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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/31 07:38 UTC 版)
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| 「ウィ・アー・ザ・ワールド」 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| USAフォー・アフリカ の シングル | ||||||||
| リリース | ||||||||
| 録音 | 1985年1月28日 | |||||||
| レーベル | コロムビア・レコード | |||||||
| 作詞・作曲 | ||||||||
| プロデュース | ||||||||
| チャート最高順位 | ||||||||
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「ウィ・アー・ザ・ワールド」(英語: We Are the World)は、1985年に発売された楽曲で、アメリカの著名なアーティストが一堂に集結したプロジェクト「USAフォー・アフリカ」が制作したチャリティーソング。2010年にリメイクされた「ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ」についても解説する。
ハリー・ベラフォンテの構想をもとに、大物アーティストのマネージャーとして知られる、芸能プロデューサーのケン・クレイガンに裏の調整役として協力を求め[1][2]、イギリスで活躍するミュージシャンのボブ・ゲルドフが提唱したバンド・エイドの成功に触発され、アフリカの飢餓と貧困層を解消する目的で作られたキャンペーンソング。作詞・作曲は、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当した。
本楽曲の日本国内での取扱いは、1985年4月12日に7インチ(07SP 880)[3]と12インチ(12AP 3021)[4]のシングル2形態、同年5月3日には、LP(28AP 3020)[5]とコンパクトカセット(28KP 1220)[6]の4アイテムがCBS・ソニーから、同年7月25日には、コンパクトディスク(P33M 29001)[7]がポリグラムからリリースされた。
レコーディング時にドキュメンタリーも制作され、ビデオとして全世界で販売された。2004年には、20周年記念DVD-Videoとして「We Are the World THE STORY BEHIND THE SONG」がリリースされた。
また、トレーナーやTシャツなどの関連グッズも販売され、これらによるすべての印税がアフリカの飢餓と貧困層解消のためにチャリティーとして寄付された。
更に2006年[8]・2009年[9]・2010年[10]・2015年[11](以上すべてハピネット)には、DVD付CDがリリースされ、CDには、本楽曲とそのカラオケ音源が収録。歌入りの方は、12インチシングルでリリースされたスペシャルロングバージョンが、カラオケの方は7インチシングルバージョンが収録されている。
なお、オールチャリティといわれているが、一通り活動が終わった後に参加者に24金のピンバッジが配られたと、当時(1985年・86年頃)のホール&オーツの雑誌インタビュー(FM STATION)の中で語られている。
参加アーティストの数が45人と多い上に、非常に豪華な顔ぶれのため、公のコンサートでロングバージョンがフル・コーラスで歌われたのは、1985年「ライブ・エイド」、2001年のマイケル・ジャクソンのソロ活動30周年記念コンサート、2009年7月7日のマイケル・ジャクソン追悼式の3回である。
このセッションの数日前の1月22日、ケニー・ロジャースが所有するライオン・シェア・スタジオにて、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーが集まって先行レコーディングを行い、翌日にマイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチーによるデモテープが完成、参加者に送られた。
1985年1月28日の夜、第12回アメリカン・ミュージック・アワード直後、アメリカのみならず、当時の世界のポップス界を代表する45人が、ハリウッドのA&Mスタジオ(現・ジム・へンソン・カンパニー・ロット)に集結して、レコーディングが行われた。
この夜、マイケル・ジャクソンは、アメリカン・ミュージック・アワードを欠席、一足先にコーラスの目安に使うためのガイドボーカルのレコーディングを行っていた。21時を過ぎると、続々とアーティストが到着。ライオネル・リッチーは、アメリカン・ミュージック・アワードの司会を務め、シンディ・ローパー、ティナ・ターナーは歌唱を行い、多くのアーティストが授賞式から直行でスタジオへ向かった。
22時、クインシー・ジョーンズの提案で、先ず45人のアーティストが全員でユニゾンとハーモニーのパートを録音。そして、コーラスの間のソロボーカルの録音は、約20人のアーティストによって、翌日早朝4時に始まり、午前8時にようやくすべてのレコーディングが終了した。
1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売上。最終的には、アメリカだけで800万枚のシングル(7インチと12インチの2形態)が売れ、全世界では、2000万枚以上の売上を記録している。
シングル・アルバム・ビデオの合計で、6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティーとして寄付された。ビルボード誌では、1985年4月13日より4週連続で1位を獲得[12]。1985年ビルボード誌年間ランキングでは、第20位。
※出典[13]
(五十音順)
※日本発売分のみ
| 発売日 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1985年4月12日 | CBS・ソニー | EP | 07SP-880 | 途中でフェードアウトするショート・バージョン、B面はクインシー・ジョーンズ「Grace」 |
| 12インチ | 12AP-3021 | 12インチシングル、B面はEPに同じ | ||
| 1985年5月3日 | LP | 28AP-3020 | ||
| CT | 28KPー1220 | |||
| 1985年7月25日 | ポリグラム | CD | P33M-29001 | 当初EP/12インチのライナー内インフォメーションにCBS・ソニーから規格品番:32DP-222にてCDが発売される予定の旨が記されていたが、結局のところ、実売には至らなかった。 |
| 2006年9月29日 | ドリームタイム | DVD | JPBR-11801 | |
| 2009年7月17日 | ハピネット | DVD | HMBR-1057 | |
| 2009年10月21日 | ドリームタイム | DVD | JPBR-11001 | |
| 2010年1月26日 | ハピネット | DVD | HMBR-1065 | |
| CD+DVD | HMBR-1067 | |||
| 2015年1月28日 | HMBR-1097 | オリジナル「30周年記念ステッカー」封入・期間限定 |
| 「ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ」 | ||||||||
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| アーティスツ・フォ・ハイチ の シングル | ||||||||
| リリース | ||||||||
| 規格 | ||||||||
| 録音 | 2010年2月1日 | |||||||
| ジャンル | ||||||||
| 時間 | ||||||||
| レーベル | コロムビア・レコード | |||||||
| 作詞・作曲 |
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| プロデュース |
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2010年1月12日に発生したハイチ地震による被災者支援のため、クインシー・ジョーンズとライオネル・リッチーが、同年2月1日に「We Are the World 25 Years for Haiti」として、再レコーディングを行った。
レコーディングは当初、本楽曲が25周年となる同年1月28日に予定されていたが、より多くのアーティストの参加を募るため、同年第52回グラミー賞授賞式後にロサンゼルス市内にあるスタジオで行われた。
新たにナタリー・コール、アッシャー、ジョン・レジェンドを始めとするアーティストがレコーディングへ参加、ジャネット・ジャクソンはマイケル・ジャクソンの代役として別収録を行った。哀悼の意を込め、オリジナル版のマイケルのパートは代役を使用せず、当時のボーカルトラックをそのまま使用している。
レコーディングの時点で多くのアーティストが、1985年のオリジナル版についてコメントした。
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新型コロナウイルス感染症の流行を受けて、ライオネル・リッチーが再レコーディングを行う意向を示している。しかし、アメリカでは外出禁止令が出ているため、多人数で1つの場所に集まってレコーディングを行うことは難しいとも話している[16]。
| 先代 フィル・コリンズ 「ワン・モア・ナイト」 |
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル 1985年4月13日 - 5月10日(4週) |
次代 マドンナ 「クレイジー・フォー・ユー」 |
| 先代 フィリップ・ベイリー&フィル・コリンズ 「イージー・ラヴァー」 |
全英シングルチャート ナンバーワンシングル 1985年4月20日 - 5月3日(2週) |
次代 フィリス・ネルソン 「ムーヴ・クローサー」 |