場(Semperoper) | |
| ヴィクトール・バルタール | 1805年 | 1874年 | パリ中央市場、サンドギュータン教会 | |
| アレクセイ・ゴーノスタエフ | 1808年 | 1862年 | トリニティセルギウス修道院、サンクトペテルブルク大聖堂、ヘルシンキウスペンスキー大聖堂 | |
| アントワーヌ・ニコラ・バイー | 1810年 | 1892年 | パリ商業裁判所 | |
| ヘクター・ルフュエル | 1810年 | 1875年 | カルーゼル広場の修正設計 ルーブル宮の建築家 | |
| ジョージ・ギルバート・スコット | 1811年 | 1878年 | 英外務省、セント・パンクラス駅 | |
| ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク | 1814年 | 1879年 | 中世教会堂の修復(パリのサント・シャペル、ノートルダム、アミアン、ルーアンの大聖堂) | |
| フランチェスコ・デ・サンクティス | 1817年 | 1883年 | スペイン階段(ローマ) | |
| テオドール・バリュー | 1817年 | 1885年 | サン・ジェルマンオーセロア教会、トリニテ教会 | |
| イポリト・モニヘリッチ | 1819年 | 1878年 | アレクサンドル2世夏の離宮、リヴァディア宮殿、スキェルニェウィツェ宮殿、モスクワ工科博物館 | |
| ダビット・グリム | 1823年 | 1898年 | マリアマグダレン教会、トビリシ大聖堂 | |
| ガブリエル・ダヴィヴ | 1824年 | 1881年 | シャトレ広場の劇場、天文台噴水、レンヌ市庁舎高等法院 | |
| レオン・ジナン | 1825年 | 1898年 | ノートルダム・デ・シャン教会、医科学校 ガリエラ美術館 | |
| シャルル・ガルニエ | 1825年 | 1898年 | オペラ座(パリ) | |
| アルチュール=スタニスラス・ディエ | 1827年 | 1890年 | パリ救済病院 | |
| ハインリッヒ・フォン・フェルステル | 1828年 | 1883年 | ヴォティーフ教会、ウィーン大学本館 | |
| エミール・ヴォードルメール | 1829年 | 1914年 | サンテ刑務所 リセ・ビュッフォン校 | |
| アレクサンドル・ベルナルダッチ | 1831年 | 1907年 | キシナウシティホール、旧オデッサ鉄道駅、ブリストルホテル、新証券取引所オデッサ・フィルハーモニー管弦楽団シアター | |
| リチャード・ノーマン・ショウ | 1831年 | 1912年 | スコットランド・ヤード | |
| ジュリアン・ガデ | 1834年 | 1908年 | パリ中央郵便局、サン・ジェルマン通りのアパルト | |
| ジャン=ルイ・パスカル | 1837年 | 1920年 | ボルドー大学医学部、国立図書館改築 | |
| パウル・ヴァロット | 1841年 | 1912年 | ドイツ国会議事堂(Reichstagsgebäude) | |
| マクシミリアン・メスマッシャー | 1842年 | 1906年 | 聖イサク大聖堂復元、ウラジミール宮殿内装、博物館建物バロン・フォン・スティーグリッツ | |
| ファルディナン・デューテール | 1845年 | 1906年 | ギャルリー・デ・マシン | |
| ヴィクトール・ラルー | 1850年 | 1937年 | サン・マルタン教会、トゥール駅 | |
| シャルル・ジロー | 1851年 | 1932年 | プチ・パレ | |
| ポール=アンリ・ネノー | 1853年 | 1934年 | ソルボンヌ大学 | |
| コンスタンティン・リーギン | 1854年 | 1932年 | トムスク市役所(旧出納係ウサチョーフ・アンド・リーヴェン書店)、ヤーコヴレフ警備隊将校会館(旧議会会館) | |
| アンリ・ドグラーヌ | 1855年 | 1932年 | グラン・パレ | |
| ウラジーミル・モオロ | 1855年 | 不詳 | ハバロフスククラブ、艦隊司令官の家 | |
