(Young_oh!_oh! から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/05 04:20 UTC 版)
| POLYSICS | |
|---|---|
|
ベルギー公演にて(2008年)
|
|
| 基本情報 | |
| 別名 | The Vocoders[注釈 1] |
| 出身地 | |
| ジャンル | |
| 活動期間 | 1997年 - |
| レーベル | |
| 公式サイト | POLYSICS OFFICIAL WEBSITE |
| メンバー | |
| 旧メンバー | |
POLYSICS(ポリシックス)は、日本のニュー・ウェイヴ・バンド[5]。1997年に結成、2000年にメジャー・デビュー。所属レーベルはKi/oon Music。メンバーは、ハヤシヒロユキ、フミ、ヤノマサシの3人。
POLYSICSはハヤシを中心に結成されたバンドである。ハヤシは中学、高校在学中に宅録や複数のバンドでの音楽活動を行っていた。当初は様々なジャンルのカバーを主としていたが、高校時代に結成したバンド「コアラ盛り合わせ」ではオリジナル曲を作成しアルバムを自主制作で2枚出した。同じ頃、小学校の同級生4人でバンド「リズムミンチ」を結成し、活動していたものの、ハヤシ以外のメンバーが大学受験勉強に専念し、またヴォーカルの脱退などもあり、このバンドは活動停止した(ハヤシ曰く、凍結)。そのような中、ハヤシが高校3年生の1996年、P-MODELの日比谷野外音楽堂でのライブに触発され、POLYSICSというバンドの結成を決意。
1997年3月、高校の同級生同士であるハヤシ、サコ、カワベでPOLYSICSを結成。高校卒業する前の3月4日、新宿JAMで初ライブを行う。結成当初は、ベース、ドラムは在籍しておらず、ギター、ボーカルとヴォコーダー、シンセサイザーに打ち込みのバックトラックを使用したテクノポップバンドであった。以後、3月4日をPOLYSICSの結成日として、○周年記念イベント等を開催している。同春にハヤシ、サコ、カワベの3名は高校を卒業。その後、カワベから大学でほかにやりたいことが見つかったと連絡が入り、最初の新宿JAMでのライブを最後に脱退。同じ時期に、ハヤシが渋谷のクラブでカネコと知り合い加入。ハヤシ、サコ、カネコの3人組となったが、方向性の違いが生じて、11月にカネコが脱退。同冬に、POLYSICSはハヤシとサコの2人組ユニットになった。脱退したメンバーの穴を埋める形でハヤシと高校の軽音部で一緒だったカヨが1998年3月に新宿JAMでのライブで加入。6月にはスガイが加入。この頃に「POLY-X」というコードネーム、バイザーとオレンジ色のつなぎを導入し、初期のPOLYSICSのスタイルが完成した。これらのコードネーム、バイザー、ツナギはまさにDEVOを表す記号の一つでもあり、それを楽曲面だけでなく、バンドのビジュアル的側面としても取り入れた。それから同じ時期に下北沢QUE、下北沢SHELTER、渋谷屋根裏、新宿JAM・LIQUIDROOM、代官山LOOP、池袋サイバーなど数々の都内のライブハウスを中心にライブ活動をしていく。
同年9月に、日本のロックシーンで盛り上がりの兆しを見せていた新世代ニュー・ウェイヴのバンド有志によるオムニバスアルバム『TOKYO NEWWAVE OF NEWWAVE '98』に参加し、注目を集めるようになった。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。この頃は主にPOLY-2(サコ)の食パン投げなどのキワモノ的パフォーマンスをするバンドとして知られていた。当初は袋に入った煎餅を投げていたが、「当たると痛い」という客からの苦情が殺到し、食パンに変えた。
1999年にUKプロジェクトが運営するインディーズレーベルDECKREC RECORDSと契約。同年2月にデビュー・アルバム『1stP』をリリースした。また同年の3月には下北沢CLUB QUEで初のワンマンライブを開催した[7]。『1stP』が発売された頃からライブでの動員も急激に増えていき、4月にはラジオのレギュラー番組を担当、夏にはフジロックフェスティバルへ出演するなど、活動と人気が着実に広がっていった。しかし所謂「キワモノ系バンド」「おちゃらけたニュー・ウェイヴバンド」として評価を受けることも多く、ハヤシはキワモノっぽさ、ポップさだけでなく、きちんとした演奏力が今後のPOLYSICSには重要だと考えていた。当時のサコは演奏力がハヤシの期待するレベルに達していなかったこともあり、ハヤシはサコに対し脱退するように勧告した。5月にはサコが脱退し、それを機に「POLY-X」というコードネームを廃止するなどの変化がみられた。
1999年10月には2ndアルバム『A・D・S・R・M!』をリリースした。この頃から、サポート・メンバーとして元54NUDE HONEYSのフミがベースで参加するようになった。同年、初の全国ツアーを敢行した。ちなみに『A・D・S・R・M!』までの楽曲には歌詞らしい歌詞が無い。
2000年3月には、初の日本国外でのライブとしてサウス・バイ・サウスウエスト2000への出演、およびアメリカツアーを敢行。このアメリカツアー中に、ハヤシはロサンゼルスにあるDEVOのスタジオを訪れた。そこで、ハヤシはDEVOメンバーと直接会話を交わし、DEVOにPOLYSICSのCDを渡す。
2000年4月にキューンミュージックと契約し、シングル『XCT』『each life each end』をリリースした。同年9月にはメジャー・1stアルバム『NEU』をリリースし全国ツアーを開始した。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品と評価された。
2001年4月に3rdシングル『NEW WAVE JACKET』をリリース。この頃から、歌詞に日本語が用いられるようになっていった。また同年6月にリリースされたアルバム『ENO』では一転シンセサウンド、テクノポップ色をより強く意識した音作りにシフトした。このアルバムから、1999年よりサポートメンバーだったフミが正式メンバーとして加入した。同時期には「NEWWAVE JACKET TOUR」全国ツアーを敢行。また、夏頃には幾つかのロック・フェスティバルへ出演し、その中でROCK IN JAPAN FESTIVALへ初出場した。ハヤシは単独でDJハヤシヒロユキとしても、同イベントへ初めて参加している。この年にはPOLYSICSなりの「クラブイベントをやろう」ということで”CLUB EPOCH!"を初開催した。この頃から、ハヤシは「トイス」という掛け声を使用したり、カラオケスタイルでのDJなどを始めていた[7]。
同年、アメリカではASIAN MAN RECORDS、韓国ではPONY CANYON KOREAからコンピレーション・アルバム『Hey! Bob! My Friend』がリリースされたが、セールス的にはあまり振るわなかった。
2002年のアルバム『FOR YOUNG ELECTRIC POP』ではポップなサウンドへと移行し、初期の作品に見られたパンキッシュなエネルギーが抑制された反面、楽曲の構成やスタイルが大幅に洗練された作品となった。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。しかしながら、この時期のPOLYSICSは、ライブへの集客や作品の売り上げの落ち込みといった商業的な面で伸び悩んでいた。そのこともあり、この『FOR YOUNG〜』のリードトラックの選定やライブでのスタイルなどについては、スタッフなどから意見が多く入った。この頃を振り返り、ハヤシは「(FOR YOUNG ELECTRIC POPについて)思いがあんまり伝わらなくて、セールスもどんどん落ちてきましたね」と語っている[8]。
2003年5月にミニアルバム『カジャカジャグー』をリリース。このアルバムのレコーディングを最後にドラムのスガイが脱退した。その後、サポート・メンバーとして、SNAIL RAMPのイシマルがドラムで参加するようになり、イシマル参加の下、10月にアルバム『National P』がリリースされた。
