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NO NEW YORK

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NO. NEW YORK

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/21 18:26 UTC 版)

NO. NEW YORK
BOØWY楽曲
収録アルバム MORAL
リリース オリジナル版
1982年3月21日
シングル版
1985年8月22日
規格 オリジナル版
LP
シングル版
12インチレコード
録音 オリジナル版
スターシップスタジオ
スタジオバードマン
シングル版
1985年5月10日 - 14日
伊豆キティスタジオ
ジャンル ロック
ニュー・ウェイヴ
時間 オリジナル版
3分31秒
シングル版
4分15秒
レーベル オリジナル版
ビクターInvitation
シングル版
東芝EMI/イーストワールド
作詞者 深沢和明
作曲者 布袋寅泰
プロデュース オリジナル版
渡辺モリオ(マライア
シングル版
佐久間正英
その他収録アルバム
後述を参照
カバー
後述を参照
MORAL収録曲
サンプルミュージック
NO. NEW YORK

NO. NEW YORK」(ノー・ニューヨーク)は、日本ロックバンドであるBOØWYの楽曲。

1982年3月21日にビクター音楽産業Invitationレーベルからリリースされたファースト・アルバム『MORAL』に収録されている。作詞は深沢和明、作曲・編曲は布袋寅泰[‡ 1]

BOØWY結成直後に「IMAGE DOWN」に次いで制作された曲であり、ニューヨークにおける女性との禁断の恋を歌った内容となっている。『MORAL』収録曲の中では最もポップでメロディアスな曲調となっている。オリジナル版は高橋まことの加入以前にレコーディングが行われたため、ドラムスは木村マモルが担当している。

ほぼ全てのライブで演奏されており、最終公演の最終日となった『“LAST GIGS”』(1988年)の4月5日公演では2回演奏され、2回目は最後の曲であったためBOØWYとして最後にライブ演奏された曲となった。後に氷室京介および布袋、高橋はソロライブにおいて同曲を演奏している。

音楽性とテーマ

最初に制作された段階では「NEWYORK NEWYORK」というタイトルだった。当初は氷室が作詞をする予定だったが、メロディーに合う歌詞が書けなかったため、当時メンバーであった深沢和明が代わりに作詞した。歌詞は1980年に起きたジョン・レノン射殺事件に触発されて制作され、『MORAL』収録のオリジナルバージョンでは間奏部分に、ジョンの死を告げる当時の英語でのラジオ放送の音声が入っている[1][2]

本作はBOØWY研究者の間でゲイ娼婦男娼)の歌という解釈がある[3]。男性用フレグランスは大抵コロンまたはトワレであり、歌詞のコロンについてはTHE YELLOW MONKEY吉井和哉が指摘している[3]。吉井はコロンを「叩く」仕草に着目し、この歌詞表現には男性らしさがあるのでニューヨークのゲイの歌ではあるまいかと推察した[4]。さらに、著作家・樋口毅宏によると、つまりこの歌はエイズウィルス保持者との愛(性交渉)のフェーズにより「星になる」のである[3]。樋口は1980年代のニューヨークがエイズの大流行であったことを論拠にしている[3]

その時期に、シンディ・ローパーは、エイズに関する歌「ボーイ・ブルー英語版」を収録したアルバム『トゥルー・カラーズ』(1986年)をニューヨークでレコーディングしている[‡ 2]ルー・リードは、エイズに関する歌「ハロウィン・パレード」を『ニューヨーク英語版』(1989年)に収録し、このアルバムもまたニューヨークでレコーディングが行われた。

ライブでの演奏時に氷室が「花をちぎる」の場面で自らの鼻をつまむパフォーマンスを行った事から、淋病の歌ではないかと噂が広まった事がある[5]。その他、1988年の『MORAL+3』リリース時のカードに書かれたレビューに「Nadeshiko Yamato」(やまとなでしこ)の略であることを思わせる言葉が書かれていたが、当時マネージャーであった土屋浩は「そういう意味ではない」と述べている。

