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大阪府堺市の本社
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| 種類 | 株式会社 |
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| 機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
| 市場情報 | |
| 本社所在地 | 〒590-8522 大阪府堺市堺区匠町1番地 北緯34度35分43.5秒 東経135度25分57.9秒 / 北緯34.595417度 東経135.432750度座標: 北緯34度35分43.5秒 東経135度25分57.9秒 / 北緯34.595417度 東経135.432750度 |
| 設立 | 1935年(昭和10年)5月1日 (株式会社早川金属工業研究所) |
| 業種 | 電気機器 |
| 法人番号 | 6120001005484 |
| 事業内容 | エレクトロニクス、電子部品 |
| 代表者 | |
| 資本金 |
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| 発行済株式総数 |
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| 売上高 |
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| 営業利益 |
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| 経常利益 |
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| 純利益 |
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| 純資産 |
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| 総資産 |
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| 従業員数 |
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| 決算期 | 3月31日 |
| 会計監査人 | PwC Japan有限責任監査法人[2] |
| 主要株主 |
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| 関係する人物 | |
| 外部リンク | corporate |
| 特記事項: | |
シャープ株式会社(英: Sharp Corporation[3])は、大阪府堺市堺区に本社を置く日本の総合電機メーカー。台湾の鴻海精密工業(フォックスコングループ)の子会社。日経平均株価の構成銘柄の一つ[4]。
1912年、早川徳次が東京市本所区松井町(現・東京都江東区新大橋)に金属加工業を設立する。関東大震災により工場を消失後、1924年に大阪府東成郡田辺町(現・大阪府大阪市阿倍野区)に早川金属工業研究所を設立する。1935年に改組し、株式会社早川金属工業研究所を設立し、1936年に早川金属工業株式会社、1942年に早川電機工業株式会社、1970年にブランドとして使われていたシャープ株式会社に社名変更する。2016年に大阪府堺市堺区匠町に本社移転した。
旧三和銀行(現三菱UFJ銀行)の融資系列から構成される三和グループに属している。ただし、三水会とその後身社長会である水曜会には加盟している[5][6]が、歴史的関係からみどり会には未加盟である。
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以下はシャープ公式サイト掲載の「経営理念/経営信条」[14] を主に参照している。 シャープ(株)を始め関係会社の朝礼で経営信条の唱和が行われていた。
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| 氏名 | 在任期間 | |
|---|---|---|
| 初代 | 早川徳次 | 1912-1970 |
| 2 | 佐伯旭 | 1970-1986 |
| 3 | 辻晴雄 | 1986-1998 |
| 4 | 町田勝彦 | 1998-2007 |
| 5 | 片山幹雄 | 2007-2012 |
| 6 | 奥田隆司 | 2012-2013 |
| 7 | 高橋興三 | 2013-2016 |
| 8 | 戴正呉 | 2016-2020 |
| 9 | 野村勝明 | 2020-2022 |
| 10 | 呉柏勲 | 2022-2024 |
| 11 | 沖津雅浩 | 2024-4 |
