
名称:STS-9
オービター名称:コロンビア
打ち上げ国名・機関:アメリカ/アメリカ航空宇宙局(NASA)
打ち上げ年月日:1983年11月28日
着陸年月日:1983年12月8日
宇宙飛行士:ジョン・W・ヤング/ズリュースター・ショウ/オーウェン・ギャリオット/ロバート・パーカー/バイロン・リヒテンバーグ/ウルフ・メルボルト
飛行時間:247時間47分
STS-9のコロンビアには、初のスペースラブ(有人宇宙実験室)が積みこまれ、人工オーロラ実験が行われました。
スペースラブはESA(欧州宇宙機関)が開発した有人宇宙実験室です。スペースシャトルとはパイプ状の通路でつながれ、空気を満たした部屋と真空にさらされる実験台があり、数人が乗ることができます。スペースラブ1号では、日本が開発した粒子加速器を使ってプラズマビームや電子ビームを噴射し、人工のオーロラを作る実験が行われました。ほかにもさまざまな実験がなされ、地球上ではできないアルミニウムと亜鉛の合金を作ることに成功しています。
また、このときのコロンビアで初めての宇宙ハム局が開設され、日本でも多くのアマチュア無線家たちがコロンビアとの交信をこころみました。
1.どんな形をして、どのような性能を持っているの
スペースシャトル・コロンビアは、オービター(軌道船)と呼ばれる有人宇宙船(コロンビア)と、それを打上げるための固体燃料ブースターロケット2基と、液体燃料を入れてある外部タンクからなっています。全長56m、高さ23m、重さ2,000tで、オービターだけの長さは37m、高さ17m、重さ85tです。外部タンクは使い捨てですが、オービターとブースターロケットはくりかえし使われます。

2.打ち上げや飛行の順序はどうなっているの?
ブースターロケットの噴射と、外部タンクの液体燃料を使うオービターの噴射で打上げます。2分後に、燃料の燃えつきたブースターロケットが切り離され、パラシュートで落下します。8分後、高度250kmから400kmに達したとき外部タンクが切り離され、オービターは軌道修正用エンジンで地球周回軌道に乗ります。オービターが地球に戻るときは、グライダーのように滑空しながら着陸します。

3.宇宙飛行の目的は?
スペースラブ1号(初の有人宇宙実験室)を宇宙に運ぶことです。
4.宇宙でどんな活動をし、どのような成果をおさめたの?
スペースラブ1号(初の有人宇宙実験室)でさまざまな実験を行ない、アルミニウムと亜鉛の合金を作ることにも成功しました。
※参考文献:「Newton Collection II 宇宙開発」竹内 均・監修(教育社)、「SPACE ATLAS 宇宙のすべてがわかる本」河島信樹・監修/三品隆司・著(PHP研究所)、朝日新聞縮刷版 昭和58年11月・12月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/02 03:46 UTC 版)
| STS-9 | |||||
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徽章
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| ミッションの情報 | |||||
| ミッション名 | STS-9 | ||||
| シャトル | コロンビア | ||||
| 発射台 | 39A | ||||
| 打上げ日時 | 1983年11月28日 11:00:00 EDT (16:00:00 UTC) | ||||
| 着陸または着水日時 | 1983年12月8日 18:47:24 EDT (23:47:24 UTC) エドワーズ空軍基地, Runway 17 |
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| ミッション期間 | 10日 07:47:24 | ||||
| 周回数 | 167 | ||||
| 高度 | 286km | ||||
| 軌道傾斜角 | 57.0° | ||||
| 航行距離 | 6,913,504km | ||||
| 乗員写真 | |||||
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| 左から、ギャリオット、リヒテンバーグ、ショウ、ヤング、メルボルト、パーカー | |||||
| 年表 | |||||
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STS-9は、スペースシャトルコロンビアの6回目の飛行である。この後、コロンビアの飛行は1986年1月のSTS-61-Cまで無かった。また、これ以降、チャレンジャー号爆発事故を経てSTS-26で再び戻されるまで、スペースシャトル計画の番号の付け方が変わる前の最後の飛行となった。新しい番号の下で、STS-41-Aと呼ばれることもある[1]。