| レオン・ベノワ | 1856年 | 1928年 | サンクトペテルブルクノートルダム大聖堂、ロシア大公霊廟、ペトロパヴロフスク要塞、アレクサンドルネフスキー大聖堂 | |
| ヴィクトール・オルタ | 1861年 | 1947年 | 建築家ヴィクトル・オルタの主な都市邸宅群 (ブリュッセル) | |
| ジャイルズ・ギルバート・スコット | 1880年 | 1960年 | リヴァプール大聖堂、バターシー発電所 | |
| アレクセイ・ドゥーシュキン | 1904年 | 1977年 | マヤコフスカヤ駅、クロポトキンスカヤ駅、ロシア連邦運輸機関建設省オフィス棟 | |
| ユーリー・グネドーフスキー | 1930年 | タガンカ劇場改築、国際文化コンプレックス・赤い丘 |
| 姓名 | 生没年 | 国籍 | 代表作 |
|---|---|---|---|
| ギュスターヴ・エッフェル | 1832年 - 1923年 | ギャラビー鉄道高架橋、自由の女神像鉄骨構造設計(ニューヨーク)、マリア・ピラ・ブリッジ(ポルトガル)、エッフェル塔監理(パリ) | |
| ヴィクトル・ハルトマン | 1834年 - 1873年 | サーヴァ・マモントフ商会, ロシア開基一千年記念碑 | |
| オットー・ワーグナー | 1841年 - 1918年 | マジョリカハウス、カールスプラッツ駅、ウィーン郵便貯金局 | |
| ダニエル・バーナム | 1846年 - 1912年 | フラットアイアンビル | |
| ヴィクトル・ヴァスネツォフ | 1848年 - 1926年 | トレチャコフ美術館、自邸(現ヴァスネッオーフ博物館) | |
| アレクサンドル・パメラーンツェフ | 1848年 - 1918年 | 全ロシア芸術産業博覧会会場ニージェニー・ノヴゴロド ロフトーフ・ナ・ドン市議会 | |
| アントニ・ガウディ | 1852年 - 1926年 | サグラダ・ファミリア大聖堂 | |
| ウラジーミル・シューホフ | 1853年 - 1939年 | シャーボロフスカヤのラジオ塔 | |
| ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ | 1856年 - 1934年 | アムステルダム証券取引所 | |
| ルイ・ボニエ | 1856年 - 1946年 | パリ・ビュット・オ・カーユの市立プール | |
| ルイス・サリヴァン | 1856年 - 1924年 | オーディトリアム・ビル、ギャランティ・ビル、カーソン・ピリー・スコット・ストア | |
| レオン・ベノワ | 1856年 - 1928年 | ペトロパーヴロフスク要塞内の皇帝家墓、保険会社ロシア・ビル、ダルムシュタットのロシア正教会、ハンブルクのロシア正教会 | |
| ローマン・クレイン | 1858年 - 1924年 | プーシキン美術館、ミュール・アンド・メリリス百貨店(現ツム中央百貨店)、トリョフゴールヌィ・ビール工 | |
| ヒョードル・シェーフテリ | 1859年 - 1926年 | チェーホフ・モスクワ芸術座、ゴーリキー文学博物館、ロシア外務省迎賓館 | |
| キャス・ギルバート | 1859年 - 1934年 | ウールワースビル | |
| ジョルジュ・シュダンヌ | 1861年 - 1940年 | リヴィエラ・パレス・ホテル、エリーゼ・パレル・ホテル | |
| ヴィクトール・オルタ | 1861年 - 1947年 | タッセル邸 | |
| レフ・ケークシェフ | 1863年 - 1907年 | エジプト大使館軍事部(旧ケークシェフ第二の家)、レストラン・プラハ、ニコーリスキエ商店 | |
| ジュール・ラヴィロット | 1864年 - 1924年 | ラップ街のアパート セティヨ街の邸宅 | |
| ラグナル・エストベリ | 1866年 - 1945年 | ストックホルム市庁舎 | |
| ルネ・ビネ | 1866年 - 1911年 | パリ万国博正面入り口 | |