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[疑問点] 以下は主に「シャープ100年史」を参考に記述。
かつてのシャープは「先進的な部品を開発しその部品を元に特徴的な商品を生み出す」流れと、「商品に使われることによって部品の目標が明確になり性能が向上する」という流れの循環で成長しており、シャープではこれを「スパイラル戦略」と呼んでいる。さらにスパイラル戦略に加え、他社にない部品や商品を作り出す「オンリーワン戦略」も掲げている(両開き式の冷蔵庫やプラズマクラスター等が挙げられる)。
テレビでは、音声毎に色分けを行い、モノラル放送・外部入力は緑、ステレオ放送は黄色、二重音声は赤でチャンネル表示がされている(従来からあるアナログ専用のテレビ、アクオスではアナログ放送受信時の場合)。三洋電機のZ1などの80年代に発売されたブラウン管カラーテレビも全く同様の色分けであった。
ビデオデッキでは、VHS初の前面でカセットを出し入れ出来るフロントローディングや3倍モード時の画質劣化を抑える19ミクロンヘッド(1989年に初搭載した頃には通常モードにも切り替え可能)をいち早く搭載し家電メーカーで唯一コンポーネント端子やD1端子を搭載したS-VHSデッキを販売していた。VHS-C方式のビデオレコーダーは、先頭を切った日本ビクターに続き1982年7月16日に発売した[31]。
パソコン黎明期においてMZ-80KやX1などを生産し、日本のパソコン業界大手の一社であった他、それらの一部は海外でも商品展開された。日本での参入はしなかったものの、8ビット機時代の共通規格であるMSX機もブラジルの現地法人「シャープ・ド・ブラジル」で製造、販売していたこともあった。その後、Windowsが台頭する時代になるにつれ、NECなど黎明期からの大手PCメーカーの他、大手家電メーカーや台湾メーカーなどがシェアを伸ばし、それに伴い、徐々に苦戦を強いられ、シェアは小さくなっていった。液晶の技術を活かしてノートパソコンの生産なども行っていた。インターネットAQUOSなどの個性的な商品を出すも総じてスペックの割に高価格で人気が出ず、デスクトップやノートパソコン等一般的なパソコンは生産を終了、ウルトラモバイルのみにラインナップは縮小されていったが、2010年10月21日、それらを含む同社のパソコン生産が終了したことが判明した[32]。
映像分野にも伝統的に強く、CCDなどの撮像素子を早くから自社生産していた。自社ブランドでもデジタルカメラには本格参入することはなかったものの、ビデオカメラについてはアナログ時代から家庭用製品を大々的に展開。特に、現在ほとんどの製品が使用している、液晶モニタ付カメラ(それまではの製品にはファインダしか無かった)を「液晶ビューカム」の名で先鞭をつけたのは同社である。ただ、特許独占ができなかったため他社に追随され、家庭用ビデオカメラ市場そのものもデジタルメラやスマートフォンの動画機能に押されて頭打ちとなったこともあり、参入メーカーが減った家庭用ビデオカメラ市場からは、同社もすでに撤退している。
他の家電メーカーが相次いで石油ファンヒーター事業から撤退する中、唯一家電メーカーで石油ファンヒーター(除菌イオン付)の販売を継続していたが、2007年度春に撤退予定を発表した。同年3月に生産を完了し、撤退している。
早川金属時代から製造された「シャープラジオ」は海外に輸出されるほどに爆発的な売り上げを記録したが、トランスなどの部品は自主生産ができても真空管だけは自主生産できる余裕はなかった。そこで東京電気(後の東京芝浦電機→東芝)から「マツダ真空管」[33]や時計内蔵型シャープラジオの「時計装置」の供給を受けていた。 早川電機に社名変更後、テレビジョンの生産が軌道に乗り出したと同時に真空管の自主生産を開始したことから、東芝からの真空管類の供給を打ち切ると同時に総合エレクトロニクス会社としてお互いに競い合う関係になって行った。 それから半世紀以上経った2007年、東芝とシャープは「液晶および半導体分野における提携」に合意し、2010年度を目処にシャープは東芝から液晶テレビ用システムLSIを約50%、東芝はシャープから32型以上のテレビ用液晶モジュールを約40%購入することを目標に両社の提携を再び交わしている[34]。
ファミコンの商標は家電製品部門で第1681105号で登録されている(ゲーム機としては第1832596号で任天堂が保有)。この縁でファミコン関連製品がシャープから発売された。
1990年前後は消費者より「松下さんのシャープ」と呼ばれ、シャープの新製品が売れず後から発売した松下電器(現パナソニック)の製品がヒット商品になることが常であったが、コードレスホン、ワードプロセッサ、電子手帳(後のZAURUS)、液晶テレビなどの分野では松下を凌ぐ製品を売り出すことに成功した。
組織の特徴としては、「緊急開発プロジェクト制度(緊プロ)」という1977年に作られた制度がある。この制度では社長直轄で複数の部署から人材が集まり、技術や開発に当たるチームが結成される。この制度によって部門にとらわれない自由な発想の商品を生み出す事ができると言われた。緊プロでは「電子手帳(後にZAURUS)」が開発された。
