出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/15 06:05 UTC 版)
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| 種類 | 電子部品、光学機器、レンズ関連 |
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| 使用会社 | |
| 使用開始国 | |
| 主要使用国 | |
| 使用開始 | 1957年 |
| 旧使用会社 |
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| ウェブサイト | https://pentaxofficial.com/ |
PENTAX(ペンタックス)は、日本企業によるレンズ・カメラ・デジタルカメラ・天体望遠鏡・内視鏡などのブランド名である。
本稿では、PENTAXブランドの製品群を製造販売していた源流企業である旭光学工業株式会社(あさひこうがくこうぎょう、英: Asahi Optical Co., Ltd.、後のペンタックス株式会社)についても述べる。
製品の詳細は以下の記事を参照。
旭光学工業株式会社は、眼鏡用レンズ製造会社として1919年(大正8年)に創業。独自に培ったレンズ研磨・コーティング技術を活かし、国産初の映写用レンズや、双眼鏡、カメラ用レンズを製造していたが、1952年(昭和27年)には国産初の一眼レフカメラ「アサヒフレックスI」を発表。これを皮切りに一眼レフカメラの先駆者として世界から注目を集める企業へと成長する。本社は東京都(東京都板橋区前野町2-35-7)、国内事業所は栃木県(栃木県芳賀郡益子町大字塙858)、宮城県(宮城県栗原市築館字下宮野岡田30-2)、山形県(山形県長井市日の出町4-1)にあった。
ほかのカメラメーカーが舶来のカメラをお手本に、ブローニーフィルムを使う二眼レフカメラや35mmフィルム判のレンジファインダーカメラを製造するなか、旭光学工業は一眼レフカメラに高い将来性を感じ、国内ではいち早く35mm判一眼レフカメラの開発に取り組んでいた。当初は上から覗きこむウエストレベルファインダーであったが、自然な姿勢で覗くファインダーを設けるためにペンタプリズムを導入して、現在の一眼レフカメラの構造を完成させる。さらに、1960年(昭和35年)、世界初のTTL露出計による測光機能を搭載した35mm判一眼レフカメラ「スポットマチック」を発表。1964年(昭和39年)に販売が始まった「アサヒペンタックスSP」は、一眼レフカメラの大衆化に貢献する世界的ベストセラー機となった。また、中判カメラでもロングセラー機となる一眼レフカメラ「アサヒペンタックス6×7」を開発。そして、110フィルムを使用した世界最小の一眼レフカメラ「ペンタックスオート110」や、世界初のフラッシュ内蔵オートフォーカス一眼レフカメラも発売。1997年(平成9年)にはデジタルカメラ市場に参入。
デジタルカメラ部門でも35mm判及びAPS-C判Kマウントと中判645マウントのデジタル一眼レフに、最小最軽量のノンレフレックスカメラのQマウントを加えて多マウント展開。銀塩カメラ時代からの特徴的な露出操作体系に加え、デジタルカメラにおいても画像仕上げの機能の充実や、手ブレ補正のためのセンサーシフト機構を構図の調整や天体追尾、画質の向上に積極的に応用するなど、趣味性の高いカメラのニッチ市場で特徴ある製品を出している。また過去のレンズ資産についても純正のアダプター1枚で、1957年以降に発売されたレンズは全てが利用できるなど、長く利用しているユーザーにも配慮を見せている。そして事業再編を経てリコー傘下となった現在も、民生用のデジタルカメラのみならず、日本の捜査機関の鑑識部門や、学術研究分野からのニーズに応えた専用カメラの開発など、高い技術開発力を活かして一眼レフカメラの製造にこだわり続けている。
PENTAXという名称の由来は、1957年(昭和32年)5月発売の一眼レフカメラ「アサヒ ペンタックス(通称AP)」の製品名による。この名称は、「アサヒフレックス」に、ファインダーに内蔵される光学部品「ペンタプリズム」を搭載したことにちなんでいるが、元々は東ドイツのVEBツァイス・イコンの登録商標(「ペンタプリズム」および「コンタックス」から)を旭光学工業が買収している。「アサヒペンタックス」は「アサヒフレックスⅡA」にペンタプリズムを搭載することで、アイレベルの正立・正像が得られ、機動性、使いやすさを飛躍的に向上されることを実現した。そこで、カメラの開発と並行して、従来の「アサヒフレックス」とは違う新しい製品名を付けることが検討されたいきさつがある。その後、カメラを中心とする製品名には「アサヒペンタックス」が使われていたが、1970年代後半にはレンズのブランドにて「タクマー」に代って「PENTAX」が使われるようになり、1979年(昭和54年)9月に発売した「PENTAX MV-1」からカメラ本体のブランドも「PENTAX」に変更されている。
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本社(現存せず)