| エクトール・ギマール | 1867年 - 1942年 | メトロ入口、カステル・ベランジェ | |
| ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ | 1867年 - 1908年 | 分離派会館、エルンスト・ルートヴィヒ館、結婚記念塔 | |
| イワン・ジョルトーフスキー | 1867年 - 1959年 | 国際親光委員会「インツーリスト」(旧モホヴヤヤ通りの集合住宅)、タラーソフ邸、中央火力発育所、ロシア国立銀行 | |
| イリヤ・ボンダレンコ | 1867年 - 1947年 | リバイバル教会、万国博覧会(1900年)ロシア工芸パビリオン | |
| ヒョードル・ゴーノスタエフ | 1867年 - 1915年 | クルスク大聖堂、コローメンスコエの昇天教会、Rogozhskoye墓地鐘楼 | |
| シャルル・ド・モンタルナル | 1867年 - 没年不詳 | パリの問屋街のオフィスビル | |
| ペーター・ベーレンス | 1868年 - 1940年 | 自邸、ハーゲンの火葬場、AEGタービン工場、ヘキスト染色工場 | |
| チャールズ・レニー・マッキントッシュ | 1868年 - 1928年 | グラスゴー美術学校、ウィロー・ティールーム、ヒルハウス | |
| エドウィン・ラッチェンス | 1869年 - 1944年 | インド総督府 | |
| ハンス・ペルツィヒ | 1869年 - 1936年 | ベルリン大劇場 | |
| イワン・レルベルグ | 1869年 - 1932年 | トヴェルスカヤストリートに面する中央電信建物 | |
| トニー・ガルニエ | 1869年 - 1948年 | リヨン工業都市セタ・ジュニ、オリンピック・スタジャニ | |
| アドルフ・ロース | 1870年 - 1933年 | ロースハウス、トリスタン・ツァラのスタジオと家、ミュラー邸 | |
| ヨーゼフ・ホフマン | 1870年 - 1956年 | プーカースドルフ・サナトリウム、ストックレー邸 | |
| アンドレ=ルイ・アルフヴィドソン | 1870年 - 1898年 | 芸術家のための集合住宅 | |
| フョードル・リドヴァリ | 1870年 - 1945年 | サンクトペテルブルク国際市外電話局(旧アゾフ=ドン銀行)、自邸、ホテルアストリア、ロシア連邦銀行アストラハン支店(旧アゾフ=ドン銀行) | |
| レイモンド・フッド | 1871年 - 1934年 | トリビューン・タワー、ロックフェラー・センター、マグロウヒル・ビル | |
| イワン・フォミン | 1872年 - 1936年 | クラースヌィエ・ヴォロータ駅、運輸人民委員部ロシア連邦運輸省(旧運輸人民委員会)、スポーツクラブ・ディナモ複合施設 | |
| ヨジェ・プレチニック | 1872年 - 1957年 | スロヴェニア国立大学図書館, リュブリャナ中央市場 | |
| ロベール・マイヤール | 1872年 - 1940年 | ザルギナトーベル橋、スイス博覧会セメント館 | |
| マリアン・ペレチャトコーヴィッチ | 1872年 - 1916年 | ヴァヴェリベルグ商業銀行兼自邸、ロシア貿易産業銀行、商業産業省庁舎 | |
| エリエル・サーリネン | 1873年 - 1950年 | ヘルシンキ中央駅、フィンランド国立博物館、ヴィープリ駅、エリエル・サーリネン自邸 | |
| アレクセイ・シューセフ | 1873年 - 1949年 | ホテルモスクワ、トレチャコフ美術館新館、コムゾモーリ、レーニン軍事アカデミーKGB本部 | |
| オーギュスト・ペレ | 1874年 - 1954年 | フランクリン街のアパート、ノートル・ダム・デュ・ランシー | |
| アンドレイ・クリャチコフ | 1876年 - 1950年 | オムスク・フリューベル博物館旧館(1914年)大型パネル構造の宅地、ノボシビルスク・レーニンハウス | |
| フリッツ・ヘーガー | 1877年 - 1949年 | チリハウス | |
