出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/03 03:41 UTC 版)
| S.S.T.BAND | |
|---|---|
| 出身地 | |
| ジャンル | ゲームミュージック フュージョン |
| 活動期間 | 1988年 - 1993年 2011年 - 2021年[1] |
| レーベル | サイトロン・レーベル キングレコード ウェーブマスター |
| メンバー | 並木晃一(ギター) 松前公高(シンセサイザー&プログラミング) 斉藤昌人(ベース) 今井義頼(ドラム) 森藤晶司(キーボード) |
| 旧メンバー | 川口博史(キーボード) 小森伸吾(ベース) 田辺健彦(ドラム) 塚原啓介(キーボード) 光吉猛修(キーボード) 飯島丈治(ギター) 熊丸久徳(ドラム) |
S.S.T.BAND(エスエスティーバンド)とは、セガのゲームミュージックをアレンジし演奏することを目的として1988年に結成された、世界初のゲームミュージック“ライブ”バンドである。
「S.S.T.」とは「Sega Sound Team」の略であり、アルバム『SUPER SONIC TEAM』からは「Super Sonic Team」の略も兼ねている。
本項では、2011年に名前を改め再結成した「Blind Spot」についても記す。
☆印は1993年のS.S.T.BAND解散時のメンバー。
名前の後ろはコードネームで、MickeyとHiro以外はすべてセガのコンピュータゲームに由来している。なお、オリジナルアルバム『BLIND SPOT』以降は本名を名乗るようになる。
1987年7月に稼働開始したセガのアーケードゲーム『アフターバーナー』に関連し、同年12月にサンシャインシティでイベント「アフターバーナーパニック」を開催。そのイベントにて、セガのサウンド開発者によるバンドがライブを行い、これが同バンドの前身となる[3]。
1988年7月発売のアルバム『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前と並木の2人のみ[4]で、その2人も名は前面に出していなかった。翌1989年2月、セガがイベント「メガドライブ スパークリング1989」を東京・名古屋・大阪で開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。松前は飯島・小森・田辺をバンドに誘い(イベントのパンフレットには松前含むこの4名のコードネームしか書かれていない)、それにセガ社員のHiroと並木が加わる編成となった[4]。同年11月のMZA有明公演においては、7人目のメンバーとして塚原がステージに立ったが、この公演のみの加入となった[3]。
その後もライブ活動を重ねるが、1990年に本来プログラマであった小森が多忙のため脱退[4]。後任に斉藤が加入し、アルバム『HYPER DRIVE -G.S.M.SEGA 4-』にてデビュー。バンドは同年開催のゲームミュージックフェスティバル'90で、ZUNTATAとともにステージを踏んだ。
翌1991年、光吉がHiroと入れ替わりキーボードを担当(Hiro自身は「遅刻が多かったため交代させられた」と述懐[5])。さらに田辺が気胸を発症し、代役として熊丸がドラムを担当、のち正式メンバーとなる[4]。1992年発売の完全オリジナルアルバム『BLIND SPOT』からは、全員がサングラスを外し、本名を名乗る。
しかし、セガの所属レコード会社が東芝EMIに移ることとなり、サイトロン・レーベルから離脱するにあたり、1993年の「ゲームミュージックライブ 電撃'93」でのライブを最後に解散した[6]。
その後セガは、1993年に並木と光吉によるユニット「B-univ」を結成するも、翌年活動停止。2001年には、Hiroや光吉らによるオフィシャルサウンドユニット「H.」を結成している。また2003年にベストアルバムが発売され、10年ぶりにメンバーが集結して座談会を行う(光吉は不参加)。本来は再結成ライブも視野に入っていたが、このとき再結成は実現しなかった[4]。
2011年、並木の呼びかけで、光吉を除く解散時オリジナルメンバーに加え、キーボードの森藤晶司(コードネーム「Rally」)を新たに迎えた“ほぼS.S.T.BAND”こと「Blind Spot」として18年ぶりに再結成。同年8月27日にライブを行った(飛び入りゲストで田辺も参加)。
以降も活動を続けており、2013年7月24日には21年ぶりとなる新譜もリリースした。
2013年10月、飯島が脱退。一時はギター新メンバー募集が告知され、実際にオーディションも行われたが、その後も新メンバーは加入していない。
2017年4月29日の東京公演をもって、松前がライブへの参加を終了(脱退はしていない)[7]。
2018年2月12 - 17日、S.S.T.BANDから数えて30周年を記念した東名阪ツアー「Sanju Shunen Tour」を開催。大阪および名古屋公演では松前がゲスト出演、東京公演では初代ベースの小森・初代ドラムの田辺・2013年に脱退した飯島がゲスト出演した。また同年12月には、30周年を記念したCD&DVD-BOX『S.S.T.BAND -30th Anniversary Box-』がリリースされた。
2019年6月10日、熊丸が脱退[8]。新ドラマーに今井義頼が加入[9]。
2021年、10周年記念ライブとして「Final Take Off」2Daysを告知。その中でBlind Spotの解散を発表[1]。9月4 - 5日に開催されるラストライブもって解散した。
解散後、斉藤が「斉藤TURBO昌人プロジェクト〜ひとりS.S.T.」と称し、2022年に活動を再開。Blind Spotからは森藤のみ参加し、3月19日にライブを行った。また並木も元メンバーの熊丸とユニット「熊並」にてライブを行い、セガ楽曲を演奏した。
どちらもアルバム『BLIND SPOT』からのシングルカット。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:19 UTC 版)
「S.S.T.BAND」の記事における「S.S.T.BAND」の解説
1988年7月発売のアルバム『GALAXY FORCE -G.S.M.SEGA 1-』にてデビュー。ただしこの時は松前と並木の2人のみで、その2人も名は前面に出していなかった。翌1989年2月、セガがイベント「メガドライブ スパークリング1989」を東京・名古屋・大阪で開催、そのステージでバンドとしてデビューを果たす。松前は飯島・小森・田辺をバンドに誘い(イベントのパンフレットには松前含むこの4名のコードネームしか書かれていない)、それにセガ社員のHiroと並木が加わる編成となった。同年11月のMZA有明公演においては、7人目のメンバーとして塚原がステージに立ったが、この公演のみの加入となった。 その後もライブ活動を重ねるが、1990年に本来プログラマであった小森が多忙のため脱退。後任に斉藤が加入し、アルバム『HYPER DRIVE -G.S.M.SEGA 4-』にてデビュー。バンドは同年開催のゲームミュージックフェスティバル'90で、ZUNTATAとともにステージを踏んだ。 翌1991年、光吉がHiroと入れ替わりキーボードを担当(Hiro自身は「遅刻が多かったため交代させられた」と述懐)。さらに田辺が気胸を発症し、代役として熊丸がドラムを担当、のち正式メンバーとなる。1992年発売の完全オリジナルアルバム『BLIND SPOT』からは、全員がサングラスを外し、本名を名乗る。 しかし、セガの所属レコード会社が東芝EMIに移ることとなり、サイトロン・レーベルから離脱するにあたり、1993年の「ゲームミュージックライブ 電撃'93」でのライブを最後に解散した。 その後セガは、1993年に並木と光吉によるユニット「B-univ」を結成するも、翌年活動停止。2001年には、Hiroや光吉らによるオフィシャルサウンドユニット「H.」を結成している。また2003年にベストアルバムが発売され、10年ぶりにメンバーが集結して座談会を行う(光吉は不参加)。本来は再結成ライブも視野に入っていたが、このとき再結成は実現しなかった。
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