出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/19 08:06 UTC 版)
| MIKIKO | |
|---|---|
| 出生名 | 水野幹子 |
| 生誕 | 1977年8月11日(45歳) |
| 出身地 | |
| 職業 | 振付師、演出家 |
| 活動期間 | 1996年 - |
| 共同作業者 | ELEVENPLAY |
| 公式サイト | www |
MIKIKO(みきこ、1977年8月11日 - )は、日本の演出振付家[2]。女性ダンスカンパニー、株式会社ELEVENPLAY(イレブンプレイ)代表取締役[3]。愛称は「MIKIKO先生」。
東京生まれ[4]。3人姉妹の末っ子で、2歳のとき父親の転勤で広島市へ引っ越す[4]。広島の自宅は毎年5月にひろしまフラワーフェスティバルが開催される平和大通り(100m道路)沿いにあり[5]、ステージの骨組みが出来ていく過程を興味深く眺めていた[5]。父親が広告代理店に勤務していたため、ライブや舞台裏を見ることができた[5]。振付師という職業を知ったのも、米米CLUBのライブをバックステージで見せてもらったことがきっかけという[6]。舞台を作る仕事の原点は子ども時代にあるのかもと話した[5]。安田女子中学校のバトン部の一員としてフラワーフェスティバルの舞台やパレードに出て、人前で踊る楽しさを覚え、高校に入ってヒップホップダンスを始めた[5][7]。
1996年、19歳からバレエとストリートダンスの経験を元にダンス指導を開始する[8][9]。1999年、大学在学中の21歳のとき、テレビ新広島がアミューズと提携してアクターズスクール広島を開校するための最初の講師陣の一人となった[5] [7][10][11]。一期生には当時小学校5年生だった(のちの)Perfumeもいた[1][12][13]。Perfumeが東京に出て以降も、(アミューズでの初期の活動の一時点を除いて)楽曲ほぼすべてで振り付けを担当している[13][14]。スクールの発表会は年に春と秋の2回あり、年間約50曲の振付をスクール生のために作成し、構成を含めたスキルが鍛えられた[7]。
2000年にMAXのバックダンサーとなり[15]、同時期にダンスグループVAXを結成した[16]。広島と東京の間を週1回は往復する生活を5年間ほど送る[16]。2003年、当時中学3年生のPerfumeがアミューズとマネジメント契約を結び、3人だけで上京。
2005年、28歳のときMIKIKOもアミューズとマネジメント契約を結び、本格的に演出家としての活動を開始[14]、「つくる仕事」に専念するため東京に転居[5]。この直接のきっかけは同社会長の大里洋吉が舞台「DRESS CODE」を見たこと[7]。MIKIKOはその作・演出・振り付けを手掛けた。大里は演出家になること、感性を磨くため米国ニューヨークに転居することを指示[16][17]。2006年から二年間米国留学[4]。在米中もビデオレターを用いてPerfumeらにダンスを指導した[8][16]。2008年帰国しPerfumeがブレイクしたことを知る[16]。
帰国後、アミューズ所属のアーティストを中心に振り付けを提供[12]。2009年、ELEVENPLAYを立ち上げ。この頃からテレビCMの振り付けやコンサート演出を大量に手掛けるようになる。2010年、さくら学院の結成以降、同グループとその派生ユニット(BABYMETAL、科学究明機構ロヂカ?など)の楽曲すべてを振り付け[12]。2012年、蛯原友里、押切もえ、安座間美優、山本美月らモデル17人が踊るファッションショー「Canコレ!」の振り付けを担当[18][19][20]。
2014年、ELEVENPLAYが初音ミクと共にレディー・ガガのコンサート前座を務める[21]。MIKIKOが振り付け・演出した 伊勢丹の宣伝動画 がグッドデザイン賞を受ける[22]。2015年、技術と芸術の祭典「SXSW」におけるPerfumeの 公演 が「ACC CM FESTIVAL」インタラクティブ部門の総理大臣賞/ACCグランプリを受賞[23]。MIKIKOは絵コンテを作り、真鍋大度らに照明やカメラワークを指示した[24][25]。
2016年、リオ五輪閉会式における、五輪旗引き継ぎ式 の芸術パートを担当[26][27]。同年、テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』エンディングの振り付け(恋ダンス)を担当、大きな反響を得る[15][28]。ミュージックビデオ「Cold Stares」がオーストリアの芸術賞「Prix Ars Electronica」(Computer Animation/Film/VFX部門)のAward of Distinctionを受ける[29]。
2017年、デジタルメディア協会はMIKIKOに、AMD Award '16 審査員特別賞(Jury's special award)を授与[3][30]。同年、『VOGUE JAPAN Women of the year 2017』を受賞。さらに、東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームに就任。演出チームの実質的な統括地位にあったが、開会が迫る2020年12月、髙田佳夫(電通代表取締役)により演出チームは解散に追い込まれる恰好で辞職した。代わって総合統括に就いたのが佐々木宏(髙田と電通同期入社のクリエイティブディレクター)であった。
2018年、「第4回Women of Excellence Awards」にてビジネス部門を受賞[31]。
|
この節の加筆が望まれています。
|