| アイリーン・グレイ | 1878年 - 1976年 | E1027 | |
| ウラジミール・シューコ | 1878年 - 1939年 | ロシア国立図書館(旧国立レーニン図書館)、地下鉄駅エレクトロザヴォツカヤ駅地上ホール | |
| アレクサンドル・タマニアン | 1878年 - 1936年 | バグーのナルコムゼン, コチュベーイの邸宅 | |
| ブルーノ・タウト | 1880年 - 1938年 | ドイツ工作連盟ケルン展(1914年)での「ガラス・パヴィリオン」 | |
| レオニード・ヴェスニン | 1880年 - 1933年 | ジル工場文化宮殿、「モストルク」デパート | |
| ヴャチェスラフ・オルタルジェーフスキー | 1880年 - 1980年 | ホテル「ウクライナ」、全ロシア博覧センター、「モストルク」デパートメント | |
| グレゴリ・バルヒン | 1880年 - 1969年 | 日刊紙イズヴェスチャ本社ビル | |
| ニコライ・ラドフスキー | 1881年 - 1941年 | クラースヌイエヴォロータ駅、トヴェルスカヤ通り沿いの集合住宅、地下鉄ルビャンカ駅プラットフォームホール | |
| ポール・トゥルノン | 1881年 - 1964年 | エリザネートヴィル教会、ヴィルモンブル教会 | |
| ウイクトル・ヴェスニン | 1882年 - 1950年 | ジル工場文化宮殿、「モストルク」デパート | |
| パンテレイモン・ゴーロソフ | 1882年 - 1945年 | プラウダ本社、鉱物資源研究所、大プロンナヤ通り集合住宅 | |
| イリア・ゴーロソフ | 1883年 - 1945年 | ズーエフクラブ、内務人民委員部局官舎、高等労務組合学校、ニージュニー・ノヴゴロド自動車工場社宅 | |
| アレクサンドル・ヴェスニン | 1883年 - 1959年 | ジル工場文化宮殿、「モストルク」デパート | |
| ヴァルター・グロピウス | 1883年 - 1969年 | バウハウス(デッサウ) | |
| ウィレム・デュドック | 1884年 - 1974年 | ヒルフェルスム市庁舎 | |
| グンナール・アスプルンド | 1885年 - 1940年 | 森の火葬場 | |
| ウラジーミル・タトリン | 1885年 - 1953年 | 第三インターナショナル記念塔 | |
| レフ・ルードネフ | 1885年 - 1956年 | モスクワ・フルンゼ陸軍士官学校, シャポシニコフ通り沿いの建築物群, リガ科学アカデミー庁舎, ポーランド文化科学宮殿 | |
| ロベール・マレ=ステヴァンス | 1886年 - 1945年 | マレ・ステヴァン通りの集合住宅 ポール・ポワレ別邸 ステヴァンス・チェアC | |
| ミース・ファン・デル・ローエ | 1886年 - 1969年 | バルセロナ・パビリオン、ファンズワース邸、シーグラム・ビルディング | |
| エーリヒ・メンデルゾーン | 1887年 - 1953年 | アインシュタイン塔 | |
| ル・コルビュジエ | 1887年 - 1965年 | サヴォア邸、ユニテ・ダビタシオン | |
| ミッシェル・ルー=スピッツ | 1888年 - 1957年 | リヨン医科学校、国立陶芸学校、国立図書館増築 | |
| ヘリット・リートフェルト | 1888年 - 1964年 | シュレーダー邸 | |
| ヤコブ・チェルニホーフ | 1889年 - 1951年 | 幻想的建築 | |
| J.J.P.アウト | 1889年 - 1963年 | フーク・ファン・ホランドの集合住宅、カフェ・デ・ユニ、ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅、キーフフークの集合住宅 | |
| コンスタンチン・メーリニコフ | 1890年 - 1974年 | パリ万国博覧会ソ連パヴィリオン, プラウダ工場付属クラブ | |
| エル・リシツキー | 1890年 - 1941年 | 国際報道展「プレッサ」ソヴィエトパヴィリオン、雲のあぶみ/空中オフィス計画 | |
