magazine
連発式の銃火器に於いて、2発目以降の弾薬を収めておく部品。
様々な形状があり、以下代表的なものを挙げる。
火器の装弾数は弾倉の大きさに依存し、多弾数である程火器全体のサイズと重量が増す為「如何にして弾数を確保しつつコンパクトに造るか」が兵器設計者の悩みの種となる。
また兵器の故障率にも密接に関連し、造りが粗雑であれば給弾トラブルが頻発する。
この為、銃器メーカーが弾倉専門業者に製造を委託していたり、射場で撃ってみて弾倉を選別する射手がいたりと、実はかなり重要なファクターである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/07 05:32 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 『MAGAZINE』 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 黒木メイサ の スタジオ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 2010年 | |||
| ジャンル | J-POP | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | gr8!Records | |||
| プロデュース | U-Key zone、MOMO"mocha"N.、Jeff Miyahara | |||
| 黒木メイサ アルバム 年表 | ||||
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| 『MAGAZINE』収録のシングル | ||||
『MAGAZINE』(マガジン)は、日本のポップ歌手黒木メイサの1枚目のフルスタジオアルバムである。gr8!Recordsより2011年1月26日に発売された。
本作は、後述する通り雑誌仕様になっている。この発想は、黒木が2年間の音楽活動の中で初期とアルバム制作時では音楽に対する向き合い方に変化があり、それを全て伝えたいと思ったところから生まれた[1]。今まで「強い女性像」をイメージして音楽活動をやってきたと自負する黒木だが、本作は「強い人でも弱い部分や隠したい部分があり、それを人に見せたり自分で認めることで違う強さが身に付くのではないか」という考えから、黒木の素の部分や弱い部分が出されている[1]。黒木自身は制作期間中は「素直に自分と向き合えた」と語り、余計な事を考えずに、「今この曲を歌いたい」「この曲を届けたい」と思ったままに表現された内容になっていると述べている[1]。
2010年10月に恵比寿ガーデンホールで行われた黒木初のワンマンライブ「1st sololive "ATTITUDE2010"」の後に制作が開始された。『タワーレコード』とのインタビューによると、制作は「短期集中」で行われた。収録曲の一部は、ライブで観客に書いて貰ったアンケートの結果が反映されている。例えば、「もっと歌を聴きたい」との意見に応えて制作されたのが、「Say Good Night☆」「Somewhere...」「Why??」といったミッド・バラードである。ほとんどの楽曲は日本で録音されたが、プロデューサーのJeff Miyaharaの手引きで「BYE BYE MY FRIEND」「CELEBRATE」の2曲はロサンゼルスで録音された[1][2]。
シングル「SHOCK-運命-」「5-FIVE-」「LOL!」に加え、急遽収録された「Wasted」など計14曲からなる。クールなサウンドから始まり、切ないバラードまでバラエティに富んだ内容になっている[3]。7曲目の「Say Good Night☆」は当初は収録される予定は無かったが、「Somewhere...」を録音しているときに、気持ちが変わり、急遽、翌日録音した[4]。
初回盤A、初回盤B、通常盤の3形態で発売。初回盤の大きさは216mm×281mm、厚さは10mmある。題名に因んで50ページの雑誌形式になっており、黒木を含む制作者へのインタビューや各楽曲の解説などが掲載されている。また、レスリー・キーによる撮り下ろし写真も掲載[3]。初回盤Aには、シングル曲を含む全7曲のミュージック・ビデオが収録され、ブックレットには各ビデオの解説やオフショットが掲載されている。初回盤Bには、2010年10月に恵比寿ガーデンホールで開催された黒木初のワンマンライブの映像が収録され、ブックレットにはライブの解説とオフショットが掲載されている。初回盤はいずれも、1万枚限定生産である[3]。
| 専門評論家によるレビュー | |
|---|---|
| レビュー・スコア | |
| 出典 | 評価 |
| WHAT's IN? | 肯定[5] |
| リッスンジャパン | 肯定[6] |
『WHAT's IN?』の渡辺淳は、「シングル曲を含め、R&B、エレクトロなど最新のグローバルなポップ・シーン、チャート状況とリンクするサウンド、音楽性。自身の心に正直に生きることの大切さが、強く、ときに切なく、深い表現力を備えたボーカル、歌詞の世界から伝わる」とコメントした[5]。『リッスンジャパン』は、「徹頭徹尾ダンサブルな内容」と批評し、「エレクトロ、ハウス、ヒップホップ、ハウスなど様々なクラブ・ミュージックをハイブリッドした本格的な作りになっている。」とコメントした[6]。
2011年2月7日付けのオリコン週間チャートで初登場及び最高6位を記録[7][8]。同日付けのBillboard JAPAN Top Albumsでも初登場及び最高6位。
2010年10月に恵比寿ガーデンホールにて行われた「MEISA KUROKI 1st solo live "ATTITUDE 2010"」のライブ映像。
| チャート (2011年) | 最高 順位 |
|---|---|
| オリコン週間[7] | 6 |
| Billboard JAPAN Top Albums | 6 |
| チャート | 売上 |
|---|---|
| オリコンチャート フィジカル[9] | 22,000 |
(MAGAZINE から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/25 06:31 UTC 版)