『カジャカジャグー』及び『National P』を制作した時期は、前作『FOR YOUNG〜』での経験やAC/DC、キング・クリムゾン等のロックミュージックの存在を再認識したことから「ゼロ%から2000%ぐらいの振り切ったものを作んなきゃ」とハヤシ自身が感じていた時期であった[8]。そのアルバムの制作活動の中で、『カジャカジャグー』を制作していた当時にスガイとハヤシの求める音楽性の違いが顕著となった。スガイは、よりメッセージ性のある歌詞やポップで歌メロの音楽を作りたかったが、ハヤシはそのような音楽を求めていなかった。この方向性の違いを理由として、4月から敢行したツアー「CLUB エポック!」の大阪公演を最後に、スガイはPOLYSICSを脱退した。
この様な状況下、制作された前述の2作品は、『FOR YOUNG〜』に比べ、「初期衝動の激しさを取り戻した」などと評される作品となり、さらにハヤシ自身も手応えを感じられる作品となったが、当時の結果としてこの2作品の売り上げは伸び悩み、ライブの集客も減少してきていた。
上記のように、日本国内では商業的にある種の伸び悩みを見せていた。しかし、2003年にアメリカでリリースされたアルバム『NEU』が好セールスを記録するなど、国外において一定の評価を受けるようになった。これを受けてPOLYSICSは全米ツアーを敢行。この模様は2004年2月にDVD『PippikkippippiP In USA』としてリリースされている。以前にも海外でのライブ経験はあったものの、この頃から定期的に海外ツアーを行うなど、日本国外での活動も本格化させてきた。
また、2003年8月にはSUMMER SONICへ初出演した。この年のSUMMER SONICには、POLYSICSに多大な影響を与えたDEVOも参加していた。彼らとステージを共にしたわけではないが、DEVOと同一イベントに登場、共演した初の機会となった。
2004年5月には初のベスト・アルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリースした。当作では過去の楽曲の再レコーディングが行われている。また、このアルバムは同年7月にイギリスで、翌年の2005年3月にアメリカでリリースされた。本アルバムのイギリスでのリリースは初のヨーロッパでのリリースとなった。アメリカでのリリースに合わせて、同年9月から全米ツアーも敢行されている。
日本では5月・6月にかけて、全アルバム楽曲を演奏するライブツアーを東京、大阪で敢行。東京で7日間連続、大阪で2日連続のライブであり、ツアー名は『7DAYS TO DIE!!!! 〜ALL OF POLYSICS!!!! 〜そして伝説へ...〜』と『2DAYS TO DIE!!!〜ALL OF POLYSICS!!!! OSAKA編 変則2DAYS!!!!』であった。この東京での7DAYS最終日にヤノが新メンバーとして加入した。本ツアー終了後に、バンド初のヨーロッパライブツアーをイギリスを中心として敢行した。また、帰国後の8月にはROCK IN JAPAN FESTIVALなど夏フェスへの出演、及び全国ツアーを敢行。9月には再び国外でのライブツアーとして、アメリカでのライブツアーを敢行した。この年、POLYSICSは4カ国で94本のライブを行った。
これらの活動と同時期2004年7月にはカヨによるソロ活動として、アルバム『三つ編みヒロイン』がリリースされた。そのため、POLYSICSの活動とは別に、夏頃には幾つかのメディアへのカヨ一人での露出が多く行われていた。
2005年4月にシングル『Baby BIAS』をリリースした。この様なシングルCDによる楽曲の発表は2001年にリリースされた『NEW WAVE JACKET』以来、4年ぶりのことであった。また、4月から4か月後の8月にシングル『シーラカンス イズ アンドロイド』をリリースした。この時期から、POLYSICSはシングルCDという形で楽曲を発表することが再び増えた。さらに、10月にはアルバム『Now is the time!』のリリースを行った。
2005年に『Baby BIAS』や『シーラカンス イズ アンドロイド』などのシングルが発売された頃から、各種ライブの動員数も増えていき、商業的な面での伸びが現れてきていた。加えて、『Now is the time!』ではCDセールスの面でも、前アルバムよりも売上を伸ばしており、その楽曲やライブ、言動なども幅広い人に受け入れられる様になってきていた。
アルバム発売に合わせイギリスでのツアーを皮切りに、ライブツアー『POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2005!!!! 〜Now is the time!!!!!〜』を敢行した。国内では、帰国後11月20日の千葉LOOKを幕開けとして全国でライブを開催し、翌年2006年1月のLIQUIDROOMでツアーファイナルをむかえた。また、2005年にはスペインで開催されたPRIMAVELA SOUND FESTIVAにも出演している。2005年に、POLYSICSは6カ国で96本のライブを行った。
2006年2月にアメリカ、4月にイギリスにて、『Now is the time!』のリリースに伴い、3月にアメリカ、4月にはイギリスにおいてライブツアーを敢行した。このイギリスでのツアーでは、カイザー・チーフスのUKアリーナツアーにフロントアクトとして出演。この出演は以前からPOLYSICSのことを気に入っていたカイザー・チーフスからの要望により実現した。その後、5月にはSHIBUYA-AXで凱旋公演ライブを終えた。
2006年6月にシングル『Electric Surfin' Go Go』、同年10月にシングル『You-You-You』、翌年2007年1月にはシングル『Catch On Everywhere』をリリースした。
そして、2007年2月に、アルバム『KARATE HOUSE』をリリース。本アルバムには、先行リリースされた3枚のシングルから4曲が収録された。また、本アルバムに向けた楽曲制作ではこれまでの制作活動との変化がみられた。これまではハヤシが中心となり、楽曲を生み出すスタイルが多かったが、今回はメンバー全員でセッションをしながら曲を生み出していくことで出来た楽曲が主となるアルバムになる[9]。3月4日には結成10周年を迎え、SHIBUYA-AXで記念ライブを行う。
4月からは、バンド史上最長期間となるライブツアー『POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2007!!!!〜KARATE HOUSE!!!!』を敢行し、ツアーファイナルを6月2日に日比谷野外音楽堂で迎える。その後、6月からイギリス・フランスツアーを敢行した。その中で、6月にイギリスの大型フェスティバルO2 ワイヤレス・フェスティバル 2007のメインステージに出演。夏には、複数のロックフェスティバル等のライブ・イベントに出演した。それらへの出演の際に、通常のツナギからマリンルックに衣装を変更した。
また、この年の6月にはSNSサイトMyspaceの傘下にあるMySpace Recordsと北米でのライセンス契約を結んだ。同契約は、同年の1月31日にロスアンゼルスのライブハウスで行なわれたPOLYSICSのライブに訪れたMySpace社長のトム・アンダーソン(Tom Anderson)が、彼らに対し強い感銘を受けたことがきっかけとなっている。これを受けて、9月には国内でMySpace主催による『第3回SECRET SHOWS JAPAN』への出演、10月にはPOLYSICSにとって2枚目となる海外でのベスト・アルバム『POLYSICS OR DIE!!!! -VISTA-』の発売が行われた。このベスト盤の選曲は先述のトムが行った[10][要ページ番号]。その後、10月からは、同レーベル主催の米国ツアー『MySpace Music Tour』にHellogoodbye、Say Anythingと共に、MySpace Records Artistの一員として参加した。このツアー中にはDEVOのメンバーであるジェラルド・V・キャセール(Gerald V Casale)、元メンバーのアラン・マイヤース(Alan Myers)がPOLYSICSのライブを観覧に来た。