| ジオ・ポンティ | 1891年 - 1979年 | ピレリ・ビル | |
| ピエール・ルイージ・ネルヴィ | 1891年 - 1979年 | パラロットマティカ | |
| ボリス・イオファン | 1891年 - 1976年 | ソビエト宮殿、河岸通りのアパート、救世主キリスト教会 | |
| ガブリエル・ゲヴレキアン | 1892年 - 1970年 | テヘラン軍事産業省・役員クラブ, 1925年のパリ万国博覧会における水と光の庭園 | |
| リチャード・ノイトラ | 1892年 - 1970年 | 健康住宅(ロヴェル邸)、カウフマン邸 | |
| モイセイ・ギンズブルグ | 1892年 - 1946年 | 国民財政委員会ナルコムフィン官舎、財務省保健総局官舎、軍事アカデミー食堂、トゥルクシブ管理局 | |
| ハンス・シャロウン | 1893年 - 1972年 | シュミンケ邸、ベルリン・フィルハーモニー・コンサートホール、ベルリン州立図書館 | |
| エフゲニー・レヴィンソン | 1894年 - 1968年 | ソ連式集合住宅、レンソヴィエト市議会文化宮殿、レンソヴィエト市議会官舎、ホテルソィエツカヤ | |
| バックミンスター・フラー | 1895年 - 1983年 | モントリオール万博アメリカ館 | |
| アルカディ・モルドヴィノフ | 1896年 - 1964年 | トヴェルスカヤ通りのスターリン建築、レニンスキー・アベニュー、ホテルウクライナ・モスクワ超高層ビル | |
| ルドルフ・シンドラー | 1897年 - 1953年 | シンドラー自邸、ローヴェル・ビーチ・ハウス | |
| アルヴァ・アールト | 1898年 - 1976年 | パイミオのサナトリウム、セイナッツァロの役場 | |
| ウジェーヌ・ボードゥアン | 1898年 - 1983年 | レ・マンゲットの優先市街化区域、ヴェニシュー | |
| エドゥアルド・トロハ | 1899年 - 1961年 | サルスエラ競馬場 | |
| カルロス・ラウル・ビリャヌエバ | 1900年 - 1975年 | カラカスの大学都市ベネズエラ中央大学キャンパス | |
| ルイス・カーン | 1901年 - 1974年 | バングラデシュ国政センター、ソーク研究所 | |
| ジャン・プルーヴェ | 1901年 - 1984年 | 自邸 | |
| ドミトリ・チェチューリン | 1901年 - 1981年 | ロシア連邦政府ビル コムソモーリスカヤ駅(放射状線) ホテルロシア | |
| イワン・ニコラエフ | 1901年 - 1979年 | 織物研究所の共同ハウス、カイセリSumerbank工場 | |
| ルイス・バラガン | 1902年 - 1988年 | ルイス・バラガン邸と仕事場 | |
| マルセル・ブロイヤー | 1902年 - 1981年 | ユネスコ本部、旧ホイットニー美術館 | |
| アダルベルト・リベラ | 1903年 - 1963年 | EUR会議場、マラパルテ邸 | |
| ジュゼッペ・テラーニ | 1904年 - 1943年 | ヴィッラ・ビアンカ、サンテリア幼稚園、カサ・デル・ファッショ | |
| アレクセイ・ドゥーシュキン | 1904年 - 1977年 | マヤコフスカヤ駅、クロポートキンスカヤ駅 | |
| ミハイル・バルシチ | 1904年 - 1976年 | ゴーゴリー大師並木通りの実験的共生型住宅・千人の住居コミューンのプロジェクト、ソ連産業建設中央研究所、モスクワ・プラネ | |
| アルベルト・シュペーア | 1905年 - 1981年 | ニュルンベルクの党大会会場、ベルリン・オリンピアシュタディオン、新総統官邸 | |
| カルロ・スカルパ | 1906年 - 1978年 | カステルヴェッキオ美術館改修、ブリオン家墓地 | |
| フィリップ・ジョンソン | 1906年 - 2005年 | ガラスの家、シーグラム・ビルディング | |
| オスカー・ニーマイヤー | 1907年 - 2012年 | 国際連合本部ビル、ブラジリア | |