企業スローガンは、「Be Original」(2016年11月 - ) [35] である。それ以前は、コピーライターの前田知巳が書いた「目指してる、未来がちがう。」(2010年1月 - 2016年10月)[36] を使用していた。1990年 - 2009年までは、同じくコピーライターの仲畑貴志が書いた「目の付けどころが、シャープでしょ。」を使用していた。1998年からの一時期は「シャープになろう!」や「液晶でトキメキのある生活」に変更していたが、「液晶のシャープ」の印象が定着し、キャッチコピーとしての役割を十分に果たした事から、2002年になって知名度・好感度共に高かった以前のキャッチコピー「目の付けどころが、シャープでしょ。」を復活させた。キャッチコピーは他にも「確かに、シャープだ」、「元気な携帯電話!」、「はじまりはいつも、シャープから」など多彩で製品により使い分けられているが、最近は省エネをアピールする製品が多いため「エコロジークラスでいきましょう。シャープ」がよく用いられる。また過去のスローガンには「New Life Now」(業務用製品では「New Business Now」。どちらも70年代後半〜80年代前半)「New Life SHARP」「New Life People」(どちらも80年代後半)が存在した。
三洋電機同様、博覧会への出展には消極的で、国際博覧会に出展したのは1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博、本社所在地の大阪市で開催)が唯一である。地方博を含めても1987年に本社がある阿倍野区に隣接する天王寺区で開催された天王寺博覧会のケースがあるのみである。大阪府吹田市で1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)にも出展していない(シャープが属する三和グループは日本万国博覧会に出展したが、シャープはその共同出展企業に名を連ねていない)。これは奈良県天理市の総合開発センター立ち上げを優先させたもので、「千里より天理」というフレーズで語られている。また、地球環境問題が主なテーマとなった2005年日本国際博覧会(愛知万博、愛・地球博)への出展もなかった。太陽発電モジュールが設置された可能性はあるが発表されていない。
4代目社長の町田勝彦までは血縁者(会長、社長の娘婿)が歴代社長を務めていて「見えない血縁企業」と揶揄されていた。
名阪国道および伊勢自動車道沿いに天理研究所と多気工場があり、亀山工場と併せて、液晶関連の主要拠点をなしている。2000年代に液晶テレビ専門工場であるシャープ亀山工場の所在地三重県亀山市に因んで「亀山産」の表記をしたところ安心感が買われ、爆発的に販売数を伸ばした(AQUOSのテレビCMなどで「世界の亀山モデル」を表記していた)。同工場の誘致にあたり、三重県90億円・亀山市45億円を15年分割で補助することになっており、地方自治体による工場誘致政策に大きな影響を与えた(参考:クリスタルバレー構想)。しかし2008年に入り液晶需要が減少すると、液晶生産を行う天理工場と多気工場の閉鎖と、それに伴う非正規従業員380名の削減を表明。12月12日の記者会見で、副社長井淵良明は「現在の市況の環境は厳しく、工場の再編に着手するには絶好のチャンス[* 1]だ」と説明した。
2009年10月には、堺市に世界最大規模で第10世代マザーガラスに対応する液晶パネル工場を含むシャープ堺工場(グリーンフロント堺)を稼動させた。太陽光パネル及び液晶関連需要に対応し、旭硝子(現・AGC)、大日本印刷やコーニングなど液晶パネル関連部品を供給する企業19社も進出し、業種、業態を超えたビッグプロジェクトで、高効率と省エネ、太陽光発電などによる「世界最先端環境工場」を謳っていた。また、2010年3月には、同じ敷地内に薄膜シリコン太陽電池工場も稼動させ、急拡大が見込まれる世界的な太陽電池の需要拡大への対応を図っていた。
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シャープはサムスンへの技術流出の結果、サムスン電子が製造した半導体や液晶がシェア拡大していくことで、経営悪化の一因となったと言われている[38]。 2012年、「週刊東洋経済」(2012年7月28日号)『元シャープ副社長の佐々木正氏の回顧』で、1970年代から佐々木正がシャープ在籍時に、NECの小林宏治とともにシャープの技術をサムスン電子へ技術提供し続けたことを明かした[39][40][41]。
東洋経済の記事内で佐々木は「私個人は、「与えられるものどんどん与えて、感謝してくれればいい」と思っていた。少なくともシャープの味方にはなるだろうとね。ところが、李さんがトップを離れた時期に、サムスンがシャープを相手に特許訴訟を起こしたんです。あれはサムスンが情けなかった。」とサムスンを批判したものの、別のインタビューでは「日本半導体産業の敗因は、外に技術を漏らしたことではなく、自らが足を止めたことにあると考えている」として自身の責任については否定した[42]。