アルバム『KARATE HOUSE』の発表直後から、これらのライブ活動等と並行して、次のアルバムに向けた楽曲の制作活動を進めていた。
2007年11月にシングル『Rocket』をリリースした。表題曲は、同年夏に行われたライブイベントなどで披露されていた。また、同楽曲はフジテレビ系列で放映されたテレビアニメ『もやしもん』のエンディングテーマとなっている。この年の12月末にはCOUNTDOWN JAPAN EAST/WESTに出演。この年の幕張で開催されたEASTへの出演は、最大規模のステージであるEARTH STAGEへの初出演となった。年明け後の2008年3月にシングル『Pretty Good』をリリース。
そして、同年4月にアルバム『We ate the machine』をリリースした。本アルバムには、先行してリリースされた2枚のシングルの表題曲が収録されている。リリース1か月前の3月からライブツアー『POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出せ!!春のウキウキ・ジャパンツアー!!!!〜』、4月からはライブツアー『POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出ろ!!怒濤のワキワキ・ジャパンツアー!!!!〜』を敢行した。これらの一連のライブツアーは、6月29日にSTUDIO COASTにおいて開催された『POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出た!!キバキバ新木場・ジャパンツアーファイナル!!!!〜』をもってツアーファイナルを迎えた。このツアーファイナルの模様は10月29日にライブ・アルバム『We ate the show!!』としてリリースされた。
また、夏には複数のロック・フェスティバルに参加。その中で8月のSUMMER SONICには、DEVOと共に出演を果たす。この競演は2003年の同イベント以来である。2003年の際には、二つのバンドは異なるステージでの出演であったが、この年は同ステージでの出演となった。また、この競演の数日後、SHIBUYA-AXにおいてDEVOとPOLYSICSによるツーマンライブが開催されたが、SUMMER SONICに関連した企画の一つとなっている。
8月、9月には欧米各国においてアルバム『We ate the machine』をリリースした。ただし、欧米向けにリリースされた本アルバムでは、日本向けの『We ate 〜』と異なり、収録楽曲のうち「Moog is Love」と「Pretty Good」は歌詞が英語となっている。9月には、ハヤシがテレビ朝日系列『タモリ倶楽部』に出演。また、9月から11月にかけてヨーロッパ、アメリカにおいてライブツアーが敢行された。同年11月から12月にかけて、SPARTA LOCALSやサンボマスターなどといったバンドとの対バンツアー『ULTRA FIGHT OR DIE!!!!』を開催した。対バンツアー終了後の12月からは楽曲制作活動に入った。
2000年のメジャー・デビューから10周年目を迎えていた。
10周年目に入った2009年3月に両A面シングル『Shout Aloud!/Beat Flash』をリリース。それに伴い、購入者限定ライブを渋谷CLUB QUATTROで4月に開催。6月にシングル『Young OH! OH!』 をリリース。そして、これらのシングル曲を含むアルバム『Absolute POLYSICS』を9月に日本においてリリースした。『Absolute POLYSICS』発売前日の9月15日に翌年2010年の3月に初の武道館ワンマン公演を行うことを発表した。これらの活動と平行して、ツアーや10年ぶりのフジロックフェスティバルを含む各種音楽フェスへの参加など、楽曲の発表に合わせ、ライブ活動も精力的に行っていた。
しかし、この年の12月に「武道館ワンマン公演をもって、カヨがバンドを『卒業』する」旨が発表された[11]。カヨによると、2006年頃から「POLYSICSのメンバーでない、一人の女性としての自分に会ってみたい」という気持ちが日に日に募っていったという。また同時にPOLYSICSも武道館公演後は「充電期間」としてしばらくの間活動を休止することが発表された。
12月のこれらの発表後、年明け2010年1月には自身2枚目となるベスト・アルバム『BESTOISU!!!!』をリリース。このアルバムの収録曲は、ヤノ加入後の音源からセレクトされており、本アルバムリリース時の4名のメンバーで発表する最後の作品となった。
2010年の3月日本武道館にてワンマンライブ『BUDOKAN OR DIE!!!!』を開催。この日演奏された楽曲は全部で42曲に及び、武道館ライブを行ったバンドの中では最多の曲数となった。このライブをもってカヨが卒業、バンドは活動休止に入った。ライブの模様は7月7日にDVD『BUDOKAN OR DIE!!!! 2010.3.14』として発売された。
充電期間は2010年6月28日にPOLYSICSの公式ブログにて終了宣言が出され、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010から3人での活動を再開した。活動再開後は主に灰色のツナギと銀色のバイザーを身につけていた。
2010年10月から11月にかけて3人体制としては初となる全国ツアー"We are Back!! POLYSICS!!!"を開催。この年の12月にミニアルバム『eee-P!!!』を、2011年3月にはアルバム『Oh!No!It's Heavy Polysick!!!』をリリースした。
このアルバムの発売に先駆けて、POLYSICS結成14周年となる3月4日にSHIBUYA-AXにて単独ライブ『コニチワ! New POLYSICS!!! 〜マッハ AX ギュンギュンギュン!!!〜』を開催。このライブではPOLYSICS初となるUstreamによるライブ生中継が実施された。この中継中、フミは自身のTwitterアカウントに寄せられるコメントを取り上げる場面などもあった。この頃は、日本国内においてTwitterやUstreamが一般に認知されてきた時期ということもあり、Twitter上でメンバーやPOLYSICS公式の発言が公開されたり、Ustreamでの番組放送の実施などPOLYSICSの活動の場としてこれらのサービスが利用するケースも増えてきた。
3人体制移行後のライブでは、演奏面やセットリストの面でカヨを含めた4人体制時から変化が生まれた。例えば、カヨが担当していたシンセサイザーやボーカルをハヤシ・フミが担当したり、ライブ時の楽曲アレンジもそれに合わせた形になっていた。また「ピーチパイオンザビーチ」や「New Wave Jacket」などカヨ脱退前には、ライブにおける定番曲であった一部楽曲もライブで演奏される回数が減ってきた。
加えて、4人体制時と比較するとハヤシ以外の2人が前面に出るシーンも多く見られるようになってきた。それまではカヨと同じくライブ中は無機質なロボットキャラを演じることが多かったヤノも、ライブで積極的なMCや前面に出たソロ場面が増えきていた。これは楽曲制作のスタンスでの変化にもあらわれ、制作初期から3人で臨むことが増加した[12]。ハヤシはこの頃について「3人体制になった最初の時に、1人1人のパーソナルな部分をもっと出していきたいって言ったし。俺がリーダーで、フミ、ヤノといるんだけど、3人の顔がぎゅっと前にでるようなサウンドにしたいし、バンドにしたいんだよね」と2012年頃に振り返っている[13]。