| エーロ・サーリネン | 1910年 - 1961年 | TWA空港ターミナル | |
| フェリックス・キャンデラ | 1910年 - 1997年 | メキシコ国立自治大学宇宙線研究所、バガルディの瓶詰工場 | |
| ミハイル・ポソーヒン | 1910年 - 1989年 | クレムリン大会宮殿(パレス・オブ・コングレス)、高層アパートメント「文化人アパート」 | |
| ミノル・ヤマサキ | 1912年 - 1986年 | 世界貿易センタービル | |
| 丹下健三 | 1913年 - 2005年 | 広島平和記念公園、国立代々木競技場、東京カテドラル聖マリア大聖堂、東京都庁舎 | |
| イオ・ミン・ペイ | 1917年 - 2019年 | ルーブルピラミッド | |
| アルド・ファン・アイク | 1918年 - 1999年 | 子供の家、母の家、ナーヘレの小学校 | |
| ヨーン・ウツソン | 1918年 - 2008年 | シドニー・オペラハウス | |
| ポール・ルドルフ | 1918年 - 1997年 | イェール大学美術建築学部 | |
| ジェフリー・バワ | 1919年 - 2003年 | ルヌガンガ、スリランカ国会議事堂、ヘリタンス・カンダラマ | |
| ゴットフリート・ベーム | 1920年 - | ネヴィゲス巡礼教会、ベンスベルク市庁舎 | |
| ケヴィン・ローチ | 1922年 - 2019年 | オークランド博物館、フォード財団ビル、カレッジ生命保険会社本社ビル | |
| スヴェレ・フェーン | 1924年 - 2009年 | ブリュッセル万博ノルウェー館、ヘドマルク博物館、氷河博物館 | |
| フライ・オットー | 1925年 - 2015年 | モントリオール万国博覧会西ドイツ館、ミュンヘン・オリンピック競技場、マンハイムの多目的ホール | |
| ロバート・ヴェンチューリ | 1925年 - 2018年 | 母の家 | |
| ジェームズ・スターリング | 1926年 - 1992年 | レスター大学工学部棟、ケンブリッジ大学歴史学部校舎、シュターツギャラリー新館 | |
| フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー | 1928年 - 2000年 | フンダートヴァッサーハウス、大阪市ゴミ焼却工場 | |
| レアンドロ・V・ロクシン | 1928年 - 1994年 | フィリピン最高裁判所, ブルネイ王宮 | |
| 槇文彦 | 1928年 - | ヒルサイドテラス、京都国立近代美術館、幕張メッセ、風の丘葬斎場 | |
| フランク・ゲーリー | 1929年 - | ゲーリー自邸、ビルバオ・グッゲンハイム美術館、DG銀行ビル、ウォルト・ディズニー・コンサートホール | |
| アルド・ロッシ | 1931年 - 1997年 | ガララテーゼ集合住宅、サン・カタルド墓地、ボネファンテン美術館 | |
| 磯崎新 | 1931年 - 2022年 | 大分医師会館、北九州市立中央図書館、つくばセンタービル | |
| ピーター・アイゼンマン | 1932年 - | 住宅第2号、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑 | |
| アルヴァロ・シザ | 1933年 - | レサのスイミングプール、ポルト大学建築学部棟、マルコ・デ・カナヴェーゼスの教会、ガリシア現代美術センター | |
| リチャード・ロジャース | 1933年 - 2021年 | ポンピドゥー・センター、ロイズ・オブ・ロンドン | |
| ハンス・ホライン | 1934年 - 2014年 | レッティ蝋燭店、ハース・ハウス | |
| マイケル・グレイヴス | 1934年 - 2015年 | ポートランド・ビル、デンバー中央図書館 | |
| リチャード・マイヤー | 1934年 - | ダグラス邸、ハイ美術館、ゲッティーセンター | |
| ノーマン・フォスター | 1935年 - | 香港上海銀行・香港本店ビル | |