リリース

ファーストアルバム『MORAL』(1982年)に「NO N.Y.」のタイトルで収録されていたが、シングル『BAD FEELING』(1985年)のカップリング曲として収録された際に再レコーディングされ、タイトルも「NO. NEW YORK」と変更された。シングル版は『MORAL』収録のバージョンよりも間奏が長くなり、曲全体では40秒ほど延長されている[5]。また、「NO N.Y.」と「NO. NEW YORK」とではメロディが異なり、後のライブでも「NO. NEW YORK」のバージョンで演奏される事になる[‡ 3]

初の12インチシングルで「BAD FEELING」をリリースすることが決定した際に、カップリング曲をどの曲にするかで会議が行われ、当時の代表曲であったこの曲が「ファンへのプレゼント的な意味合い」と言う理由で選ばれ、伊豆キティスタジオにて再録音された[1]

ミュージック・ビデオ

本作のミュージック・ビデオでは、曲タイトルが「NO! NEWYORK」になっている。ベルリンハンザ・スタジオでのレコーディング風景やメンバーが散策する様子、マーキークラブ(Marquee Club)での演奏を収めた。当時の音楽番組でこのビデオがオンエアされた事もあった。

全部で3回のBメロは、最初の2回がBOØWYメンバー4人の顔を追って、最後の1回は氷室が白人とキスをしたり、スタジオのエンジニアが登場する。

ライブ・パフォーマンス

同じ『MORAL』収録曲である「IMAGE DOWN」と共に、解散までのほぼ全てのライブで欠かさず演奏された[6]。1982年10月9日に新宿LOFTで行われた6人最後のライブでは深沢がボーカルを担当した。氷室が本作を歌唱する場合は、必ず最初の歌詞の「この世を渡る」の部分を「男を誘う」と変えている。東芝EMIへの移籍直後までは、アルバム『MORAL』収録のオリジナルバージョンで演奏されている[6]

最終公演となった「“LAST GIGS”」(1988年)では2回演奏されている。1回目は「この歌も今夜が最後だと思うと、ちょっと悲しいけど、BOØWYの、最高の、不朽の名作を送ります!NO!NO!Oh,my NO NEW YORK!」と氷室がMCした後に17曲目として演奏され、2回目は「今度は、ひとりひとり別々で、必ずここで会おうぜ!NO.NEW YORK!」と氷室がMCした後に客電を付けた上で2度目のアンコールの最後の曲として演奏された[7]。これにより、BOØWYとして最後に演奏された曲となった。

また、以下の通りテレビ出演にて演奏された。

カバー、リミックス

BOØWY解散後は氷室京介および布袋寅泰高橋まことがそれぞれソロライヴでカバー演奏している。高橋の2013年4月に行われたライヴでは、深沢がゲストで参加して同曲を歌っている。

スタッフ・クレジット

オリジナル版

BOØWY
スタッフ
  • 渡辺モリオ(マライア) - サウンド・プロデュース
  • 星加哲 - ディレクター
  • 小野誠彦 - レコーディング・エンジニア、リミックス・エンジニア
  • 月光恵亮 - イメージング・コーディネーター
  • 東元晃 - エグゼクティブ・プロデューサー
  • 長戸大幸ビーイング) - エグゼクティブ・プロデューサー
  • 月光恵亮 & MOONSHINE PROJECT - アートディレクション
  • 月光恵亮 - デザイン
  • 居坂和典 - 写真撮影
  • *TAMA CHAN - メイクアップ
  • 木村マモル - スペシャル・サンクス
  • ELK. - スペシャル・サンクス

シングル版

BOØWY
スタッフ
  • 佐久間正英 - シンセサイザー、サウンド・プロデュース
  • 小林肇 - アートディレクター、デザイン
  • 子安次郎 - ディレクター
  • 土屋浩 - パーソナル・マネージメント
  • ユイ音楽工房ロックプロジェクト - プロダクション・マネージメント
  • 岡崎好雄 - マスタリング・エンジニア
  • 糟谷銑司 - プロデューサー

