以下の内容はhttps://www.weblio.jp/content/PS/Vより取得しました。


ウィキペディアウィキペディア

PS/V

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 07:00 UTC 版)

PS/V(ピーエス・ブイ)は日本IBMが1992年より販売した、主に個人向けのパーソナルコンピュータのシリーズである。

呼称

正式名称はPS/V。なお日本市場向けの従来シリーズ(主に企業向け、一部モデルは個人向け)はパーソナルシステム/55(略称 PS/55)だが、PS/Vは略称ではなく正式名称で、DOS/VおよびOS/2をサポートした。

概要

PS/Vは、PS/55MCA路線(一部モデルのみでPC/ATバス)を続けていた日本IBMが、個人向け市場では本格的にPC/ATバスに復帰し、DOS/VおよびOS/2を推進したシリーズである。

PS/1がベースの日本版と考えられ、IBMの独自技術や高品質を売りにしない「IBMの販売するPC/AT互換機」であり、Aptivaの前身である。Micro Channelスロットを廃止してPC-AT拡張バスと一部モデルでVLバスを採用したほか、内部パーツの外部調達率を大幅に引き上げてコストダウンを図っている。1993年末にはFM TOWNS用CD-ROMソフトが動作可能なモデルや拡張カード『FM TOWNS アプリケーション・カード』が発売された[1]

モデル

  • PS/V(基本モデル)
  • PS/V Entry(下位モデル)
  • PS/V Master(上位モデル)

当時の高速ビデオチップだったWeitek Power9000をグラフィックアダプターに搭載しており、WindowsやOS/2等 GUI環境での高速描画が特徴だった。

  • PS/V Vision(モニタ一体型。PS/55 5530等の後継。Aptiva Visionの前身)
  • Master P120 (DOS/V 5周年記念モデル P120はPentium 120MHzの実装を意味する。PS/V Masterの後継という位置づけだったが、ビジネス向けPCはIBM PC,コンシューマ向けPCはAptivaにグローバルIBMにおけるブランド再編が行われた後のため「PS/V」 の名称はこの製品に使われていない。)
    • 2411-P31 1995年10月 (Windows 3.1プリロードモデル)
    • 2411-P95 1995年10月 (Windows 95 プリロードモデル)

各モデルにキーボード(従来の5576-A01の低価格・静音版である5576-B01)とマウスを標準装備。

競合製品

影響

  • 個人向けモデルでも高価・高品質なイメージが強かったPS/55シリーズと異なり、「本家IBMの出した低価格なPC/AT互換機」というイメージで、日本でのPC/AT互換機およびDOS/V、更にはWindowsの拡大に貢献した。

備考

  • 日立製作所DOS/Vに参入する際、一時的にIBMからPS/VをOEMした。またリコーおよび松下電器産業もPS/VのOEM販売を行った。[要出典]
  • PS/V Visionでは最初のモデルとなった1993年11月発売の2408-WMB・WMCは、CPUはIBM486SLC2の50MHzを搭載した。WMBとWMCの違いは、ハードディスク容量の違いである。前者は170MB、後者は340MB[2]。翌1994年5月のモデルチェンジでテレビチューナー付きモデルとなった2408-NTB・NTCからは、同じくIBM486SLC2の66MHzが採用された。また1994年10月発売の2408-NDVでは、MPEG VisionとしてMPEGカードを搭載したモデルとして発売された。

脚注

  1. ^ 「IBMがFM TOWNSシリーズ用ソフトを利用可能なPS/Vシリーズを発売」『ASCII』 1994年2月号、アスキー。
  2. ^ 『DOS/V POWER REPORT '94年冬号』株式会社インプレス、1994年1月8日、82-83頁。 

関連

外部リンク


PSV

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/17 07:08 UTC 版)

PSV


ウィキペディアウィキペディア

PSV(第1期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 00:24 UTC 版)

ジョナタン・ジャクソン・ジ・リマ・ヘイス」の記事における「PSV(第1期)」の解説

2005年からアトレチコ・ミネイロユースチーム所属2006年9月アヤックス・アムステルダムでのトライアルの後、10月にPSVでのトライアル合格し12月にPSVが獲得発表2007年の夏にPSVと5年契約結んだ2007年5月にPSV A1でテルボルフ・トーナメントに参加3-2勝利したアルゼンチンボカ・ジュニアーズとの決勝でヘイスは2得点決めている。2007年オッテン・カップでもヘイスはベストFW選ばれた。 2007-08シーズンにヘイスはAセレクション昇格するも、出場時間少なすぎると監督セフ・フェルホーセン衝突した3月ボルシア・ドルトムントユース・トーナメント参加拒否し、5千ユーロ罰金科されている。その後ヘイスは足を骨折しリーグ戦最後まで欠場。足にプラスチック挟み込まれたが、ヘイスが自分でそれを予定よりも早く取り除いてしまったため、クラブメディカル・スタッフその後治療断った2008-09シーズン初めにヘイスは同箇所骨折しプレシーズン参加しなかった。 2008-09シーズン、ヘイスは監督フーブ・ステフェンス衝突バカンスからの合流が遅れ、足のプラスチックを自ら取り除いて再び怪我をするなどの行為の後、2009年1月シーズン末までトゥピFCレンタルされた。 2009-10シーズン初めにヘイスは売却される見込みだったが、プレシーズンフレット・ルッテン監督によって与えられチャンスつかんでクラブ残留したACスパルタ・プラハ相手UEFAヨーロッパリーグ戦でダニー・クーフェルマンスとの交代途中出場80分位にPSVが同点(1-1)追いつくゴール決めロスタイムには再び同点ゴール(2-2)を決めた。ヘイスはヨーロッパリーグFCコペンハーゲン戦でも72分にこの試合唯一のゴール決定的な仕事をした。リーグ戦での初ゴールその3日後、NECナイメヘンとのアウェイゲーム(0-4勝利)で0-2とするゴール決めたKNVBカップでの初ゴールは再びその3日後。ボレー0-2ゴール決めた正式にはまだユース選手扱いだったヘイスは2009年11月26日正式にAセレクション昇格決定。 こうしてようやく素質開花し始めた思われ矢先2010年1月24日に、PSVは解雇発表する。ウィンターブレイクにブラジル帰国すると再び生活が乱れ始めチームキャンプには5日遅刻して到着コンディション不良疲労理由アイントホーフェン送還され、ここでのメディカルチェック薬物使用見つかった薬物使用認められたヘイスに対しチーム専門家治療を受けることを勧めたが、ヘイスがそれを拒んだことで解雇至った

※この「PSV(第1期)」の解説は、「ジョナタン・ジャクソン・ジ・リマ・ヘイス」の解説の一部です。
「PSV(第1期)」を含む「ジョナタン・ジャクソン・ジ・リマ・ヘイス」の記事については、「ジョナタン・ジャクソン・ジ・リマ・ヘイス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「PS/V」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ




以上の内容はhttps://www.weblio.jp/content/PS/Vより取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14