STS-9のミッションのために、コロンビア号は再び軌道に戻った。打上げは、スペースシャトル固体燃料補助ロケットのノズルの不調のため1ヶ月延期され、1983年11月28日午前11時ESTに行われた。そのため、ノズルの交換が行われたスペースシャトル組立棟まで一度機体を戻す必要があった。
当時の有人宇宙飛行の最多記録であった6人の乗組員には、NASA所属の宇宙飛行士以外で初めてスペースシャトルに搭乗する2人が含まれていた。西ドイツ国籍のウルフ・メルボルトは、スペースシャトルに初めて登場する外国人でもあった。また、バイロン・リヒテンバーグはマサチューセッツ工科大学の研究者であった。
このミッションの最大の目的は、NASAとESAの合同プロジェクトであるスペースラブを軌道に運ぶことであった。
乗組員は2つのチームに分かれ、それぞれが12時間交代で働いた。ヤング、パーカーとメルボルトは赤チーム、ショウ、ギャリオット、リヒテンバーグは青チームに入り、船長か操縦手がフライトデッキに、ミッションスペシャリストとペイロードスペシャリストが常時スペースラブ内にいる配置を取った。
プラズマ物理学、天文学、太陽物理学、材料科学、生命科学、地球観測等に関する72個の科学実験が行われた。実験がうまくいったため、期間が1日延長されて10日間となり、最も長いスペースシャトルの飛行となった。
さらに、オーウェン・ギャリオットはこの飛行中に、史上初めてのアマチュア無線の伝送を宇宙から行った。これ以降、教育目的やバックアップの通信手段として宇宙からのアマチュア無線が多く行われるようになった。
コロンビア号のカーゴベイには、このミッションで運ばれたスペースラブが描かれている。9つの星とオービタの軌跡は、ミッションの番号を表している。
再突入直前、二台の誘導コンピュータが故障したが、1台は再起動した。[2]このトラブルにより再突入は8時間延期された。[3]
着陸直前、APU3つのうち2つでヒドラジン漏れが生じ、火災となった。着陸時には、操縦翼面とブレーキを駆動する役割を担うが残りの1つで無事着陸した。[4]
大規模な改修とアップグレードのため、1984〜1985年の間コロンビアの飛行は行われなかった。
(STS-9 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 18:48 UTC 版)
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2015年7月)
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| サウンド・トライブ・セクター9 Sound Tribe Sector 9 (STS9) |
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サウンド・トライブ・セクター9(2015年)
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| 基本情報 | |
| 出身地 | ジョージア州アトランタ/アセンズ |
| ジャンル | ライヴトロニカ |
| 活動期間 | 1998年 - |
| レーベル | 1320 Records |
| 公式サイト | sts9 |
| メンバー | ハンター・ブラウン ジェフリー・ラーナー デイヴィッド・フィップス ザック・ベルマー アラナ・ロクリン |
| 旧メンバー | デイヴィッド・マーフィー |
サウンド・トライブ・セクター9(Sound Tribe Sector 9、略称STS9)は、アメリカは北カリフォルニアのサーフシティ、サンタクルーズを拠点に活動する5人組のインストゥルメンタル・バンド。インストゥルメンタル、エレクトロニカをベースにしているが、ファンク、ジャズ、ドラムンベース、サイケデリック・ミュージック、ヒップホップなど様々な要素を取り入れている(彼らは自分たちの音楽をポストロック・ダンス・ミュージックと呼んでいる)。生音とエレクトロニックなサウンドを融合させた、グルーヴ感のある音楽を展開する。
1990年代後半に、ジョージア州アトランタにて結成し、2000年の後期に北カルフォルニアに拠点を移す。1999年の初期にジェフリー・ラーナーがバンドに参加するまでは、4人で活動を行っていた。
最初の2枚のアルバムを出した際のバンド名は「セクター9(Sector 9)」であったが、既存のロングボード会社と同じ名称であったため、サウンド・トライブ・セクター9(Sound Tribe Sector 9)にバンド名を変更した。
彼らのライブ・パフォーマンスや環境作り、バンド名の「9(マヤ暦で現在を指している)」、バンド・スケジュール等、根本にはマヤの要素が大きく根ざしている。通称として、「サウンド・トライブ」または「STS9」と呼ばれる。
日本には2002年に初来日以降、フジロックフェスティバル、朝霧JAM、METAMORPHOSEなど大型フェスティバルにも参加。2009年に日本ツアーを行う予定であったが、来日キャンセルとなっている。
2014年1月に、バンド結成メンバーのデイビッド・マーフィー(ベース)の脱退がアナウンスされ、代わってアラナ・ロクリンが加入した。