| ピーター・クック | 1936年 - | プラグイン・シティ(アンビルド) | |
| ラファエル・モネオ | 1937年 - | 国立古代ローマ博物館、アトーチャ駅 | |
| レンゾ・ピアノ | 1937年 - | ポンピドゥー・センター、関西国際空港 | |
| モシェ・サフディ | 1938年 - | アビタ67団地、マリーナベイ・サンズ | |
| 安藤忠雄 | 1941年 - | 住吉の長屋、六甲の集合住宅、光の教会 | |
| 伊東豊雄 | 1941年 - | 中野本町の家、シルバーハット、せんだいメディアテーク | |
| マリオ・ボッタ | 1943年 - | リヴァ・サンヴィターレの住宅、ワタリウム美術館 | |
| ピーター・ズントー | 1943年 - | テルメ・ヴァルス、聖ベネディクト教会 | |
| ベルナール・チュミ | 1944年 - | ラ・ヴィレット公園 | |
| レム・コールハース | 1944年 - | ヴィラ・ダラバ、クンストハル、在ベルリンオランダ大使館、シアトル中央図書館 | |
| トム・メイン | 1944年 - | ユージーン連邦裁判所 | |
| クリスチャン・ド・ポルザンパルク | 1944年 - | 音楽都市, ルクセンブルク・フィルハーモニック・ホール | |
| ジャン・ヌーベル | 1945年 - | アラブ研究センター | |
| ダニエル・リベスキンド | 1946年 - | ユダヤ博物館 | |
| スティーブン・ホール | 1947年 - | 聖イグナティウス礼拝堂、リンクト・ハイブリッド | |
| ザハ・ハディッド | 1950年 - 2016年 | ヴィトラ消防局庁舎 | |
| ヘルツォーク&ド・ムーロン | 1950年 - | シグナル・ボックス、テートモダン、北京国家体育場 | |
| サンティアゴ・カラトラバ | 1951年 - | ターニング・トルソ | |
| MVRDV | 1966年 - | 高齢者のための100戸の集合住宅『オクラホマ』、マルクトハル | |
| 西沢立衛 | 1966年 - | ウィークエンドハウス、金沢21世紀美術館、森山邸、House A |
| 姓名 | 生没年 | 国籍 | 代表作 |
|---|---|---|---|
| リチャード・ブリジェンス | 1819年 - 1891年 | 英国仮公使館、築地ホテル館、横浜駅、新橋駅 | |
| ヘルマン・エンデ | 1829年 - 1907年 | 官庁集中計画(旧司法省庁舎、最高裁判所) | |
| ヴィルヘルム・ベックマン | 1832年 - 1902年 | 同上 | |
| ヘルマン・ムテジウス | 1861年 - 1927年 | 同上 | |
| トーマス・ウォートルス | 1842年- 1898年 | 造幣寮応接所(現泉布観)、銀座煉瓦街 | |
| ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・カッペレッティ | 1843年 - 1887年 | 参謀本部、遊就館 | |
| ダニエル・クロスビー・グリーン | 1843年 - 1913年 | 同志社大学彰栄館・礼拝堂・有終館 | |
| ジョサイア・コンドル | 1852年 - 1920年 | ニコライ堂 | |
| リヒャルト・ゼール | 1854年 - 1922年 | 同志社大学クラーク館 | |
| アレクサンダー・ネルソン・ハンセル | 1857年 - 1940年 | 旧ハッサム住宅、旧シャープ住宅、同志社大学ハリス理化学館 | |
| ジェームズ・ガーディナー | 1857年 - 1925年 | 聖アグネス教会, 山手イタリア山庭園#外交官の家(旧内田家住宅), 明治学院ヘボン館 | |
| フランク・ロイド・ライト | 1867年 - 1959年 | 帝国ホテル、ヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)落水荘、ジョンソン・ワックス本社ビル | |