2012年は活動15周年を迎え、結成15周年を記念するアルバムとして『15th P』を2月29日にリリース。また、3月3日には通算1000本目となるワンマンライブ『MEMORIAL LIVE OR DIE!!! 〜祝!!! 1000本!!!渋谷AX 2days!!!!〜』をSHIBUYA-AXにて開催。この翌日の3月4日には15周年の最初かつ1001本目のライブとして、同会場にてワンマンライブ『MEMORIAL LIVE OR DIE!!! 〜祝!!! 15周年!!!渋谷AX 2days!!!!〜』を開催した。1000本目のライブに向けては、2011年の秋頃から「995本目」「996本目」「997本目」…と各ライブタイトルにライブ回数を含めるなど、カウントダウンが行われていた。
2012年8月にはフミがリードボーカルを務める『Lucky Star』、11月には『Everybody Say No』とシングルを2枚リリース。そして、12月にはこれらの表題曲を含むアルバム『Weeeeeeeeee!!!』をリリースした。
2013年10月にはシングル『MEGA OVER DRIVE』リリースし、2014年1月にアルバム『ACTION!!!』リリース。
2015年に入り、楽曲制作に合わせ様々な団体や企業とのコラボレーションといった活動も広く行った。3月、ハヤシの食べ物の"偏愛"をテーマにしたミニアルバム『HEN 愛 LET'S GO!』をリリース。このアルバムのリリースに合わせ楽曲タイトルになったにハヤシよる偏愛対象の「ドクターペッパー」「ホモソーセージ」「タンメン」に因んだ企画を実施、公開した[14]。また、ハヤシの提供楽曲「Hamidasumo!」をリードトラックとするゆるめるモ!のシングルが『HEN 愛 LET’S GO!』と同日発売となった。このような縁もあり、この時期にPOLYSICSとゆるめるモ!がタワーレコードのポスターや各種インタビューなど、共にメディアに登場した[15][16]。この後もハヤシはゆるめるモ!へ楽曲提供を行っており、また彼女らのライブを観覧に訪れるなど、付き合いが生まれている。7月には円谷プロダクション全面協力の下、ウルトラ怪獣をテーマにした「HEN 愛 LET'S GO! 2 〜ウルトラ怪獣総進撃〜」リリース。初回生産限定盤には「ポリシックス限定 ゴモラ クリアオレンジラメVER.」フィギュアが付属した。12月には、結成19周年を記念してクラウドファンディングで参加者を募り、VRのミュージック・ビデオを作成するプロジェクトを開始[17]。目標人数300人を達成し、翌年1月に終了した。
この年のライブでは、同様なメドレーがセットリストによる演奏を度々行っていた。9月11日、12日に渋谷CLUB QUATTROで『POLYSICS ウルトラチャレンジ OR DIE!!!〜燃えろ! クアトロ地獄!2日で100曲カブリ無し!!!〜』開催。この2日間のライブではメドレー形式で複数楽曲を続けた演奏がセットリストに組み入れた。同様なメドレー形式のセットリストは、他の機会にもみられ『「HEN 愛 LET’S GO!」のリリースツアーファイナル』では18曲、『ROCK IN JAPAN FES. 2015』では24曲のメドレーによる演奏を披露した[18]。
また、例年通りPOLYSICSは多くの夏フェスに参加した。その中で『AOMORI ROCK FESTIVAL’16 〜夏の魔物〜』には初回以来10年振りの参加、アイドルが多く参加するフェス『@JAM×ナタリー EXPO 2016』への初参加など例年と異なるフィールドでのライブもみられた。後者の@JAMではハヤシが楽曲提供を行っている「ゆるめるモ!」がPOLYSICSのステージに登場した。その時の楽曲は「Baby BIAS」である。個人の活動として、フミはベーシストとして加山雄三率いる「THE King ALL STARS」にベーシストとして参加し、横浜開港祭等で演奏を披露した。
2016年3月2日、アルバム『What's This???』リリース。結成19周年にちなみ19曲収録となっている。その2日後の3月4日には大阪BIG CATにて結成19周年として『20周年まであと1年!!!〜まだまだやるで無茶なこと!!! 1日100曲かましたる!!!〜』を開催し、1日で100曲演奏を行った[19]。
2017年3月4日に豊洲PITにおいて結成20周年記念ライブ『20周年 OR DIE!!! All Time POLYSICS!!!』を開催した。本ライブでは、結成当時から2017年現在に至るまでの衣装を順に着替えながら、新旧幅広い楽曲をパフォーマンスした。そして、最後には新衣装である黄色いつなぎ姿を披露した。この時期は、これまでのPOLYSICSの20年を振り返るような活動がいくつか行われ、2月22日にベスト・アルバム『Replay!』をリリース。こちらは過去から現在までのライブ定番曲を現在のメンバーで再録し直したアルバムとなっている。
また、ライブとして、POLYSICSのみが出演する3マンツアー『20周年直前!奇跡の3マン!!!リターンズTOUR ~POLYSICS×POLYSICSシャホー×『1st P』再現POLYSICS~』の開催。このツアーにおいては、POLYSICSとしての初オリジナル・アルバムである『1stP』の再現ライブや現在のPOLYSICSの定番曲まで、これまでの様々な楽曲を披露した。
10月2日には新メンバー・ナカムラリョウの加入が発表され(ナカムラは9月にTHE TOISU!!!!名義で行われた数本のライブに参加)、POLYSICSは約7年ぶりに4人編成となった。それと同時にナカムラも参加したニューアルバム『That's Fantastic!』のリリース告知、それに伴うリリースツアー『POLYSICS結成20周年記念TOUR “That's Fantastic!”〜Hello! We are New POLYSICS!!!!〜』の開催が発表された。
しかし2019年12月、ナカムラが2020年の2月から行われるツアーの最終公演(東京)となる3月14日をもって脱退することが決定した[20]。
2020年2月『POLYSICS TOUR 2020 ~SynchroにCity~』が開催されるも新型コロナウイルス感染症の流行により途中で延期[21]。4月3日、ツアー中止を発表。ナカムラはそのまま脱退となった。
※特記を除き、公式サイトの「PROF」に準拠[22]。
| 名前 | 担当 | 誕生日 | 加入時期 |
|---|---|---|---|
| ハヤシ | ギター ボイス シンセサイザー プログラミング |
8月8日[23] | 結成時 |
| フミ | ベース シンセサイザー ボイス |
4月25日[24] | 2001年[注釈 2] |
| ヤノ | ドラムス ボイス |
6月6日[25] | 2004年 |
| 名前 | 担当楽器 | 在籍期間 |
|---|---|---|
| カワベ | N/A | 1997年 |
| カネコ | シンセサイザー | 1997年 |
| POLY-2(サコ) | シンセサイザー ヴォコーダー パン投げ |
1997年 - 1999年 |
| スガイ | ドラムス | 1998年6月[7] - 2003年 |
| カヨ | シンセサイザー ボーカル ヴォコーダー リコーダー |
1998年3月 - 2010年3月14日[11] |
| ナカムラリョウ | ギター シンセサイザー ボイス |
2017年10月2日 - 2020年4月3日 |
DECKREC Records
| 発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1st AL | 1999年2月25日 | 1st P | DCRC-0001 | |
| 1st SG | 1999年4月25日 | Plus Chicker EP | DCRC-0002 | |
| 1999年12月15日 | Plus Chicker EP (reissue) | 『Plus Chicker EP』の限定追加プレス | ||