収録アルバム

スタジオ音源(オリジナル版)
スタジオ音源(シングル版)
ライブ音源

脚注

注釈

  1. ^ 1985年のシングル版は実質的には佐久間正英との共同編曲。
  2. ^ BOØWYのシングル「B・BLUE」がリリースされたのはこのアルバムリリースの2週間後。
  3. ^ 渋谷公会堂での初ライヴでは、既にシングル・バージョンの方で演奏されていた。

出典注

  1. ^ a b B to Y 2004, p. 67- 「WORKS」より
  2. ^ 別冊宝島 2006, p. 85- 山口大介「知られざるカリスマロックバンドの素顔―BOØWYトリビア」より
  3. ^ a b c d 樋口 「BOØWYとわたし」
  4. ^ 吉井 『おセンチ日記』
  5. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 117- 不二雄、江口崇、編集部「『BOØWY COMPLETE』全114曲完全楽曲解説!」より
  6. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 113- 不二雄、江口崇、編集部「『BOØWY COMPLETE』全114曲完全楽曲解説!」より
  7. ^ ARENA37℃ 2001, p. 59- 星野京子「1988年6月号 BOØWY“LAST GIGS” 1988.4.4&5東京ドーム」より
  8. ^ 解散から15年を経ても減衰しないBOOWYのトリビュート&リスペクト・アルバム”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2003年12月15日). 2021年7月24日閲覧。
  9. ^ 10-FEET、豪華コラボ盤&名曲カバー集同時リリース”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2014年3月27日). 2021年7月25日閲覧。

参考文献

外部リンク


ノー・ニューヨーク

(NO.NEW_YORK から転送)

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『ノー・ニューヨーク』
Various Artistsコンピレーション・アルバム
リリース
録音 ビッグ・アップル・スタジオ
1978年春
ジャンル ノー・ウェイヴ
時間
レーベル アンティルス・レコード英語版
プロデュース ブライアン・イーノ
専門評論家によるレビュー
レビュアー:Todd Kristel
出版日: 不明
外部リンク[1]
クリーム・マガジン
レビュアー:Richard C. Walls
出版日:1979年4月
外部リンク[2]
レビュアー:Brandon Stosuy
出版日:2005年11月16日
外部リンク[3]
テンプレートを表示

ノー・ニューヨーク』(No New York)は、1978年アンティルス・レコード英語版 (アイランド・レコードのサブレーベル) からリリースされたコンピレーション・アルバムである。プロデューサーはブライアン・イーノ。このアルバムには4組のアーティストしか参加していないが、1970年代後半に発生したジャンルであるノー・ウェイヴのきっかけとなったアルバムとして知られる。

背景

ブライアン・イーノ

1970年代のニューヨークにおいて、ソーホーにあるアーティスト・スペースというギャラリーで、ロックフェスティバルが4日間開かれた[4]。そのライブの3日目(金曜日)にDNAザ・コントーションズが出演、つづく最終日(土曜日)にはマーズティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスが出演した[4]。そのライブの観客の中に、トーキング・ヘッズのセカンドアルバム『モア・ソングス』のマスタリングのためにニューヨークに来ていたブライアン・イーノがいた[4]。イーノはこの4組のバンドに興味を持ち、これらのバンドによるノー・ウェイヴのコンピレーションを、自ら監修してリリースする案を思いついた[5]

なお、このライブの様子はオープンリールで録音されたが、消失して現存しない[6]

製作

DNAのメンバー、アート・リンゼイ

イーノは4バンドにコンピレーションを作る案を持ちかけ、自身のアパートでミーティングを行った[7]。当初、グレン・ブランカ率いるセオリティカル・ガールズ英語版などの、アーティスト・スペースでのライブに出演していた他のバンドも参加する案があったが、イーノらの意向によって、結局参加することはなかった[6]。アルバムの構成は、4バンドが各4曲ずつ、計16曲となった。