| ゲオルグ・デ・ラランデ | 1872年 - 1914年 | 風見鶏の館、朝鮮総督府 | |
| J・H・モーガン | 1873年 - 1937年 | 横浜山手聖公会, ベーリック・ホール | |
| ヤン・レッツェル | 1880年 - 1925年 | 広島県物産陳列館(原爆ドーム) | |
| ブルーノ・タウト | 1880年 - 1938年 | 日向利兵衛別邸 | |
| ウィリアム・メレル・ヴォーリズ | 1880年 - 1964年 | 神戸女学院大学、関西学院大学西宮上ケ原キャンパス、日本基督教団の一連の教会 | |
| レスター・チェーピン | 同上 | ||
| ヤン・ヨセフ・スワガー | 1885年 - 1969年 | 紅蘭女学校(現横浜雙葉中学校・高等学校)、カトリック山手教会、マルグリット・ブールジョワ・センター(現桜の聖母短期大学) | |
| マックス・ヒンデル | 1887年 - 1963年 | 松が峰教会、旧マックス・ヒンデル邸 | |
| アントニン・レーモンド | 1888年 - 1976年 | 自邸、東京女子大学本館、群馬音楽センター | |
| J.V.W.バーガミニー | 1888年 - 1975年 | トイスラー記念館、学校法人平安女学院#昭和館、東京諸聖徒教会礼拝堂 | |
| ベドジフ・フォイエルシュタイン | 1892年 - 1936年 | ライジングサン石油横浜本社、駐日ソ連大使館 | |
| ジョージ・ナカシマ | 1905年 - 1990年 | カトリック桂教会 | |
| モンテ・カセム | 1947年 - | ||
| リシャール・ブリア | 1949年 - | モーブッサン銀座フラッグシップストア、アートプラザ1000(千駄ヶ谷タンジェント) | |
| トム・ヘネガン | 1951年 - | 熊本県草地畜産研究所畜舎、フォレストパークあだたら | |
| パルフィ・ジョージ | 1953年 - | 山梨学院大学キャンパスセンター、山梨学院幼稚園および山梨学院小学校校舎及び付随する関連施設 | |
| キャサリン・フィンドレイ | 1953年 - 2014年 | TRUSS WALL HOUSE、LIGHTCAVE | |
| ベンジャミン・ウォーナー | 1954年 - | アイスバーグ・ビル、ヴェロックス28ビル、ブリティッシュカウンシル東京センター | |
| リカルド・トッサーニ | 1957年 - | ヴィラコロンナ、ヒラフ坂メインストリートの再構築、ブーゲンビリアチャペル、グアム・ウェスティンリゾートのロイヤルビーチクラブ | |
| マニュエル・タルディッツ | 1959年 - | 空海郵便、Les Celibataires | |
| 彦根アンドレア | 1962年 - | 「IDIC」、S邸 | |
| アストリッド・クライン | 1963年 - | 熊本南警察署熊本駅交番、ユニクロ銀座店 | |
| マーク・ダイサム | 1964年 - | ヴァージンアトランティック航空クラブハウス、アパートメント「キラキラ」 | |
| アンリ・ゲイダン | 原宿幼稚園, 日本基督教団原宿教会, ウトコディープシーテラピーセンターとホテル | ||
| エフ・オー・アーキテクツ | 横浜港大さん橋国際客船ターミナル |
現在日本で大手ゼネコンの抱える建設業設計部は建築界において大きな位置を占めており、評価の高い作品も多く生み出している。日本では明治時代後半から清水組などの大手建設会社が大学出の学士を採用するようになり、自社で設計から施工までを一貫して行う体制を整えてきた。この点は西欧流に設計と施工の分離を唱える立場からは問題視され、戦前の「建築士法」制定運動の中では、施工会社が設計を行うことを禁止しようという主張も見られた。
(以下、順不同)
(以下、順不同)
(エコール・デ・アーキテクチャ(ENSA20)
(その他)
(芸術アカデミー)
(技術大学)
(大学・専門大学)
(大学/スイス連邦工科)
(応用科学大学)
(大学(Università)
(技術大学(Politecnici)
(以下、順不同)