| 2nd AL | 1999年10月22日 | A・D・S・R・M! | DCRC-0005 | |
| 2nd SG | 1999年12月15日 | Modern | DCRC-0006 | |
| 1st LIVE | 2000年2月25日 | LIVE IN JAPAN/6-D | DCRC-0012/3 | 『Live in Japan』はライブ・アルバム、『6-D』はリミックスアルバム |
| 再発盤 | 2009年2月25日 | 1st P / A・D・S・R・M! | DCRC-0062/3 | オリコン最高175位、登場回数1回 |
Ki/oon Music
| 発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 2000年4月19日 | XCT | KSC2-341(通常盤) | |
| 2 | 2000年4月19日 | each life each end | KSC2-345(通常盤) | |
| 3 | 2001年4月25日 | NEW WAVE JACKET | KSC2-380(通常盤) | |
| 4 | 2005年4月27日 | Baby BIAS | KSCL-776(通常盤) | |
| 5 | 2005年8月17日 | シーラカンス イズ アンドロイド | KSCL-877(通常盤) | |
| 6 | 2006年6月21日 | Electric Surfin' Go Go | KSCL-1014/5(初回生産限定盤) | オリコン最高46位、登場回数2回 |
| KSCL-1016(通常盤) | ||||
| 7 | 2006年10月25日 | You-You-You | KSCL-1045/6(初回生産限定盤) | オリコン最高45位、登場回数3回 |
| KSCL-1047(通常盤) | ||||
| 8 | 2007年1月31日 | Catch on Everywhere | KSCL-1091(通常盤) | オリコン最高45位、登場回数2回 |
| 9 | 2007年11月21日 | Rocket | KSCL-1183(通常盤) | オリコン最高52位、登場回数3回 |
| 10 | 2008年3月19日 | Pretty Good | KSCL-1223(通常盤) | オリコン最高65位、登場回数2回 |
| 11 | 2009年3月11日 | Shout Aloud!/Beat Flash | KSCL-1358(通常盤) | オリコン最高44位、登場回数2回 |
| 12 | 2009年6月17日 | Young OH! OH! | KSCL-1396/7(初回生産限定盤) | オリコン最高31位、登場回数3回 |
| KSCL-1398(通常盤) | ||||
| 13 | 2012年8月22日 | Lucky Star | KSCL-2097/8(初回生産限定盤) | オリコン最高46位、登場回数2回 |
| KSCL-2099(通常盤) | ||||
| 14 | 2012年10月24日 | Everybody Say No | KSCL-2135/6(初回生産限定盤) | オリコン最高49位、登場回数2回 |
| KSCL-2137(通常盤) | ||||
| 15 | 2021年2月24日 | 走れ! with ヤマサキセイヤ(キュウソネコカミ) | KSCL-3288/9(初回生産限定盤) | オリコン最高64位、登場回数2回 |
| KSCL-3290(通常盤) |
| 発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 3rd | 2000年9月20日 | NEU | KSC2-357(通常盤) | |
| 4th | 2001年6月6日 | ENO | KSC2-389(通常盤) | |
| 1st mini | 2002年4月24日 | LO-BITS | KSCL-453(通常盤) | |
| 5th | 2002年7月24日 | FOR YOUNG ELECTRIC POP | KSCL-460(通常盤) | |
| 2nd mini | 2003年5月21日 | カジャカジャグー | KSCL-547(通常盤) | |
| 6th | 2003年10月29日 | National P | KSCL-627(通常盤) | |
| 1st BEST | 2004年5月19日 | POLYSICS OR DIE!!!! | KSCL-686(通常盤) | |
| 7th | 2005年10月19日 | Now is the time! | KSCL-890(通常盤) | オリコン最高55位、登場回数3回 |
| 8th | 2007年2月28日 | KARATE HOUSE | KSCL-1117(通常盤) | オリコン最高27位、登場回数3回 |
| 9th | 2008年4月23日 | We ate the machine | KSCL-1240(通常盤) | オリコン最高26位、登場回数5回 |
| 2nd LIVE | 2008年10月29日 | We ate the show!! | KSCL-1316(通常盤) | オリコン最高48位、登場回数2回 |
| 10th | 2009年9月16日 | Absolute POLYSICS | KSCL-1456(通常盤) | オリコン最高21位、登場回数5回 |
| 2nd BEST | 2010年1月13日 | BESTOISU!!!! | KSCL-1536/7(初回生産限定盤) | オリコン最高26位、登場回数4回 |
| KSCL-1538(通常盤) | ||||
| 3rd mini | 2010年12月8日 | eee-P!!! | KSCL-1678/9(初回生産限定盤) | オリコン最高38位、登場回数2回 |
| KSCL-1680(通常盤) | ||||
| 記念盤 | 2012年2月29日 | 15th P | KSCL-2691/2(完全生産限定盤) | オリコン最高27位、登場回数2回 |
| KSCL-2693/4(初回生産限定盤) | ||||
| KSCL-2695(通常盤) | ||||
| 11th | 2011年3月9日 | Oh!No!It's Heavy Polysick!!! | KSCL-1731/2(初回生産限定盤) | オリコン最高27位、登場回数4回 |
| KSCL-1733(通常盤) | ||||
| 12th | 2012年12月5日 | Weeeeeeeeee!!! | KSCL-2163/4(初回生産限定盤) | オリコン最高46位、登場回数2回 |
| KSCL-2165(通常盤) | ||||
| 4th mini | 2013年10月1日 | MEGA OVER DRIVE | KSCL-2313(初回生産限定盤) | オリコン最高41位、登場回数2回 |
| KSCL-2314(通常盤) | ||||
| 13th | 2014年1月15日 | ACTION!!! | KSCL-2353(通常盤) | オリコン最高27位、登場回数2回 |
| 5th mini | 2015年3月25日 | HEN 愛 LET'S GO! | KSCL-2564(通常盤) | オリコン最高74位、登場回数2回 |
| 6th mini | 2015年7月8日 | HEN 愛 LET'S GO! 2 〜ウルトラ怪獣総進撃〜 | KSCL-2584/5(初回生産限定盤) | オリコン最高39位、登場回数2回 |
| KSCL-2586(通常盤) | ||||
| 14th | 2016年3月2日 | What's This??? | KSCL-2691/2(完全生産限定盤) | オリコン最高48位、登場回数2回 |
| KSCL-2693/4(初回生産限定盤) | ||||
| KSCL-2695(通常盤) | ||||
| 再録BEST | 2017年2月22日 | Replay! | KSCL-2864/5(初回生産限定盤) | オリコン最高62位、登場回数2回 |