2013年、サムスンとの提携を発表した際には再び技術流出の件について批判された[43]。
ただしシャープの技術流出についてはサムスンだけでなく、社名は名指しはされていないが台湾メーカーについても同様の事態を招いたことが指摘されている[44]。
2000年から2006年まで、太陽電池・太陽光発電のモジュール生産量は世界一であった。また、国内では唯一の宇宙開発事業団認定企業だった。後に環境先進企業を目指して太陽電池事業を強化している他、工場でも排水を100%再利用するなどの取り組みを行っている。
MM総研の発表では、2005年度(2005年4月 - 2006年3月)の国内携帯電話出荷台数シェアで、16.3%を確保して首位に立った。NTTドコモとソフトバンク(2005年度当時はボーダフォン)のみの供給であったにもかかわらず、カメラ付き携帯電話のパイオニアとして首位に立った。
同社の日本一のテレビブランド「AQUOS」の技術を採用した「モバイルASV液晶」を携帯電話のディスプレイに採用し、これも1つの人気となった。勢いで2005年にはウィルコムにスマートフォンW-ZERO3で参入し、爆発的ヒットとなった。さらに翌2006年9月にはKDDI、および沖縄セルラー電話(各auブランド)にもW41SHで参入した。また、サイクロイドスタイルというスタイルで人気となったワンセグモデル「AQUOSケータイ」が人気で2008年現在でソフトバンクモバイル向けに5機種、NTTドコモ向けに2機種、KDDI/沖縄セルラー電話向けに2機種、計9機種を納入している。
2007年3月からは携帯電話市場に新規参入したイー・モバイル(現・ワイモバイル)向けにもEM・ONEというPDA機能付端末の納入を開始した。これで現存する携帯電話・PHSの5社すべてに端末を納入しているのは同社のみとなった[* 2]。2009年夏からはCCDカメラ1000万画素を搭載した高画質カメラ「AQUOS SHOT」を発表。同社が開発した高機能処理エンジンProPixカメラ技術と同社の液晶技術を取り入れた。
2000年代後半にはシャープ亀山工場、シャープ堺工場と次々に大規模工場を建設し「世界の亀山」ブランドを展開した。
しかし2008年のリーマン・ショックによる経営悪化や、液晶パネル製造でサムスンなどの韓国メーカー、台湾メーカーが台頭したことによる液晶の急速なコモディティ化により、一転シャープは苦境に陥る。その上、好調な時期に他社への供給よりも自社向けを優先したため他社からもそっぽをむかれ、下請けに対しても殿様商売をしていたためこちらからも十分な協力を得られなかった。地デジ特需も終わると、2011年からの4年間で総額1兆円以上の経営赤字を計上した[45][46]。
2012年3月期決算でも大幅な赤字決算に陥る状況となり、台湾に本社をもつ世界最大のEMS企業である鴻海(ホンハイ)精密工業[47][48]との業務提携に合意した。その結果、堺工場の液晶パネル、モジュールを同グループが最終的に50%まで引き取り、同工場を共同運営することとなった。鴻海側は、2012年7月に堺工場運営会社の代表取締役に就いただけではなく、亀山工場の分社化と経営参画を要求しているが、シャープ側は難色を示している[49]。
また鴻海側はシャープの最先端独自技術であるIGZO技術を要求し、中国四川省成都に建設中の中小型液晶パネル工場での生産を予定している。これが提携の障害になっているとされている[50]。9月25日、シャープはIGZOのスマートフォンとタブレット端末を発売するとともに、鴻海にIGZO技術を提供する方針だと報道された。それに伴い今年度中に亀山第2工場のIGZO生産比率を8割に上昇させる[51]。
2012年9月現在長短併せて1.5兆円の資金調達が必要だとされた[52]。好調時に市場から調達した資金の償還が2012年6月末で3600億円のCP残高を持ち、3ヶ月で償還を繰り返しているので、9月から償還が始まる。また2013年9月には、2000億円の転換社債の償還を迎える。格付けの多くが投機的等級になったため、市場から資金を調達できない。[要検証][要出典]
2012年上半期の連結決算では、企業存続の疑念が表明され、通期で4500億円の赤字の見込みと報道された(最終的に2013年3月期の純損失は-5453億4700万円に及んだ)。また自己資本比率が9.9%となり、有利子負債も約1.2兆円という状態が続いている。そのため希望退職を2千人応募したところ、3千人の応募があった。 それまでは人員削減はせず、工場勤務や関連会社への転勤を命じることにより自己都合退職者が出るよう人事があったことから「首切りのシャープ」と呼ばれていた。[要検証][要出典]
シャープと連結子会社13社は1次取引先2,031社の他にも6,500社の取引先を持ち、従業員数は420万人に及んでいる。すでに8月末に希望退職を募集しているところもある[要検証][53]。