ミーティングの後、アイランド・レコードにアルバムの構想を持ち込み、ビッグ・アップル・スタジオ(現:グリーン・ストリート・スタジオ)でレコーディングが行われた[8]。プロデュースにおいてイーノはあまり手を加えず、各バンドの演奏をできるだけ生のまま活かそうとしていた[8]。そのため演奏にほとんど口を挟まず、時にはレコーディング中に雑誌を読んでいることもあった[8]。レコーディングについて、ザ・コントーションズのメンバー、ジェームス・チャンスは「ザ・コントーションズのトラックは、スタジオ内ですべて演奏し、楽器別に録音もせず、多重録音もなし、ただ演奏を記録しただけだ」と語った[5]

1979年に行われた「The Studio As Compositional Tool」というレクチャーにおいて、イーノは「『ノー・ニューヨーク』に収録された「ヘレン・フォーズデイル」で、私はギターパートのクリック音にエコーをかけ、全体を通してコンプレッサーで音を圧縮させることで、ヘリコプターのブレードのような響きを出した[9]」と語っている。

リリースと評価

当初、アイランド・レコードからのリリースを検討されていたが、内容が実験的過ぎると判断され、サブレーベルのアンティルス・レコードからリリースされたとされる[8]1978年LP盤が発売されたが、ビルボードのチャートにはランクインしなかった[1]。またこのアルバムでは、歌詞がレコードスリーブの内側に印刷されており、歌詞を読むためにはスリーブを破らなければいけなかった[2][3]

批評家のリチャード・C・ウォールズは、『クリーム・マガジン英語版』の1979年4月号で「このアルバムはNOというゆるぎない声明で、リスナーに新しい思考材料を与える」[7]と好意的に評した。また、1981年9月30日-10月6日発行の『ヴィレッジ・ヴォイス』では、レスター・バングが「身の毛のよだつノイズミュージックへの正統なガイド」「重要な分岐点」[7]として推薦している。

1979年4月5日号の『ローリング・ストーン』では、「攻撃的なアンチ・メロディ」「反人道主義」として批評し、特にザ・コントーションズ以外のバンドについて「(ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは)全く我慢ならない」、「(マーズは)とりわけ魅力的というわけでもない」、「(DNAは)特にオリジナルというわけでもない」などと厳しく評した[7]

廃盤状態と再発

アルバムは賛否両論となり、多くのリスナーを刺激したが、後にリリース元のアンティルス・レコードが倒産、マスター音源が消失してしまった[8]。その後しばらく同盤が入手しづらい状態になり、ニューヨークのレコードショップなどでは、80ドルで取引されるなど価格が高騰した[8]1995年には『ニューヨーク・タイムズ』で、廃盤となったアルバムのトップ10に『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』や『クラフトワーク』と並んで、『ノー・ニューヨーク』が挙げられた[8]

その後1997年日本でCDとして再発されたのをはじめ、アメリカでも2005年に Lilith Records からCDとLP盤が再発された。再発後のレビューはおおむね好意的で、Allmusicでは「この影響力の大きいアルバムは、今でもニューヨークのノー・ウェイヴ運動の決定的な記録である」[1]と評され、『クリーム・マガジン』でも「『ノー・ニューヨーク』の音楽に魅了される人もいるだろうし、信じられないと思う人もいるだろう」とされた。2007年12月には、『ブレンダー・マガジン英語版』で発表された「史上最も優れたインディーロックのアルバム100」の65位にランクインした[10]