| KSCL-2866(通常盤) | ||||
| 15th | 2017年11月29日 | That's Fantastic! | KSCL-3001/3(初回生産限定盤) | オリコン最高53位、登場回数1回 |
| KSCL-3004(通常盤) | ||||
| 16th | 2019年10月9日 | In The Sync | KSCL-3191/2(初回生産限定盤) | オリコン最高67位、登場回数1回 |
| KSCL-3193(通常盤) |
25年間、ブレることなく、ラウドなバンドサウンドとファニーなピコピコシンセサイザーが融合した唯一無二のサウンドを奏でてきたPOLYSICS
|
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/05 04:22 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2021年5月)
|
| 「Young Oh! Oh!」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 岡村靖幸 の シングル | ||||
| 初出アルバム『yellow』 | ||||
| B面 | MARIA | |||
| リリース | ||||
| 規格 | EP盤 | |||
| ジャンル | ファンク | |||
| レーベル | EPIC・ソニー | |||
| 作詞・作曲 | 岡村靖幸 | |||
| 岡村靖幸 シングル 年表 | ||||
|
||||
「Young Oh! Oh!」(ヤング オー オー)は、岡村靖幸の3枚目のシングル。1987年5月21日に、EPIC・ソニーから発売された。
1987年3月21日発売アルバム『yellow』からリカットシングル。
| 全作詞・作曲: 岡村靖幸、全編曲: 岡村靖幸・西平彰。 | ||
| # | タイトル | |
|---|---|---|
| 1. | 「Young Oh! Oh!」 | |
| 2. | 「MARIA」 | |
| 曲名 | 収録アルバム | 備考 |
|---|---|---|
| Young Oh! Oh! | 『yellow』 | |
| 『OH! ベスト』 | ||
| 『岡村ちゃん大百科』 | ||
| MARIA | 『岡村ちゃん大百科』 |
(Young_oh!_oh! から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 14:55 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2012年6月)
|
| ヤングおー!おー! YOUNG OH! OH! |
|
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 出演者 | 桂三枝(現:6代目桂文枝) 笑福亭仁鶴 斎藤努 川村龍一 横山やすし・西川きよし 月亭八方 オール阪神・巨人 明石家さんま 桂文珍 島田紳助・松本竜介 ほか、#出演者も参照。 |
| 製作 | |
| プロデューサー | 中邨秀雄 林裕章 |
| 制作 | 毎日放送 |
| 放送 | |
| 放送国・地域 | |
| 放送開始から1969年9月まで | |
| 放送期間 | 1969年7月3日 - 1969年9月25日 |
| 放送時間 | 木曜日 20:00 - 20:56[1] |
| 放送分 | 56分 |
| 1969年10月から1975年3月まで | |
| 放送期間 | 1969年10月5日 - 1975年3月30日 |
| 放送時間 | 日曜日 18:00 - 18:55[1] |
| 放送分 | 55分 |
| 1975年4月から1982年3月まで | |
| 放送期間 | 1975年4月6日 - 1982年3月27日 |
| 放送時間 | 日曜日 17:30 - 18:25 |
| 放送分 | 55分 |
| 1982年4月から放送終了まで | |
| 放送期間 | 1982年4月3日 - 1982年9月19日 |
| 放送時間 | 日曜日 13:00 - 13:55 |
| 放送分 | 55分 |
ヤングおー!おー! (YOUNG OH! OH!) は、1969年7月3日から1982年9月19日まで放送された毎日放送(MBSテレビ)制作の公開バラエティ番組[2]。
1969年7月3日開始。落語家の桂三枝(現:6代目桂文枝)と、当時MBSアナウンサーの斎藤努がパーソナリティを務めていた公開収録形式のラジオ番組『歌え! MBSヤングタウン』のテレビバージョンとして制作された[1]。当時は若者向けのテレビ番組がなく、この番組を「若者の“電波解放区”」と名付け、「彼らが興味のありそうなものを雑誌のように、ブロック構成で見せる」ことをはかり、多彩なコーナーを短時間で次々見せていく形式を作った[1]。初代司会は、三枝に加え笑福亭仁鶴が担当し、すぐに横山やすし・西川きよしが加わった。初代進行役は斎藤が務め、のちにMBSのアナウンサーが歴代務めた[1]。
当時ディレクターだった林誠一は、コメディドラマが主流だった従来の在阪局のお笑い番組について「大阪の人気者は必ず役名が肩書につく。だから番組が終わればおしまいになる」と気づき、そのアンチテーゼとして「タレント個人のパーソナリティー」を重視する演出を図った[1]。また、強力な裏番組であった朝日放送の『てなもんや一本槍』にチャンネルを変えさせまいと、番組開始直後に仁鶴に「ごきげんようー」と絶叫させ、画面に釘付けにさせる工夫を図った[1]。同番組は放送開始後、たちまち人気を獲得し、番組開始2年目の1970年には日本民間放送連盟賞テレビ娯楽番組部門銀賞を受賞するに至った[1][3]。
吉本興業所属の若手芸人にとっての登龍門的番組で、1950年代後半から1970年代前半まで松竹芸能の独走状態であった上方演芸界の勢力図を、当番組のヒットにより現在の吉本中心へと大きく塗り替えることとなった。この番組で全国区の人気者へと上り詰めた仁鶴と三枝は、3か月遅れで番組レギュラー入りし大ヒット曲『嘆きのボイン』で猛追した月亭可朝を加えて、俗に「上方落語若手三羽烏」と呼ばれた[1]。また仁鶴・三枝・やすきよは「吉本御三家」と並び称された。ほかにもこの番組を「出世作」として人気に火が付き、全国進出のきっかけを作ったタレントは多く、明石家さんまが、ブレイクのきっかけとなるプロ野球の投手・小林繁のものまねをテレビで初披露した番組でもある。
番組内で芸人複数によるユニットを結成し、若手の売り出しを図るという番組フォーマットは、吉本独特のスター工法としてのちに定着し、ダウンタウン司会で心斎橋筋2丁目劇場より生中継された『4時ですよーだ』(毎日放送、1987年 - 1989年)、さらにはナインティナインを中心とした「吉本印天然素材」などでお家芸として定着していくことになる。
同番組は吉本興業が『よしもと新喜劇』等の劇場中継番組以外で放送番組の制作に携わった初めての番組である。きっかけは当初の同番組の収録会場であったうめだ花月の改修であった。当時の劇場中継番組では、劇場前のバス停に2台の中継車を停めて放送していたが、駐車違反に当たるため、警察に指導を受け、中継車の駐車場所を劇場東側の新御堂筋に変え、長いケーブルを引いて対応することになったが、付近の小学校の改築工事のためにそれが不可能になっていた。そこで吉本は中継機材を放送局から安価で買い取り、うめだ花月の中に設置することにしたことから、劇場自体が放送局並みの中継機能、即ち放送番組の制作機能を持つことが可能となった[1]。収録場所は後にうめだ花月から中之島のSABホール(のちのリサイタルホール。2007年閉鎖)へ移り[1]、末期にはMBS千里丘放送センター内のミリカホールからの公開生放送で行われた。大阪での収録・生放送のほか、月に1回の割合で関東地方での収録があり、ネット局の制作協力による日本各地の地方公開録画もあった。
