出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/02 18:59 UTC 版)
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『JOCX-TV2』(JOCXティーヴィードゥー)は、フジテレビが1987年10月から1989年9月まで使用していた深夜番組の時間帯の総称である。
JOCX-TV(フジテレビのコールサインに由来)までは英語読みだが、2だけは英語のtwo(トゥー)ではなくフランス語のdeux(ドゥー)と読んだ[1]。
その後も後継枠が続いたのち、1996年に終了した。この項目ではこれら後継枠についても扱う。
フジテレビの深夜番組は、鹿内信隆会長時代の1976年(昭和51年)4月に放送を開始した『プロ野球ニュース』が定着した程度で、信隆時代にはバラエティ番組のほとんどがゴールデン(プライムタイム)に集中していた。加えて1970年代は2度のオイルショックにより放送終了時間が繰り上げられるなど、テレビの深夜放送は日本の社会情勢を如実に反映していた。それでも、信隆の長男・鹿内春雄がフジテレビ副社長に就任する1981年(昭和56年)には『らくごin六本木』などの実験的な深夜番組がスタートし、春雄が会長に就任した翌年の1983年(昭和58年)には土曜深夜に『オールナイトフジ』を開始して、週末深夜帯の開拓に成功していた。
フジテレビがさらなる深夜帯の開拓に向けて動き始めたのは1984年(昭和59年)頃で、当時の編成局次長三ツ井康(後に扶桑社会長)が主導するプロジェクトチームにおいて検討が行われ[2]、週休二日制の浸透で週末になった金曜深夜(土曜早朝)についても1986年(昭和61年)4月に開始した『いきなり!フライデーナイト』が定着して成果をあげていた[3]。その後も1986年(昭和61年)の『録画チャンネル4.5』、1987年(昭和62年)春の『ザ・レイトショー』など、深夜への取り組みは徐々に進んでいった[4][5]。このうち『録画チャンネル4.5』は電通が持ち込んだ企画で、家庭用ビデオテープレコーダーのメーカー複数社(松下電器産業、東芝、日本ビクターなど)が相乗り提供し、演劇や長編映画、落語などを4時間30分にわたって単に見せ続けるという、ビデオ録画を前提とした番組であった[6]。この番組を実現したのは、春雄会長によって1986年(昭和61年)7月に編成局長に抜擢された三ツ井であった[7]。
1987年(昭和62年)7月、フジテレビの編成部長に就任した重村一(後にニッポン放送会長)は、前年に放送された『録画チャンネル4.5』の成功に触発され[8]、次の改編で24時間放送を本格的に開始することを決めた[3]。同年7月に放送した『FNSの日・FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』が平均視聴率19.8 %と好成績をおさめたことも後押しする形となり[4]、8月25日、フジテレビは制作発表において10月1日からの24時間放送実施を打ち出した[9]。深夜番組の時間帯は第2のフジテレビ「JOCX-TV2」と名付けられた。
フジテレビの社内機構としても編成部内に深夜帯の編成に(予算配分も含め)特化した、若手を中心とした「深夜の編成部」と呼ばれたチームを作って「深夜の編成部長」を選び、視聴率を気にせず各々の好きなものを作るという実験的な試みで、深夜帯だからこそ出来る企画を送り出していった[10]。初代「深夜の編成部長」には総務から編成に異動した30代の石川淳一が就任した[11]。当時、深夜放送は遅くとも午前2時前後で終了し、それ以後は早朝(5、6時台)の放送再開までは放送設備点検のため、停波するか、試験電波のカラーバーを放送していたが、この時間帯を開拓することで、東京放送(TBSテレビ)と並んで、日本の地上波テレビ放送初[12]となる終日放送が実現した。この終日放送は、深夜帯に大きなニュースが急に入って来た場合の対策としての意味もあったとされる[13]。この改編において「速報ニュースに対応する」という目的では、深夜以外の午前から夜にかけて『ショットガン』と題するわずか60秒の定時ニュース番組も設けられた[14]。