収録曲

A面
# タイトル 作詞・作曲 アーティスト 時間
1. 「ディッシュ・イット・アウト - "Dish It Out"」 ジェームス・チャンス ザ・コントーションズ
2. 「フリップ・ユア・フェイス - "Flip Your Face"」 チャンス ザ・コントーションズ
3. 「ジェイデッド - "Jaded"」 チャンス ザ・コントーションズ
4. 「アイ・キャント・スタンド・マイセルフ - "I Can't Stand Myself"」 ジェームス・ブラウン、編曲:ザ・コントーションズ ザ・コントーションズ
5. 「バーニング・ラバー - "Burning Rubber"」 リディア・ランチ ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス
6. 「ザ・クローゼット - "The Closet"」 ランチ ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス
7. 「レッド・アラート - "Red Alert"」 ランチ ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス
8. 「アイ・ウォーク・アップ・ドリーミング - "I Woke Up Dreaming"」 ランチ ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス
B面
# タイトル 作詞・作曲 アーティスト 時間
9. 「ヘレン・フォーズデイル - "Helen Fordsdale"」 ナンシー・アーレン、チャイナ・バーグ、マーク・カニンガム、サムナー・クレーン マーズ
10. 「ヘアウェーブス - "Hairwaves"」 アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン マーズ
11. 「トンネル - "Tunnel"」 アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン マーズ
12. 「プエルトリコ・ゴースト - "Puerto Rican Ghost"」 アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン マーズ
13. 「エゴマニアックス・キス - "Egomaniac's Kiss"」 ロビン・クラッチフィールド、アート・リンゼイ DNA
14. 「ライオネル - "Lionel"」 クラッチフィールド、リンゼイ DNA
15. 「ノット・ムービング - "Not Moving"」 クラッチフィールド、リンゼイ DNA
16. 「サイズ - "Size"」 クラッチフィールド、リンゼイ DNA

参加アーティスト

  • リディア・ランチ (Lydia Lunch) - ギター、ボーカル
  • ゴードン・スティーヴンソン (Gordon Stevenson) - ベース
  • ブラッドリー・フィールド (Bradley Field) - ドラム
  • サムナー・クレーン (Sumner Crane) - ギター、ボーカル
  • チャイナ・バーグ (China Burg) - ギター、ボーカル
  • マーク・カニンガム (Mark Cunningham) - ベース、ボーカル
  • ナンシー・アーレン (Nancy Arlen) - ドラム

DNA

その他

  • ブライアン・イーノ (Brian Eno) - プロデュース、カバーデザイン、カバー写真
  • カート・マンカッシ (Kurt Munkasci) - エンジニア
  • ヴィシェク・ボシェック (Vishek Woszcyk) - エンジニア
  • ロッド・フイ (Roddy Hui) - アシスタント・エンジニア
  • スティーヴン・ケイスター (Steven Keister) - カバーデザイン

リリース情報

発売国 発売日 レーベル フォーマット 型番
アメリカ合衆国 1978年 Antilles Records LP AN-7067
2005年 Lillith Records CD(デジパック仕様)/LP LR102
日本 1997年 Off Note / Cut Out CD ONCO-002
2005年 BRIDGE INC. CD(紙ジャケット仕様、2000枚限定) BRIDGE-036

脚注

  1. ^ a b c Kristel, Todd. “No New York - Various Artists : Songs, Reviews, Credits, Awards”. Allmusic. 2012年8月7日閲覧。
  2. ^ a b Walls, Richard C.. “No New York - Various Artists”. Creem. 2008年9月2日閲覧。
  3. ^ a b Stosuy, Brandon. “No New York : Pitchfork”. Pitchfork Media. 2008年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月2日閲覧。
  4. ^ a b c Reynolds, 2006. p.146
  5. ^ a b Reynolds, 2006. p.147
  6. ^ a b 『アフター・アワーズ』(2001) p.40
  7. ^ a b c d 『アフター・アワーズ』(2001) p.38
  8. ^ a b c d e f g 『アフター・アワーズ』(2001) p.41
  9. ^ http://music.hyperreal.org/artists/brian_eno/interviews/downbeat79.htm
  10. ^ The 100 Greatest Indie-Rock Albums Ever — #70 to #61”. ブレンダー・マガジン. 2008年9月21日閲覧。

参考文献

  • Reynolds, Simon (2006). Rip it Up and Start Again: Postpunk 1978-1984. Penguin. ISBN 0143036726 
  • 『アフター・アワーズ #15 SPECIAL ISSUE』After Hours、2001年。 

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「NO NEW YORK」の例文・使い方・用例・文例

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