出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 09:30 UTC 版)
| K-ness. | |
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| プロフィール | |
| リングネーム | K-ness. ジミー・クネス J.K.S. ダークネス・ドラゴン MAKOTO 斎藤 誠 |
| 本名 | 齋藤 誠 |
| ニックネーム | BRAIN PROJECT 策士 |
| 身長 | 172cm |
| 体重 | 74kg |
| 誕生日 | 1974年4月16日(51歳) |
| 出身地 | 東京都練馬区 |
| 所属 | DRAGON GATE |
| スポーツ歴 | 器械体操 ハンドボール |
| トレーナー | アニマル浜口 ザ・グレート・サスケ ウルティモ・ドラゴン |
| デビュー | 1996年4月23日 |
| 引退 | 2022年4月7日 |
K-ness.(クネス、1974年4月16日 - )は、日本の元男性覆面レスラー。本名:齋藤 誠(さいとう まこと)。東京都練馬区出身。最終所属DRAGON GATE。血液型B型。
アニマル浜口トレーニングジムでトレーニングを積む。
1995年、みちのくプロレスに入門、1996年4月23日、二戸市体育館大会で斎藤誠として対ウィリー・ウィルキンスJr.戦でデビュー。同期はGamma。同年、レッスル夢ファクトリーに移籍。
1999年2月6日、闘龍門JAPAN千種スポーツセンター大会に参戦。4月、リングネームをMAKOTOに改名。6月、闘龍門JAPANに移籍。12月、CRAZY-MAXに加入。
2000年6月4日、ワールド記念ホール大会で不仲を起こしたTARUとの敗者追放マッチに敗れて姿を消す。
2000年9月21日、石川産業展示館3号館大会で覆面レスラー「ダークネス・ドラゴン」として再登場。
2001年1月7日、M2Kに加入してドラゴン・キッドと抗争を繰り広げる。
2002年9月8日、有明コロシアム大会でキッドとのマスカラ・コントラ・マスカラに敗れてマスクを脱いで素顔を公開。11月2日、リングネームを覆面レスラー「K-ness.」に改名。一時は正規軍に所属していたが、それは斎藤了を引き込む為のスパイ行為であり、リーダーがマグナムTOKYOに替わったM2Kに再合流してDo FIXERを結成。
2003年以降は肩の怪我に悩まされて欠場を繰り返す。
2004年、DRAGONGATEの発足と同時にDo FIXERを離れて望月らとファイナルM2Kを結成。しかし椎間板ヘルニアを患い、2005年末のKING OF GATE出場を最後に長期欠場を宣言。2006年のワールド記念ホール大会で復帰したが、状態はまだ思わしくなく、継続して試合に出ることは出来なかった。
2006年12月にトップ戦線から一歩退いた形として再度復帰。また、ファイナルM2Kからの脱退と前後してDRAGON GATEの現場監督に就任する。それからは"ハリウッド"ストーカー市川等とコミカルな試合をするのがリング上での主な姿だった。しかし、体調が上向いてきたため、2007年8月に行われたタッグリーグ戦にドン・フジイと組んで出場。同時に第一線への復帰を宣言する。リーグ戦の結果は厳しかったが、9月に博多スターレーンで行われたトライアングルゲート選手権で勝利を収め、戴冠と共に完全復活をアピールした。現在は選手として活躍する傍ら、現場監督としても、冷静な判断と場を読む上手さと間をいかしたマイクアピールで、DRAGON GATEを統括している。
2009年12月20日に12月27日の福岡国際センターでのマスカラ・コントラ・カベジェラ金網マッチに出場予定だった負傷欠場中の斎藤了の代役として登場し、REAL HAZARDに加入した。その後、横須賀享とユニットを離脱(その後REAL HAZARADは分裂)。ユニットには属さずに横須賀享と「クネスカ」として活動。
2010年1月11日に最多防衛記録をかけた谷嵜なおきから勝利し、悲願のブレイブゲート奪取。設立者の一人だが、意外にも初戴冠であった。2月7日に博多スターレーンでPACから防衛を果たすも、2月27日の京都KBSホールでスペル・シーサーからベルトを奪われる。5月13日の後楽園ホールで横須賀享と共にツインゲートを奪取。第12代王者に輝いた。その後、4度の防衛に成功するが、土井成樹&Gamma組に奪われてしまう。
2013年は1月17日に後楽園ホールでYAMATO、3月7日には鷹木信悟をシングルマッチで破り、CIMAが保持するオープン・ザ・ドリームゲート王座への挑戦を表明して4月4日に対戦するも敗れた。しかし、2013年内にDRAGON GATEの主要4大タイトル全てに挑んだ唯一の選手となり、このうちツインゲートとトライアングル・ゲートを獲得。
2014年12月3日、後楽園ホール大会でMAD BLANKEYの新メンバーを募集する土井ダーツで選ばれ加入。マスクを黄色と黒を基調にしたMBバージョンになり凶器として木槌を使用し始める。
2015年5月5日、MAD BLANKEYを追放される。しかし、5月8日、キング・オブ・ゲート戦で土井と試合をしていたCIMAを突然裏切り、MAD BLANKEYに再加入。6月3日、MAD BLANKEY vs 後楽園中学3年B組生徒会対抗戦でGammaから光の輪で勝利。その後、ブレイブゲートに挑戦表明。6月13日、戸澤の持つ、オープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦するも敗北。8月16日、自身の所属するMAD BLANKEYとジミーズとの解散マッチを行う。最後は味方のYAMATOに塩を投げつけ、ジミーズのススムとのツープラトン技(須賀ドラニーなど)を出し最後はススムのジャンボの勝ち!でYAMATOが敗北し、自身の所属していたMAD BLANKEYが解散した。試合後ジミーズに加入。しかしこれに谷嵜が反発する(理由は試合中に問題龍にインプラントを決めようとした瞬間、いきなりBOX攻撃を2発も頭部に受け、最初にサイバーに負けた為)9月27日、クネスカとして初のタッグリーグ優勝に成功。10月8日、後楽園大会で因縁深まる谷嵜とシングルマッチを行い、勝利。試合後、なおも不貞腐れる谷嵜を当時欠場中のジミー・カゲトラが説得、一度は和解し、ジミーズトレインを行うがそこで谷嵜がカゲトラを襲撃する形でユニットを離脱した。
2017年8月17日、ジミーズが解散して無所属になりリングネームもK-ness.に戻った。
2021年12月28日の神戸大会で、翌年4月7日で引退を発表。
スピードとテクニックを併せ持った頭脳派プレーが特徴的。時には、タッグでの連係技が目立つこともある。
斎藤誠が用いたことがあるリングネーム。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 19:23 UTC 版)
現在使用中のリングネーム。マスク側頭部の「龍」の部分が十字架に変更されるなど、ドラゴンからは独立したキャラクターになる。その後、イメージカラーを青に変更。アニマル浜口道場からの友人である吉江豊が参戦したときは、吉江のカラーに合わせてピンク色のコスチュームだった。
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