(R&B から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/04 08:48 UTC 版)
| リズム・アンド・ブルース | |
|---|---|
| 様式的起源 | ブルース[1]、ゴスペル[2] |
| 使用楽器 | ドラムセット、ベース・ギター、サクソフォーン、トランペット、トロンボーン、ピアノ、オルガン、エレクトリック・ギター |
| 派生ジャンル | ファンク、スカ、ソウル、レゲエ、ロック・ステディ、ヒップホップ |
| サブジャンル | |
| コンテンポラリー・R&B | |
| 融合ジャンル | |
| ブラック・コンテンポラリー | |
リズム・アンド・ブルース(英: rhythm and blues)は、ポピュラー・音楽のジャンルである。略称はR&B(アール・アンド・ビー)。
R&B(リズム・アンド・ブルース)は、ブルースやゴスペルの影響を受けた音楽で、リズムを重視した演奏と歌唱が特徴である。ロックンロールなどのジャンルにも影響を与えた[3]。第二次世界大戦後、ニューヨークやデトロイト、シカゴ、メンフィス、フィラデルフィア、ニューオリンズのような都市でジャズやブルース、ゴスペルなどが混ざり合い、誕生した[4]。
戦前にすでに存在した黒人音楽と関係の深いジャンルには、ラグタイム、ブルース、ジャズ、スウィング、ジャイブなどがあった。ビルボード誌は、1942年には早くも「ハーレム・ヒット・パレード」を掲載し、これがR&Bチャートの前身となった[5]。R&Bは戦前には、まだジャンルとしては確立されていなかったが、ビルボード誌上では1943年ごろには、記事の中に音楽用語としてリズム&ブルースの記述が見られた。正式に音楽ジャンル名としてビルボードが使用したのは、1947年にビルボード誌のジェリー・ウェクスラー[6]の提案によるものである[7]。ジェリー・ウェクスラー[注 1]が名付けるまでは、アフリカ系アメリカ人の音楽を「レイス・ミュージック」と呼び、ビルボード誌でも順位をレイス・ミュージック・チャートとして発表していた。しかし1947年に、もう人種的視点で呼ぶ時代ではない、という議論がビルボード誌編集部内でおこなわれた。後日ウェクスラーが名称としてリズム・アンド・ブルースを提案したことから、R&Bが採用されている[8]。
ロックンロールは白人のカントリーと黒人のブルースの融合から、1954年もしくは55年ごろに生まれた[注 2]とされているが、R&Bの影響も大きかった。その後、リズム・アンド・ブルースは、1960年代にはソウルミュージックとも呼ばれるようになる。当時、両ジャンルに明確な区別をつけるのは難しかった。1960年代のアメリカでは公民権運動による黒人たちの地位向上と共に、彼らのアイデンティティを再発見し、ブラックパワー運動などルーツを誇示する傾向が見られるようになった。黒人にとって、ソウル/R&Bは音楽であるだけでなく、人種差別撤廃という共通の目的を共有する、より幅広い黒人生活全般を示す言葉となった[9]。
モータウンは、1960年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズの "Shop Around" をヒットさせた。[10]また南部では1961年にカーラ・トーマスの "Gee Whiz!がヒットした Staxレコードの次のメジャーヒットであるThe Mar-Keysの "Last Night"(1961年にリリース)によりメンフィスの純粋な南部サウンドをリリースするスタックス・レコードが知名度をあげた[11]。 ジャマイカでは、R&Bがスカの発展に影響を与えた。R&B界には、サム・クックやジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング[注 3]らの大スターが誕生した。
1970年代にはストリングスを使用したフィリー・ソウルも登場した。フィリー・ソウルの代表的なミュージシャンには、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、ビリー・ポールらがいた。北部・東部のソウルだけでなく、1970年代にはアル・グリーンを擁したハイ・レコード[注 4]のような南部のレーベルも活発に活動していた。
リズム・アンド・ブルースはより洗練され、1980年代以降はブラック・コンテンポラリー(ブラコン)と呼ばれるようになった。また、1980年代にはボビー・ウーマック[注 5]、が「ラスト・ソウル・マン」として、R&Bヒットをはなった。1980年代から1990にかけては、伝統的なR&Bを好む世代と、ポップなR&Bを好む世代の分裂や、ディープ・ソウルやサザン・ソウルが「ブルース」と呼ばれるなどの問題点が表面化した時代だった。[12]ブラコンの代表的な歌手にはフレディ・ジャクソン[注 6]、ルーサー・ヴァンドロスらがいたが、本来のR&Bの楽曲をリリースしていたのは、グレン・ジョーンズのような「ゴスペル・ルーツ」の歌手だった。1990年代以降、ソウルがブルース的位置づけで分離され、当時の若手のガイ[注 7]やジョディシィ、メアリー・J. ブライジなどがリズム・アンド・ブルース (R&B) と呼ばれるようになった。[注 8]