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ZINE(ジン, / z iː n /ZEEN;英: Magazineまたは英: Fanzineの略)とは、個人または少人数の有志が、非営利で発行する自主的な出版物のことである[1]。
作者が何にもしばられず、思い通りに作ることができるのがZINEの魅力である。内容も形式も自由。流通させるのもすべてが自分次第である。近年、ZINEを作る人の数はどんどん増えている。作り手の思いが形になったZINEは、個性豊かで一般の書籍や雑誌にはない面白さで満ちている[2]。
主にコピー機やリソグラフ、家庭用のインクジェットプリンターなどで印刷し、ホチキスやクリップ等で簡素に製本された冊子の形態をとるものが多い。発行部数は100部以下で、まれに1000部以上となる場合もある。価格は無料・有料いずれの場合もあるが、有料の場合であっても営利を目的とはしていない。 分業化された商業出版に対し、ジンでは印刷・製本から流通まで、作品が読者に届くまでのあらゆる作業に作者自身が関与する。流通は個人間での直接の取引や、ジンの即売会(ジンフェスティバル)、ジン専門の書店で行われる[3]。また、なるべく多くの人に配布したい場合、印刷せずにデジタルデータにする方法もある。手で触れられるものをつくる醍醐味は薄れるが、無料で配布しやすくなるので、多くの人に見てもらうことができる[4]。
19世紀後半から20世紀初頭のアメリカにおけるアマチュアプレス運動や、1920年代から1930年代にかけて続いた黒人によるハーレム・ルネサンスの文学雑誌など、経済的・政治的に疎外された人々が自らの主張を発信するためのメディアとして自主的に刊行した出版物が最も初期のジンのルーツとされる。
1930年代からはSFファンダムの作品発表・批評・交流の場として、ファンらが自主的に制作した「ファンジン(Fanzine)」が多数生まれ、そこから転じてジンという言葉が生まれた。
1970年代には労働者階級の間で政治的なメッセージ性を含むパンクが音楽・ファッションにとどまらずアートや文学も含む文化として流行となり、そのなかでパンクジンが多数刊行され、パンクファン達の情報交換やレビュー、交流のためのメディアとしてジンは機能した。
1990年代にはパンクの流れを受けたライオット・ガール(Riot Grrrl)運動と第三波フェミニズムの流れが起こり、ジンは女性達のつながりを生み出すメディアとして重要な役割を果たした。
これらの一連に流れのなかで、ジンはメインストリームの文化から疎外された人々のためのオルタナティブな存在として、個人の志向や政治的主張を強く表現するメディアとして、英語圏において独特の文化を形成した。
1980年代から1990年代にはコピー機やパーソナルコンピュータの普及により個人でもジンの制作が容易となり、ジンの人口は一気に拡大した。インターネット普及直前がジンの黄金期だった。
インターネット普及後、ジンで行われていたような表現活動はウェブジン・E-ZINEに移行し一時下火となったが、2010年代には紙の冊子としてのジンが再評価され、世界各地でジンフェスティバル(ジンの即売会)が開催されるなど、ジンのカルチャーが再び活発になりつつある。
ジンは、ジン・フェスティバルなどのイベントやジンの専門店などで販売・配布される。通常の出版物の流通ルートを経由しないため、通常の書店では入手できない。
ジン・フェスティバルでは作者自身がテーブルの前に立ち直接作品を販売・配布する。2001年に始まったサンフランシスコ・ジン・フェスティバルは200以上の出展者が、2012年に始まったロサンゼルス・ジン・フェスティバルでも200以上の出展者が参加しており、米国最大のジンフェスティバルとされている。その他の大規模なジンフェスティバルには、ブルックリン・ジン・フェスティバル、シカゴ・ジン・フェスティバル、フェミニスト・ジン・フェスティバル、アムステルダム・ジン・ジャム、スティッキー・ジン・フェアなどがある。
日本国内では吉祥寺ZINEフェスティバルなど各地で開催されるジン・フェスティバル、文学作品展示即売会「文学フリマ」、MOUNT ZINEなどのジン専門書店で販売・配布される。
英語圏でのジンが日本に紹介される以前から、日本ではミニコミやリトルプレス、コミックマーケットを中心とした同人誌の文化が形成されており、ジンに類似しつつも独特の個人制作誌の文化を形成していた。
日本国内でも英語圏でのジンが輸入販売されていたが、その際はパンクジンが「パンク雑誌」と呼称されるなど、ジンという言葉自体が長らく日本語圏で紹介されないままいた。
本格的にジンが日本で紹介され始めたのは2000年代の終わり頃である。海外のアートやファッション業界からのジンへの注目が高まった時期でもあり、日本の雑誌やウェブメディアでもアートやファッションの文脈でジンが多く取り上げられた。しかし「写真やイラスト作品のポートフォリオ的なもの」「アーティストが作る冊子」「オシャレな人に人気」など、本来のジンの文化とは異なる切り取られ方をして紹介されることが多かった。このため本来のジンのカルチャーからは存在し得ないようなもの、たとえば有名人による高価な限定品のジンの販売が行われたり、企業の広報誌をジンと呼称する例が見られるなど、日本国内でのジンをめぐる認識には混乱が発生している[5]。また、ギャラリーやアートスペースでジンの展示や販売会が行われるなど、ジンはアートに近接する領域のものとして扱われている[6]。
2017年に野中モモ・ばるぼらによりジンを含む日本における多様な自主制作出版の流れをまとめた『日本のZINEについて知ってることすべて:同人誌、ミニコミ、リトルプレス-自主制作出版史1960~2010年代』が発行され、2018年にはテレビ番組『タモリ倶楽部』で「自由すぎる出版物」としてジンとその専門店が紹介されている[7]。いずれも本来のジンの定義により近いものであり、日本国内における認識には改善が見られつつある。
主要な発表の場としては、文学フリマがある。同じ「自主的な出版物」としてよく比較される同人誌が二次創作が主流であるのに対して、ZINEはオリジナル創作が中心であるという傾向の違いはあるが、明確な線引きはできない[8]。