なお、終夜放送開始当初は、厳密な意味での「24時間放送」ではなかった。これは当時使用していた東京タワーの芝送信所にある送信機が真空管方式のものを使っており、稼働時間が長くなることで劣化してくるため、定期点検の一環で早朝の主に4、5時台の一部時間帯で30分から1時間程度、カラーバーによる試験電波を発射していたことによるもの(特に定期的に真空管の交換などの大規模なメンテナンスでなければ、停波せずにカラーバーを放送していた)[15]。のちに送信機が真空管式からトランジスタ式へ更新され、それを機に完全な24時間放送が行われるようになる。
また、日本の民放テレビ番組では珍しい「ゾーンスポンサー」制度を取り入れた(JOCX-TV2時代の1987年10月からJOCX-TV PLUS+時代の1990年3月まで[16])。これは深夜枠全体を特定のスポンサーに販売し、各番組内でタイアップ企画を取り入れるというもの。ゾーンスポンサーにはキリンビールがついた[17]。ゾーンスポンサー名の告知及びゾーンスポンサーのCMについては、毎日の同枠開始時にまとめて放送されていた。事実上唯一のゾーンスポンサーとなったキリンビールの場合、毎日の同枠開始時のみに流れる30秒[18]のイメージスポットの最後に「TV2 by KIRIN」とテロップが流れ、それに続き同社の製品であるビールのCMが30秒流れるのみであった[19][20]。なお、この「ゾーンスポンサー」はあくまで深夜枠全体の提供(いわゆる冠協賛)であり、個別番組には別途通常のスポンサーがついていた。
編成面では、月曜はスポーツ番組、火曜は海外番組、といったように、曜日別に異なるジャンルの番組を配置する方針が採られた[21]。
実験的な内容の番組が数多く開始され、「視聴者を眠らせようとする番組」や「小説を朗読するだけの番組」などといった、深夜だからこそ可能なコンセプトの番組が増えていった。こうした番組の中で鹿内宏明会長時代の1988年(昭和63年)に放送されたドラマ『やっぱり猫が好き』、駆け出しだった頃のウッチャンナンチャンやダウンタウンが登場した『夢で逢えたら』といった番組は、フジテレビの深夜番組ブームの火付け役となった。
1989年(平成元年)10月からは『JOCX-TV PLUS+』に名を改め、1年から数年周期でレーベル名称は変更しながら、『MIDNIGHT TV+』、『JOCX-MIDNIGHT』などと続いていった。
その後宏明会長3年目の1990年(平成2年)からは『カノッサの屈辱』が放送され高視聴率を記録。他にも『IQエンジン』『奇妙な出来事』『カルトQ』『TVブックメーカー』『NIGHT HEAD』『たほいや』『シミュレーションズ』などの番組が誕生し、今田耕司、東野幸治らも活躍した。
フジテレビに入社を希望する学生も、作ってみたい番組として深夜番組名を挙げる者が多かったという[22]。
しかし1997年のフジテレビお台場移転の前年にあたる1996年に「JOCX MIDNIGHT」が終了し、フジ深夜枠はゴールデン予備軍を中心とした編成に移行していく。
| 期間 | レーベル | キャッチコピー |
|---|---|---|
| 1987年10月 - 1988年9月 | JOCX-TV2 | 眠らない、眠らせない。(枠開始時の30秒版のみ「毎日、朝まで刺激的」が追加) |
| 1988年10月 - 1989年9月 | どんばんは、よなかんばって。 | |
| 1989年10月 - 1990年9月 | JOCX-TV PLUS[23] | はっちゃん寝る、夢見た! |
| 1990年10月 - 1991年9月 | ねこにこんばんは。 | |
| 1991年10月 - 1992年9月 | GARDEN TV+[23] | GARDEN |
| 1992年10月 - 1993年9月 | JUNGLE MIDNIGHT TV+[23] | JUNGLE |
| 1993年10月 - 1994年9月 | JOCX MIDNIGHT | 音樂美學 |
| 1994年10月 - 1995年9月 | STRAY SHEEP | |