2015年にも、追加の希望退職が実施された。9月30日、45歳から59歳の国内社員3234人が希望退職した[要検証][54]
2016年、鴻海買収直後の決算発表においても、業績不振を理由に追加の人員削減方針が発表された[55][56]。
2016年2月4日、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業がシャープに対し7000億円超での支援の意向を示し、シャープは同日の取締役会で鴻海案を協議した[59]。シャープは当初、官民官ファンドの産業革新機構からの出資を受け入れる方針だったが、支援額を上積みした鴻海案の採用に判断が傾いたと報じられて、翌2月5日には、シャープは鴻海との合意書を締結したと発表した[59][60]。契約条件について協議を継続することや、鴻海が示した支援策の有効期限を同月末まで延長する内容であった[60]。2月25日には、臨時取締役会で産業革新機構案よりも好条件の鴻海買収案を選択することを決定したが、偶発債務の発覚を理由に鴻海側から、買収契約の保留を受け渡される。最終的に、出資額の減額やリストラの受け入れなどの鴻海側に有利となる契約に改定され[61]、1ヶ月超遅れて買収契約が4月2日に締結されることが、3月30日の鴻海の取締役会で決議された[62]。
鴻海によるシャープ買収は、ここ数年鴻海の成長の鈍化があるともいわれる。2015年12月期の連結売上高(速報値)は前期比6%の4兆4830億台湾ドルであり、目標の10パーセントには届かなかった[59]。
過去には2012年に鴻海がシャープに10%出資する案で合意したものの、その後の株価変動などの理由により中止、翌2013年には高橋興三が社長に就任し銀行からの支援を受けたものの立て直しができなかった。シャープが再建に鴻海案に傾いた理由としては、産業革新機構案が成長性の期待できない液晶事業を分社化し、社長を含む3首脳を退陣させる方針であるのに対し、鴻海案が現経営陣の継続と液晶事業、雇用の維持を約束するものである上に最大で3500億円の産業革新機構の支援に対し鴻海案が7000億円の支援であったことで、社外取締役の一部が革新機構案を選んだ場合に、株主に合理的な説明ができないことなどが指摘される[63]。
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シャープ社長に就任した戴は、信賞必罰の人事と事業のビジネスユニット単位での収益責任明確化(「分社化」と報じられたが、実際には後述の通りカンパニー制を廃止した)をおこなうと宣言した[125]。
2015年10月より導入されたばかりの社内カンパニー制(5つのカンパニーを設置)を、買収直後の2016年に液晶ディスプレイのカンパニーを除いて廃止し、6事業部に再度組み直した[126]。
最も重要とされた信賞必罰の人事制度では、ボーナスを社員の成果や営業成績ごとにかつての1.5倍差から1-8ヵ月に最大8倍差に分けることや新入社員でも優秀なら入社半年後から大幅な給与引上げなどを実施した[127][128]。人事委員会の設置や等級・給与制度、管理職も能力主義で降格のように刷新し成果を上げた[要出典]。
さらに、予算300万円以上の案件を社長決裁としたり、出張先も含めたテレビ会議の利用などの施策を導入し、東京証券取引所の2部降格から2017年12月7日に東証1部に1年4カ月の短期間復帰を果たした[129]。
戴は、経営譲渡前の2015年に売却された旧本社および隣接する田辺ビルについて「シャープの歴史がある場所」と買い戻しに意欲を示し、田辺ビルは社長就任直後の2016年9月に139億円でエヌ•ティ•ティ都市開発から再取得した[130][131]。しかし、旧本社ビルの買い戻しは実現せず、2017年に建物が解体された[131]。田辺ビルには2019年2月にショールームがあべのハルカスから移転入居し、2021年度に再開発を実施する予定とされた[132]。一方ニトリが取得した旧本社跡地には、ニトリの新店が建設されることになり[133]、2023年4月に「西田辺店」として開業した[134]。
2020年には、唯一残ったカンパニーであるディスプレイデバイスカンパニーを同年度中に分社化することを発表し[135]、同年10月より「シャープディスプレイテクノロジー」として分社化された[26]。