1980年9月末の放送をもって、司会を10年以上担当した三枝が、若手芸人へ道を譲ることを理由として降板し、同時に進行役の近藤光史アナウンサーも降板した。同年10月より、三枝直々の指名によりさんまがメイン司会者に昇格するとともに、そのアシスタント役としてさんまの同期に当たる島田紳助・松本竜介、近藤の後継の進行役として青木和雄アナウンサーがそれぞれ起用された。1982年4月からの最末期はさんま・紳竜に加えて、レギュラー出演していたオール阪神・巨人、太平サブロー・シローも司会陣に昇格し、4組のうち3人が週替りで総合司会を担当。また川村ひさしも同改編を機に番組を降板している。
最終回(1982年9月19日)は、エンディングで「今回でお別れ!」と言ったあと、ラストでスタッフクレジットと共に、スタート当時の当番組における若かりし頃の三枝、ザ・パンダ、斎藤らの姿(後述の理由からVTRが現存しておらず、白黒写真を使用)を背景にして別れのメッセージとした。
2012年7月29日に、NHK BSプレミアムで放送された、『桂三枝のすべて 〜6代目桂文枝襲名〜』の中で、当時の出演者・三枝や「ザ・パンダ」のメンバー(四代目小染は故人のため弟弟子の四代目林家染丸が代理)が出演し、当時行われていた大喜利「あたかも読書」が再現された。
会場に観客を入れて行う公開放送形式で、吉本興業の若手芸人と一般視聴者(観客)によるゲーム企画、吉本の芸人によるコント・漫才、ゲストのアイドルの歌とトークなどのコーナーから成った。日曜夕方時代は、17時台に『笑点』(日本テレビ)、18時台に『レッツゴーヤング』(NHK)が裏番組として放送されており、それぞれを意識した番組構成となっていた。東京を地盤とするタレントも多く出演し、中には東京キー局制作の番組でも出演しない大物のアーティストが突如登場することもあった。
視聴者は前もってネット局宛に観覧したい旨のハガキを送れば、抽選の上、放送の模様をホール会場で直接見ることができた。条件はハガキ1枚につき3人一組の応募で、これは「三人集まれば必ず騒いでくれる[1]」というスタッフの計算であった。当選者にはスタッフから視聴者宛に当選通知票(いわゆる入場整理券)が送られた。
初期には竹村健一や佐藤愛子をゲストに招いての、観客の若者による討論会のコーナーがあった。
1978年から1981年の毎年5月から7月頃には、「ミス・アイドルコンテスト」が開催された。毎週5人の出場者が登場しチャンピオンを決め、さらに、グランドチャンピオン大会でグランドチャンピオンに選ばれると、賞金$1000と日本航空で行く海外旅行がプレゼントされた。しかし、番組が事前収録のため、優勝者が番組放送前に『TVガイド』に載ってしまうという出来事もあった。1980年の「ミス・アイドルコンテスト」優勝者の山本博美(現:京本政樹夫人)は、のちにタレントとしてデビューし、当番組のスポンサーである日清食品のカップラーメンのCMにも出演した。
1972年、番組内で月亭八方、桂文珍、桂きん枝(現:四代桂小文枝)、四代目林家小染からなるユニット「ザ・パンダ」[1]が結成された。当時ディレクターだった林誠一によれば「お笑い版フォーリーブスという発想だった」といい、4人は実際にゲスト歌手のバックコーラスを担当するなどした。
1975年、初めてのシングルレコード「昭和大童謡・アフリカの夜/愛情ヘロヘロ」(両曲とも伊藤アキラ作詞、宮崎尚志作曲)を日本フォノグラムからリリース。
「ザ・パンダ」はのちにさんまが加入し「SOS(サニー&オオサカ・スペシャル)」に改名。一方で紳助・竜介、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんちが「チンチラチン」を結成した。1980年9月末の司会者交代を機に、「ザ・パンダ」のメンバーが番組からフェードアウトする一方、当時のMANZAIブームの時流に対応して「チンチラチン」をはじめとする若手〜中堅の漫才コンビが主要キャストとして頭角を現し始め、番組内容の変質が強く意識されるようになっていった。
他の1970年代制作の番組と同様、当時はVTRの規格が2インチでテープ自体が高価・編集も煩雑だったことに加え、公開番組が故に著作権や肖像権での制約も多かった事情も重なり、映像は上書き収録され局内のMBSのアーカイブ倉庫には数本を残してほとんど現存しないとされている。このうち1本(1979年4月22日放送分)は明石家さんまがトランポリンで飛び跳ねるシーン(SOS対チンチラチンのトランポリン対決)があるため、TBS系列の番組名場面集などで放送されることもある。また、開局50周年を記念して発行された社史『毎日放送50年史』(A4判・非売品、2001年発行)の付録のDVD-ROMには、斎藤努が番組を卒業した放送回の一部シーンが収められており[4]、こちらは全国の都道府県立図書館などで視聴可能である。
この他、放送開始当時ディレクターだった竹中文博がおり[1]、のちにプロデューサーも務めた。
毎日放送のTBS系列へのネットチェンジ後は、関東地区での公開録画ではTBSとの共同制作で収録が行われていた。TBS側のプロデューサーは、のちに『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』を大ヒット番組に育てあげた桂邦彦が担当した。
|
|
注意:一社提供番組時代以外、スポンサーの記述は絶対に行わないで下さい。
(PJ放送番組での合意に基づく) |
※系列は当時の系列。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 近畿広域圏 | 毎日放送 | NETテレビ系列 | 制作局 |
| 関東広域圏 | NETテレビ (現:テレビ朝日) |
1969年9月まで | |
| 東京12チャンネル (現:テレビ東京) |
独立局[7] | 1969年10月から | |
| 北海道 | 北海道テレビ | NETテレビ系列 | 1974年3月まで |
| 北海道放送 | TBS系列 | 1974年4月から | |
| 宮城県 | ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1971年10月から |
| 秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 | |
| 福島県 | 福島中央テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1973年10月から1974年3月まで[8] 土曜 16:55 - 17:50 |
| 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
1974年4月より[9] | |
| 新潟県 | 新潟総合テレビ (現:NST新潟総合テレビ) |
日本テレビ系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
|
| 静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | |
| 石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | 日曜 10:30 - 11:25[10] |
| 福井県 | 福井テレビ | 日曜 14:30 - 15:30[11] | |
| 中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年9月まで |
| 名古屋テレビ | NETテレビ系列 | 1973年4月から | |
| 岐阜県 | 岐阜放送 | 独立UHF局 | 1969年10月から1973年3月まで |
| 鳥取県 ↓ 鳥取県・島根県 |
日本海テレビ | 日本テレビ系列 | 1972年9月までの放送免許エリアは鳥取県のみ 相互乗り入れに伴い島根県でも放送 日曜16:25 - 17:20 |