| 1995年10月 - 1996年3月 | Midnight Restaurant |
フジテレビの深夜枠では、定期的(当初はおおむね2年周期)にレーベル名が変更されていたが、そのレーベルに対しても定期的に『キャッチコピー』が付けられていた。レーベル枠内の全番組で冒頭に15秒(毎日の枠開始時のみ30秒)のイメージスポットが制作され、同一レーベルであってもキャッチコピーが変更された際にはイメージスポットも更新されていた。1993年10月からは「JOCX MIDNIGHT」というレーベルとなったが、1996年秋改編をもって深夜枠のレーベル自体が廃止され、イメージスポットも終了した。このイメージスポットからは『ストレイシープ』といった人気キャラクターも誕生している。
当時の深夜枠の範疇内にある番組はすべて番組冒頭にゾーンタイトルが挿入されており(「Sound Weather」などの5分番組も含む)、範疇外であった番組にはゾーンタイトルが挿入されていなかった。なお、深夜枠の時間帯に突発対応で臨時ニュースが何度か編成されたが、基本的には放送予定番組の冒頭に「こじ開け対応」として差し込まれたため、臨時ニュースの前にイメージタイトルが入る格好となっていた(放送中の番組内に挿入される場合は異なる)。
1987年10月 - 1989年9月
1989年10月 - 1991年9月
1991年10月 - 1992年9月
1992年10月 - 1993年9月
1993年10月 - 1996年3月
JOCX-TV2などの深夜枠では時折、様々な斬新な企画の特番を放送した。中には人気を博し定期的に放送された物もある。
当時の深夜枠の直前となる10分間に丸井一社提供のミニ番組(丸井サウンドロフトなど)が放送されていたが、この「丸井一社提供番組群」は厳密にはこれらの枠の範疇には含まれない(理由として、番組自体は深夜枠設定よりも数年前から開始されていること、一社提供で短時間枠であること、テレビ静岡で同時ネットしていること[25]などが考えられる)ものの、フジテレビが過去の編成を回顧する際(一例として、1991年10月9日、10日、11日に3夜連続放送された特別番組「深夜は踊る JOCX-TV+ GARDEN MANUAL」)に「丸井一社提供番組群」もその範疇に含めることが多い(当稿においても一部の「丸井一社提供番組群」をこれらの枠の範疇において記載している)。
同様のケースは数例あり、金曜深夜枠で2009年(平成11年)9月まで(同枠で)放送されていた『さんまのまんま』(関西テレビ制作)もフジテレビはこれらの枠の範疇に含めることがあるが、「丸井一社提供番組群」同様に厳密にはこれらの枠の範疇外の番組である。また、1992年(平成4年)に放送された「英会話体操ZUIIKIN'ENGLISH」も、毎週火曜日の放送開始直後から放送の「早朝番組」であったにもかかわらず、後にフジテレビCSで再放送された「フジテレビ深夜番組群」のラインナップに含まれるなど、これらの枠の範疇内という解釈がなされることがある。
一時期、番組のストックや放送時間の都合[26]により、未明の3、4時台にフィラー「JOCX-TVフィラー」としてビデオクリップ(音楽のプロモーションビデオテープ)が放送された。
上記番組の一部は、2001年及び2007年にフジテレビ721・739(現・フジテレビONE、TWO)の『フジテレビ深夜黄金伝説』(フジテレビしんやおうごんでんせつ)および『フジテレビ深夜番組プレイバック』(フジテレビしんやばんぐみプレイバック)枠内で再放送されていた[27]。
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「JOCX-TV2」の記事における「JOCX-TV2」の解説
眠らない、眠らせない。(1987年10月 - 1988年9月) どんばんは、よなかんばって(1988年10月 - 1989年9月) - 系列局・テレビ新広島のローカル深夜番組『朝まで夜っテレビ』でもそのまま使用され、CMも本番組のものを番組名だけ改変したものを使用した。
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