出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/03/01 03:04 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2019年9月)
|
|
サンクトペテルブルク・アーフトヴォの展示車輌
|
|
| 性能諸元 | |
|---|---|
| 全長 | 8.49 m[1][2] |
| 車体長 | 6.75 m[2] |
| 全幅 | 3.25 m[1][2] |
| 全高 | 2.53 m[1] |
| 重量 | 46 t[1][2] |
| 懸架方式 | トーションバー方式 |
| 速度 | 35.4 km/h[2](整地) (不整地) |
| 行動距離 | 251 km[2] |
| 主砲 | D-5T 85mm戦車砲[2] (弾数71発) |
| 副武装 | 7.62mm車載機銃DTx3[2] (弾数3276発) |
| 装甲 |
|
| エンジン | 12気筒水冷ディーゼルV-2KS 600 馬力[2]/1900rpm |
| 乗員 | 4 名[1][2] |
KV-85(ロシア語: КВ-85カーヴェー・ヴォースィェミヂスャト・ピャーチ)は、ソビエト連邦で開発された戦車である。KV-1の改良型で、重戦車に分類される[1][2]。
KV-1戦車は大重量とトランスミッションのトラブルのせいで兵士達に不評であり、また76.2mm砲を装備しているため重戦車でありながら中戦車であるT-34と同じ火力でしか無く、その存在意義を問われることとなった。そこで装甲を削減し、トランスミッションも新型となったKV-1Sが代わって量産され機動性と信頼性は改善されたが、耐弾性の優越という最大の利点を失う結果となった。また新型中戦車T-34-85に85 mm戦車砲を搭載することが決定され、火力でも中戦車に劣る存在に成り下がってしまった。KV-1Sでも85mm砲の搭載実験は行われたものの、砲塔内部が狭すぎて操作が困難であった。
その一方、ドイツの新型戦車が現れた前線からは、味方の新型の一刻も早い投入を望む声が高く、キーロフ工場第2特別設計局の(KV-1Sを手がけ、後にIS-3を開発することとなる)ニコライ・L・ドゥホフの設計チームは試作車・オブイェークト237(後のIS-85改めIS-1スターリン戦車)の砲塔をKV-1Sに搭載することにした。このため砲塔リングは拡大され車体上部に張り出しが設けられ、後期型からは10R型無線機が砲塔に移動したことで無線手兼前方機銃手がいなくなり、車体の機銃は固定式となった。また砲塔の大型化のため、スペースを失った操縦手用ハッチも廃止された。砲は、85 mmの52-K 85mm高射砲(D-5T)が採用された[2]。
1943年7月に試作が完成したKV-85はIS-1配備までのつなぎとして採用され、9月から11月にかけて143輌(130輌説[1]、148輌説[2]もあり)が生産された。この後、まだIS-2の生産が伸び悩んでいたことから、その砲塔を載せたKV-122も試作されたが不採用に終わった。
KV-85は火力の強化された新型ドイツ戦車に対し優越するほどの性能ではなかったが、KV重戦車系としては最もバランスのとれた性能だったといえる。第7、第11、第15、第29の4つの親衛重戦車連隊に21輌ずつが配備・実戦投入され、そして激戦により多数が失われたが、生き残った車輛は終戦まで使われ続けた。また朝鮮戦争の際、中国経由で朝鮮人民軍に引き渡されているが、この時の戦闘記録は無い。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:17 UTC 版)
KVの後継車両としてIS系列が開発されたが、前線からは一日も早く強力な重戦車の配備が要求されていたものの、ISの生産にはなお時日が必要であったため、急遽、KV-1Sの車体に85mm砲を備えるIS-1の砲塔を搭載した暫定折衷型が作られ、KV-85として制式採用された。ISの砲塔はKVに比べて砲塔リングが大きく、このため、車体は砲塔搭載部で左右に張り出しが設けられた。KV-85は1943年中に143両(もしくは130両)が生産された。
※この「KV-85」の解説は、「KV-1」の解説の一部です。
「KV-85」を含む「KV-1」の記事については、「KV-1」の概要を参照ください。
固有名詞の分類