| 島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 1971年から1972年9月の鳥取県への乗り入れまで |
| 岡山県 | 岡山放送 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
当時の放送免許エリアは岡山県のみ |
| 広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 1973年4月から 日曜 16:30 - 17:25 |
| 山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
日曜 10:00 - 10:55 |
| 香川県 | 瀬戸内海放送 | NETテレビ系列 | 1971年9月まで 当時の放送免許エリアは香川県のみ |
| 西日本放送 | 日本テレビ系列 | 1971年10月から 当時の放送免許エリアは香川県のみ |
|
| 愛媛県 | 南海放送 | ||
| 福岡県 | 九州朝日放送 | NETテレビ系列 | 1969年9月まで |
| RKB毎日放送 | TBS系列 | 1971年10月から 日曜 15:00 - 15:55 → 16:30 - 17:25 |
|
| 長崎県 | 長崎放送 | 土曜 15:20 - 16:15 | |
| 熊本県 | 熊本放送 | ||
| 宮崎県 | 宮崎放送 | ||
| 鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
日曜 10:00 - 10:55 |
※系列は当時の系列。◎は新規にネットを開始した地域、○は同一地域の他局からネットが移行した地域。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 |
| 関東広域圏 | 東京放送 (現:TBSテレビ) |
○ | |
| 北海道 | 北海道放送 | ||
| 青森県 | 青森テレビ | ◎ | |
| 岩手県 | 岩手放送 (現:IBC岩手放送) |
◎ | |
| 宮城県 | 東北放送 | ○ | |
| 秋田県 | 秋田テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1981年3月まではフジテレビ系単独加盟局 |
| 山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | ◎1978年4月から 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 |
| 福島県 | 福島テレビ | TBS系列 フジテレビ系列 |
土曜 16:00 - 16:55枠 |
| 山梨県 | テレビ山梨 | TBS系列 | ◎ |
| 新潟県 | 新潟放送 | ○土曜 17:00 - 17:55枠[12] | |
| 長野県 | 信越放送 | ◎1982年4月4日から[13] | |
| 静岡県 | 静岡放送 | ||
| 富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | ◎土曜 16:00 - 16:55枠[12] |
| 石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | ○1975年4月5日から[14] 土曜 17:00 - 17:55枠[12] |
| 福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | 日曜 14:00 - 14:55枠 [15] |
| 中京広域圏 | 中部日本放送 (現:CBCテレビ) |
TBS系列 | ○ |
| 鳥取県・島根県 | 山陰放送 | ○ | |
| 岡山県 | 山陽放送 (現:RSK山陽放送) |
○当時の放送免許エリアは岡山県のみ | |
| 広島県 | 中国放送 | ||
| 山口県 | テレビ山口 | TBS系列 フジテレビ系列 |
1978年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 |
| 愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | |
| 高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | ◎1982年4月から |
| 福岡県 | RKB毎日放送 | ||
| 長崎県 | 長崎放送 | ||
| 熊本県 | 熊本放送 | 土曜 17:00 - 17:55枠 | |
| 大分県 | 大分放送 | ◎ | |
| 宮崎県 | 宮崎放送 | 日曜 17:30 - 18:25枠 | |
| 鹿児島県 | 南日本放送 | ○日曜 17:30 - 18:25枠 | |
| 沖縄県 | 琉球放送 | ◎1982年4月から |
ヤングおー!おー!日本のジョウシキでーす!(ヤングおーおー にっぽんのじょうしきでーす)は、吉本興業・東映京都の製作、東映の配給により、1973年11月17日に公開された日本の映画。
「狭い日本にゃ住み飽きた」とばかりに海外脱出を試みようとする7人の男達の悪戦苦闘を描いたものだった。また、当番組の収録現場のシーンも収録されている。
ビデオソフトは1981年頃、東映芸能ビデオから4万9000円で発売されたことがある[17]。2009年3月にファミリー劇場、同年9月と2011年3月、2012年4月1日に東映チャンネルで放送された。 また、Amazon Prime VideoのJUNK FILM by TOEIでも配信されている。
| MBS 木曜20時台 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
おやじは大学一年生
|
ヤングおー!おー!
(1969年7月 - 1969年9月) |
|
| MBS 日曜18時台 | ||
|
ヤングおー!おー!
(1969年10月 - 1975年3月) |
ヤングおー!おー!
※17:30 - 18:25 天気予報 ※18:25 - 18:30 (30分繰り下げ) JNNニュースコープ ※18:30 - 18:50 毎日新聞テレビ夕刊 ※18:50 - 19:00 (日曜17:30 - 17:55から移動・短縮) |
|
| MBS 日曜17:30 - 18:25枠 | ||
|
毎日新聞テレビ夕刊
※17:30 - 17:55 (日曜18:50 - 19:00枠に移動して継続) 天気予報 ※17:55 - 18:00 (30分繰り下げて継続) ヤングおー!おー! ※18:00 - 18:55 |
ヤングおー!おー!
(1975年4月 - 1982年3月) |
JNNニュースコープ
※17:30 - 17:50 (1時間繰り上げ) 毎日新聞テレビ夕刊 ※17:50 - 18:00 (1時間繰り上げ) JNN報道特集 18:00 - 18:55 (土曜22時台から移動) |
| NET系列 木曜20時台 | ||
|
おやじは大学一年生
|
ヤングおー!おー!
(1969年7月 - 1969年9月) |
|
| 東京12チャンネル 日曜18時台 | ||
|
日米対抗ローラーゲーム
(日曜19時台へ移動) |
ヤングおー!おー!
(1969年10月 - 1975年3月) |
これがフットボールだ!
|
| TBS系列 日曜17:30 - 18:25枠 | ||
|
ヤングおー!おー!
(1975年4月 - 1982年3月) |
JNNニュースコープ
※17:30 - 17:50 (1時間繰り上げ) スポーツニュース ※17:50 - 17:55 天気予報 ※17:55 - 18:00 (1時間繰り上げ) JNN報道特集 ※18:00 - 18:55 (土曜22時台から移動) |
|
| TBS系列 日曜13時台 | ||
|
ヤングおー!おー!
(1982年4月 - 9月) 【ここからMBS制作枠】 |
||
|
|
|---|
固有名詞の分類