歌唱なしのR&Bインストルメンタルの音楽家には、ビル・ドゲット、ブッカーT&MGs、キング・カーティスや、ジュニア・ウォーカー&オール・スターズ[13]らがいた。他にもザ・JBズ、ハイ・リズム、マーキーズ、フェイム・ギャング、マッスルショールズ・リズム・セクションらも活躍した。ジュニア・ウォーカーのヒット曲には、一部ヴォーカルも入っているが、フォリナーの曲をカバーした「アージェント」などは、完全なインスト曲になっている。コーネル・デュプリーは「ステイン・アライヴ」「シャドウ・ダンシング」のR&Bインストを録音した。[14]
1960年代にリズム・アンド・ブルースはヨーロッパにも渡り、流行に敏感な若者たちの一部を虜にし、やがて彼らは自らリズム・アンド・ブルースを演奏するようになった。ヴァン・モリソンとゼムや、スティーヴ・ウィンウッドとスペンサー・デイヴィス・グループ[注 9]、アニマルズらはR&Bを演奏し、レコードを発表した[15]。リズム・アンド・ブルースは米国から世界へと広がっていった。
日本でも1960年代には内田正人のキングトーンズ[16]、和田アキ子、ザ・ボルテージ(桜井ユタカが歌唱指導)、安田明とビートフォークらが和製R&Bとして登場した。1970年以降は、大橋純子、宮本典子(mimi)、シャネルズ/ラッツ&スター、鈴木雅之、鈴木聖美らが和製R&Bの曲を録音した。その後、1980年代から1990年代には久保田利伸やバブルガム・ブラザーズがヒット曲を発表した。 小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう」は1990年代の代表的な楽曲だった。ブラザー・トムは、HUMAN SOUL 、REAL BLOODなどのR&Bグループを結成した。カンニング竹山は、左とん平の「ヘイ・ユウ・ブルース」をカバーしている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 14:38 UTC 版)
最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス "He Think I Don't Know" - メアリー・J. ブライジ(『No More Drama』2002年版所収) 最優秀男性R&Bボーカル・パフォーマンス "U Don't Have To Call" - アッシャー(『8701』所収) 最優秀R&Bパフォーマンス(デュオもしくはグループ) "Love's In Need Of Love Today" - スティーヴィー・ワンダー&テイク6(テイク6『ビューティフル・ワールド(Beautiful World)』所収) 最優秀トラディッショナルR&Bボーカル・パフォーマンス(改名) "What's Going On" - チャカ・カーン・アンド・ザ・ファンク・ブラザーズ(『永遠のモータウン(Standing in the Shadows of Motown)』より) 最優秀アーバン/オルタナティヴ・パフォーマンス "Little Things" - インディア・アリー(『インディアへの旅(Voyage to India)』所収) 最優秀R&Bソング "Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)" - エリカ・バドゥ、Madukwu Chinwah、Rashid Lonnie Lynn(コモン)、Robert Ozuna、ジェイムズ・ポイザー(英語版)、ラファエル・サディーク(英語版)、グレン・スタンリッジ。performed by エリカ・バドゥ featuring コモン。 最優秀R&Bアルバム 『インディアへの旅(Voyage To India)』 - Alvin Speights(エンジニア、ミキサー)。シャノン・サンダース(プロデューサー)。インディア・アリー(プロデューサー、アーティスト) 最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム 『Ashanti』 - ブライアン・スプリンガー、Milwaukee Buck aka Buck 3000(プロデューサー、ミキサー)。7 Aurelius(エンジニア、ミキサー、プロデューサー)。Irv Gotti(プロデューサー)。アシャンティ(歌手)
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