目標は踊り手の身体や個性を美しく見せること[8]。米国で体型や文化の差を確認したことが転機となった[32]。例えば、ヒップホップのような外来のダンスをそのまま取り入れず、かつ着物のような外見ではなく、細やかさのような日本人の内面を表現することを一層重視する[9]。MIKIKOは日常の仕草を振り付けに多用し[9]、プロジェクターやドローン、LED、移動式半透過スクリーンなど先端技術を用いた演出も得意とする。最も影響を受けた振付師は「引き算の美学」を感じるボブ・フォッシーと話した[33]。
脚本家で映像、音楽制作を手掛ける小中千昭は、振り付けの特徴の一部を次のように指摘した。
恋ダンスにおける振り付けの目標は、楽器の音や歌詞を解説し、振り付けがない場合と異なる面を観客に感じさせることだった。星野源は振り付けを「楽曲の持つ魅力とリスナーへの伝達力を何倍にも大きくしてくれる」と評した[35]。
など
など
など
(MIKIKO から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/15 09:09 UTC 版)
|
|
この記事はカテゴライズされていないか、不十分です。
|
|
|
| Mikiko | |
|---|---|
| 人物 | |
| 国籍 | |
| 居住地 | |
| 職業 | パーソナルトレーナー |
| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2017年6月6日 - |
| 登録者数 | 180人 |
| 総再生回数 | 2,874回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年12月8日時点。 |
|
mikiko(みきこ)は、日本のパーソナルトレーナー、ニュージーランド公認トレーナー[1]。ニュージーランド・オークランドを拠点に活動する。筑波大学健康増進学修士。
日本生まれ、日本育ち。剣道一家に育ち、5歳から始めた剣道では東京代表として全国大会出場、その後、中学ではバスケ、高校ではテニス、大学では体育会テニス部で競技人生を送る。引退後は趣味でバスケを再開。
筑波大学人間総合化学研究科にてスポーツ科学や健康増進学を学び、修士号を取得(健康増進学)。在学中にはオーストラリア・クイーンズランド大学に留学。ニュージーランドでのインターンを通し、国外のフィットネスを学ぶ。
2017年にフィットネス先進国のニュージーランドへ移住。移住後は、オークランド市内のジムLesMillsを拠点にパーソナルトレーナーとして活動中。それぞれの人に寄り添ったベストなウェルビーイングを提供している[1]。
20歳前後で経験した摂食障害の経験を基に、2019年からはSNSを中心に間違ったダイエット情報や、世間の目に惑わされない生き方について発信する活動を開始。「ダイエットの常識は9割が間違い」「『痩せたら自信が持てるようになる』なダイエットは失敗する」「誰かが決めた基準で自分を定義しない」といったメッセージが人気を集め、Twitterでは1.8万人のフォロワーがいる(2023年8月現在)。オンラインマガジンでコラムの連載も担当している。
自他共に認める底無しの元気が取り柄だが、日本の美の基準からはずれていることに自信をなくしていた時、イギリス一人旅やオーストラリア留学を通して「Be you, Do you.(あなたらしく、あなたがやりたいようにやりなさい)」という言葉と出会う。以降自分らしさを活かした身体の向き合い方、生き方、働き方を目指すようになった。一生ブレない視野と学びを届ける指導は、初心者、働くママ、医療従事者、アスリート、高齢者、俳優といった幅広い層に人気で、NZでベストトレーナーの1人として予約待ちの続くセッションを展開している。
自身には合っていない運動を「これさえすれば結果につながる!」「努力すれば必ず身になる!」と押し付け、栄養不足もあり、疲労骨折などの怪我を繰り返す。これをきっかけにスポーツの現場で働くアスレチックトレーナーに興味を持ち、解剖学やリハビリなどの知識を学んだ。
スポーツで鍛えられた筋肉質な身体や、元々広い肩幅などの体格にコンプレックスを感じ、20歳前後で摂食障害を経験。食べる量を極端に減らしながら、必要以上の運動を自分に課すといった無理なダイエットを繰り返し、無月経を経験、目の裏の血管が詰まり失明の危機に陥った。やがて「こんな人生が続くのは嫌だ!」と一念発起。壊れかけた自分の身体と心を治すために大学やジムでより専門的な勉強を始める。
「結果が出ないのは努力不足のせいだ」と一心不乱になるダイエットや、自分に合わない型を押し付けるフィットネスの危険性を発信するきっかけになった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:32 UTC 版)
「AKARA (ロックバンド)」の記事における「MIKIKO(ボーカル)」の解説
UCLA卒。幼少期をアメリカで過ごす。ボン・ジョヴィ好きな親の影響で、日本に帰国した中学時代よりバンド活動を開始。大学進学のために再度渡米し、世界の楽器について学べる講義で和楽器と出会う。当時の教員から「日本人という特徴があるなら和楽器で自己表現すべき」という助言を受けた。それをきっかけに和楽器へ目を向けてバンド活動に取り入れ、卒業後一般企業へ就職のため帰国。会社勤務と並行し音楽活動を続けていたが、ステージを見た上司からの助言を受けミュージシャン兼経営者として独立。日本の伝統楽器を取り入れた活動を本格的に始めた。
※この「MIKIKO(ボーカル)」の解説は、「AKARA (ロックバンド)」の解説の一部です。
「MIKIKO(ボーカル)」を含む「AKARA (ロックバンド)」の記事については、「AKARA (ロックバンド)」の概要を参照ください。