出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 04:03 UTC 版)
| UEFA EURO '92 | |
|---|---|
| 大会概要 | |
| 開催国 | |
| 日程 | 1992年6月10日 - 6月26日 |
| チーム数 | 8 (UEFA連盟) |
| 開催地数 | 4 (4都市) |
| 大会結果 | |
| 優勝 | |
| 準優勝 | |
| 大会統計 | |
| 試合数 | 15試合 |
| ゴール数 | 32点 (1試合平均 2.13点) |
| 総入場者数 | 430,111人 (1試合平均 28,674人) |
| 得点王 | |
| < 19881996 > | |
UEFA EURO '92(UEFAユーロ '92)は、9回目のUEFA欧州選手権であり、ヨーロッパ各国の代表チームによって争われるサッカーの大会である。UEFA欧州選手権はヨーロッパで行われる欧州サッカー連盟主催の大会で、4年毎に開催される。
ユーロ1992の本大会は、スウェーデンで1992年6月10日から同年6月26日にかけて行われ、予選には、新たにサンマリノとフェロー諸島が加わり、開催国のスウェーデンを除く33か国が参加。本大会は予選を突破した7カ国と開催国であるスウェーデンで争われた。
本大会出場が決定していたユーゴスラビアが内戦による国際試合参加禁止の制裁により出場権を剥奪され、デンマークが代わりに出場したり(結果的に、優勝したのはそのデンマークであった)、同じく本大会出場が決定していたソビエト連邦がCIS(独立国家共同体)として参加、ドイツも統一後初の国際大会となるなど、激動のヨーロッパ情勢を象徴した大会でもあった。
本大会の出場国は次の通り。
グループ 1
グループ 2
| スタジアム名 | 所在地 | 収容人数 |
|---|---|---|
| ウッレヴィ・スタディオン | ヨーテボリ | 44,000 |
| ロースンダ・スタディオン | ストックホルム | 40,000 |
| マルメ・スタディオン | マルメ | 30,000 |
| イドロッツパルケン | ノルチェピン | 23,000 |
| チーム | 試合数 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失差 | 勝点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 2 | +2 | 5 | |
| 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 3 | |
| 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 3 | -1 | 2 | |
| 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 | -1 | 2 |
| チーム | 試合数 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 得失差 | 勝点 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | +3 | 5 | |
| 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 | 3 | |
| 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 | 0 | 2 | |
| 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 4 | -3 | 2 |
|
1992年6月18日
20:15 |
| オランダ |
3 - 1 | |
|---|---|---|
| ライカールト ビチュヘ ベルカンプ |
クリンスマン 53分 |
|
ウッレヴィ・スタディオン、ヨーテボリ
観客数: 37,725人 |
| 準決勝 | 決勝 | |||||
| 6月21日 - ロースンダ・スタディオン、ソルナ | ||||||
| 2 | ||||||
| 6月26日 - ウッレヴィ・スタディオン、ヨーテボリ | ||||||
| 3 | ||||||
| 0 | ||||||
| 6月22日 - ウッレヴィ・スタディオン、ヨーテボリ | ||||||
| 2 | ||||||
| 2 (4) | ||||||
| 2 (5) | ||||||
|
1992年6月21日
20:15 |
| スウェーデン |
2 - 3 | |
|---|---|---|
| ブロリン アンデション |
ヘスラー リードレ |
|
ロースンダ・スタディオン、ソルナ
観客数: 28,827人 |
| PK戦 | |||
| クーマン ファン・バステン ベルカンプ ライカールト ビチュへ |
4 – 5 |
| UEFA EURO '92優勝国 |
|---|
デンマーク 初優勝 |
3得点
2得点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 03:19 UTC 版)
「フランク・ライカールト」の記事における「UEFA EURO '92」の解説
代表チームからの引退を表明し復帰を拒否していたライカールトだが、1990年のワールドカップ終了後に監督に就任したミケルスの説得もあり1991年9月11日にアイントホーフェンで行われたポーランドとの親善試合で代表復帰を果たし、UEFA EURO '92予選の2試合に出場。1992年6月からスウェーデンで開催された本大会ではファン・バステン、フリット、クーマンらの前回優勝メンバーにデニス・ベルカンプやブライアン・ロイらの若手が加わり、グループリーグではスコットランドや西ドイツを下して決勝トーナメント進出を果たすと優勝候補の最右翼と目された。ライカールトは守備ラインに留まらず、前方のスペースに積極的に飛び出し攻撃に絡む動きを見せ、グループリーグ初戦のスコットランド戦ではベルカンプの決勝点をアシスト、第3戦の西ドイツ戦と準決勝のデンマーク戦で1得点ずつを挙げる活躍を見せたが、準決勝でダークホースのデンマークにPK戦の末に敗れ大会連覇を逃した。
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