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| 種類 | 株式会社 |
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| 市場情報 | |
| 本社所在地 | 〒174-8639 東京都板橋区前野町2-35-7 |
| 設立 | 1919年(大正8年)10月1日 (旭光学工業合資会社) |
| 廃止 | 2008年(平成20年)3月31日 (HOYAへ吸収合併され法人消滅) |
| 業種 | 精密機器 |
| 事業内容 | デジタルカメラ、医療機器 |
| 代表者 | 谷島信彰(代表取締役社長) |
| 資本金 | 75億71百万円(2007年3月31日) |
| 売上高 | 単体1,171億円、連結1,573億円(2007年3月期) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | HOYA 90.59% |
| 外部リンク | http://www.pentax.co.jp/ |
2002年10月1日に社名を旭光学工業株式会社からペンタックス株式会社(英: PENTAX Corporation)に改称[2]。
2004年、本体およびその子会社における眼鏡レンズ販売事業を、セイコーオプティカルプロダクツ株式会社(SOP)に移管。合わせてSOPに出資比率20%の資本参加、役員1名を派遣した。
2005年10月、韓国のハンファテックウィンと一眼レフカメラの共同開発で提携し、2006年10月、サムスン初となるデジタル一眼レフカメラGX-10を発売した[3]。
2006年12月21日、ペンタックス株式会社とHOYA株式会社との合併が発表され、2007年10月をめどにHOYAに吸収合併される形で「HOYAペンタックスHD株式会社」になる予定であった。しかしペンタックス側はカメラ事業売却の懸念により過半数の取締役が合併に反対。2007年4月9日、浦野文男社長ら推進派役員が退任し合併を白紙撤回した。
これに対しHOYAは、株式公開買付(TOB)によるペンタックスの買収・子会社化を発表した。5月11日、統合反対派の経営陣は単独での業績拡大を目指した中期経営計画を発表したが大株主の賛同を得られず株式市場の評価も低かったことから、5月22日、HOYAへTOB受諾を伝えた。これを受けHOYAは7月3日から8月6日までTOBを実施し、発行株式の90.59%を944億8200万円で取得した。ペンタックスは、8月14日HOYAの子会社になり、11月30日東証一部上場廃止となった。
子会社となった後も両社間で統合協議を進め、新社名は「HOYA株式会社」だが、「PENTAX」ブランドは統合後も維持することで合意。2008年3月31日にHOYAを存続会社として合併、HOYA内の複数の事業部となる。1年以上に及んだ経営統合問題は、最初の計画をほぼ踏襲する形で決着することとなった。そして、HOYA体制下では国内の工場を閉鎖、測量機器事業(現TIアサヒ株式会社)を台湾儀器行に売却。
2011年7月1日、HOYAはペンタックスのうちイメージング・システム事業(デジタルカメラ・双眼鏡等の光機部門)を分離し、それを譲渡する契約を株式会社リコーと締結する。同年7月29日、HOYA株式会社の100%持株子会社として新会社「ペンタックスイメージング株式会社」を設立。本店所在地は、PENTAX イメージング・システム事業部の所在地である板橋区前野町。なお、デジタルカメラモジュール、DVD用ピックアップレンズ、内視鏡、人工骨、音声合成ソフトウェアの事業についてはHOYAが引き続き「PENTAX Medical」ブランドにて展開する。
同年10月1日この新会社の株式をリコーが買い取り、事業譲渡が完了。「ペンタックスイメージング株式会社」を「ペンタックスリコーイメージング株式会社」に社名変更するとともにリコーの完全子会社となった[4]。事業譲渡後もHOYAは残るメディカル事業(医療用内視鏡、人工骨)で、TIアサヒ株式会社は測量機器で「PENTAX」ブランドを使用する[5]。
2012年4月1日、「RICOH」および「PENTAX」の双方のブランドのコンシューマー向けカメラ事業が、ペンタックスリコーイメージング株式会社に集約された[6]。このため、PENTAXブランドのCMやリコーブランドのパンフレット、ホームページなどでは「PENTAX A RICOH COMPANY」とクレジットされるようになる。
2013年8月1日、コンシューマー向けカメラ事業の集約に目途がついたため、社名を「ペンタックスリコーイメージング株式会社」から「リコーイメージング株式会社」に変更。これに伴い、PENTAX・RICOH両ブランドのデジタルカメラのCM、パンフレット、ホームページのクレジットも親会社のリコーと同じく「RICOH imagine. change.」に改められた。
2015年11月26日、本社の移転を発表[7]。2016年1月25日付で、本社がこれまでの東京都板橋区前野町2-35-7から、東京都大田区中馬込1-3-6 リコー大森事業所内に移る[8]。
ここでは、以下についての沿革を記する。