シャープディスプレイテクノロジー(現在の堺ディスプレイプロダクト)は鴻海傘下となった後、サモア籍の投資ファンドWorld Praise Limitedの手に渡った。World Praise社は会長の戴正呉が過半を出資するファンドである。シャープは2022年2月に残りの20%の株式についても全て売却する方針を打ち出していたが直後に撤回し、一転して再子会社化を決定した。当初から市場ではレッドオーシャンと化したディスプレイ市場への参入は疑問視されており、株価は鴻海買収前の水準に低迷した。2023年3月期決算においてシャープは200億円の巨額赤字に転落した[136][137]。2023年5月には55歳以上の管理職約700名を対象とする早期退職制度の導入を発表した[138]。シャープは再成長に向けて「アセットライト化」を推進するとしており、事業の切り売り・撤退や資産の売却を進める方針を打ち出している。堺本社工場で生産していたテレビ向け液晶を生産を2024年8月に終了。同年12月には堺本社工場の敷地面積の6割をソフトバンクに売却することを発表。さらに本社工場棟も積水化学工業に2025年10月に売却することを決定し、KDDIにも工場跡の土地建物を売却しAIデータセンターを建設することで基本合意した。2024年12月に鴻海の子会社Fullertainにカメラモジュール事業を売却することでも合意した[139]。
下記に製品カテゴリー別に記述する
シャープでは、プラズマクラスターにはイオンの力による空気の浄化や消臭といった効果があると主張していた[141][142]。しかし、2012年11月28日、消費者庁はシャープに対し、掃除機に搭載するプラズマクラスターがアレルギー原因物質を分解すると表示していたが、実際の効果はないとして、再発防止命令を出した[143][144][* 6][* 7]。
シャープでは現在、機密保持などの理由から工場の見学は原則として受け付けておらず、工場そのものをブラックボックス化した。これに加えて公式サイト上でも国内拠点に関する詳しい情報を削除し、事業領域の説明にとどめている。(記載内容はマスコミ報道による[147][148][149])
RS Technologies、因幡電機産業 、明治電機工業 、菱洋エレクトロ 、スズデン 、鳥羽洋行等が上場している代理店である。[151]
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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2012年10月)
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※上記以外にも、不定期・週替わりとして他の番組提供する事がある。
(1社提供・複数社提供含む)
など多数。
社名が早川電機だった昭和30年代に「シャープ坊や」がおり、シャープテレビの琺瑯看板やカタログに登場していたが間も無く姿を消した[153]。1990年代より「リッキーくん」というキャラクターが登場し、2003年頃に方針の変更により表舞台から姿を消したが、その後もメビウスのマニュアルやEVAアニメータなどで姿を確認する事ができる。因みに父親や母親などの家族も設定されていた。
1958年頃に「シャープフレンドショップ」と呼ばれる自社製品のみを扱う系列電器店が発足するが、量販店や他社系列店に圧されたり後継者難・経営者の高齢化等で店舗数は伸び悩んでいた。そこでシャープは2007年11月15日、これまでとは異なる新しいシャープ系列店、シャープ・バリュー・パートナー・グループ(SVPG)という新しい計画を発表した。これは量販店の安値攻勢による製品価格大幅下落の防止と、認知度が他社製品より大幅に低いといわれているシャープ製の白物家電のイメージアップにつなげるべく、発足当初からある全国約2千店のシャープ フレンドショップの再編と、他社系列店の取り込みを図る計画である。
2012年には、海外子会社との取引などを巡り、2011年3月期までの5年間で約54億円の申告漏れ(うち15億円以上は意図的な所得隠しとされた)があったと、大阪国税局から指摘されていたことが判明している[154]。また2015年にも、2014年3月までの3年間にわたり、約103億円の申告漏れ(うち12億円は所得隠しとされた)を同国税局から指摘されていたことが明らかになっている[155]。
任天堂が「ミニスーパーファミコン」を発表し話題になると、シャープ製品の公式ツイッターが「ミニスーパーファミコン」に収録されているソフトに対して私(アカウント運営者)の思い出を価値に換算すると発言し値踏みした。中には価値0円と付けたソフトもあり、炎上し始めると誤解を招いたとして「価値0円は未購入である」と訂正をしたが、他社製品を公式アカウントで値踏みしていること、任天堂の公式アカウントにリプライしていることなどが問題だと批判が殺到しさらに炎上したため、問題のツイートは削除された。しかしそれでも批判はやまず、全国紙やネットメディアも報じ拡散されたため、シャープは不快な思いをさせたと謝罪文を投稿した[156]。騒ぎが大きくなったことを受け、2017年7月11日に同社は、関係者に迷惑を掛けたとして、該当のアカウントを閉鎖することを決めた[157]。
2021年3月12日、スマートフォン向けのカメラレンズの製造子会社「カンタツ」で、2018年4月~20年9月に架空計上などで売り上げを75億円水増しする不正会計があったと発表した[158]
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